龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

偕楽園の常磐神社の境内で

2019年02月24日 19時22分15秒 | 観光
水戸の偕楽園で梅祭りをやっている。
園内では植木屋さんのお店が(例年あったのに)なくなっていたが、園の外にある常磐神社の境内に梅の鉢植えを売っているお店があった。
そこで購入した月影という名前の梅を購入。
今が満開です!
以前買った梅は残念なことに枯らしてしまったので、今度は花が終わったら地植えにして無事育てたいです(^_^)

5カ月レヴォーグ1.6Lと付き合って

2018年11月06日 13時28分20秒 | 観光

レヴォーグ1.6リッターGT-S(D型)に乗って5カ月が経った。
もう来年にも新型が発表されそうだから、新車情報としては重要ではないと思うが、中古で購入していく人もあと6,7年はいるだろうし、記録=記憶として感想を書き留めておく。

①エンジンについて
・1.6リッターエンジンで十分。

これについては2.0リッター300馬力を必要としている人と、それほどエンジンパワーが無くても良い人は最初から結構キッパリ分かれているだろうから、必要なモノを選べばよいのだろうが、とてつもなく速いクルマを求めるのでなければ、1.6ターボは日常の運転の範囲でいうと十分速い。
ステータスを求めるなら別のブランドがオススメです。2.0リッターエンジンがほしい人はじっさいにそのパワーを必要としている人だけ、でしょう。
1.6でもいいかもしれないけれど「せっかく」レヴォーグだから2.0も考えよう…………というなら、別のクルマも選択肢に入れた方が後悔しないと思います。
しょうじき、CVTで300馬力って、どうなんだろう、と個人的には思います。

・ターボの効かない走り出しは、やはり非力。

これはレヴォーグを買った後、対応に時間がかかったポイント。
1.6リッターの 「素」で動かねばならない停止状態からの始動時は、やはり力は足りない。

ここはSモードにしておいてかつタイムラグがあることを念頭においてアクセルを調整すれば、常識の範囲内では十分速く動くことができる。ただ 「踏めば出る」のが良ければ2.0がいいのは当然だが、繰り返しになるけれどそのために倍近いトルクや馬力が必要か、というと、要らないんじゃないかと思う。繰り返しになりますが 「最高のSUBARUレヴォーグでなければならない」という人は別です(^_^)。

②安全装備について

・高速道路(具体的には磐越道郡山→いわき)はほぼ車線認識でハンドルを切ってくれる。

試しに(手放しはてきないので)軽くハンドルに触れる状態を保って、磐越道(郡山→いわき)の山道を走ったが、ロストは一回もなく、はみ出し注意がなったのはのは人間がぼーっとしてハンドルを握ってしまった時のみだった。
わたしのD型は15秒程度ハンドルに力が加わっていないと 「ハンドル操作をしてください」とアラートが鳴るが、今の型は30秒ぐらい頑張ってくれるという噂もある。高速を走る人にはもはや必須機能じゃないかな。
アダプティブクルーズコントロールと組み合わせれば、自動運転とは違うヵかなり近づいてきている。
このためにレヴォーグを購入するのもあり、だと感じる優秀さだ。
とにかく、技術がこなれている。安心できる。

ただし車線介入に限って言えばドイツ車の方がずっと明確なサポートをしてくれる。
VWのシステムがトータルでちゃんとしてきたらそっちもありなんだろうね。

ちなみに現状ではベンツのA型の新型(2018年後期)が最高らしいけど、乗ってないので不明。

③乗り心地

デビュー当時のレヴォーグは、 「硬い、硬すぎる」
というのが足まわりの感想だった。だが、このD型(2017年改良)のGT-Sは、全くそういうことを感じさせない、普通のユーザーてある私にとって満足のいく乗り心地になっている。
これなら十分なしなやかさだと思う。10,000キロ走ってさらに落ち着いてきた感がある。
初期の 「硬さ」ゆえに二の足を踏んでいた人は、このD型からならオススメできる。

④タイヤについて

・18インチが装着されているが、17インチも履ける。そして、17インチにすると乗り心地もさらに落ち着き、燃費もいい。
(あくまで)普通に乗るのなら、17インチアルミホイール(世の中標準の114.3になったので中古も報復!)にレグノとか履くのもありかも、と思った。
この辺りになるとSUBARUのレヴォーグファンは首肯しないかもしれませんね。 「ならレヴォーグじゃなくて、いいじゃん!」
という意見も出てくるかもしません。あくまで可能性、選択肢の一つとして。

⑤CVTについて
心配なのは正直CVTです。
運転フィーリングは十分自然ですからそれはいいのですが、果たして最後まで元気でいてくれるのかどうか。これはある種の賭かもしれません。故障がでたら考えましょう。
この前に乗っていたレガシィは19万キロ付近でお迎えがきました。
まあ、10万キロ以内の走行なら問題ないでしょうが。

