龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

「日本は一つ」もいいけれど。

2011年04月30日 14時41分24秒 | 大震災の中で
被災地にいて、「日本」と「日本人」に救援を受けもしている立場でこういうことを書くのにはためらいがないわけではないのです。

でもね。

「日本を一つに」とか「日本の強さは団結力」とか「立ち上がれ日本」とか繰り返し聞かされていると、いささかげんなりする。

そして、日本人じゃなくても救えよ、とか、日本人じゃないと立ち上がらないのかよ、そんなやつの施しは受けねえよ、とか、罰当たりなことをちょっと考えてみたくなる。

共同体主義批判ってほどのものじゃない。共同的なるものをもたない「普遍性」なんて「人間」が殺されてしまうようなものだから、こっちから願い下げだ。

それでもテレビにゃこれほどまでに言われたくない、とも思うのだ。

分かってる。

新聞もテレビも、国民国家の成立・発展と無縁じゃないわけだから、そういうマスメディアの伝えたい「真実への欲望」は、国民の均質性を前提としてしか十全に機能しない。

そんなことは震災前から分かっていた。

ネットメディアの人々が言うようにマスコミの人々は脳みそが腐っているっていうわけじゃ必ずしもなくて、マスコミ共同体と国民国家の「想像された共同体」とが既にもうどうにもならないほど分かちがたくリンクしてしまい、さまざまにそこで共に発展してきたしがらみがあって、足抜けできなくなっているのかもしれない。

ネットメディアは今はまだ「隙間」にある。だから玉先混交(つまりは「断片化」ってことですかね)を前提として「開かれた」状態にある、といっていいでしょう。
誰もがネット検索を利用すれば気がつくことだけれど、たいていの多種多様な「立場」や「考え」の断片はネットで拾うことができる。
原発の設計問題でも、練炭火鉢での自殺志願者募集でも、イギリス国教会でも。ぶり大根のレシピでも。

それでもつい気を許すと、断片か/均質性かという二項対立は、ネットを浮遊していてさえ、思考の枠組やスタンスとしてついつい「機能」してしまいかねない。
むしろ考えずに浮遊できる分だけ、注意深いリテラシーが求められもする。

あ、話がずれた。

この大震災と原発事故によってもたらされた、あられもない「リセット」感について、コメントしたかったのでした。

今、単に(といっても何兆円もかかる大変なことなんですけどね)この事件を埋めるべき損壊と見て、力を合わせよう、といえばいいっていうものなのかどうか。

それよりもむしろ空白の空間の凄みについて、もう少しじっくり考えたいのです。
どうせ復興なんて10年15年かかるわけだし、余震だってまだM8クラスの可能性あり、なわけだし。震災はまだ進行中なのですから。

それなのに繰り返される、 「日本の力は団結力」というキャンペーンには、空白を急いで充填してしまいたいという欲望が込められているように感じてうんざりするのです。

被災者として助けてもらう時、援助それ自体には国境も国籍も部族も地方もない。
援助される人とする人の気持ちが「一つ」だから援助するんじゃなくて、被災者の置かれた状況が放置できない大変さだから、とにかく何とかしようって話だよね?

ちがうのかなあ。

そん時日本が100個あっても、いいじゃん、と私は思う。仙台もがんばるし、いわきもそれなりにがんばるんだろうし、南三陸も、浪江も、飯舘村も、それぞれやるよ。都城だって、大阪だって。それぞれにがんばらない人もいて、三年寝太郎もいて、いいじゃないか。
岐阜のサラリーマンの人もボランティアしてくれるし、避難所の友人のために、連休中慰問する友達もいる。

てんでじゃだめなの?

日本が二つだと復興できないの?心」三つだと、うまくいかないの?

もしかして、ソーユーことの限界も考えた方がいいかもしれないときに、性急な「日本は一つ」キャンペーンは、ちょっと筋が悪いんじゃないの?

またしても「てんでんこ」の言葉が頭をよぎる。

断片が、隣接性によって多層に「てんでんこ」的共鳴を組織化する可能性も、楽しく電波に乗せてほしいな。

同じことを言ってても「トータス松本」の芸風は素敵、なんですけどね(笑)



「断片化」と「隣接性」。

2011年04月29日 12時40分05秒 | 大震災の中で
公共的なるもの、を考える準備

都合のよい社会基盤を「公共的」として、それ以外のものを排除するっていう話になってしまうのではないか、と思うと、いろいろ書くのがためらわれたりもする。

どうせゴミの書き込みなのだから、と開き直るのもいいが、まあ、もう少し粘って考えたい。

面白いブログを見つけたので紹介しておく。


April 24th, 2011
水素爆発の理由をどうしてもベントの遅れのせいにしたい人々

(http://mechag.asks.jp/2011/04/24/)

他に、これも面白い。

日航機墜落と福島原発
(http://mechag.asks.jp/2011/04/25/)

単純に電源があればうまくいったのに、ってことでもないし、ベント遅れだけの問題でもないかもね、っていう指摘。
設計段階からの問題もあるよねっていう技術屋さん(かな?)の視点でした。

たとえば、誰が「水素爆発を予想できたのか」ってことにもなるよね。

「人為」だけに限定してものごとを考えていくと、とにかく管理していた東電の無限責任みたいな話になってしまうけれど、技術的な視点も含めて、そりゃないだろう、と私も思う。

他方、原子力発電所の事故があったからといって、「人為」の限界を簡単に語るのは、どうかと思う。

限界じゃなくて「人為」の「裂け目」、「傷」が立ち現れ、それに「自然」と名を付けているってことなのじゃないか?
繰り返しているのはそういうことです。

だとすれば、技術者はこれをきちんと検証して後生に資することが求められるだろうし、その検証過程事態を公開し、共有することが大切なんだろうね。
できれば複数のチャンネルで検証を検証できる仕組みにできると、精度が高まる。

