龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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読むべし『学校の戦後史』木村元(岩波新書)

2016年05月29日 11時47分42秒 | メディア日記
面白い。今まで学校で行われてきたことにどんな歴史的経緯があったのかを知ることは、思いの外重要だと分かってくる。
もちろん、100年以上前にどんな制度が作られ、それがどんな変遷を経て今の形になったのかということ自体、興味深いものである。だが、そういう知的興味だけではなく、たった今も学校で行われ続けていることが、どんな「意味」や「無意味」を持ち続けているのか、が見えてくるのだ。

たとえば、なぜ「学級」という「級」概念と「組」概念があるのか。それと「学年」とはどんな関係があるのか。校訓や校歌はどうやってできていったのか、といった小さな歴史だけでもいい。寺子屋と小学校の違い、明治期にもあった「不登校」と1970年代以降のそれの違いなど、淡々と続けられる叙述なのに、ページごとに「それかっ、そこかっ?!」と今の学校に思い当たることがあって深くうなずいてしまわずにはいられない。学校関係者、そして学校に関わったことのある元生徒、保護者、地域の人々すべてが一読してほしい基本文献の一つかと。

でも、この本を読んで実際に喜ぶのは、私のような退職前の教師か、これから教育学(とその歴史)をレポートしなきゃならない教育系の学生さん、ぐらいですかね?

去年(2015年)出た本ですが、頭の整理整頓に抜群の効果あり。

オススメしておきます。

特に、教員文化が、上からの国家による国民形成という子どもによってよそよそしいものであった「仕事」の中で、子どもたちと向き合う日々の「実践」を成立させるために、「親しむことのできる場」に学校を組み替える工夫が必要だった、
という指摘には深く納得。子どもの学校に対する興味を根付かせ、庇護ー保護の関係を成立させて上手く教師の仕事をなんとかやっていくという営為に加えて、「天皇の赤子」に対する子どもへの献身性が重視されていく……

って指摘は、現在にも続く「ブラック」な「献身性」の根拠をみる思いだった。

これ、すごいエンタテインメントだわ。

スピノザのこと(湯本高校図書館報原稿2016年2月)

2016年05月19日 22時00分07秒 | 大震災の中で

雑感 「スピノザのこと」

 12年ほど前のある日、息子の通う大学から「取得単位が足りず進級できない」と連絡がきた。本人に聞くとどうも不登校らしい。その時は「もう大人なんだから」と暢気に構えていが、時間が経っても状況は好転せず、年末「ダメ元」で転勤願いを出す。するとたまたま希望が通り翌年4月から息子との共同生活が始まった。
 息子が再び世界への扉を開いていくにはそれから約3年の月日が必要となるのだがそれはまた別の話。

 息子との共同生活を始めたちょうどそのころ、私はスピノザ(注)を読み始めたのだった。

 スピノザ哲学の主な特徴は次の3つ。

①スピノザは『エチカ』冒頭で「神は世界で唯一の実体である」と証明する。その神は人格を持った超越存在ではなく、自然そのもの、自然の法則・摂理自体のことを指している。スピノザ哲学が汎神論とも無神論とも言われるのはここに関わる。「神即自然」であり、今この世界自体が神、なのだから、外部すなわち「超越」概念は存在しない。唯一の実体とはそういうことだ。

②スピノザは人間の自由意志を否定した上で、あらためて「人間は自由だ」と論じる。つまり自然の摂理(神)に則って生きることこそが自由なのだ、と主張するのだ。例えばテニスが自由にできるというのは、勝手にラケットを振り回すことではなく、法則に従って練習をした結果初めて「自由」になると。だからスピノザにとって「学ぶ」ことは非常に重要だった。この脱構築的な言葉の使い方もスピノザ的だ。

