龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

Every Pad Pro(DELL=ヤマダ電機)の感想。

2016年02月29日 09時54分02秒 | ガジェット
今回(2016年2月下旬)ふらっとヤマダ電機に入ってみたら、39,800円(プラスポイント10%)とある。

LTE対応のウィンドウズマシンが実質40,000未満で買えるというのは興味深い。

たまたま、DTIという会社で半年分毎月3Gbyteの通信無料SIMをキャンペーンしている、との情報を得てそのSIMをまず獲得していた。
SMS付きSIMなら900円/月ぐらいの価値がある。900円×6ヶ月=5,400円分が無料。

美味しい(^_^)。

そんなこんなで、規格としては一年前に出た商品だがお値段がこなれてきたため購入に踏み切った。
 

商品の詳しい規格は

こちらのブログが参考になります。「EveryPad Proの概要など」
http://zigsow.jp/review/373/282326/

ポイントは

メモリ→2G,
ストレージ→64G,
CPU→インテルR Atom. プロセッサー Z3775D
OS→windows10にアップグレード可能

と、それぞれちょっとだけ余裕がある点。


で、以下は1週間使ってみての感想。



☆特徴その1
windows10はきわめて使いやすい。

タブレット風にも使えるし、Windowsマシンとしてもイライラせずに動かせる。
Win8.1のときはイライラしたが、Win10二つの使い方を自由に往き来できるため、どんな風にでも使える。Win10を遊ぶにはもってこいの廉価マシンだと感じた。

☆特徴その2 
マシンの能力は必要十分。

もちろん高速処理ではないが、能力は十分だ。かつてレノボの7インチWindows8.1のマシン(メモリ1G,Z3735)を数ヶ月使ったことがあるが,明らかに快適性がちがっていた。OSの8.1→10へのアップグレードも64Gメモリがあると余裕だ。ワープロなども普通に動く。同じ値段のノートパソコンの方がもっさりしているように感じるほどだ。

特徴その3
キーボードとマウスはどうしてもあった方が便利。

WindowsのOS画面も、アプリケーション画面も、ボタン一つ、タブ一つとってみてもタッチパネルを前提としていない(拡大できるものもあるが、タブレットのOSほど洗練されていない)。

だから結局のところWindowsマシンとして使う限り、マウスとキーボードは必須になる。

AndroidやiOSのタブレットなら、キーボードはオプションでいい。(実はこれもZ4のフリック入力で書いている)Z4の場合、一体型キーボードも購入したが軽さが身上のXperiaZ4でもあり、フリック入力ならかなり高速に入力が可能だから、タブレットとしてはやはりこちらの方が圧倒的に便利なので、結局出番が減ってしまった。

その一方、XperiaZ4のSIMフリー版を買おうとすると、並行輸入する以外に手だてがない。7万円以上するマシンを並行輸入するのはリスクが伴う。

Every Pad Proを買って同時に携帯するキーボードを工夫すれば、単独で使える。

LTEのSIMフリー対応タブレットで実質36,000円程度というのはなかなかない。その点は「買い」である。

☆特徴その4
Windowsマシンは通信データ量が半端じゃない。

OSのアップグレードをLTEでやろうとしたら、入れ直しをしたせいもあって途中で通信制限がかかった。とにかくWindowsマシンはメモリもデータも全般的に大きい。64Gあるからストレージは大丈夫だが、通信量も半端ではないことがある。携帯端末用のOSだけを通信でつかっているとビックリする。

まあ、そういうことはWi-Fi環境でやるものなのだろう。


☆結論 
Windows10タブレットLTEマシンが欲しい人は買い。

1,単にタブレットが欲しい人はAndroidかiOSのマシンを購入すべきだ。
一台目でこれをかったら途方に暮れちゃうんじゃないかな。

2,一方、通信端末としてWindows10LTEタブレットマシンを単独(テザリングなし)で使いたいひとにとってはコスパが高い。OSのアップグレードも簡単にできた。


3,もうすでにAndroidタブレットかiPadを持っている人は?