緊急時は、誰が、あるいはどんな組織がコントロールしても限界があるんじゃないかなあ。東電社長でも、菅首相でも、天皇でも、「無力」というか限界あるわけだからねえ。

それを、無理矢理性急に見取り図を引いてしまい、「日常性」を回復したいと思うのはどうかな、と思う。

一刻も早い復興を、というのも分かるし、急いでは見えなくなってしまう、という思いも正直ある。
たとえば小さなことだけれど、家の応急処置としての修繕は、自前で屋根にシートをかけたり風呂のタイルの補修をしたり、割れた食器や瓦、さまざまながれきを捨てるのは一段落したけれど、これをいつになったら直せるのか、皆目見当も付かない。

余震(4・11)の時の被害の方が、本震(3・11)よりひどかった家も少なくない。

むりやり範囲を決めて「安全」とか「日常」とかを性急に求めすぎるのは、共同体の規範の「縮減」を招く危険さえあるだろう。風評被害や福島県人への原発差別などという情緒的な反応は、そういう「縮減」の結果だろう。
他方、だからこそ、「裂け目」に落ちて身動きが取れない人、社会のシステムや共同体、地縁的ネットワークを失って「断片化」してしまっている「被災者」の人に、「隣接性」をもって手をさしのべてくれる人々も少なくない。

部分的で、その援助自体が「断片」かもしれないけれど、そういう「断片」の自覚ある人の方が「隣接」した「裂け目=隙間」に立つ人にそのとき適切な援助をできるって可能性も高いのではないか、としみじみ思う。

「今ここ」は、安定的な社会や共同体の中の規範が通じなくなったとき、すぐに傷つき変形し、ともすれば裂け目に飲み込まれてしまう。一瞬の後には痕跡となり、次の瞬間には別のところが傷ついてしまう。

生活基盤=地面が流動化したところでなおも「生」を抱えていきる人は、不可避的に「断片化」を生き、瞬間瞬間に傷つき続けながらみずからの「生」をどこかに延ばしていかざるを得ないだろう。

そういう場所に共同体や社会から人を招き出してしまったのが大震災や原発事故という「大事件」なわけだが、この場所では、それ以前の共同体規範や社会秩序のシステムは通用しなくなってしまう。

それは必ずしもその共同体や社会の問題とばかりはいえまい。

誰だって、こんなめちゃくちゃな1000年に一度の事件で「正解」なんて探せない。ってか、正解なんてないしね。
ただ、それを「1000年に一度の大災害」とか、それでも「日本は一つ」とかいった言説で回収することが正しいかどうかは、また別。

一方、正解はないんだから、といって開き直って思考停止し、いつのまにか忘却装置を作動させて新たな「日常性」を招き寄せたい欲望は、分からないでもないけれど、それはそれでどうかと思う。
「正解なんてどうせないんだっ」っていうとりあえずの「解」、だもんね。

難しい……。

だから、「公共的なる空間」における「断片化」と「隣接性」ってことを繰り返すしかない。

人間の「人為」はもちろん、この大災害、大事件を教訓にして、またシステムを一つ上の精緻な次元に押し上げていくだろうし、そうやって「メカAG」さんの言うように「技術」は進歩していくのだろうと思う。「人為」の次元では。

でもたぶん、それが検証される数十年後までには、私はもうこの世にはいないでしょう。だから、今私が「知りたい」のは「技術的真実」とか「進歩の結果」それ自体ではないのだと思う。

そうではなくて、大きな「切断面」の生成に立ち合っている者として、その「裂け目」に瞳を凝らしていたいのだ。

ただ、どこに自分の瞳があるのかもよく分からず、どれが「裂け目」なのかも時々見失い、どの状態が目を開いていることで、どれが何か別のものを夢想して目を閉じている状態なのかもよく分からない。

「隣にあるモノやヒト、コトガラ」だからよく分かる、とも限らない。

でも、大きな危機に際して縮減しがちな共同体規範や、復旧を自己組織として行っていくシステム秩序の次元とは違った、強いられた空白という隙間の場所で、それでも物事を見るという努力は続けたいという欲望だけは持っている、ということだ。

そこに「公共的なるもの」を感じるのは、言葉の使い方が間違っている、といえば言えるのかもしれない。

単に、災害によって社会の秩序や共同体が失われた「人為」の「廃墟」、もしくは「自然の猛威」と表現するヒトもいるのだろう。

私はそれでもなお、「公共的なるもの」という眼鏡で、この事象を捉えたいと思っている。




公共的なるモノからもっと遠い者、それは擬制的共同体?

2011年04月28日 22時29分10秒 | 大震災の中で
思いついたままのことを毎日記録していこうと心に決めて、3/11からのことを書き続けている。

父親が震災前に入院し、震災後、病院閉鎖寸前のところで亡くなったことも自分にとって大きい出来事ではあった。
が、その「プライベートの一大事」だけだったら、けっしてブログを毎日書こうと考えはしなかっただろう。

また、大震災の被災者というだけのことだったら、私よりも大変な思いをした人はたくさん居るし、考察を発表すべき人も、リアルタイムで報告すべき現場で闘っている人も、他にたくさんいるに違いない。

私が特にゴミを増やすには及ばなかった。

しかし、死に向かおうとする父の姿と、家の瓦が落ち、水も無いところに原発が爆発事故を起こして放射能を飛散させ、圧倒的な破壊をもたらした地震と津波の中で、仕事場である高校も震災被害を受けて立ち入れない状況になったとなると、自分の身の回り全てが非日常の裂け目に放り投げられた状態だと否応なく気づかされる。

