清沢洌『暗黒日記』岩波文庫が面白すぎる。
清沢洌は、第二次大戦中に「東洋経済」(石橋湛が主幹)の顧問として執筆し、アメリカ通のリベラル派として論陣を張った人物。
惜しくも敗戦直前の1945年5月、肺炎に罹って急逝。
とにかく戦時中のリベラル派にこんな人がいたのか、と目から鱗が落ちる思いがした。
以下、いくつか言葉を抄録する。
P335「イグノランス(無知:筆者注)がいかに罪悪であるかが、三人の一致した意見である。国民を賢明にする必要がある。それには、まず言論自由を許すのが先決問題だ。」
P85[防空演習は、丸ビルでは信号あるや便所の中でも、ピタリと床に平這いになって、顔を地につけている由。その非常識、沙汰の限りだ。二十才前後の者が、得意げに命令をして歩いている。」
P86「ミリタリズムとコンミュニズムとの妥合。予はコンミュニズムは封建主義と同じフレームオブマインドの産物なりとの見解を抱く久し。この事は、あらゆる方面に見らる。」
P122「英国は、いつでも他をして戦わせる。しかし英国が味方した方が敗けたことがあったかしら。」
P335「僕は、また米国の無差別攻撃に対し、日本のキリスト教徒が連合して、世界の世論に訴うべしと述べた。第三国の人をして調査発表せしめるのもいいではないかといった。坂本君はそんなことは軍部が反対だろうといった。」
P261
1945.1.1
「日本国民は今初めて『戦争』を経験している。(中略)だがそれでも彼らがほんとに戦争に懲りるかどうかは疑問だ。結果はむしろ反対なのではないかと思う。彼らは第一、戦争は不可避なものだと考えている。第二に彼らは戦争の英雄的であることに酔う。第三に彼らに国際的な知識がない。知識の欠乏は驚くべきものがある。
当分は戦争を嫌う気持ちが起ころうから、その間に正しい教育をしなくてはならぬ。それから婦人の地位を上げることも必要だ。
日本で最大の不自由は、国際問題において対手(あいて)の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない。この心的態度を教育しなければ、日本は断じて世界一等国となることはできぬ。総ての問題はここから出発しなくてはならぬ。」
こういう日記を読むと、その中にも具体的にはこんな風に戦争の真っ只中にいても時局を批評的に見る瞳が存在したのだ、と改めて身が引き締まる。そして、自分に引きかえてどうなのか、と考えさせられる。
確かに米国びいきの富裕層リベラルの言としてこの日記を見るならば、それに対してのツッコミどころはいろいろある。
軽井沢の別荘の話とか株の配当の話とか、生活レベルがまるで違うなあとも思うし、(本人も正直に書いているが)親米派と思われないためにわざとアメリカの悪口を言ってみたり、その実アメリカ帰りの日本人はみんな誠実だなんて言ってみたりもする。口を開けば軍部と国民はバカだバカだと毒を吐くし(笑)。
だが、そんな言葉の中に込められた「この世界から戦争をなくすために、僕の一生が捧げられなければならぬ」(1944.11.16)という思いは、間違いなく胸に迫ってくる。
ジャーナリストというよりはやはり「論客」というべき人だろう。
また、広い人脈に支えられた当時の政治の中心に近い人物たちとの交流の中で話された言葉たちの記録として、この日記には高い価値があるのではないか。
俄然戦中の日本に興味が湧いてくる1冊である。
おそらく私のその興味の底には、今もまたすでに「戦前」あるいは「戦中」なのかもしれないという危惧が存在しているのだが。
丸ビルの空襲の信号(警報)でトイレにはいつくばるのを「沙汰の限り」というくだりは、そのままJアラートの今日と変わらないわけだしね。
とにかく、日本国民全員に一読をお薦めしたい1冊。年末のお忙しいところですが、いかがでしょう。
小説以外で「巻措く能わざる」思いをしたのは、今年3冊目でした。
1冊目は『中動態の世界』(國分功一郎)。二冊目は『<政治の危機>とアーレント』(佐藤和夫)
