龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

裁断した本が1500冊になった。

2014年05月11日 12時25分33秒 | ガジェット
裁断した本1500冊になった(正確には1493冊)。

1年で1000冊近く裁断したのだが、その後ペースが落ちて、2年弱で合計1500冊。

1日1冊~2冊ぐらいという勘定になるのだろう。

新刊本はほぼ裁断しているから、本棚の本はそんなに増えてはいない。
残っているのは

勉強中でiPadやPCでは不便な本。
それから読むのではなく眺めていたい本。
諸事情で裁断できない本。

それぐらいだ。

しかし、感覚としていえば1500冊はまだイメージとしては、題名一覧をみていけば頭の中でイメージすることは(読んでいるにせよ読んでいないにせよ)比較的容易であることが分かってきた。
たぶん、自分の体験に裏付けられた記憶であれば、1万冊ぐらいだったら、余裕で関連づけが可能、という感触がある。


仮に、本だったらうんざりしてしまうという人でも、いつのまにか溜まった音楽プレーヤーの曲数を改めて数えてみれば、1万曲を越えている、なんて人はざらだろう。

当たり前といえば当たり前かもしれないが、人間の頭はすごいものだ、とも思う。

面白いのは、このPDF化したファイル名のディレクトリデータを一覧にすると、自分の外部化された記憶を再編成、再体系化することが本当に簡単にできてしまうという点だ。

自分の書籍をカードとかにまとめている人もいるのだろうが、裁断してPDF化すると、溜まってくればそれが自分の読書という経験の痕跡の外部化にもなるわけで、なかなか興味深い。

もとより古い本を全てデータベース化する、などというのは無駄だと思う。
古本屋さんに出せるものは出してリサイクルしてらもったらいい。

しかし、本を時系列で並べてみると、そのとき自分が何を感じ考えていたのかが、鮮明に分かるのも確か。
それを個人クラウドで持ち歩けるのは、本当にありがたい。

電子書籍を購入するのとは違った、仮想的でありながら個人的、というPDF裁断データの中途半端さが、自分にはぴったりきているようだ。





潮の香り

2014年05月03日 11時58分50秒 | ガジェット
三崎公園まで散歩をしに来た。

改めて考えてみると、浜辺に座り込んで潮の香りと波の音をゆっくり味わったのは、震災後初めてのことだ。
自分ではそんなことを考えてもいなかったけれど、海辺で座り込んで波の音を聴くともなく聴くということを、この3年、してこなかったのだ、と改めてその意味をかみしめた。
海辺の出身ではない自分は、どちらかというと浜辺に行きたがる。田舎出身のの人間の方が都会生まれの人より流行のお店を熱心に調べるみたいな感じに少し似ているかもしれない。
海辺は不思議に心が安らぐものだった。

身近に海難事故を経験したり、自分でも危ない目にあってからは、そう能天気ではいられなくなっだものの、それでも波の穏やかな日は、昼夜問わずよくちかくの浜におりていっものだのだった。
でも、震災以後、そういうことをしなくなっていた。そしてしなくなっていたことも気にせずに生活していた。

今年はたぶん私にとって、もう一度拾い直すことも始める時間なのかもしれない。