そんな中で考えたことをゴミ箱に捨てる反故のようにであっても、毎日書き落としていくことは、とにかく必要だと考えたのだ。
自分にとって?いやいや。
他人のために?まさか。
でも、この現場に立ち合ったときのことを、無力ながら書いておくべきだろう、とは思った。
もう少し筆力があるのなら、お昼ご飯と犬の散歩のことだけ書いていても、この状況の貴重な描写になったのかもしれないが、残念なことに、そういうことは無理。
だから、素朴におもいついた疑問をできの悪い連想ゲームのように続けていくしかなかった。

そうやっているうちに、
「自然」と「人為」の関係に目が行き、
「公共的なるもの」に関心が向いてきた。
あとはやはり「隙間」に瞳を凝らすことの大切さ、かあ。

理屈の整合性ではなく、傍らに立ち続けて「共振」することの大切さを学んだのかもしれない。

「間」、とか「痕跡」、とかずっと言葉はいじってきたけれど、ようやく身をもって生き始めている感触がある。

それを十分説明はまだできていないけれど、自分と世界とを見つめ直す、とてもよい演習の機会を与えてもらったと思う。

そういう意味では、神様に感謝したい。

だからといって、人は幸福からは学べないものだ、などとは思わない。
きっと、私が幸福からきちんと学ぶことができないほど愚かだっただけだ。

それで、今日思いついて、明日には忘れてしまうかもしれないことを一つ、メモしておきたいと思う。

天皇制のこと。
天皇ご夫妻が避難所を訪れ、膝を屈して被災者ごとに耳をそばだてて(お二人ともご高齢、ということもあるのだろうが)話をひたすら聞く姿勢は、私を勇気づける。

でも、その天皇夫妻の姿をみると「日本人が皆癒される」と報道されると、いささかむっとする。


この天皇夫妻、つまり「日本文化」を統べる象徴天皇二代目は、「日本人」にしか通用しないとこの人たちは思っているのだろうか、と。

私にとっては、天皇夫妻の避難所訪問は(むろん日本の宮内庁的政治パフォーマンスの関数に関わるのではあろうが、それでもなお)、「世界」の問題であり、「自然」の問題でもあり、「宗教」の問題でもあるのです。

日本なんていう「共同体」だけに帰属させるには勿体ない。

このあたり、太田光=中沢新一=宮台真司系列の発想、ってことに分類されるのかもしれないけれども、私は「日本」を称揚する共同体主義的な文脈に「絶対化」されてしまうことは、天皇を結果として矮小化する手続きに入ってしまうのでは、と思うのですよねえ。

だって、文化と伝統を司る「王」が、被災民に膝を屈して「共鳴」するのよ。
これは「世界」と「自然」と「人為」の関係を記述するべき宗教性を持つよねえ、どう考えても。

その「力」を「社会」とか「共同体」としての「日本」に回収してはほしくない。

「公共的なるもの」の場所に、この祈りを送り出す手立ては本当にないのか?

スピノザ関係本を2ヶ月ぶりに開いて、連休の始まり、そんなことを考えはじめています。

今、この天皇夫妻の身振りと、日本という「社会」や日本という「共同体」の枠組みだけで受容して終わってしまうことは、東日本大震災を「国難」と捉えるぐらいアナクロだと思ってしまうのです。
勿体ない!
この項、つづく、ですね。

本当の弱者は共同体の中の「蛙(かわず)」なのかも。

2011年04月28日 20時56分03秒 | 大震災の中で
今日書いていて、改めて考えたことは、

本当に「公共的なるもの」から一番遠い者は、擬制的共同体(たとえば役所、たとえば企業、たとえば学校)の中の「蛙(かわず)」たる私(たち)なのかもしれないってことです。

他人が「他者に対して閉じている」、と戦闘的になるのは割合簡単なのだけれど、「公共的なるもの」に対して瞳を開くこと自体、難易度の高い技なんだなあとも。

なにやら力んで「正義の味方」になってもしょうがないしね。

いろいろ考えちゃいました。

大阪市で、透析患者用避難所が利用のないまま閉鎖。

2011年04月28日 20時34分41秒 | 大震災の中で
大阪市で、透析患者用避難所が、総工費1億円以上かけて準備されたけれど、実際には「遠い」ということで1件も利用されないまま閉鎖される、というニュースを昨日見ました。

なんだか切なくなりました。
ムダっちゃムダですよね。
でも
>平松市長は27日の定例会見で、「緊急時、命に関わるという状況でのバックアップを
>させていただいた。結果的にそうだからといって、何もかも無駄にしたのか。
>バックアップってそういうものじゃないですか?」と語りました。

納税者に対する弁明の言葉として十分かどうかは分かりませんが、被災地に住む者としては、その気持ちと準備を心から感謝すると共に、1億円以上のことはとうてい死ぬまでできないけれど、そういう風に「バックアップ」してもらったいっけん「ムダ」に見えるようなことでも、どこかで誰かにバトンタッチしていきますから、とエールを送りたい気持ちになりました。

それで思い出したことが一つ。

福島市から、外国に避難しなくちゃならない人を送り出そうとして新潟周りで大阪まで行き、ようやく1週間かけてオーストラリアに避難する人を送り出した友人がいます。

その友人が、一仕事終えて関西に逗留していたら、避難してきたのか、と堺市の人に問い合わせを受け、
「いや避難民というわけじゃないんだけど」
といいつつ話を聞いてみたところ、堺市では避難民のための住宅を2000戸用意する、というのです。
友人は、その話を聞き、行きがかり上福島市と連絡を取って、避難のコーディネーターみたいなことをすることになったのです。

ところが。

福島市のお役所の担当者は、堺市の避難住宅を、福島市に避難してきた人に斡旋することはできません、という回答を返してきたというのです。

つまり、福島市に避難してきたのに、さらに自分の市から別のところに避難しろといったら、福島市では安全ではないからということになってしまうから、ということなのかな?