③スピノザにとって「分かる」ことは体験・行為である。デカルトが方法的懐疑によって論理を遡行し、疑って疑ってその極限で「考える私」をつかみ取ったのとは対照的だ。スピノザは「なぜ」を問わない。証明・説得ではなく、うまく行った状態を「描写」しようとする。「分かるときには分かることが分かっている」「分かるときには外部の指標を必要としない」など、内在的理解が重要なのである。スピノザは、デカルトの検証可能な誰でもわかる「(科学的)真理」を中途半端だと批判している。「懐疑」という方法は不十分だ、むしろ真理は体験だ、というのだ。それはある面で仏教の悟りに似ている。親鸞の言う「今ここが浄土」という考えに近いと指摘する研究者もいる。

 当時私は、実際には息子のことでさほど深刻に悩んではいなかった。彼は彼の道を行くのだろうし、20歳を過ぎていちいち父親の言うことをきいていてもしょうがない。ただ彼の傍らに立って飯をつくったり酒を飲んだりしながら、父親には父親なりの(ということはおまえにはおまえなりの)真実はあるよということは伝えたいと思っていた。
 スピノザは、デカルトと違って明晰判明(科学的・公共的)な誰にでも納得できる真理を提示したり啓蒙したりはしない。真理は体験であり、適切な体験によって真理を内在化する、というのがスピノザの考え方だ。
 だからスピノザの説得は弱い。そして学びの内容や方法は、知識として提示しにくい。なにせ体験しなきゃ分からないのだから。
 今にして思えば、私は息子と共同生活を続けながら、デカルト的な科学的・公共的な学びよりも、スピノザ的な弱い説得、傍らに立って体験を誘うような哲学の方が、むしろ本当に「他者」と出会うための道筋だ、と肌で感じていたのかもしれない。
 スピノザは20代でユダヤ教会から破門され、1ヶ月後には暗殺されそうになる。破門の時、ユダヤ教の先生に「私が先生に弟子の破門の仕方をお教えしましょう」みたいなことを書いたそうだから、かなり薄ら生意気な学生だったらしい。
 しかし同時に彼はレンズ磨き職人として質素な生活をしながら哲学的研究をしていた。持っていたのはシャツ2枚、パンツ5枚、ハンカチ7枚、暗殺未遂の時ナイフで刺されたコート1枚、と記録にある。名誉も権力もお金も求めずひたすら真理を探求するというスピノザの姿勢は、むしろそうだからこそ周囲から「危険人物」扱いされることになったのかもしれない。

 その後近代は、明らかにデカルト的な世界観の方向に舵を切る。精神と物質(自然)を二元的に分離してその上位に精神を配置し、自然を支配する科学主義・進歩主義・合理主義の枠組みを準備していくことになるわけだ。そして、誰でもが分かる「明晰判明」な知識だけが(科学的)真理とされるようになっていく。
 だが、この17世紀の異端の哲学者スピノザの考え方にはもう一つの近代の可能性が胚胎していた。近年の脳科学やIT分野でスピノザの哲学が再認識され、重要視されつつあるともきく。21世紀を生きる私たちにとって、スピノザはもう一度じっくり読み直す価値のあるテキストではないか。
 確かにスピノザの真理は一見神秘体験に似ているし説得力も弱い。けれど、スピノザを読んでいると合理的な認識にできることはまだある、と思えるようになってくる。元気が出てくるのだ。私は、怒濤の如くに世界を席巻し続けている資本主義の論理とは別の可能性を、スピノザの後をたどり直しながら、もう少し探ってみたいのである。

 ちなみに20世紀を代表する科学者の一人アインシュタインは、「あなたは神を信じますか」という記者の質問にこう答えている。

「もちろん信じていますよ、スピノザの神をね」

(注)スピノザ:17世紀オランダのユダヤ人哲学者。合理主義の立場に立ってこの世界の自然そのものが神だと唱え、当時のキリスト教勢力と鋭く対立した。強い弾圧を受け、生前は主著『エチカ』を出版できないまま死去。しかし熱烈な支持者たちの努力でその直後に遺稿集が発行された。