⑥燃費について

燃費は一万キロ走って11.1km/l。
まあ、こんなモノだろう。高速をクルーズコントロール任せで走ると
13 km/l~15km/l
ぐらいの数字はでる。
一方、街中では10km/lを切る時もあります。

満タン計測で
最高は15.7km/l
最低は9.4km/l

性能から言えば、妥当なところでしょうか。
欲を言えば街乗りで11km/lぐらいだと乗りやすいんですがねえ
(^_^;)

⑦総合的な感想。

満足してます。
だんだん好きになるっていうのをSUBARU車オーナーになってから体験するようになりました。


一目惚れならロードスター。

あるいは出たばかりのヴィッツやファンカーゴ。

素性・設計の魅力でFF初代のファミリア

エンジンの吹けでホンダ(civicとaccord)

ディーゼルターボのトルクに魅了されたエスティマエミーナ(ただしかなり油は漏れた)。

レヴォーグはいいクルマだと思います。
ただ、1000キロ単位でロングツーリングをするなら前に乗っていたレガシィの方がいいし、ハンドルを握ったファントゥドライブ性ならロードスターの方がいい。
一台で済ますなら、これということかな(^_^;)

ただし、それを中途半端とは言わなくていいでしょう。きちんと役割を果たしてくれています。AWDの安心感もあるしね。
誰にでも勧められるクルマ……ではないかもしれません。でも、このクルマにしかない守備範囲はまちがいなくある。

SUVの車高は不要。
荷物は積みたい。
ミニバンは勘弁。
走りもある程度切れ味がある。
スポーツ、とまではいかないが遅いクルマはイヤ。
安全性能は高く。
AWDはやっぱりほしい。
インプレッサじゃ当たり前すぎて個性が……。

以上の項目に当てはまる(つまりは私のような)方なら、バッチリ幸せになれます。


追伸
それにしてもSUBARUのWebサイトは重くて、表示に時間がかかる。どうにかならないものでしょうか。

追・追伸

リコールはドンドンやればいい。昔のトヨタはリコールしないでサービスの中で交換してた印象があるけど、そういう時代じゃない。

ただ、コやっぱりンプライアンスに対する意識が低いというイメージはある。加えて後から後からでてくると、印象も悪い。
コストカットをして、結果むしろリコール費用に苦しむというのはメーカーにとってもユーザーにとっても不幸だ。
これを奇貨として、いいメーカーになった、と言われるようになってほしい。間違ってもトヨタに合併・吸収とか、私がクルマを乗っている間はそうなりませんように!!

『中動態の世界』の読書会を開催します。

2018年05月21日 06時37分35秒 | 観光

國分功一郎『中動態の世界』の読書会をやります。


Facebookのイベント告知はこちら。
https://www.facebook.com/events/721352934718770/?ti=cl

イベントの参加は上記Facebookで受け付けます。
人数把握のため、参加予定の方はぜひイベントページでのクリックをお願いします。

(宿泊を希望される方は別途後日となります。こちらは人数に限りがありますので、その場合は日帰りでの参加藻十分可能ですので、そちらでお願いします。)

以下、イベントの紹介文です。


去年『中動態の世界』が出版され、人文系の本(ましてや哲学書!)としては格別に大きな話題となりました(小林秀雄賞受賞)。どのぐらい凄いかといえば、普通に職場の同僚の多くが書名を知っていて、かつ何人か「読んだよ」と声をかけてくれる人がいたぐらい凄いのです。哲学者の書いた哲学書の話題を、普通に同僚や上司(おどろくべきことに教頭も校長も読んでいた!)と共有できるというのは、それこそ小林秀雄以来(哲学者ではないけれど)かもしれません。

 医学書のシリーズとして医学書院から出版されたということも興味深いことです。私たちが感じている今この時代の閉塞感、自分たちの生きている現実を自分たちがうまくつかめていないのではないか、というもどかしさ、そんな「息苦しさ」を考えるときに、「中動態」という概念が本当に(自分が置かれた状況を見直すのに)「役に立つ」ということがあったのではないか、と思われます。

 また、この本の主要な主題のひとつに(國分さん自身対談などでも触れていることだが)「アーレントの意志論批判」がある、という点にも興味を惹かれました。
 かつて國分さんが、「アーレントの言うことは納得できないことが多い。だが、読む必要がある。しかも注意深く。」というようなことを言っていました。それは単なるアーレント批判ではなく、アーレント批判をくぐりぬけることによってはじめて考え得る事柄があるんだよ、といっているように聞こえました。
 
 そしてよく考えてみると身近に渡部純というアーレント読みがいるではありませんか。

というわけで、読書会のポイントは二つ。

①「中動態」とはいったいどういうことなのか。哲学以外の分野の人々に大きな反響をもたらした「中動態」は、実際どんな役にたつのか?についてちょっと話をしてみたい。

②著作の中盤でがっぷり四つに組みながらアーレントの意志について論じているところから、我々が読書会をやってきた「アーレント」と國分さんのアーレント批判とを出会わせることで、私たちが今抱える時代的な問題についてより深く考えていくきっかけが掴めるのではないか。

