2020年1月25日(土)
甲府盆地の西側、南アルプス市にある「南アルプス子どもの村」を見学してきた。
実際は前川喜平(元文科省事務次官)の講演を聴くのが主だったけれど、その前にゆっくり学校見学できたのも面白かった。
「南アルプス子どもの村」とは、
和歌山に1992年開校した「木の国子どもの村」の姉妹校で、イギリスのニイルという人がサマーヒルズという学校で実践した「自由な教育」を日本でもやろう、ということで始めたそうだ。
ここではカリキュラムの半ば以上を「プロジェクト学習」に充てて、縦割りの教科ではなく、横割りの学年でもなく、プロジェクトチームを学年の枠を超えて作り、自分たちで演劇や本作りや料理や木工、土木、園芸、農作業等々、様々な共同作業を通して学習していく、日本では数少ない「自由な」学園。
そこで文科省の元官僚、しかも前川喜平さんが講演するのだからギャップ萌えして当然だ。
ニイルの教育はここでとても説明しきれないけれど、サマーヒルズでも子どもの村でも、子どもの「自由」を尊重するためにはむしろ大人(主として良心になる)の方に覚悟が必要になるとの指摘もあり、それに納得。
当然ながら寮生活の子どもも多く、年長組から新一年になるときに入学してかれ基本9年間、ずっと内在的な知的好奇心を伸ばしつつ協同しながらプロジェクトを経験していくと、日本の普通の両親にはついていけないほどの「自由な人間」に育つのではないかな。
子どもたちが転校したくなくなるっていう話もネットにあったけれど、そうだろうな、と思う。オレはこういう学校で子ども時代を過ごしたかった、とシミジミ思う。
元々はイギリスの上流階級だけではなく、中産階級にも「自由な教育」を、ということだったのかもしれない。
窒息しそうな日本の公教育にとって、たんなるアンチテーゼに止まらない実践だなあ、としみじみ。
肝心の、、というか前川喜平さんの話はなんと2時間半を超え、近代の学校教育150年の歴史をおさらいする大講演になったが、お話しがメチャメチャ愉しいのであっという間だった。
ざっくり話すと、
最初大正期に自由な新しい教育が生まれ、戦後にもまた新しい自由な教育の波が起こった。
しかし、昭和33年(1958年)以降、道徳の教育化や指導要領の法令化以来、自由が失われていく、というのがポイントの一点。
その後中曽根康弘の「戦後政治の総決算」から教育基本法改正からの憲法改正という形で、なくなったはずの「国體」の亡霊が跳梁跋扈し始めるが、まず人がいて国があるという「人権」「国民主権」の考え方からすれば、某日本会議の人がいう「国柄」(戦前の「国體」の言い換え)など、話のほかだ。教育勅語は国会で正式に排除されているし、現場における障害者の性教育の実践に議員と都教育委員会がいちゃもんをつけた七生事件では、高等裁判所で、教育基本法における「不当な支配」とはこの議員の行為を指す、と判例にも出ている、という教育の自立・自由の話がポイントの二点目。
つまり、政治と行政の側からの「自由」についての課題を話することで、その対極に「子どもの村」の実践が位置付けられるという内容になっていた。
前半は教員免許状更新の時に学校教育史の講座で聞いた話だったが、後半は生々しい官僚と政治家の緊張関係が伝わってきて、とても興味深かった。
「子どもの村」の実践も、前川喜平さんの話も、どちらもとてもじゃないが簡単ににまとめられる話ではない。
宿題を沢山もらって帰ってきた。
教育における「自由」って……。
あと一つ印象的だったのは、ここの先生方がとっても生き生きした表情をしていたという「事実」。
一方で給料は他より低くせざるを得ない、と校長の堀先生は言っていた。プロジェクト授業のためには子ども15人に1人教員が必要だから、とのこと。
ここは難しいところだけれど、お金(だけ)じゃないよな、とつくづく思う。とくに教育は。
お金はもちろん必要だけれど、ある程度あればいい。自由を失って、対話もできない状態のお金は、むしろ毒だ。
じゃあ、一体どんなバランスならいいのか?
そういえば、「子どもの村」では、子どもたち自身がお金を稼ぐシステムも(それが主じゃないけれど)学んでいた。
お金の話も、これから教育はしてかなきゃならないんだろうとおもう。でも、予算があればあるほどいいってもんでもないよね。「自由」を学ばせるということは、堀校長先生の言を借りれば「超自我」を作り直す(設定し直すだったか?)ということにもなる。
内在的な求め、知的好奇心と、社会との出会いをどう組織していくのか。
ぐるぐる考えながら帰ってきた。