お好みでどうぞ(笑)

手元に携帯できるWindows10タブレットがあるのは悪くない。
繰り返すが、キーボードは必須。画面が小さい割に表示量が多いので、ピンポイントでクリックするにはマウスもあった方がいい。

最後に1つ注意を!

win10にアップする前に必ずDELLのユーティリティを使って、USBメモリに出荷時復帰データを作成しておこう。

これがあれば不具合があっても何度だってやり直せる。


また、出先で大画面に出力するには一工夫必要だが、それを厭わないならなんとかなるだろう。

プライベートのみなら、AndroidかiOSのタブレットがお薦めですね。


「暮らしの視点で学ぶ『福島第一原発廃炉の状況』」に参加した。

2016年02月27日 10時03分02秒 | 大震災の中で
2016年2月25日(木)いわき市湯本で開催された

吉川彰浩さんによる「暮らしの視点で学ぶ『福島第一原発廃炉の状況』

に参加してきた。
大変参考になった。いろいろとこれから考えていくべき課題をもらった。

以下はその簡単なメモである。吉川さんにお話を伺ったわけだが、内容については私が理解した範囲のこととそれについての感想をメモしちるので、間違いがあればもちろん全て筆者の責任です。意見も全て私のものです。あしからず。

<1>汚染水対策ついて
最近(2015年秋)、トレンチにコンクリートを流し込み埋め立てて止水するという工事が終了した。

これは4年かかった。今までの汚染水対策作業としては

A汚染源に水を近づけない
B汚染水を漏らさない
C汚染源を取り除く

が三本柱(詳細は文末を参照)。

大きなポイントは、なんといっても地下水の流入が汚染水増加の原因。
これが止まらないと汚染水タンクも増え続ける。

ちなみに、1の山側の地下水バイパス汲み上げは100立方メートル/日。

全体の地下水量は400立方メートル/日だから、3/4が下(原子炉建て屋側)に来ていることになる。

汚染水タンクは1つ当たり1000立方メートル~1200メートルだから、数日(実際には2.5日~3日ぐらい)で1本分がたまる勘定になる。

凍土壁は、完成したがまだ稼働していない。これが有効かどうかはまだ不明。
これから数ヶ月先までかかる。

問題は、汚染水タンクを減らせないこと。2016年1月現在で役76万トンの汚染水がある。25mプール1500個分。

もし凍土壁が完成し、効果があれば、80万トンレベルのタンクがあれば足りる。

上にも書いたが、処理済み水は62核種を除去し、残っているのはトリチウムが数百Bq/L程度。トリチウムは三重水素。ミリタリーウォッチの蛍光塗料などに利用されたりもしている。自然界にも存在する。たとえば海水中には数Bq/L程度の濃度。百倍といえば百倍だが、毒性が少ない放射性核種ではある。

トリチウムは、原子炉を運転すると必ず生じてくるもので、震災前の基準では、
年間22兆Bqの放出が認められている。沸騰水型か加圧水型かで放出基準もことなり、50兆Bq/年の排出が認められている原子炉もあり、安全基準というより、運転する上で不可避の排出を認めているというに過ぎない。

仮に年間22兆ベクレルという基準を今の処理済み水の海洋放出に当てはめると、100年ほどかかる計算になり、現実的ではない。

ちなみに、六ヶ所村の施設では、年間京(けい)レベルの排出基準となっており、現状ではとりあえず処理済み水をためていくしかない。

さらにトリチウムを除去して低濃度にする技術は存在するが、コストがかかりすぎて非現実的。

「汚染水問題は出口がないのが問題であり、トータルシステムを確立せよ」

というのが規制委員会の考え方。

国が高レベル廃棄物と呼んでいるのは燃料のみ。それ以外は全て「低レベル廃棄物」と呼ばれる。だから低レベル廃棄物ということと、汚染度は別。幅が大きい。

<2>廃炉について

廃炉とは?
ゴミ問題の認識だが、まだ先が見えていない段階。

原型をとどめていないのは1,2,4号機。
燃料がまだ中にあるのは1,2,3号機。
この1~3号機の溶け落ちた燃料にたいしては、1つの炉当たり、1時間に家庭のお風呂3杯程度の水を入れているだけである。
1~3号機に残っている使用済み燃料(取り出してあるもの)は、水が止まっても沸騰するまでに120日かかる。心配はない。水に漬けてあるのは冷却の意味もあるがむしろ放射線遮蔽のため。