この二点です。

『中動態の世界』を一読しての参加を推奨しますが、

①については島貫が、②については渡部純がレジュメを作成し、ポイントや課題点などをかいつまんで説明した上で話し合いをしたいと考えています。
よろしかったらぜひお気軽にご参加ください。


國分功一郎『中動態の世界』を福島市で開催します。
(宿泊付きですが日帰りも大丈夫)。
場所のは詳細決定し次第改めて連絡します。


『歩道橋の魔術師』作:呉明益 訳:天野健太郎 刊:白水社

2018年05月14日 22時52分14秒 | 観光
『歩道橋の魔術師』作:呉明益 訳:天野健太郎 刊:白水社
を読んだ。
1980年代~90年代にかけて、台湾にかつて存在していた「中華商場」(台北の町中、大きな道路と線路に面した商業ビルの中に小さなお店がなかにぎっしり入っていて、それがが歩道橋で繋げられている、駅前のショッピングモールのようなもの)を舞台にして、その中で生活する人間くさい商店街の人々。当時そこに生活していた少年や少女の回想として語られていくその「中華商場」の物語は、読み進めるうちに、小説家がかつてそこに生活していたとおぼしき不思議な魔術師の存在を聞き書きしながら「この小説」を書き留めていっているような体裁がおぼろげに立ち上がってくる。

私はこの「中華商場」があることに台湾にいったことはないけれど、夜市で怪しげでおもしろいお店をたくさん冷やかしてあるいたことはある。そのときの印象が鮮烈で、なんとなくそういうイメージを重ねながら親しい感じを覚えつつ作品を読んでいった。

魔術師は決して物語りの主人公ではない。敢えていうなら、主人公はかつて存在していた猥雑で人々の生活感にあふれたこの「中華商場」それ自体だろう。
今はもう存在しないその懐かしき「ショッピングモール」は、一見ちょっとノスタルジックな語りの中に漂っているように見えるかもしれない。そしてそう読まれることを、作品はとりあえず拒まないのかもしれない。
しかし、読まれるべき第一の筋は、けっして懐古的な感情、ではないだろう。

その体験はこの中で大人になった元少年、元少女たちの中に沈殿しながら息をしている。主人公たちはそれを昔の物語としてではなく、そこにあったものとして受け止めている、そんな気がしてくる。

まあ、知的な筆致の小説ですから、ワイルドな魔術的リアルがそこにあるわけではありません。しかし、台湾で描かれなければならない小説でありつつ、その台湾の「中華商場」を全く知らない私たちが読んでも、その「記憶」の手触りというか記憶されたものの記述されていく手触りは十二分に手応えとして伝わってくる、すてきな本でした。

こういう小説が読めるということは、間違いなく幸せです。

これからも台湾小説をもっと読みたいという気持ちにさせられる一冊。

ぜひよろしかったら。

『13・67』陳浩基を読むべし。

2018年05月12日 20時22分28秒 | 観光
購入したのはしばらく前で、友人にちょっとこの本の存在を知らせたところ彼は早速読んでしまい、同じ天野健太郎という訳者の台湾小説を紹介してくれ、結果『13・67』が後回しになり、台湾小説の『歩道橋の魔術師』呉明益を先に読むことになってしまった。

この『歩道橋の魔術師』がまたすこぶるおもしろい小説なのだが、今日は『13・67』の話。

ようやく昨夜『13・67』を読み始めたら文句なくすごい。
久しぶりにパワーのある作品に出会ったという喜びが身体の中を駆けめぐる感じがした。



かつで凄腕の警察官だったクワンが年老いて病床にあり、寝たきりではなすこともでこの小説は、断然今の日本で読まれるべき作品だと思う。きない彼が、ローという「弟子」の抱える難事件を解決するという安楽椅子探偵というかベッド探偵の話からスタートし、短編連作の形を取って次第にクワンの過去へと遡りながら物語は展開していく。そしてクワンが警察官になる前まで描かれて終わるのだが、その遡行する連作の中の時間は、そのまま香港がイギリスから中国に変換される歴史を振り返ることにもなっている。
つまり、クワンの50年にわたる人生を遡りつつ、結果として1960年代の反英闘争、香港の中国返還、2010年代になってからの雨傘運動と、香港という街の50年を描くことにもなっている。
一編一編の人物像にも確かな手応えがあり、むろんミステリーとしての味わいも十二分にある。