理由はともあれ、とにかく堺市の避難住宅への避難民の斡旋は、福島市役所ではできないっつー話になったそうです。
でもさ、福島市は体育館に数百人とかいう避難所なわけですよ。片方は2000戸用意ですよ。
堺市では、迎えにも行く、足も用意するっていうのです。
劣悪な環境に黙って押しとどめるお役所って、なんなんでしょうね。

結局そちらの話は南相馬市長さんの方に個人的な連絡網でつなげたそうですが。


大阪市の透析患者さん用の避難所の利用がなかったっていうのは、もしかすると、友人の話の中の福島市のお役人のように、あるいは私が今日おつきあいさせられた福島県の誰か分からないけれどお役人のように、コーディネートして最適なサービスを避難しておられるフラジャイルな状態の人々に提供しようという気持ちがない輩が、隙間を埋めようとしなかったこととに、原因の幾分かは求められるのではないかな、なんて想像しました。

この案件についてはもちろん空想の域をでません。
でも、需要が全くなかったというよりは、適切な情報もサービスも、末端まで届いていないってことは、非常に高い蓋然性を持って想像できます。

私がここで繰り返し書いている「公共的なるもの」に対する瞳の健康さっていうのは、共同体なり社会制度の「人為」が裂け目を抱えたとき、弱い者からその裂け目・隙間に飲み込まれてしまうから、「公共的なるもの」っていうのは、その裂け目に瞳を凝らさないとだめなんだってことです。

共同体的なるものや、社会的なるものは、「人為」のリミットの中で「自然」と出会った時、決定的に無力だと感じるのです。

「公共的なるもの」に対する視線は、そこでこそ立ち上げられなければならない、と思う。

フラジャイルなもの、その場所に立って支えを失い声を失い「あえか」な状態になってなお「生きる」ことを受動的に選ばされたもの。

「公共的なるもの」はそういう地平を否応なく開いているし、公共サービスは、その「公共性」に対して開かれていなければならない。

公務員の一人として、こういうときに守備範囲を墨守している外野にはなりたくないものです。

むろん、法律をないがしろにしていい気分で権力を私物化した公務員が、スーパーマンよろしく人助けをするようなナルシシズムを推奨しているわけじゃありません。

良質な従僕は、木で鼻を括るような「執事の言」に満足するのではなく、規範をないがしろにするのではなく、しかも「主」の意図を汲みつつ、可能な限りのサービスを探し求めるものでしょう。

大阪市の「バックアップ」の信号に対して、フクシマの「従僕」たちは十分に応えるアンテナを持っていたのか?
本当に無用の長物だったのか?

被災を受けている側のお役所は正直それもまた「戦場」だろうと思います。
いっぱいいっぱいで、「最適解」なんて出せるはずもない。
一つ一つの対応には、悪意があるというより、混乱とむしろそこにも二次三次の被災の「結果」が隠されているのかもしれない、とさえ想像することも必要でしょう。

そういうときだからこそ、隙間を埋める仕事ができればいいんでしょうね。
応えてもらえない不幸を嘆いたり不実を憤ったりすることもあるだろうけれど、何ができるか、どんなサービスが重要なのか、そしてそれをどうタイムリーに届けられるか。

ボランティアのベテランとかサービスの熟練者は、きっとそのあたりのバランスを見ながら仕事を進めていく感覚がプロなんでしょうねえ。

んー、ちと、仕事でいろいろこれから頑張らねば。
実は災害が一段落してからがサービス業の勝負、かもしれませんね。

とにかく大阪市や堺市の「バックアップ」の心意気は受け止めたいです。
震災を身近に肌身に感じるからこそ、反応が早くて適切だったんじゃないかな。
むしろ、震災素人の側が、そのサービスを使いこなせなかったのかもしれません。
その上で空振りはお互い残念だから、どうサービスを提供できるか、もは考えていってもらえたら、と思います。
大阪市も頑張れ、マイペース!







4月28日木<今日びっくりしたこと>

2011年04月28日 18時07分48秒 | インポート
今日びっくりしたこと
私の勤務する福島県立の高校では、双葉・浪江地区の高校生がたくさん編入してきます。
今日の午前中、オリエンテーションがありました。

びっくりすることに、教科書と副教材は、自費、との連絡が管理職からありました。

被災者の流された購入済み教科書は、無償で再配布されますが、転入の場合は流された教科書ではないので、無償配布の対象にならない、とのこと。

もしもし、っていうかんじですよねえ。

災害の救済のための法律は、流された「モノ」の補填が目的。流されたものと同じものなら対象になるけれど、人間が移動したことによって生じる教科書の変更は、対象にならないというのです。

でもさ。被災者は、誰でもやむを得ず、元の場所に住めなくなったから、移動するわけじゃん?