どれも超おすすめです。
清沢洌は、第二次大戦中に「東洋経済」(石橋湛が主幹)の顧問として執筆し、アメリカ通のリベラル派として論陣を張った人物。
惜しくも敗戦直前の1945年5月、肺炎に罹って急逝。
とにかく戦時中のリベラル派にこんな人がいたのか、と目から鱗が落ちる思いがした。
以下、いくつか言葉を抄録する。
P335「イグノランス(無知:筆者注)がいかに罪悪であるかが、三人の一致した意見である。国民を賢明にする必要がある。それには、まず言論自由を許すのが先決問題だ。」
P85[防空演習は、丸ビルでは信号あるや便所の中でも、ピタリと床に平這いになって、顔を地につけている由。その非常識、沙汰の限りだ。二十才前後の者が、得意げに命令をして歩いている。」
P86「ミリタリズムとコンミュニズムとの妥合。予はコンミュニズムは封建主義と同じフレームオブマインドの産物なりとの見解を抱く久し。この事は、あらゆる方面に見らる。」
P122「英国は、いつでも他をして戦わせる。しかし英国が味方した方が敗けたことがあったかしら。」
P335「僕は、また米国の無差別攻撃に対し、日本のキリスト教徒が連合して、世界の世論に訴うべしと述べた。第三国の人をして調査発表せしめるのもいいではないかといった。坂本君はそんなことは軍部が反対だろうといった。」
P261
1945.1.1
「日本国民は今初めて『戦争』を経験している。(中略)だがそれでも彼らがほんとに戦争に懲りるかどうかは疑問だ。結果はむしろ反対なのではないかと思う。彼らは第一、戦争は不可避なものだと考えている。第二に彼らは戦争の英雄的であることに酔う。第三に彼らに国際的な知識がない。知識の欠乏は驚くべきものがある。
当分は戦争を嫌う気持ちが起ころうから、その間に正しい教育をしなくてはならぬ。それから婦人の地位を上げることも必要だ。
日本で最大の不自由は、国際問題において対手(あいて)の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない。この心的態度を教育しなければ、日本は断じて世界一等国となることはできぬ。総ての問題はここから出発しなくてはならぬ。」
こういう日記を読むと、その中にも具体的にはこんな風に戦争の真っ只中にいても時局を批評的に見る瞳が存在したのだ、と改めて身が引き締まる。そして、自分に引きかえてどうなのか、と考えさせられる。
確かに米国びいきの富裕層リベラルの言としてこの日記を見るならば、それに対してのツッコミどころはいろいろある。
軽井沢の別荘の話とか株の配当の話とか、生活レベルがまるで違うなあとも思うし、(本人も正直に書いているが)親米派と思われないためにわざとアメリカの悪口を言ってみたり、その実アメリカ帰りの日本人はみんな誠実だなんて言ってみたりもする。口を開けば軍部と国民はバカだバカだと毒を吐くし(笑)。
だが、そんな言葉の中に込められた「この世界から戦争をなくすために、僕の一生が捧げられなければならぬ」(1944.11.16)という思いは、間違いなく胸に迫ってくる。
ジャーナリストというよりはやはり「論客」というべき人だろう。
また、広い人脈に支えられた当時の政治の中心に近い人物たちとの交流の中で話された言葉たちの記録として、この日記には高い価値があるのではないか。
俄然戦中の日本に興味が湧いてくる1冊である。
おそらく私のその興味の底には、今もまたすでに「戦前」あるいは「戦中」なのかもしれないという危惧が存在しているのだが。
丸ビルの空襲の信号(警報)でトイレにはいつくばるのを「沙汰の限り」というくだりは、そのままJアラートの今日と変わらないわけだしね。
とにかく、日本国民全員に一読をお薦めしたい1冊。年末のお忙しいところですが、いかがでしょう。
小説以外で「巻措く能わざる」思いをしたのは、今年3冊目でした。
1冊目は『中動態の世界』(國分功一郎)。二冊目は『<政治の危機>とアーレント』(佐藤和夫)
どれも超おすすめです。