聞けば、『世界を売った男』という作品で第二回島田荘司推理小説賞を受賞した陳浩基の受賞第一作だという。

もし未読の方がいらっしゃったら、それは幸せなことです。今すぐ本屋へ行きましょう。
電子書籍をクリックすると、一晩眠れなくなるかもしれません。

去年刊行された作品ですが、私が今年読んだ上半期の小説ではベスト3ぐらいには入りそうな1冊。
最近あんまり小説読んでないんですけどね(笑)。

というわけで、ぜひどうぞ。

第10回エチカ福島〈 「風化」に抗う声をつむぎだす〉を開催します。

2017年12月11日 22時48分50秒 | 観光
第10回エチカ福島

【開催日時】2018年3月10(土) 
13:30~17:00

【会 場】コラッセ福島 
(福島駅西口徒歩3分)    
   http://www.corasse.com/

【テーマ】
「風化」に抗う声をつむぎだす
  ―〈3.11〉の七年を問う―


【趣 旨】

 東日本大震災・東電原発事故から7年が過ぎようとしていますが、この間、「風化」という言葉を何度も耳にしてきました。とりわけ、震災・原発事故をめぐる個々の経験や記憶を置き去りにしながら進められる「復興」という言葉に「風化」を感じる人は少なくありません。

 避難指示解除や住宅支援打ち切りとともに進められる「復興」は、「避難者」にとってその存在の抹消に等しい言葉に響くでしょう。他方、避難せずに居住地に留まる選択したものや避難先から帰還したものにとって、それぞれの選択で生じた苦しさや葛藤に折り合いがつかないあいだに進められる「復興」は、やはり抑圧的な言葉として響きます。

 その意味で「復興」は、原発事故によって精神やアイデンティティを壊されたものにとって暴力的でさえあるのです。そして、いま必要なことは、猛スピードで進められる「復興」という大きな物語によって「風化」にさらされる小さな声を、それぞれの視点から丁寧に紡ぎ出し、共有されていくことではないでしょうか。

 第10回となるエチカ福島では、原発事故によって富岡町からの強制避難を経験しながら、今年3月の同町の避難指示解除によって「避難者」という存在が抹消されることに抗う市村高志さんと、歴史社会学者として「3.11」の様々な問題について研究・発言されている山内明美さんをお招きし、避難・帰還・残留という様々な観点から「風化」に抗う声を共有できる可能性を探っていきたいと思います。(文:渡部 純)

【講師】
市村高志さん
(NPO法人とみおか子ども未来ネットワーク)

 3.11の震災と原発事故により福島県富岡町から東京都に避難している。現在は「NPO法人とみおか子ども未来ネットワーク」の理事長。震災時は富岡町立富岡第二小学校PTA会長をしていた。共著に山下祐介・市村高志・佐藤彰彦 『人間なき復興──原発避難と国民の「不理解」をめぐって』(明石書店),論考に「私たちに何があったのか」(青土社『現代思想』2013年3月号)など。

【講師】
山内明美さん
(大正大学特命准教授・歴史社会学)

 日本近代の稲作言説とナショナリズムの関係性について、とりわけ東北地方をフィールドに研究しながら、日本の近代化と地方の在り様について旧植民地地域も包含しながら研究している。著書に、『子ども東北学』(イーストプレス)『「東北」再生』(イーストプレス)『「辺境」からはじまる―東京/東北論』(明石書店)など。

旅先で電車の中に財布とスマホを忘れる

2017年07月30日 07時43分35秒 | 観光
という夢を見た。

自分は友人たちと別に一本後の電車に乗ったのだが、降りた直後、座席のテーブル(その電車にはテーブルがある)に財布の入ったバッグとスマホを忘れてしまったのに気づく。

慌てて駅員に言おうとするが無人駅で駅員が見つからない。お金もないので身動きがとれない。

仲間はもう先に街中へ繰り出していてつかまらない。

途方に暮れたそのとき、同じ駅で降りた女性が声をかけてくれる。
「どうしました?」
「あ、あの、さっきの電車に財布とスマホを忘れてしまったみたいで……」
「それは大変、駅に連絡しなくちゃ」
そういってカノジョは携帯でそのことをどこかに連絡してくれた。
私は礼を言ったあと、いささか放心状態となり、駅のベンチについて座り込む。
見つかるだろうか、なくなったままになりゃしないか、と気をもむが、ふと気づくと、自分はその連絡を受ける手段がない。山からの下り列車はさっきのが最後だったのかもしれない。山から降りる途中の無人駅で、日が暮れた後茫然として、ベンチに座り込みながら、財布とスマホのことを思い焦がれる旅先の夜……。

目が覚めた後、思わず財布とスマホを探してしまった。



イベント「子どもを蝕む体内被曝 チェルノブイリから31年」

2017年07月12日 20時35分03秒 | 観光

7月26日(水)会津若松市稽古堂にて18時30分~
「子どもを蝕む体内被曝 チェルノブイリから31年」
というイベントがあります。ウクライナの医師、学校長、TVディレクターの3人が来日。
日本プロジェクトの成果を含めて食物汚染の実態などを報告してもらうそうです。
よろしかったらぜひ。


あなたは「サイレントマジョリティ」(欅坂46)のダンスを見たか?

