龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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Netflixの映画『シャフト』、楽しかった。

2020年03月31日 08時35分42秒 | メディア日記
2020/03/30視聴。
Netflix『シャフト』の感想を少し。
3月からNetflixを視聴しはじめ、まず『鬼滅の刃』シーズン1を観た。
評判通り、なかなか楽しい。
現在少年ジャンプで『ONE PIECE』が読み放題ということもあり、それもこなさねばならないのだが(笑)、せっかくだからNetflixの作品のいくつかをマイリストに登録してぼちぼち見はじめた。

単発モノで初のNetflix作品が『シャフト』。
意外に面白い。こういう肩の凝らないエンタテインメントは、
①設定が素直に飲み込めるか(合理的かどうか、ではなく)
と、
②テンポが良いかどうか
が受け入れ度合いを決める面があるけれど、これは面白かった。

いわゆる相棒(バディ)物のジャンルなのだが、
「型破り私立探偵の父+エリート分析官の息子」
というのがまず楽しい。
二人がぶつかり合いながら(改めて)絆を強くしていくメロドラマは心地よいし、アクションも楽しい。

夜、もしくは休日の午後、何を観ようか迷った時には、そしてアクションものが嫌いでなければ、お勧めの一本。

左上に赤い「N」の文字があるのはNetflixオリジナル作品かと思われるが、なかなかいいクオリティだと思う。
DVDレンタルでどれを観ればいいのか分からないとき、既存のものだとWOWOWとか厳選感が割とあったけれど、ついにその「厳選感」はNetflixの側に移ってきた、という印象。
それはもう昔からかな?
私は今日から始めます(笑)。

しばらくメモ代わりに書いてみます。

中止した第14回エチカ福島だったが

2020年03月26日 14時58分26秒 | 大震災の中で
公開イベントとしては中止せざるを得なかった3/14(土)の

第14回エチカ福島
大西暢夫監督作品『水になった村』の上映と監督を囲んでの討議

を、形を変えて急遽プライベートで実施することになった。
エチカ福島のメンバー(今回の胴元※)が中止の残念会を飲み屋でやっていて、酔っ払った勢いで突然監督さんに「イベントは無理でも一緒にのみませんか!?」と、無茶ぶりのお誘いをしたところ、このご時世でたまたまスケジュールが空いていた(というか元々イベントのために空けておいてもらっていた)ため、「行きますよ」と快諾をいただき、結果我々仲間内だけのごく小規模な集まりになってしまったけれど、お話をじっくりうかがうことができた。

そこで感じたことを少し書き留めておく。
映画『水になった村』は、岐阜の徳山村が一村丸ごとダムに沈むことになったとき、、街に移住した村民の幾人かが、それでも毎年春から秋まで村の旧家屋に住み、畑をつくったり山菜やきのこ、わさびをとったりして塩漬けにする今までの暮らしを最後まで続けていく様子を撮ったドキュメンタリー作品である。
ダム工事による土地の買収と移転が決まっても、直ちに村が水没するわけではない。それからダム建設が進み、何年も経ってようやく水が張られる。その間、本来なら家屋を取り壊すのが契約なのだろうけど、直ちにすべてを壊すとは限らず、残った家屋や、代わりに立てた掘っ建て小屋などに、長年そこで暮らしてきた老人たちが水没まで住み続けることが黙認されていたようだ。

映画はダムの工事も反対運動も一切撮さない。そう言う映画ではない。ただひたすら、水没が決まってからも今まで通りに村の生活をそこで続けていく人々の営みを見つめていく。
それがもうなんとも元気いっぱいのお婆さんたちで、かつ厳しい自然のなかでの営みの「豊さ」がジワリジワリととこちらに伝わってくる映像になっている。
コロナ禍のなかで見る山村の「豊饒さ」は、都市近郊生活者のノスタルジックな思いとは全く別の打撃を与えられた。
そのことはここにどうしても書いておかねばならないと思った。

何年か後、村の家を壊して街場にだけ住むようになった老女たちがスーパーで買い物をする姿や、街の隠居所では撮影に来た監督に何も食べさせてあげられない、と指輪を監督に渡そうとする姿に、どうしても私たちの今の生活を重ねてしまう。

しかし、大西暢夫監督は、
「こんな風になったのはたった100年じゃないですか。いつかこんなことは歴史の点に過ぎないってなりますよ」
と希望を語る。

映画を観た後、監督さんにじっくり話を聴く機会があったのだが、
映画に出ている最後まで水没直前の村に残った老夫婦の一人は、じつは徳山村から北海道に開拓に移住した人が、徳山村の世帯の跡継ぎのために呼び戻されたのだ、ということを知った、という話をうかがった。

徳山村から集団で「自分の土地」を求めて北海道に渡った一団があったということを、大西監督は、映画を取り終えてからなお20年かけて追い続けていたのだ。

『ホハレ峠』という著作に纏められてこの四月に出版されるという。

ナガイナガイ時を経て続いていく監督の仕事に驚嘆すると同時に、深い敬意を覚えた。思わず泣けるエピソードがそこにあるのだが、ぜひ『ホハレ峠』を買ってよんでください。

翌日監督と新作映画『沖縄へ移行こう』の話をうかがった。
このドキュメンタリーは精神病院に入院している患者さんが沖縄に行きたいと思って5人が沖縄に行こうとするお話なのだそうだが(未見)、驚いたのはこのドキュメンタリー映画を撮るまで20年時間を経ているという点だ。
大西監督は、『精神科看護』という治療者向けの専門誌のグラビアを20年担当して、毎月精神科の病棟を尋ねては患者さんを撮影し続けてきたのだそうだ。

その「粘り強い柔らかさ」の持つ浸透力が、監督の言葉からも映画からも沁みてくる。

そう思った。声高に病院の閉鎖性を糾弾するとかいう流れとは対極。
「精神病院の閉鎖病棟の人はも写真に写りたいと思ったら誰の許可もいらないんじゃない?」というところから傍らに立って(立ち続けて)20年シャッターを切り続けるその仕事ぶり。
あくまで温和な表情でこともなげに20年を語る監督の笑顔。

やられました!