今避難して、転校していっている人々は、どこの県でも高校生は教科書・副教材を自費で購入することになってるのかなあ。

同じ高校生で、転校を強いられた生徒は結果的に自費で、同転校せずただ同じ高校には通えるけれども教科書が流された人は保障されるってのは、現場的にはい納得がいきません。

仕方がないから、個別に出版社に電話。
すると、
「本当に県がそう言ったんですか?」
と聞き返されました。
ま、普通そうだよね。

なんとなく雰囲気は推測できる。
法律上、流されたものと別のものにはその予算は使えないって縛りがあるのかもしれない。
ともあれ、別の形でなんとかしなくちゃならないのはお役人だって百も承知だろう。
でも、今オリエンテーションをやるこの時には、被災して転校した結果、新しい学校で使う教科書は「自費」です、と、取り合えずばアナウンスしなければならない。

それに手当する場合は、法律上、別の予算を考えなければならないから。
そして、該当する法律がなければ、残虐ではあっても、お役人はとりあえず今のところは木で鼻をくくるような答えをするしかない。

いずれなんとかはするのでしょう。

とりあえず現場の私たちが、出版社におねだりをすることになるわけです。それでいいっちゃいいんだけど。

でも、組織的対応のレベルだべさ、政府指示による避難範囲なんだぜえ。

教科書代も東電が保障=補償すべきだってのは、まあ理屈としては成り立つけどさあ。
なんか、極めて釈然としない思いをいだきました。

つまりまず「人」、じゃなくて先に「モノ」と「カネ」と「手続き」なんだよね、ここでも。それが違和感を覚えた理由。
まあ、義務教育ではないわけだし、自分で使うものなんだから、費用負担はあってしかるべき。
被災者だから全て無償であるべきだ、と決めつけたいわけじゃないのです。

でも、なんか隙間があくと、弱い立場の人、つまりは被災している方に、結果としてしわ寄せがいく危険性は大きい。

人間の仕事は、本来そういう隙間の場所でしていくべきものなんだなあ、と改めて思いました。

オレらが声を代わりに上げればいいんだよね。お役所が「正しくない」のではなくて、法律がそうなんだから、それに不満を持ってもとりあえずは仕方がない。
どうすればいちばんいい方法が選べるのか、間に入ってきちんとした情報やモノやお金や、感情までを含めて、流通をサポートしていくのが仕事なんだなあ、と。

とりあえずは教材確保、です。








公共性について(続き)

2011年04月27日 21時34分00秒 | 大震災の中で
4月27日(水)のこと

ここ一週間、避難所訪問の報道を三件見た(芸能人のそれについては別途)。

東電社長/菅首相/天皇

である。

公共性について考えるとき、とても示唆的だ。

まず東電社長の避難所訪問は非常に切ないものだった。

被災者にとっては、その最大の原因を直接産み出した会社の責任者である。
直接的になんの落ち度もないのに、突然住み慣れた家、町、学校、職場、コミュニテイを失った無念さは、想像するにあまりある。
社長個人に謝ってもらったところで何の解決にもならないのは百も承知二百も合点で、なお声を絞り出して怒りや憤り、悲しみや苦しみを吐き出さねばならない。
また、その被災者の思いを想像するだけでこちらの胸が苦しくなってしまう。
社長の立場は、このときないに等しい。だが、やはり損害を出した企業のトップとしては、避難所訪問を避けて通れないだろう。
それがどれだけ形式的なものだったのか、あるいは誠意に満ちたものだったのか、網羅的なのか、一カ所もしくは数カ所でお茶を濁したものにすぎないのかは続報もないのでわからないが、役割として考えると、これはこれで個人的に想像することも難しい「仕事」である。

原理的には取り返しのつかないことをしてしまった責任であり、かつ、個人で背負える範囲や量、質を大きく超えている。
自ら反社会的行為と知っておこなった犯罪とはまた異なり、責任の所在や責任の取り方も難しい。

どうすればいいのだろう。

福知山線の列車事故の遺族の方の一人が、「なぜそこで死んだのか、状況や原因、起こった出来事をきちんと知りたいのです」といっていた言葉がとても心に沁みる。

共通する点も多いが、また違う困難さや複雑さもありそうだ。

いずれにしても、東電社長の避難所訪問は、言葉にしえない、石の塊を呑み込むような辛さを覚えた。

それに対して、菅首相の避難所訪問は、出来事としての重さが異様に「軽い」。

つまり、彼にできることは限られているのが、みんな分かっているのだ。
政府の難しい仕組みなんてわかるわけはないけれど、首相だからといって、何かを現場で決定したりはしないのだろうな、と思う。
それこそ、「予想外」のことはあり得ない、とみんな「分かってしまっている」し、菅首相は、本当にその理屈の範囲でしか動かないヒトなのだ。

じゃあ、どんな政治家ならいいのだろう。

情動の不安をを言葉ですくい取れる人

それは必ずしも今までの日本の政治家に求められる資質ではない。

メディアリテラシーと共に、私たちが求める首相像は、困難な課題の一つかもしれない。
震災や今回の原発事故で、首相がこの1ヶ月で出来たことは、個人の能力に左右されることは必ずしも多くないと思うけどね。

さて、三つ目が天皇夫妻の避難所訪問。
都内の避難所、埼玉県、茨城県、宮城県と各所を訪問し、ある記事には、各グループごとにひざを折って慰問、とある。

この三者を並べるのも失礼な話だが、天皇夫妻の慰問は、とても心が癒されるにちがいない。

なぜか。こらもむずかしいが、ポイントの一つは「無力」さ、だろう。

おそらく、人為を超えた災害に対して、日本人のトップに位置する「王」が、無力である被災者に、聖なる立場でもありつつ、同時に無力でもありつつ、寄り添うことに深い意義があるのではないか。