2016年06月25日 22時59分27秒 | 観光
宇野常寛のメルマガを購読していたら、こんな記事があった。

『サイレントマジョリティー』ーーポンコツ少女たちが演じきった硬派な世界観と、秋元康詞の巧みさ(藤川大祐×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4水曜配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.623 ☆
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar1052523

全文は入会しないと読めないのだが、ここで「ポンコツ少女たちが演じきった硬派な世界観」ってのが気になった。

で、YOUTUBE行きました。

サイレントマジョリティ

https://www.youtube.com/watch?v=yOdTFoehTvw


すごい……。思わず握手券付き(要らないけど<笑>)の初回CD&DVD買っちゃいました。
何が凄いって、このダンスが凄い。この歌詞を、この衣装で、この振り付けでやらせちゃうのがちょっとあり得ないぐらい衝撃だったのです。

秋元康、おそるべし。
先日平田オリザのアンドロイド演劇がすばらしい、とこのブログに書いたばかりだが、欅坂46のこの「サイレントマジョリティ」もまた、どこか「アンドロイド」的、でもある。

意識と感情を( )で括ってもう一度それをどういうチャンネルで提示していくか、というのは実はとても重要かつ困難なテーマだと思う。

この振り付けは、踊りのことは全く分からない素人だけれど、
インド映画(エネルギー爆発)→マイケル・ジャクソンの「スリラー」(ゾンビ)→Perfume(テクノロボットっぽいけれど微妙なあのオフ感覚)
っていうような流れがあって、その上で敢えてなんだと思うんだけれど、

いわゆるアイドルグループなのに、軍服っぽい衣装&笑顔なし&サイレントマジョリティでいいのかというメッセージ性&切れのいい群舞ダンスで実現していくきわめて「隘路」ニックな構成になっている。

AKB48が部活動&生徒会的だとして、乃木坂46がいわゆるかわいいアイドルっぽさをなぞっているとしたら、欅坂46のこの「サイレントマジョリティ」は、ほとんど参議院選やアメリカ大統領選、あるいはイギリスの国民投票さえ風呂敷の中にさくっと入れつつ、そんな「政治的」なメッセージ性なんてものはもちろんまたぎ越してミリタリーっぽい(「鋼の錬金術師」を思い出してしまった)衣装でキレのいいダンスを楽しめばいい、というところに落としていくわけで、これはなんだろう、単なるアイドルヲタク向けではない部分にまで「誤配」しうる仕掛けが十二分に施されているとしかいいようがない。

実際に還暦間近のおじいさん予備軍がはまってしまったわけで。

ふたば未来学園高校は平田オリザを招聘したことによって誇られるべきだ、と先日書きましたが、秋元康もまた(当然ですが)凄かったです。

やられました。


しかし、これ、私の知り合いの誰に話をしても通じないんだよなあ……。

第6回エチカ福島「金山町で未来を、日本を考える(仮題)」 の趣意書

2016年05月01日 18時42分50秒 | 観光

第6回エチカ福島「金山町で未来を、日本を考える」
の趣意書です。
ぜひおいでください。
そしていろいろ一緒に考えましょう。

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第6回エチカ福島が迫っている。5月21日、金山町。金山町は人口2000人強。高齢化率は60%に近い。僕がそこに暮らしていた30年前は30%で、その頃は日本社会を先取りしていると言われていた。同じ頃、都会ではバブルに浮かれていた。しかしこの町に暮らす僕たちは、真面目にこれからの僕たちの生活を見直さなければならないと思っていた。その頃若かった僕は、それはおカネというもの価値について考えることだと思った。
金山町は只見川沿いにある。只見川は戦後復興から経済成長をささえた電源開発の舞台である。只見町、金山町、三島町には巨大なダムが林立する。ダムができる前は、谷あいの寒村であったろう。狭い耕地に農作を行いつつ、木を育てて生活をしていたという。しかしダム建設はその生活を一変させる。ダム建設のために鉄路も作られ、それが只見線となる。新しい道路、新しいトンネルが作られる。そのための労働力が必要となり、町には多額のダムの補助金がもたらされ、人びとがここに集まって来た。やがて電源開発政策は原発にシフトしていく。工事の需要も減り、補助金も減額される。それに加えて、木材需要が輸入木材によって激減してしまう。かくして急激な過疎化が進んでいく。30年前には、三島町では付加価値のある木材を商品化しようと試みられていた。金山町のこの自然そのものを資源とした金山町の「自然教育村」という試みは、自然と自然に培われた生きる知恵に基づいた人々の生活、その蓄積としての歴史を、根無し草の都市生活者に「教育」をしてあげようという意味だと僕は解釈し、実に痛快に思った。どこの田舎も観光リゾート一色で、有り体に言えば、都市生活者の落とすカネをあてにしようといた。そういう試みの多くはバブルとともに潰えた。
さて、金山町の「自然教育村」はどうだったのだろうか。残念ながら目覚ましい成果を上げたという話は聞かない。しかし、僕はその考え方にこそこれから僕らが目指すべき社会のヒントがあると思う。
つまり、田舎にこそ人間の生活の豊かさがあるという発想である。もちろんその豊かさとはカネとは別の価値である。