汚染水のメドがついてくると、これからようやく炉内の燃料取りだしに取り組むことになる。
今でもガレキ撤去は遠隔操作(PSPのコントローラのようなもの)で行っている。おそらく廃炉作業もそういう作業になるだろう。ゆっくりやるしかない。

ちなみに、同席した作業員の人は1日0.03msvの被爆量だという。30μSv/dayということ。これは、震災前と比較しても妥当な水準になってきた。

吉川さん自身、18歳~35歳まで放射線従事者として東京電力に勤めていたが、0.8mSV/monthが基準だった。年間10mSV以下ということ。

今は、発電所入り口では特に装備は要らない。普通の格好で入れるようになった。
これはフェイシング(表土のはぎ取りと舗装)の効果が大きい
元々雨水対策だったが、ほこり抑制と除染効果があった。

廃炉と共存する地盤が出来てきたところ。

まだ、現在の周辺海域でも 10Bq/L未満の値になってきた。これはWHOの飲料水基準まで改善した、ということ。大気中の飛散も押さえられている。

だからといってまだ処理済み水を流していいということにはならない。

現在、40代~50代の人が作業員には多いが、若い人も増えている。
事故現場から、働く場所になりつつある。
ということは、ここから廃炉を数十年スパンで考えていかなければならない。
10年間で税金の投入は2兆円と言われる。

事故直後は命がけだから給与が高かったのは当然。
だが、これからは原子力だからそれだけで給与が高いということにはなっていかないだろう。
もちろん、発電所内にはコンビニもできたし、食堂もできたが、缶コーヒーの自販機一つ存在しない。

所内で出たゴミは汚染された廃棄物扱いになるから!

むしろこれから給与水準は下げていくべきだろう。
今は原子力発電所内に7000人規模、除染で20000人規模の雇用があるが、タンクの増設がなくなり、線量低下が継続していけば、この雇用は早晩終わる。
土木工事や建築工事の出番は減り、3DのVR(バーチャルリアリティ)で内部操作をする作業になる。

求められる人材は、空間認知力があって、その3DVRシミュレーションが理解出来、かつ建て屋内部のことが分かっている人が求められていくだろう。

給与をむやみに高くするのではなく、むしろその仕事に対する尊敬が必要になるだろう。
40年回していける仕組み、ということだ。
そうなれば、地域に被雇用者も家族で定着し、廃炉と地域がリンクしていくし、そうでなければならない(吉川さんの考え方)。だから、まず廃炉に向けての現状を知ってもらうことが重要だ、というお話でした。

最後に、経産省から先週あたり、「燃料を取り出さないオプション」」についても考える余地があるのではないか、という考えが出されてきた、との指摘があった。膨大な資金をかけて燃料を取り出すのはいいが、果たしてそれが現実にできるのかどうかも分からない。そしてそれをその先どう処理するのか皆目分からないなかでは、実は取り出さないという選択肢も合理的に考えていくと「あり」なのかもしれないというお話は、考えさせられた。
だがもちろん、今それを声高に言い立てることは東電でも経産省でも、あるいは私たちでもできるはずがない。

廃炉は本当に一般的なイメージでいえば、更地に戻してほしいという理想があるだろう。
しかし、現実には更地にもどして何事もなかった、というところまでたどり着ける道筋は全くついていない。
だとすれば、現状をまずよく知って、その上でどう向き合うかを考える必要があるだろう、という吉川さんの指摘は厳しく重いが、正面から受け止めるべき言葉だと感じた。

もちろん、そのことが、東電や国の責任を見逃すことになってはならないと思う。
そのことはきちんと厳しく追及していくべきだし、個人的には原発の再稼働など
沙汰の限りだと思っている。


だが、廃炉という困難きわまりない(道筋のみえない)現実と向き合うことも、福島県に住む者として避けがたいことだ。
そしてもちろん、それは福島県以外に住む人々にとっても、正面から向き合うべきリアルなのだと思うが、それを発信していくことはとても難しい作業になるだろう。

