森鴎外の『渋江抽斎』を読み返している。
正確には、若い頃途中で放り出したものを再び拾って読み直しだしたというべきなのだが、ともあれ息子の本棚に残っていた岩波文庫を手にとって、何の気なしにパラパラとめくっている。
石川淳は『森鴎外』という文章で鴎外晩年の史伝物を 「婦女童幼の智能に適さない」とかいっていたそうだが、わたしなどはいわゆるその 「女子供」の典型で、還暦過ぎても知能は高がしれている。
いや、今時は こんなことを書いていると「婦女童幼」をバカにしたカドで石川淳も私も同様に槍玉に挙げられてしまうだろうか。
平たくひっくり返していえば歴史の考証をしていくような 「辛気臭い」文章は流行らない、ということなのだろう。石川淳はその毀誉褒貶の毀と貶に対して(昭和最後の文士的に)開き直ってみせた、と見ておくべきかもしれない。
ともあれ、生意気盛りの二十歳過ぎの頃、石川淳を背伸びして読み続けてはいたものの、石川淳が 「小説」と呼んで絶賛する鴎外晩年の史伝モノの良さは全くピンときていなかった。だから『渋江抽斎』を読んでみても、ただページをめくるだけで何が面白いのかさっぱり勘所が掴めないままだった。
それが、今読んでみるとなにやらとても面白いのだ。
小林秀雄が読めなかったのに橋本治の『小林秀雄の恵み』を読んでからちょっと身近に感じられるようになったのと、ちょっと似ている体験かもしれない。
テキスト自体はなかなか読めないけれど、テキストの海を泳ぎつつ表現しようとしているその営みなら読める。
そういう意味では石川淳がいう〈森鴎外においては史伝こそが 「小説」だ〉
というのは当たっていなくもないのだろうけれど、やっぱりちょっと不親切(そんなことをいうとまた 「女子供扱いされるんだろうが、そう思うのだから仕方がない)だ。
とりあえず、史伝における想像力は、 「できるもんならやってみろ」とこちらを突き放すような厳しいものだ、ということなんだろう、と理解しておく。
なぜ面白いのか。
(史伝物で思い出した。『やちまた』も詠まなくちゃ!)
ただ想像力で何かを想像するというのではなく、歴史において様々な考証(テキスト収集もあるが、人を尋ねて聴き回ることもある)を重ねて、言葉の海から波の波動の痕跡のようなものを見つけ出す 、比喩的にいえば「宇宙物理学」のような作業につきあっているように感じられはじめる感覚があるから、といっていいだろうか。
「あり得べき」ものや人に語らせつつ、あり得べきことをそこから見出して 「想像する」という営みが面白い、といってもいいかもしない。
そこにはもちろん探偵小説的な面白味もあり、史実とどこかでリンクして 「歴史」の基盤を感じさせる手応えもあり、それでいで今までだれも 「映像化」にせいこうしていなかった幕末の医者 「渋江抽斎」を見事に蘇らせているという小説家の 「腕」の見事さもある。
とにかく、二十歳の頃には読めなかったテキストが六十歳なら読める、ということがある。
それを知っただけでも嬉しい(笑)
鴎外自身が医者であり、抽斎もまた医者であった、ということもあるだろうし、鴎外がしだいにその歴史的な人物と鴎外自身のテキストの中で出会っていく様子が 「醍醐味」の一つになっているということもあるのだろう。
だか、そんなことどもはみんな、二十歳の時だって知識としては知っていた。
だから、テキストが読めるというの、私程度の人間にとっては 「知識」の有無の問題ではないのだ、とつくづく思う。
今更鴎外の史伝を読むという行為自体、もはや人生の終わりが近い、ということなのかもしれない、とも思う。
とすれば、これは盆栽とか石磨きをする代わりに 「鴎外磨き」を始めただけのことなのだろうか。そうかもしれない。そうでないのかもしれない。
ともあれ、森鴎外『渋江抽斎』は、メチャメチャ面白い読書体験になっている。
もしかするとテキストを読むということは 「分からなくてもいいんだ」ってことが身体レベルでわかり始めている、のかもしれない。
つまり、テキストを読んでいる間は、テキストの中を生きている、のかもしない、という意味で。
このあたり、もう少し考えてみる意義はありそうだ。