金山町の人口は30年前に比べて3分の2に減少してしまった。ある時期、ダムやそれに関係する工事によって人口は急増したわけだが、現在の人口はダム以前の人口をも下まわってしまっている。ダムなどの工事やダムの補助金は、財政をバブルのように膨らましたただろうし、工事の労働賃金は農作や木材生産のもたらすカネとは比較にならなかったはずだ。それは町にとって間違いなく恩恵であった。しかし、やがて補助金というバブルも工事の需要もしぼんでしまった。これは金山町だけの話ではく、日本中の中山間地域をはじめとする、いわゆる田舎が抱える問題だ。田舎が自活する術を講じさせないような政策が続けられた。田舎の自治体の首長の多くが建設土木関係者であることは象徴的だ。しかし、おそらくは田舎の再生のカギは、建設や土木の需要をもたらす誘致ではないと思う。 

深瀬幸一(福島県立橘高等学校教諭)

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只見町は桃源郷のようだった。

2016年04月25日 22時46分23秒 | 観光
週末、知人が転勤して奥会津勤務になったというので、早速そこに泊めて貰い、只見町を満喫してきた。

只見の手前、南会津町立桧沢中学校の向かい側の桜が満開だった。いたるところで桜が咲いている。いつもより早いのだそうだ。まるで絵はがきのような美しさだった。(写真はクリックで拡大されます)



森の分校「ふざわ」というところに行く。もとは小学校の分校だったが、今は宿泊施設として通年営業中、とのこと。お客さんも泊まっていた。



熊出没注意のステッカーが扉に。




山菜を求めて友人達が林の中へ。私はさっぱり分からないので撮影要員。
カタクリの花が綺麗だった。



そしてその成果がこれ。天ぷらがおいしい。上の小さいのがアケビの花。下のボリュームあるのはふきのとうの「とう」がたったもの。
会津ではこういう小さいふきのとうがあるようだ。
いわきだとまるっちいのがポコッと出て、それが開いて終わってしまうのだが、これは伸びても食べられる。



お酒は只見の地酒(醸造は南会津町)、岩泉。
これがまた美味。「まづ水。そのよしあしはてきめんに響く」とは石川淳の言葉だったかな。
本当に透明感があるのです。



翌日は只見駅へ。駅の職員の方がはっぴをきて手を振っている。新潟方面に向けて、日に3便だけ運行中。只見から川口までは、5年前の洪水以来止まったままだ。復旧がのぞまれる。

鉄道ファンたちにとって、美しい川沿いの風景の中を走る只見線は、格別の価値があるそうだ。




左側下の方しか列車は運行していない。




手前は新潟(小出)方面。
残念ながら駅の向こう側(会津方面)の線路は草に埋もれている。



まだ冠雪している浅草岳が桜の向こうに見えるのだが、スマホではなかなか難しい。
雪の山が見える土地はステキだ。
弘前の岩木山、安曇野の常念岳、福島なら吾妻小富士、只見なら浅草岳、である。



その横にはこんなものも。雪室だ。



温泉もたくさんある。入ったのはここ。
泉質は鉄分を軽く含んでいる、あっさりとした気持ちの良い温泉。暖まる。



帰りは会津田島に戻り、駅前の蕎麦屋さんで昼食。二つお店があって迷う。今回はこちら。
とてもおいしかったです。
もし蕎麦の切り方が揃っていたなら名品!というところかな。



今回は食べなかったもう一軒はこちら。



他に大通りには10割蕎麦の旗竿が前日は立っていたように記憶していたが、日曜日の午後二時過ぎは旗が立っていなかった。

今回は会津田島で蕎麦を食べましたが、きっと只見町にもおいしいおそば屋さんはあるのだろう。
今度は探索してみます。

これが田島の駅。




とにかく、空気がおいしいし、水もうまい。空も綺麗で、沢の水も魚がピチピチ泳いでいた(イワナかな?)。ちょっと沢を上れば釣りキチ三平の世界である。そしてお酒も山菜も美味。今回は食せなかったが、ラムのしゃぶしゃぶもいけるらしい。

山の斜面は桜の花と同時に若芽が芽吹きつつあった。

雪の季節は確かに苦労が多いのだろうが、地元出身の知人は「ここに住むと人間性が回復するよ」と言っていた。夏、秋、そして冬の季節も訪れてみたい。せっかくクルマが四駆なのだから……。






福島でモノを考えることの難しさ(2)