自分に何ができるか。どう考え行動していくのか。久しぶりにじっくり考える機会を与えてもらった。吉川さんの活動に感謝と敬意を抱く。

とりあえず以上。

汚染水対策主要9項目---------(開始)------------------------------

A汚染源に水を近づけない

1,地下水バイパスによる地下水汲み上げ
(山側に穴を掘って、地下水があがってくるようにする設備)

2,建て屋周辺での井戸の汲み上げ
 (地盤が軟弱化防止のため以前から設置されていた。今は原子炉建て屋と周辺施設を繋いでいた配管のシールが津波と地震で壊れ、そこから地下水がどんどん流入しつづけているため、その水を少なくするために井戸で汲み上げ続けている)

3凍土方式の陸側遮蔽壁
 (これは原子炉建て屋周辺を1500mにわたってぐるりと一周させ、地下30mまで氷の壁で覆って地下水を遮断するもの。完成はしたが稼働はまだ。効果は未知数。ただし、これがうまくいけば地下水流入は圧倒的にすくなくなり、タンク増設などの建設は不要になる)

4,雨水の土壌浸透を防ぐ表面舗装
(施設内の地面や斜面に施工。これは結果としてほこりが立つのを防ぎ、結果としては除染効果も高かった)


B汚染源を漏らさない

5,水ガラスによる地盤改良

6,海側遮水壁
最大地下20mまで鋼板を埋設する、海側からも見えるおなじみの壁。

7,タンクの増設
(ボルト締めのタンクから汚染水漏れが起こったため、溶接型へリプレースした)

C汚染源を取り除く
8多核種除去設備による汚染水浄化
(キュリオンとサリーはセシウムを、アルプスはストロンチウムを除去)
☆残っている処理水には、トリチウムのみがある。濃度は数百Bq/l程度。
 トリチウムはいわゆる三重水素。自然界(たとえば海)に大量に存在し、放射性物質としては影響が小さいもの。これをさらに除去することはできるが、現状ではコストが膨大にかかる。

9トレンチ内の汚染水除去
(トレンチとは、配管などが入っている地下トンネル。配管と建て屋の間はシールしてあったが、地震と津波でそこが壊れたり隙間ができ、汚染水が出てくることになって、トレンチ内に高濃度汚染水がたまることになった)

汚染水対策主要9項目---------(終了)------------------------------




『存在の一義性を求めて』山内志朗著 岩波書店を読了。

2016年02月23日 16時57分12秒 | 評論
何度か「つまみ食い」はしていたのだが、今回ようやく最初のページから最後のページまで読み通した。

中世キリスト教哲学の巨人?の一人であるヨハネス・ドゥンス・スコトゥスという人が唱えた「存在の一義性」について実に執拗に「分からなさ」を強調しながら迫っていく本である。まあ、スコラ哲学といえば煩瑣な「神学論争」に終始していたというステレオタイプのイメージがあって、そこに身を投じるのだからこの山内志朗さんという人もまあ物好きなのかなあ、という印象があった。

この人の『普遍論争』(平凡社ライブラリー)を読んで、単なる中世キリスト教神学における「普遍」についての論争の早わかりかと思ったら、見事に書いてあることが分からないのにびっくりたまげたことがある。
よその国よその地域よその時代のよその言語でかかれたテキストを研究するということは、まあそういうことなのだろうけれど、実にリアルに「分からなさ」が繰り返し表現されていて、あきれ果てると同時に感心してしまった。

つまりは、「別のOS」が起動している中で動いているプログラムは、現代の私たちの思考の基盤ではほとんど無意味に見えてしまうけれどそうではない、という当たり前といえば当たり前だが、私たちが無意識に、そして絶望的に踏み越してしまう断絶を、丁寧に書いてくれているはなはだ教育的な書物だった。

その山内志朗が書くスコトゥス論なのだから、分からなさは最初から覚悟の上である。

だが、それにしてもほとんど分からないのには参った。というかむしろいっそ笑いがこみ上げてくる。

早わかり的に存在の一義性とは神と被造物が出会うための枠組みを準備するものだとか言おうとしても、山内ロック(鍵)がかかっていてとうてい早わかりをつぶやくことができない。