天皇は、天然記念物的でフラジャイルな存在であり、にもかかわらず粘り強く日本の政治的文化的宗教的シーンを生き抜いてきた類い希なる装置だと思う。

この項目は継続して考えたいが、共同体主義によってこの天皇の大切な「力」が性急かつ強力に回収されてしまうことには、留保の意を表しておきたい。

むしろ、人為的「社会」には収まらない部分への通路と持ち、自然と人為の境界面を統御し得るような、働きがあるんだろうね。

原発事故の現場が
「公共性」
を背負って「巡礼地」となる、ということと、天皇の被災者慰問は、おそらく無関係ではないと思う。

政治的にいろいろ使われちゃうから難しいんだけどさ。

今考えている「人為=&≠自然」にも関係して、この項目要検討です。


4月26日(火)のこと<社会的・共同体的であることが「公共性」を隠蔽する>

2011年04月26日 23時59分04秒 | 大震災の中で
再び、「公共性」について。

「社会化」という制度による囲い込みは、むしろ「公共性」のありかを隠す場合がある。

「人為」という概念も、人間の営みはまあ全て「人為」っちゃあ「人為」で、それ以外の残余を「自然」って呼べば、
「人為」vs「自然」
という二項対立は一見成立するけれど、「公共性」を考える上では、
「社会化」という概念も、「人為」と「自然」を対立させる考え方も、むしろ邪魔になることがあるのではないだろうか。

ここで「公共性」についてこだわっておきたいのは、「開かれている」という視点である。

そう、だから「私的」vs「公共的」という二項対立も、今はあまり役に立たない考え方、として扱っておきたいのだ。

「公共事業」とかいっても結局は一部業者のためで、実際に公益性の観点からみてどうかと思う、なんてこともある。

復興を促進するという公益性の観点から、津波の災害にあった地区の土地やがれきなどの「私有」を制限する、なんて議論も持ち上がっている。

「公共的なるもの」

をどう捉えるか。それは、「開かれた空間」をどう確保するか、ということと密接に関わっているのではないか、というのがとりあえずの仮定、かなあ。

つまりね、東電が社会的制度の狭間で「私化」していた原発が、事故によって(それ自体は大変不幸なことだけれども)空間的に「開かれたもの」になってしまった。

結果として、「私化」していた、いわば「人為」の極みであるはずの原子力発電所が、大震災に関わる諸条件、つまり「自然」によって大きな「裂け目」を与えられ、「原発事故」と化し、そのことによって「公共的なるもの」の相貌を露わにしたのである。

そんなものは「開かれたもの」になる必要はこれっぱっかりもなかった、と考えることはできる。
でも、やろうとして「人為」がそれを行ったわけではなくて、「自然災害」がきっかけになってそうなった。
とはいえ、それは「人為」の極北においてそれが「自然」の極限的状況と出会うことによって、初めて周囲にその「全容」を現したのも事実。

つまり、この問題は「人為」と「自然」の「コラボ」なわけです。

津波の被害も同じことが言える。

海沿いに住まなければ、みんなが高台に住んでいれば、津波で住居がさらわれることもなく、人命が奪われることもなかった。それはみんな痛いほど分かっている。
でも、どう考えても、漁師の人が山から1時間かけて通勤してくるってわけにはいかない。
あるいは、昔から慣れ親しんだ土地から離れるわけにもいかない。
水揚げされた水産物を加工するのに、港のすぐそばにかまぼこ工場がなくてどうする。

自然は、人間の営みの上に降り注いで初めて「災害」という「裂け目」を私達の瞳につきつけてくるのだ。

グランドキャニオンを見ても、「自然の驚異」とは感じても、「自然の脅威」とは決して思わないだろう。
私達はあくまで「人為」の内側に、「自然の猛威」を感じ取るのである。
「人為」が裂け目を現すその瞬間にこそ、「社会化」され「功利的」に組み立てられた「人為」を超えた、「公共的なるもの」を、負の形で感得することになるのである。

むろん、「私的」なもの、他者とのつながりを欠いたもの、に対して「公共的なるもの」が想像され、また営まれてきた側面はあるだろう。

「共同性」

もまた、「私」と対置される概念であり、ある面では「公共性」を担う場面もあるのだろうと思う。

しかし、「公共的なるもの」を、ここでは敢えてずっと「負」の側面から論じている。

「公共的なるもの」などとミスリードなことを言わず、日常性の崩壊、生活基盤の喪失、未曾有の大震災、と言った方がずっとずっと分かりやすいですよねえ。

でも、そうなると、たぶん、生活基盤の手当=復旧=「日常性の回復」=忘却装置の再起動
ってことにしかならない。

それを拒みたいのだ。
なぜなら、その日常性という忘却装置の駆動こそが、原発事故がこんな形で起こるまで、本来「公共的なるもの」の最たる案件であるべき「原子力発電所の問題」が、自分の日常以外の誰かの問題と化した原因の一つである、と思うからだ。

原発事故が起こるとは全く思っても見なかったのに
安全だと言われて安心していたのに。
こんな風になると分かっていたら反対していたのに。

もしもし、ですよねえ。

少なくても、「フクシマ」の住民は、薄々、一端ことがおこったら「やばいぜ」ってのはどっか肌で感じていたはず。
でも、日常性への回帰という忘却装置の駆動は、強力だったのです。
薄々感づいてはいても、まあ、いつ起こるか分からないし、ってことは明日までは大丈夫かもしれないしね、みたいな。

もちろん、電源立地の法律による補助金ドーピングもそこにはあり、過疎地の雇用創出という現実もあり、実際割と「地震」には強かった、という説もまんざら嘘ではなかったりもし(日本の地震に津波はつきものじゃーん、そしてチリ地震みたいな遠いのだってけっこうな波だったんだから、近場ででかいのおこったらやばくね?ってのは後から考えればほぼ当たり前みたいなのにね……)、さまざまいろいろ忘却要素はあったわけですが。

その社会化し、私化し、日常化した空間を「公共的なるもの」に再起動してくれたのは、
皮肉にも
「人為=&≠自然」としての大震災であり、原発事故であったわけです。

「開かれている」ということは「地獄」にも開かれているってことなわけですね。
「死」にも開かれている。

だから、「人為」はそれを「社会化」し「制度化」し「日常空間」に取り込んでなんとか「閉じた」ものにしようとしてしまった。

「人為」が「閉じた」営みであることが当たり前になってしまったのはいつからなんだろう?