2015年11月30日 19時18分23秒 | 観光
そんなこんなで開沼氏と坪倉氏のイベントにいささか疑問を抱いていたところ、すげえことになっていました。


「いまこそ双葉がひとつになるとき!」

という表題で櫻井よしこの講演会が広野町で開催されるんだそうです。


その内容はこんな感じ。

引用開始------

『いまこそ双葉がひとつになるとき!~歴史をつくるのは君たちだ~』
日時:平成27年12月20日(日)入場無料(定員400名) 
場所:広野町中央体育館(住所:〒979-0408 福島県双葉郡広野町中央台1丁目1番地)
開場 13:30~ 
講演 14:00~
パネルディスカッション 15:00~(終了16:35)

①基調講演
講師 櫻井よしこ氏 (国家基本問題研究所理事長)
演題 『いまこそ双葉がひとつになるとき!~歴史をつくるのは君たちだ~』
  
②パネルディスカッション
コーディネーター:開沼  博(福島大学特任研究員)
パネラー:桜井 よしこ(国家基本問題研究所理事長)
パネラー:遠藤 秀文 (㈱ふたば 代表取締役 富岡町 青年代表)
パネラー:黒川 進(日本JC2012年度復興支援委員会委員長)
パネラー:原 稔(前田建設東北支店環境省関連工事統括部長)
テーマ『いまこそ双葉がひとつになるとき!~故郷を再生するのは俺たちだ~』のもと、双葉郡の現状と問題点を再度共有し認識したうえで、将来の双葉郡像を話し合い、故郷復興再生のカギやヒントを模索し、双葉住民が一致団結して目標に向かえるような時間としたい。

主催:NPO法人ハッピーロードネット
後援:双葉地方町村会・南双葉青年会議所・(一社)浪江青年会議所・(一社)原町青年会議所・(一社)相馬青年会議所・(公社)いわき青年会議所


引用終了----------

それはいいのだけれど、そのイベントのコーディネーターを開沼博がやる、ときいて、正直ちょっと茫然。

そういうことか。

双葉に櫻井よしこを連れてきて、「いまこそ双葉がひとつになる」とか、開沼、正気か?

嫌味な奴だが話は聞いておこうと思って、それなりに夏のてつカフェ@ふくしまか自分なりに丁寧にフォローしてきたつもりだったが。

結局、開沼や坪倉氏の言うことも聴くべき部分がある、と私は今でも考えているし、福島をイメージの手にゆだねてはいけない、というその姿勢は共感する。

だがやはり、これじゃ五十嵐氏の中西準子に対する疑問や秋沢陽吉氏の吉本批判が、開沼にそのまま当てはまってしまうじゃないか。もはや、政治性を隠そうともしない、ということか。

なにせ櫻井よしこは「脱原発は日本をダメにする」系の国家基本問題研究所の理事長ですからねえ。開沼氏の「数字」が結果として「原発事故を乗り越えて行こう」キャンペーンに荷担することになるのでは?という懸念を抱かざるを得ない。

確信犯か?
ではどんな意図で???


さてでは私(わたしたち)はどうするのか。

XperiaZ4Tablet は間違いなく買い。

2015年11月01日 22時18分44秒 | 観光
この大きさでこの薄さ・軽さは凄い。

画面   約10.1インチ
世界最薄 約6.1mm、
最軽量  約389g

発売されてからずっと迷い続けていた10inchタブレットを週末に購入。
家電量販店(ヤマダ電機)で価格.comを参照してくれ、67,000ちょっと(端金はポイント還元・税別)で入手しました。

これは、買いです。

スマホの裏に付けるリング(指を通して片手でスマホを支える)をタブレットに付けてみたら、楽々と片手持ちで長時間読書が可能(写真左側)。



ipad(第2・3世代)は重くてとても片手で持って読書はできませんでした。

ベルキン(写真右側)のTabletスタンドに立てると読みやすく、重宝はしていますが、片手で本を持つように、Tabletが片手で持てるようになればいいのに、といつも思っていました。

それがなんとこの Xperia Z4 Tablet で実現したのですから。

単行本の自炊書籍を読むには(文字が電子データされていないPDF)、どうしてもそれなりの大きさの画面が必要です。
デスクトップでは20インチ超の縦型(回転)ディスプレイで拡大して読めるので、80歳を過ぎて目が悪くなってもとりあえずはなんとかなりそうではあるものの、手軽に寝転がって読むにはどうしても10インチの軽量Tabletが必要でした。

それが、これ。

裏には、スマホ用の片手持ちリング(台座の下がシリコン張りになっており、Tabletの裏面にぴったり張り付いてはがれない仕様)を付けると、片手で新書を持つように、単行本の大きさの本も手軽に読める。

これから先の人生が楽しくなる1台です。iPad Air もだいぶ軽くなったから、そちらでもいいかなあ、とも思ってだいぶ迷ってはいたのですが、軽さが「正義」である以上、一グラムでも軽い方が(実際には数十グラム差があります)いいということでこちらに軍配。



NNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」を観ている

2015年10月12日 21時25分59秒 | 観光
TVで見逃したNNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」をYOUTUBEで観ている。