でも、神様と被造物(人間)がアナロジー的に関係づけられるのではなく、神を直接「愛」するということが人間に可能なのか、という「感じ」 の問いがそこにあるとするなら、5%程度しか理解できていないとしても、興味は持ち続けていたいものだと思う。

私は

スピノザ←ドゥルーズ←國分功一郎

という「視角」でしか読めないから、ほんのたまに「ふーん」と思うだけなのだが、それでもおもしろい。スピノザの『エチカ』の上巻を読むためには、基本的な教養として中世キリスト教哲学を読んでおくことは必要でもあり、興味深いことでもあるわけだし。

一度読んだ

八木雄二の『中世哲学への招待』

を読み直したら、忘れないうちに

『「誤読」の哲学』山内志朗 青土社

を平らげておきたい。

まあ、山内志朗節が全開なんですけどね、『普遍論争』以上に。
これ、たぶん著者の性格ですかね。もちろん現代日本で西洋中世のキリスト教哲学なんていうものに手を染めるというだけでそりゃまあスゴいことなわけですが。

まるで大江健三郎の長編を1冊読んだような充実感がありました(笑)。

誰にお勧めしたらいいのか皆目検討がつかないけれど、それでもかなりのおすすめです。

三種類目の格安SIMを使っている。

2016年02月23日 12時00分58秒 | ガジェット
BIGLOBE→IIJ(mio)→DTI

と、格安SIMを渡り歩いている。
速度や料金は時期によって違うので一概に言えないが、使い勝手からみれば、IIJ(Mio)は道具として手になじむ感じがする。

IIJの良いところは2点。

・高速通信分(3Gbyte)のオン/オフが出来る。
・初速バーストがある。

使いすぎると制限がかかるタイプや、高速通信分をただ最初から食いつぶしてしまうタイプは、限られた通信容量をどうでもいいことに使いつぶしてしまい、結果として高速通信が必要なときに一日中遅い速度で我慢しなければならなかったり、月末はデータ貧乏になって遅い速度に甘んじなければならない。

だが、IIJなら簡単にアプリで高速通信分のオンとオフを切り替えられるので、無駄なく使えるし、上手に翌月に残したりもできる。

かつ、200Kbyte/sの低速時も、最初につないだときの初速が速いので、ストレスを感じない。

今回DTIのキャンペーンがあったので試してみた(なんと2月~7月まで無料!ありがたいことです)が、windowsのアップデートとかGoogleドライブの同期とか、いろいろ知らぬ間に大量なファイルのやり取りが起こっていて、たちまち速度制限がかかりそうになってしまった(3日間1Gbyte)。

高速通信分の速度差は「ナマモノ」だからある程度仕方がないが、せっかくのお金を払った3ギガバイト/月の分は有効に使いたいものだ。

IIJならそれが出来る。

SIMフリー端末を使う人の多くはコスト意識も高いだろう。IIJは心理的にも負担にならずコントロールしやすい。

ちなみに、DTIは現在キャンペーン中で、半年間3ギガバイト無料(SIMの初期手数料3,000円のみ)、という太っ腹なコトをしてくれている。

これはこれでありがたい。
IIJも雑誌の付録で月500Mbyteまで無料SIMというのを配るとか。

いずれにしても、大手キャリアの実質ゼロ円がなくなるというお噂の今年は、SIMフリー端末に載せる格安SIMが熱くなりそうだ。

デミオのガソリンAWDを代車で乗った。

2016年02月20日 23時48分48秒 | クルマ
ロードスターの修理中、デミオのガソリンAWDを代車で乗った。

新世代のスカイアクティブ&マツダAWDに期待したのたが、実際に乗ってみると、ガソリンエンジンならデミオはFFがいいと思った。

逆にいえばデミオのAWDに乗るならディーゼルがオススメだろう。

ポイントは車重かな。

雪道になるといいのかもしれないけれど、ドライな路面の場合は軽快さを欠く印象である。

そのためアクセルを多めに踏み込むことになり、結果としてギアがギクシャクしてしまう。アクセルを踏まないときの出来は抜群なだけに、残念さが際立つ。

家の家族が乗っているガソリンFF のデミオは一世代前だが、もっと 「軽い」感じがあって加速はむしろ自然かつ快適だ。

そういう意味で、デミオのAWDはやはりトルクフルなディーゼルがいいのではないか。

雪上の挙動ではマツダの新世代AWDが自然な挙動だと評判だが、だからといってどれでもいいというわけでもないだろう。そして実は、AWDは雪道だけのため、というわけでもない。