福島県立湯本高等学校 図書館報56号「雑感」原稿

感想:本deてつカフェ「わがままに生きる哲学」

2016年05月08日 08時08分09秒 | 大震災の中で
てつカフェ@ふくしまに行ってきた。
(2016年5月7日)

今回はこんな内容。
第8回本deてつカフェ
課題図書は 「多文化工房『わがままに生きる哲学』(はるか書房)

http://blog.goo.ne.jp/fukushimacafe/e/d46198345e0dcdb4d3079188414326cc

これが実に面白かった。
本を読んだり映画を観たり、絵を鑑賞してからのてつカフェはこの 「てつカフェ@ふくしま」で何度か経験しているが、今回は本当に楽しかった。
まず、題名がいい。

題名をつけるときに 「わがまま」という言葉をカッコに括るかどうか迷ったが、付けなかった、と著者の一人(佐藤和夫さん)がいっていたことがとても腑に落ちた。

わがまま、はどちらかといえばネガティブな意味を含んで受け取られることの多い言葉だから、カギカッコをつければそこに含みがあることは読者にもすぐに分かる。
「メタ的な使い方をしていますよ」という信号になるからだ。
しかし同時にカギカッコを付けて 「わがまま」と表記すると、わがままという言葉が持つ言葉の行為の範囲は少し狭まる。著者の意図にパッケージされて流通する限定感覚が生じるからだ。

ここで考えられているのはある面では自己決定することができる力と、それを実際の場面で使うことについてでもあり、漱石が引用されていることから分かるように 「自己本位」の問題でもあり、それは 「自由」の問題でもある。それは自分の中だけで起こる内面の話ではなく、自分と世界=他者にまたがって広がる出来事なわけだから(わがままってそういうことですよねえ、基本)、簡単にカッコに括ればいいってものでもない。


哲学の専門書がどういう記述の約束を持っているのかは皆目見当分からないけれど、この題名におけるカギカッコなしの  わがまま という表現は、そういういろいろ面倒なところを横断的に考えかつ生きることを推奨している。

だから本書にとってふさわしいのだ、と感じた。

次に中身をめくると、一応Q&Aの形式を取っている。だから、この本は一見 「どう生きたらいいか」の相談、つまり人生相談のようにも見える。

が、これもまた一筋縄ではいかない。

一つの問題に複数の著者がそれぞれ回答している。だからまず、答えは一つじゃないんだ!と形式は主張している。
ところがそのてんでな回答者の答えは、その思考の 「基盤」においては一致している。つまりは実にわがままな答えが並んでいる!

(特にその中でも 「田舎の世界市民」の答えは、そんなことをこんな 「人生相談」の形式で書いちゃっていいのか、というぐらい 「わがまま」な回答だ。)

詳細は読者が本文に当たることをオススメするが、どの回答者も自分のわがままな答えを書いているから、私たちは一つ一つの答えが答えになっているのかどうか戸惑い、あるいは突っ込みつつ、それぞれの回答の隙間にある(ようにみえる)自分のわがままと、いつの間にか向き合わされていく仕掛けになっているのだ。

この複数性を抱えた形式は、形式であると同時に、わがままという行為の実際例にもなっている。
もし回答者が一人だったなら、それはその回答者だけの 「正解」=「勝手」として受け取られかねない。だが、この本を読む読者は、回答者がてんでにかつ 熱心にわがままな自分の回答を叙述を辿っていくなかで、結局どの回答に 「依存」することも赦されず、どの答えに同一化することもできず、否応なくじぶんのわがままのありかとその実情、そしてじぶんがわがままであり得たり有り得なかったり、抑圧されていたり、踏みとどまっていたりするリアルと、向き合わされていくのである。

差異、とかズレ、とか、隙間とかいったレトリックはもちろんたいした話ではない。複数性というのもどーでもいい。だが、6人の著者=回答者がよってたかって一生懸命にわがままな回答を組み立てている様子を読んでいるうちに、読者も 「のっぴきならないところ」に立たされていることに気づく仕掛けがここにある、ということが、それだけが重要だ。