2015/10/08 に公開
NNNドキュメント '15
シリーズ戦後70年 南京事件 兵士たちの遺言(YouTube)

[高画質版] https://youtu.be/8IuMBBWB4CQ

https://www.youtube.com/watch?v=QsGC7Qi7Y-8


「正確な死者の数が分からない」と言い募って虐殺を矮小化したり、
「戦争だったのだから」と相対化したり、

日本人として引き受けるべき事実から瞳をそらす言説が、むなしくなる。

大切なのは、「戦争は愚劣だ」ということだ。戦争をして、かつ負けるというのは、その愚劣さを自らの上に引き受けることに他ならない。
勝った側が別に正しいわけじゃあない。勝とうが負けようが、繰り返すが「戦争は愚劣」だ。

こういうものはいろいろな立場もあり、政治的にも複雑だから、発言するのは本当に難しいのだけれど、「日本人」の名の下で、その事件をより小さく受け止めようとするのは、むしろ日本人の尊厳を傷つけることになるのではないか、と改めて思う。

まあ、なかなかそう簡単には、どこが事実かという議論の沼には入っていけないけどね。
そこが歴史修正主義者の付け目なのだろう。

そういう意味でも、このドキュメントの製作者の方々には本当に尊敬の意を表したい。


誰がやったことであっても、それが中国の人であれ日本の人であれ、その非道な行為は詳らかにして後生に伝えるべきだろう。

そう思う。

ただし、国と国との交渉は、政治だから、また別の次元の議論がある。

たとえば、仮に裁判ともなれば全力で無罪を主張するのは当たり前のことだし(見苦しいことはあるにしても、主張やできない検証ですらせねばなるまい)、まして国と国との利害で七〇年も前のことを言い出すのは、否定するにしても肯定するにしても、政治的意図がゼロのはずもない。

だが、一市民としては南京事件に瞳を凝らす義務がある。
一市民の被害に対して、真摯に向き合う義務がある。

国家は、市民としての私と別に同一でもなんでもないし、同一である必要もない。
私は南京事件を国家が否定するのであれば、その国家を否定するだろう。
そうではない人もいるだろうが、それはそれでとりあえずはやむを得ない。

国家は「人格」じゃないから。

だが、人間としてきちんと認めるべきものを認めなければ、その市民が構成している国家だってダメになるでしょう。

国家が裏で取引したりオフレコで薄汚いパワーバランスを考えることと、市民が被害者と向き合うこととは、同じ次元で考えちゃダメ、なんじゃないかな。

国家と自分を同一視しようとすると、歴史もそりゃ修正したくなっちまうんだろうな、と思う。病気だね。

国家なんてクソに決まっている。

それは日本でも中国でもアメリカでもシリアでもたいした変わらないクソなシステムでないはずがない。

ちょっと前までの日本は、左翼はソビエトや中国の支持・指示を受け入れつつも、この国をよりよくしたいと考えてはいただろうし、保守はアメリカのマペットになりつつそれでもなお、日本をなんとか半ば自立させて行こうとは念じていたはずだ。

まあ、とりあえず日本人としては相対的に自分のところの国=日本の方がよりましでありたいとは願うにしても。

繰り返すが、政治がクソだからといって、我々がそそっかしく絶望する必要もなければ、クソのまねをする必要など、ない。

そして戦争は、市民一人一人がそのクソな国家を模倣せざるをえなくなるから、反対なのだよ。

私個人にとっては、ね。

この番組は、そんなことも改めて自覚させてくれた。

読むべし!『ワンダー』 R.J.パラシオ (訳:なかいはるの) ほるぷ出版

2015年09月18日 23時35分27秒 | 観光
一気に読み切った。

第一に文章が簡潔かつ清潔だ。
これは作者(処女作かと聞くが)の力量であり、かつ翻訳者の手柄でもあるのかもしれない。
登場人物の発話で物語りは進んでいくが、その発話に迷いがない。

だから、世界中の人の心に響く。

未読の方に是非おすすめしたい本です。

ユニークフェイスという活動をしている名古屋の団体の活動が、先日ETVで改めて取り上げられていた。この主人公オーガストはまさにそうだ。

以下は出版社の惹句から。

「オーガスト・プルマンはふつうの男の子。ただし、顔以外は。生まれつき顔に障害があるオーガストは、はじめて学校に通うことになった。だが生徒たちはオーガストの顔を見て悲鳴をあげ、じろじろながめ、やがて「病気がうつる」と避けるようになる……」


そういえば先日、大学の特別支援コースにいった卒業生が訪ねてきて、「ひらがなのきょうだい、とカタカナのきょうだい」という話を教えてくれた。つまり、障がいを持った子どもと、障がいのある兄弟を持った子ども、を「ひらがな」と「カタカナ」と言い分けし、どちらも支援が必要だというボランティアの話だったのだけれど、この作品にはその視点もきちんと描き込まれている。

連休中、読む本に迷ったら手にとって損のない一冊だと思います。