結果としてはレガシィとロードスターの良さを改めて実感することになった。




『女は戦争の顔をしていない』スベトラーナ・アクレシエーヴィチ(岩波現代文庫)を読み出した。

2016年02月19日 10時56分11秒 | 大震災の中で

読むべし。

第二次世界大戦中ソ連では100万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医ばかりではなく兵士として武器を手にして戦った。しかし、戦後は従軍の体験を(女性たちは特に)ひた隠しにしなければならなかった。その従軍女性からの聞き書きの本である。



『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アクレシエーヴィチ(岩波現代文庫)


を読み出した。
こういう重い主題の本は苦手だ。読まなくてはならないという思いはある。正面から考えかつ語るために必須の「修行」だと考えもするのだが、読んでいて心がおれやすい。

実際、私は『はだしのゲン』も読み通せない軟弱モノである。

だが、この本は違う。一ページ目を開いた時から「聴き手」=「語り手」の息づかいが感じられ、読者として一瞬でこのテキストの誘いに身を委ねてみよう、という気持ちになれる。

とりあえず前書きに相当する「人間は戦争よりずっと大きい」の、

「人間は年をとってくると、今まで生きてきたことは受け入れて、去っていくときの準備をしようとする。ただ、誰にも気づかれずに消えていってしまうなんてあまりに悔しい。何事もなしにそのまま消えていくなんて。過去を振り返ると、ただ語るだけではなく、ことの本質に迫りたくなってくる。何のために、こんな事が自分たちの身に起きたのかという問いに答えを見つけたくなる。すべてをある意味では許しの気持ちで、そして悲しみをもって振り返る。死のことを思わずには人間の心の中のことは何も見えない。死の神秘こそがすべての上にある。」P9

たとえばこんな部分にも惹かれてしまう。むろん、こういう警句的な表現だけが重要なわけではない。

この文章の最も重要なポイントの一つは、「書き手=聴き手」が「語り手」に寄り添うその姿勢にある。

「男たちは歴史の陰に、事実の陰に、身を隠す。戦争で彼らの関心を惹くのは、行為であり、思想や様々な利害の対立だが、女たちは気持ちに支えられて立ち上がる。女たちは男には見えないものを見いだす力がある」P13

思わず本を手に取ったら手放せなくなってしまった。

日暮しのアルバム二つを買った。

2016年02月03日 21時50分58秒 | メディア日記
「日暮し」という3人のグループが1970年代に活動していた。
当時、アルバムを2枚だけ買ったことがある(「日暮し2」「街風季節」)。
今回、初CD化されるアルバムがあるというので、セットで2枚購入。

たとえば「秋の扉」
https://www.youtube.com/watch?v=6o1gOeDxlvg


1970年代の前半、ステレオセットを買ったばかりのころに聴いていたはず。


懐かしくて、しみじみしてしまった。

1970年代の前半といえば、荒井由実がアルバム『ひこうき雲』を出したのが1973年の冬でした。当時高校1年生だったかな。パックインミュージックの第2部(パーソナリティはたしか馬場こずえ)でアルバムを聴いたその朝がたいそうな雪で、その日にそのアルバムを買いにいった記憶も。