みなさんの感想でほとんど唯一共通していたのは、 「身近なことはあきらめられない」という感触だったことからもそれは分かる。
この本は幾重にも成功しているのだ。

加えて、回答者の世代も20代から60代と世代を意識した構成になっている。そのことを著者も意識していたに違いないのだが、驚くべきコトに(あるいは極めてこの本がそのことをうらぎるように)結果としてその意図は無効だった、と著者(の一人)が語っていた。
「世代によって異なるのは向き合っている問題が違うということにすぎない」
というのだ。先ほど共通の 「基盤」のことを書いたが、その 「基盤」の話は、おそらくここにも係わっている。

わがまま、私なりの理解で言い換えると、それぞれがめいめいてんでに 「より良く生きたい」という衝動は、各自の意図や目的、人生観や意識に止まらず、むしろ彼等複数の回答者の回答する行為の複数性の中=間にこそ見えてくる。それが生の基盤だ!
ということなのだろう、ということになる。

もちろんこれは私の神様にもとづく個人的な解釈だ。だが昨日のてつカフェふくしまは、まちがいなくそんな個人的なわがまま(な解釈)も許容しつつ、決定的な答えは、回答の中ではなく、遂行的になされる回答たちの間に生じるし、だからこそ私たちはその隙間でノッピキナラナイわがままのありかを発見もし、戸惑いもしながら、哲学的な問い(もちろん単純な正解ではなく)を問い始めさせられる、そんな面白さに満ちていた。

読者たちは、多く 「肝心な(自分にとって身近な問い)は読み進めにくかった」とこたえていた。

素敵な時間に感謝。本deてつカフェの面目躍如だった、と文学的にしみじみした翌朝でした。

買うべし読むべし!『わがままに生きる哲学』多世代文化工房

2016年05月03日 11時38分37秒 | メディア日記
全く意見の合わない友人がいる。彼とは、カントを読んだりヴァレリーを読んだりスピノザを読んだりアーレントを読んだりするのだが、ほぼ立ち位置の一致を見ない。

私は文学好きで、スピノザをこよなく愛し、しかし書く文章はいつもグダグダ。

彼は文学フラグが立った瞬間に興味を失うし、スピノザなんて全く興味がなさそうだし、真っすぐやろうとすることに向き合って邁進する。やっていることは狂気的だが、文章は論理的だ。
 
私は何も出来ずにただ脇でうろうろしているばかり。

こう書いてくると、彼と私は本当に友人なのかどうかすら怪しくなってくる。

つまり、私と彼はほとんど関心に重なりがない。

それでも、私は勝手に友人だと思っている。

なぜなら、意見や立場、興味を異にするお互いを、どこか存在としては認めて話ができるからだ。

そんな友人が本を出した。
 
「わがままに生きる哲学」

友人にこれほどふさわしい題名もない、というぐらいわがままな友人なのだが、だからこそ、どこを開いても
面白いのだ。

この本は、一応、 「お悩み相談」の枠組みを取っている。

この世界を生きていくときに生じるさまざまな疑問について、あらゆる世代の執筆者(6人)がアドバイスを書くという形式で、各々のわがままっぷりを開陳するという内容になっている。

もちろん、彼が書いている部分はやっぱり納得できないことも多い。
「まったくぅ、らしいけどさぁ」
と思うところだらけだ。

だがこの本の醍醐味は、一つの質問に複数の世代のわがまま回答者が、てんでに己のわがままな視点で極めて無責任でかつ誠実な回答を並べている転だ。

題名の 「わがままに生きる哲学」が単に質問者に向けられたものではなく、まずなによりも回答者自身の答え方に向けられたものなのだ。

わがままは生きるに係っているが、哲学は誠実で複数的で普遍的で実践的で肯定的なものだ、ということがどのページを開いても実感できる。

つまり、この本を読むことは、もしかすると友人の彼と改めて出会い直しているのかもしれない、と思えてくる。さらにうれしいのは、そんな全く意見の合わない友人が一人だけではなく、一度に6人も、寄ってたかって 「回答」しだすのだから、これは面白くないはずがない。
回答はけっして収斂しない。新たな問いを誘ったり、全く別の答えを招き寄せたりし始める。