そういうことも考える必要がある、と思うのです。

人の営みはもともと、そんなに「閉じた」ものではなく、「公共的」なものだったのではないか。
「共同性」とか「国家」とかに簡単に回収しようとするのはたぶん無理なんじゃないかなあ。

そのあたりをうろうろ考えたいってことなわけです。
ちょっと立ち止まってぐだぐだしてみました。

参考図書『公共性』齋藤純一(岩波書店)







公共性と共同性の差

2011年04月26日 22時20分46秒 | 大震災の中で
学校は、いちおう地方公共団体の管轄下にあるから、お役所の出先現場だ。
だから全ては文部科学省が決めた枠組みの中で動く。
放射線量の安全基準もだから、お上から降ってくる。
それはまあいい。

でも、学校の全てがそのシステムで動くわけじゃない。

原発事故も、文部科学省の基準に従って爆発してくれるわけじゃあない。

このとき、「公共的」なるものは、どこに発現しているのか、という問いを問いたかっただけだ。

学校は役所の手下だから、全てはその通りに動くよりほかにない「社会的制度」に過ぎない。

しかし、保護者は、そして生徒は違う。

人為の共同性を圧倒的な力でまたぎ越して降り注ぐ、原発事故による飛散放射能もまた、違う。

学校は現在、「社会的制度」の産物で、「公共性」とはむしろ遠いところに置かれている側面がある。
「公共性」はむしろ災害の側にあって、学校は「社会的制度」に支えられた「共同性」のお約束の上でしか機能していないように思われるのだ。

だからもどかしい。

今、圧倒的に「公共的なるもの」の源泉は、大震災と原発事故の側にある。

そして、保護者も生徒もその「人為=&≠自然」という「公共的なるもの」と、じかに向き合わされている。

いくら政府の指示を待っていても、それはほぼ遅れてしか立ち上がらない。
だからといって、無視できるわけではない。
私達の目の前の事件は、単なる「社会的事件」ではないけれど、単なる「天然自然の驚異」でもないからだ。

「人為=&≠自然」

とか、

「公共的なるもの」の源泉

とかいったこなれない言葉で敢えて、大震災や原発事故を敢えてすくい取ろうとするのは、人為と自然の裂け目に、私達は今もっと茫然として瞳を凝らすべきだと、真剣に考えるからだ。

答えは、もちろんそこにはない。
問いかけることばも、私達は持たない。
ただ、茫然として見つめる。無視はとうていできない。命がけの出来事なのだから。

そういうとてつもない事件の現場にいるのだということを、啓蒙する義務があるように思うのだ。
誰に頼まれたわけでもないのに、ね。

今日、東浩紀が「原発20キロ圏で考える」という記事を朝日新聞(2011.4.26火曜日 12版 文化欄)に寄稿していた。
記事の末尾ちかくの、二つの言葉が印象に残ったので引用しておく。

(引用その1)
「町を捨てるとは、単なる人口の移動ではない。それら無形の財産を無残に破壊し放棄することを意味している。(中略)、取材を経て、今後原発のコストを巡る議論には以上のような「喪失」を算入する方法を考え出してほしいと、それだけは切に願うようになった。喪失の大きさを忘却したところに、復興も希望もありえない。」

(引用その2)
彼(福島県在住の詩人:FOXYDOG注)がふと漏らした「ぼくたちはどこかでこの事態を予感していたと思う」との言葉が、いまも心にのしかかっている。

二つとも同感。しかし、引用1についていえば、それはどうしてもソロバン勘定には乗らないものでしょう。
「町一つが消える」
っていうのは、ほぼ「小説的想像力」=「妄想」に近い。

この場合、津波自体が町を飲み込んだわけではなく、原発の事故自体が町を焼き尽くしたわけではない。

「人為=&≠自然」

「町一つが消える=町一つを消した」
のだ。

人間の営みが自然の摂理と出会い、引き裂かれて空白の闇、時空間の凍結をもたらしてしまったのである。

引用2については、

むしろ私にとっては、

「いったい福島県に住む者の誰が、この事故を『考えもしなかった』と言えるだろうか」

という反語の方が身に寄り添う表現なのだが、指し示そうとする→については深く同意する。


私達は原発がそこに稼働している限り、今日のように「町一つが消える」という事態を、全く想像しないでいられるほど愚かではなかったと思うし、他方、その想像だけを頼りに原発を否定できるほどナイーブでもなかった。

遠く離れた人なら、本当に「想定外」とか「知らなかった」とかということも可能かもしれない。
原発賛成とか反対とかも議論できよう。

でも、福島県の住民にとって、今日の事態は、そんなに予想だにできなかった天から降ってきたようなあり得ない事故、ではないんじゃないかな。

そういう意味では、詩人の言葉はすこし飾りが過ぎるだろう。

「予感」、じゃなくて「想像の範囲内」だと思うよ。

想像の範囲内なのに、止めることができなかった「人為=&≠自然」の姿を、だからせめて、茫然としてでも、手遅れになりつつも、瞳を凝らそう、と思うのだ。


もし、詩人が本気で「予感」と言ったとしたら、彼は瞳を逸らしていた、というだけのことだろう。
詩人の言葉は、そういう形で力を発揮してはならないと思うのだが、余計なお世話だろうか。