1973年っていうのは、自分にとっての音楽は

小坂明子の「あなた」
日暮しの『日暮し2』
荒井由実『ひこうき雲』
オフコースの『僕の贈りもの』
井上陽水『もどり道ライブ』

だったけれど、wikiによれば1973年の音楽は

ザ・ピーナッツ「情熱の砂漠」
沢田研二「危険なふたり」
宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」
三善英史「円山・花町・母の町」
内山田洋とクール・ファイブ「そして、神戸」
南沙織「色づく街」「傷つく世代」「ひとかけらの純情」
五木ひろし「ふるさと」「霧の出船」「夜空」
かぐや姫「神田川」
井上陽水「傘がない」「夢の中へ」
天地真理「恋する夏の日」
アグネス・チャン「妖精の詩」「草原の輝き」
チューリップ「心の旅」「夏色のおもいで」
ガロ「君の誕生日」「ロマンス」
ペドロ&カプリシャス「ジョニィへの伝言」
浅田美代子「赤い風船」
堺正章「街の灯り」
金井克子「他人の関係」
野口五郎「君が美しすぎて」
麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」
桜田淳子「わたしの青い鳥」「天使も夢みる」
森昌子「中学三年生」「白樺日記」「夕顔の雨」
山口百恵「青い果実」
大信田礼子「同棲時代」
内田あかり「浮世絵の街」
あべ静江「コーヒーショップで」「みずいろの手紙」
赤い鳥「紙風船」
あのねのね「赤とんぼの唄」
高木麻早「ひとりぼっちの部屋」
フィンガー5「個人授業」
チェリッシュ「てんとう虫のサンバ」「白いギター」
山本リンダ「「狙いうち」「燃えつきそう」
夏木マリ「絹の靴下」
美川憲一「さそり座の女」
欧陽菲菲「雨のヨコハマ」
由紀さおり「恋文」
ちあきなおみ「夜間飛行」
カーペンターズ「シング」「イエスタデイ・ワンス・モア」
ミッシェル・ポルナレフ「忘れじのグローリア」
アルバート・ハモンド「カリフォルニアの青い空」
(南沙織が同年カヴァー。「カリフォルニアの青い空」参照)
ジョン・レノン「マインド・ゲームズ」
エルトン・ジョン「ダニエル」
ドーン「幸せの黄色いリボン」

ということらしい。
ペーストするときに削った曲もあるが、それもふくめて、驚くべきことにほぼほぼ全部覚えている。そして半分以上はフレーズの一部を口ずさめる。

懐かしいというのではない。

思い出すとそんな記憶が脳味噌のかなりの部分を占めているということに驚かされる。

自分がどんな音楽成分でできあがっていったのか、なんて全く興味がなかったけれど、並べてみると、ということだったのだ、と分かる。

1973年、高校1年生の時に自分はこんな形で音楽を受容していったのだった。

さて、書いておきたいのは日暮しのことだった。

その1973年の音楽シーンの中で、『日暮し』というグループは、私にとっては不思議な存在だった。

自然の中で緑の中を吹き渡る風に当たっているようだったり、日だまりの中で暑い午後、けだるそうに座っているようだったり、冬の夜、ぼんやりとしながら過ごしているようだったり、音楽と言うよりは環境、それも作り物というよりはその辺にある普通の田舎の環境に近い「匂い」がした。そういう意味では古井戸というグループもそれに近かったかもしれない。フォークグループならどれでもそんな感じだったのか、といえば、必ずしもそうでもなかったような気がする。

今回購入したCD
『記憶の果実』『ありふれた出来事』
について言えば、確かにアレンジは70年代の歌謡曲っぽいところがある(「星勝」サウンドなのだから当然といえば当然)。
だが、とにかく榊原尚美のボーカルが圧倒的な存在感を持っているし、武田清一サウンドがそのボーカルにぴったり(その逆でもある?)で、実にしみじみする。

こういうしみじみした音楽の聴き方は、今までしてこなかった。
新しい音楽が心に入ってこなくなったからだろうか。
いや、「音楽を聴く」という行為の意味が時代によっても変わっていくし、自分の人生史の中でも意味が変化していくということなのだろう。

とにかく、「日暮し」をこんな風にじっくり聴くことになるとは驚きだ。

好きな音楽といえば、この1973年の中では圧倒的に荒井由実だったし、オフコースの多重録音には物理的な魅力があった。少し遅れてデビューした(シュガーベイブ『ソングス』が1975年)山下達郎は嗜好のど真ん中だった(『CIRCUSTOWN』は1976年)。

しかし、神原尚美のボーカルは、特別なのだ。
きけばボーカルの榊原(杉村)尚美さんは現在61歳。
もうプロとして歌うつもりはない、とのこと。
まあ当然ですね(笑)。

メモ代わりに。