そんなライブ感覚は、読者にいつのまにか 「哲学の実践」をさせてしまう…………そんな 「ぞわぞわ」する本、ですらあるのだ。

もちろんごく普通のお悩み相談Q&Aとしても読めるのだが、それだけじゃもったいない。

佐藤和夫先生のゼミの超楽しい成果ってことなんだろうか?
他のメンバーのことはよく知らないけれど。

とにかくこんな玩具箱のような楽しい本は手にしたことがありません。

今すぐ注文しましょう!
気持ちとしては私が本代を持ってあげたいぐらいです(笑)。




読むべし『やがて海へと届く』彩瀬まる(講談社刊)

2016年05月01日 21時40分04秒 | メディア日記
久しぶりに小説を読んだ気がした。

震災を題材に取った小説なら

いとうせいこう『想像ラジオ』

がぐっときた。
友人の小説家は「震災を題材にした小説はこれで決まりでしょう」、と言っていた。
(アマゾンのレビューを今読んでみたら、真っ二つに評価が分かれていて、「何が面白いんだ?」という読者も多く、なるほどそうかあ、と思った。

私は『解体屋外伝』のいとうせいこうにふさわしい作品だと感じたけれど。

今年になって

天童荒太『ムーンライト・ダイバー』

を読んだ。
一気に読めて面白かったし、ダイバーの相方の船頭の造型などはさすがだと思った。思いを残した遺族の描き方も読む限りにおいて納得。だが、誰かに紹介したいとまでは思わなかった。

ところが2016年4月になって、

彩瀬まる『やがて海へと届く』講談社

を読み、まるであの頃に引きずり込まれるような衝迫力(むかってきてひきずりこむちから、みたいな)を感じた。

作品の「窓」はきわめて小さい。友人(すみれ)を震災で失った悲しみを心に抱き続けようとする私(湖谷真奈)と、遺品を整理することで区切りを付けようとするその友人の恋人(遠野)の3人を巡るお話だ。
説明するのが難しいのだが、これは当然死者を巡る残された二人のお話、というフレームとして最初読まれていく。だが次第に、これはその向こう側にいる死者の「すみれ」のお話でもある、ということになる。

まあ、当然のことだ。

だが、この作品のことばの力学は非常に繊細な手つきで、向こう側の糸とこちら側の糸を丁寧に織り込んで一つの布を織り上げていくのである。

短編連作に「弱い」(=ツボ)という読み手であるこちら側の癖もあるのかもしれないけれど、この作品にはそれがよく似合っている。

そこで繰り返し描かれる靴やほくろや、仕草やことば、そして名前や身振りというきわめて具体的なモノたちが、その三人の物語の「織り上げ」に役立っていく。

いとうせいこうの『想像ラジオ』に向けられた酷評が、もしかしてこの彩瀬まるの『やがて海へと届く』にも向けられたらとても悲しいと思うので、敢えて書いておくが、震災を巡ることばたちにとって大切なのは、「想像力」ではなく、「糸口」だ。言い換えれば、そこで語られてほしいのは「感動」ではなく、「手触り」だ。

私はテクニックとしてではなく、P33の表現に息を飲んだ。
そこには、『想像ラジオ』では饒舌なDJのことばによってなぞられていたものが書き込まれていたからだ。

(私の)魂のことばがそこに書き込まれている、そう思った。

そうしてすすんでいく物語は、三人が主役である場所から、ふと、足を離していく。その瞬間(P202)、読者はだれでもないどこでもない人と場所に出会うことになるわけです。