正確には、若い頃途中で放り出したものを再び拾って読み直しだしたというべきなのだが、ともあれ息子の本棚に残っていた岩波文庫を手にとって、何の気なしにパラパラとめくっている。
石川淳は『森鴎外』という文章で鴎外晩年の史伝物を 「婦女童幼の智能に適さない」とかいっていたそうだが、わたしなどはいわゆるその 「女子供」の典型で、還暦過ぎても知能は高がしれている。
いや、今時は こんなことを書いていると「婦女童幼」をバカにしたカドで石川淳も私も同様に槍玉に挙げられてしまうだろうか。
平たくひっくり返していえば歴史の考証をしていくような 「辛気臭い」文章は流行らない、ということなのだろう。石川淳はその毀誉褒貶の毀と貶に対して(昭和最後の文士的に)開き直ってみせた、と見ておくべきかもしれない。
ともあれ、生意気盛りの二十歳過ぎの頃、石川淳を背伸びして読み続けてはいたものの、石川淳が 「小説」と呼んで絶賛する鴎外晩年の史伝モノの良さは全くピンときていなかった。だから『渋江抽斎』を読んでみても、ただページをめくるだけで何が面白いのかさっぱり勘所が掴めないままだった。
それが、今読んでみるとなにやらとても面白いのだ。
小林秀雄が読めなかったのに橋本治の『小林秀雄の恵み』を読んでからちょっと身近に感じられるようになったのと、ちょっと似ている体験かもしれない。
テキスト自体はなかなか読めないけれど、テキストの海を泳ぎつつ表現しようとしているその営みなら読める。
そういう意味では石川淳がいう〈森鴎外においては史伝こそが 「小説」だ〉
というのは当たっていなくもないのだろうけれど、やっぱりちょっと不親切(そんなことをいうとまた 「女子供扱いされるんだろうが、そう思うのだから仕方がない)だ。
とりあえず、史伝における想像力は、 「できるもんならやってみろ」とこちらを突き放すような厳しいものだ、ということなんだろう、と理解しておく。
なぜ面白いのか。
(史伝物で思い出した。『やちまた』も詠まなくちゃ!)
ただ想像力で何かを想像するというのではなく、歴史において様々な考証(テキスト収集もあるが、人を尋ねて聴き回ることもある)を重ねて、言葉の海から波の波動の痕跡のようなものを見つけ出す 、比喩的にいえば「宇宙物理学」のような作業につきあっているように感じられはじめる感覚があるから、といっていいだろうか。
「あり得べき」ものや人に語らせつつ、あり得べきことをそこから見出して 「想像する」という営みが面白い、といってもいいかもしない。
そこにはもちろん探偵小説的な面白味もあり、史実とどこかでリンクして 「歴史」の基盤を感じさせる手応えもあり、それでいで今までだれも 「映像化」にせいこうしていなかった幕末の医者 「渋江抽斎」を見事に蘇らせているという小説家の 「腕」の見事さもある。
とにかく、二十歳の頃には読めなかったテキストが六十歳なら読める、ということがある。
それを知っただけでも嬉しい(笑)
鴎外自身が医者であり、抽斎もまた医者であった、ということもあるだろうし、鴎外がしだいにその歴史的な人物と鴎外自身のテキストの中で出会っていく様子が 「醍醐味」の一つになっているということもあるのだろう。
だか、そんなことどもはみんな、二十歳の時だって知識としては知っていた。
だから、テキストが読めるというの、私程度の人間にとっては 「知識」の有無の問題ではないのだ、とつくづく思う。
今更鴎外の史伝を読むという行為自体、もはや人生の終わりが近い、ということなのかもしれない、とも思う。
とすれば、これは盆栽とか石磨きをする代わりに 「鴎外磨き」を始めただけのことなのだろうか。そうかもしれない。そうでないのかもしれない。
ともあれ、森鴎外『渋江抽斎』は、メチャメチャ面白い読書体験になっている。
もしかするとテキストを読むということは 「分からなくてもいいんだ」ってことが身体レベルでわかり始めている、のかもしれない。
つまり、テキストを読んでいる間は、テキストの中を生きている、のかもしない、という意味で。
このあたり、もう少し考えてみる意義はありそうだ。