でも、そのためには一つ一つ具体的なモノへの慈しみの描写が必要でもあったのだと、後から気づかされます。同時にそれは後から気づく以外にないことでもある、とも。

柄の小さい、小説というには躊躇われる中編ですが、やはり傑作と言わねばならないでしょう。

未読の方はぜひ読んでみて下さい。


第6回エチカ福島「金山町で未来を、日本を考える(仮題)」 の趣意書

2016年05月01日 18時42分50秒 | 観光

第6回エチカ福島「金山町で未来を、日本を考える」
の趣意書です。
ぜひおいでください。
そしていろいろ一緒に考えましょう。

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第6回エチカ福島が迫っている。5月21日、金山町。金山町は人口2000人強。高齢化率は60%に近い。僕がそこに暮らしていた30年前は30%で、その頃は日本社会を先取りしていると言われていた。同じ頃、都会ではバブルに浮かれていた。しかしこの町に暮らす僕たちは、真面目にこれからの僕たちの生活を見直さなければならないと思っていた。その頃若かった僕は、それはおカネというもの価値について考えることだと思った。
金山町は只見川沿いにある。只見川は戦後復興から経済成長をささえた電源開発の舞台である。只見町、金山町、三島町には巨大なダムが林立する。ダムができる前は、谷あいの寒村であったろう。狭い耕地に農作を行いつつ、木を育てて生活をしていたという。しかしダム建設はその生活を一変させる。ダム建設のために鉄路も作られ、それが只見線となる。新しい道路、新しいトンネルが作られる。そのための労働力が必要となり、町には多額のダムの補助金がもたらされ、人びとがここに集まって来た。やがて電源開発政策は原発にシフトしていく。工事の需要も減り、補助金も減額される。それに加えて、木材需要が輸入木材によって激減してしまう。かくして急激な過疎化が進んでいく。30年前には、三島町では付加価値のある木材を商品化しようと試みられていた。金山町のこの自然そのものを資源とした金山町の「自然教育村」という試みは、自然と自然に培われた生きる知恵に基づいた人々の生活、その蓄積としての歴史を、根無し草の都市生活者に「教育」をしてあげようという意味だと僕は解釈し、実に痛快に思った。どこの田舎も観光リゾート一色で、有り体に言えば、都市生活者の落とすカネをあてにしようといた。そういう試みの多くはバブルとともに潰えた。
さて、金山町の「自然教育村」はどうだったのだろうか。残念ながら目覚ましい成果を上げたという話は聞かない。しかし、僕はその考え方にこそこれから僕らが目指すべき社会のヒントがあると思う。
つまり、田舎にこそ人間の生活の豊かさがあるという発想である。もちろんその豊かさとはカネとは別の価値である。

金山町の人口は30年前に比べて3分の2に減少してしまった。ある時期、ダムやそれに関係する工事によって人口は急増したわけだが、現在の人口はダム以前の人口をも下まわってしまっている。ダムなどの工事やダムの補助金は、財政をバブルのように膨らましたただろうし、工事の労働賃金は農作や木材生産のもたらすカネとは比較にならなかったはずだ。それは町にとって間違いなく恩恵であった。しかし、やがて補助金というバブルも工事の需要もしぼんでしまった。これは金山町だけの話ではく、日本中の中山間地域をはじめとする、いわゆる田舎が抱える問題だ。田舎が自活する術を講じさせないような政策が続けられた。田舎の自治体の首長の多くが建設土木関係者であることは象徴的だ。しかし、おそらくは田舎の再生のカギは、建設や土木の需要をもたらす誘致ではないと思う。 

深瀬幸一(福島県立橘高等学校教諭)

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第6回エチカ福島「金山町で未来を、日本を考える」のお知らせ。

2016年05月01日 18時33分47秒 | 大震災の中で
第6回エチカ福島というイベントを、5月21日(土)に開催します。

「金山町で未来を、日本を考える」

日 時:2016年5月21日(土)14時~17時
場 所:福島県大沼郡金山町生活体験館
発表者:押部邦昭さん(金山町役場復興政策科の方です)
申 込:不要
費 用:資料・飲み物代100円
連絡先はethicafukushima@gmail.com

です。