単なる訪問者に過ぎない東浩紀氏が引用してみたくなる気持ちは分からないでもないけれど。

「分かっていたはずなのに
後になってからしか予感できないことがある」

っていうのなら、賛成に一票。








共同体と公共性の差

2011年04月25日 22時16分37秒 | 大震災の中で
知人<仙人広場>がブログで書いていた共同体と公共性の差異、が気になっている。

国が基準で定めたから、と県がその基準に従い、学校の現場作業員たる教師はその指示に従って動く。
3.8マイクロシーベルト/h
地上何センチだったか忘れたけど。

このルールは何を基盤として流通するのだろう。
どういう共同体の前提があるのか。
あるいはどういう「公共性」の基盤に支えられているのか。

こんなルールは、この原発事故の持つ負の「公共性」に対応・対抗できてるんだろうか、と考えて、不安になった。

原発事故に「公共性」なんて下手な「比喩」を使うな、と怒られるだろうか。
しかし、比喩のつもりはない。

この事故は、「公」のものだ。

それに対して、3.8マイクロシーベルト/h以下の基準値を満たしていれば校庭で活動しても「安全」です、という国のアナウンスを待っていた福島県とか、その指示を待っている福島県内の学校現場には、「公共性」の意識があふれているようには感じられない。
共同体的な納得さえ存在しない。

擬制的共同体のアノミーを感じるだけだ(小室直樹による)

誰かが「安全」だと決めてくれれば、それに従う
という感覚だけがある。

これはものすごく「気持ち悪い」。

ここには、誰かが決めるしかないとしたら、それを決めるなら国だろう、みたいな開き直りはある。
そして、この開き直りは「思考停止」を伴っている。

そこが気持ち悪いのだ。

原発事故の危険性それ自体は「負」の不安とともに、私達を「公」の場に送り出した。

だが、私達が持っている仕組みは、原発事故の飛散放射能がもたらす放射線量に対する、文部科学省による安全基準値の設定以外に、「公共的」なるものを提示して立ち向かっていくことができていない。

ここには、仕方がない、という「共同体」に馴致されてしまった心性が見え隠れする。
生きている共同体の論理ではない。擬似的に制度化した、長いものには巻かれろ的な「死んだ場所」の論理だ。

少なくても「公共的なるもの」を共有し、構築しようとする意思と、それに呼応する勇気と連帯は、見えてこない。

そんなものは不要、だろうか。

私達の生命と安全を守るために、「制限区域」とか「安全基準」とか「避難」とか、そんなことしかできないのだろうか。

闘っているのは、東電の経営者ではなくて、現場作業員。
地域にいるのはお上ではなく、市民。
東京の指示に従い、東京の基準に従い……それって、原発事故と同じじゃねえ?

と、ふと思う。

共同体の内部でのみ通用する「ルール」と、公共的なるものを構築していく中で「通用していくルール」とは、違う、と切実に思う。

哀しいのは、お上からくるルールに私達が「違う」といえるのは、原発事故という負の「公共性」を抱えている限りにおいてでしかない、という自分の擬似的な「共同性」の発想だ。

それでも、ないよりはましだろう。っていうか、抑圧され、そういう場所に追い込まれて現状=原発を肯定させられてきた者たちにとっては、その現状から生まれた「負」の公共性以外に武器はないのだ。

花田清輝的、って言われてしまうかな?
でもせめて「弱さ」を武器に、「傷ついた」負の洞穴=原発事故をもう一つの中心に据えて、楕円的発想ぐらいはしておきたい。

設定したルールを守り、想定外のことが起こったら仕方がないとあきらめる……そんな自分たち内部の一元的ルールだけでものごとをすすめる擬制的共同体の一員として生きたり死んだりするのだけは、それだけは願い下げにしたいものだ。


4月25日(月)のこと(その3)<枝野官房長官といわき市長>

2011年04月25日 21時24分34秒 | 大震災の中で
25日の枝野官房長官の会見に、「いわき市」への言及があった。
詳しくは後述のリンクを参照してほしいが、

簡単にいうと、

1,4月22日の官房長官記者会見で、いわき市は全ての制限区域から外れて「普通の地域」になった。

2,官房長官は、そのとき「いわき市の強い要望があって」と説明した。

3,その直後、いわき市長は、「強い要望なんてしてない!」と抗議。

4,25日、官房長官が謝罪して訂正した……

という話。

国=枝野さんが責任逃れをしようとした的指摘もあるけれど、この場合は(枝野さん的立場から考えると)「地方の意向を汲んで」というアピールだったと見るのが妥当では?

そのアピールは、
「いわき市」=「普通の地域」なんだけど「普通」の中では最前線基地だもんね=臨界面=中途半端な難しい場所なんだよ的側面を、「いろいろ配慮し」た結果だ、というための言及だったのではないか。

いわき市長はそりゃ
「おまえが言ったから安全宣言したんだぜ」
みたいに言われたら立場がないから、当然訂正要求するよねえ。

22日、いわき市長はいわき市HPに市長コメントを発表

http://www.city.iwaki.fukushima.jp/10327/10395/011228.html
(引用開始)
本日、国より「福島第一原子力発電所から半径20キロメートルから30キロメートル圏内に指示していた屋内への退避を解除する。」通知がありましたが、私は本日発表された内容について、4月11日の時点で国から説明を受けておりましたので、いつ屋内退避が解除されるのか気をもんでいたところであります。正直申し上げ、国の対応は遅いと受け止めております。
市民の皆様には、いわき市の「屋内退避地区」指定が解除となり、国が正式に本市の安全性を認めたものであり、あらためて「いわきは安全だ」ということで、御安心していただきたいと思います。
(引用終了)

と書いてる。
「国の対応は遅い」→「早く解除してほしい、と思っていた」
と普通は読める。

正確に読むと、11日には国から聞いていたのにそれが10日以上も遅れて発表になったから「遅い」という文脈なんですけどね。

当たり前のことを当たり前に言っているだけ。タイミングの問題もそりゃあるけれど、どういう「意向」を持っていたのかといえば、「安全宣言」したかった、のは明らかでしょう。

「国の対応は遅い」とは言うが、国に「強い要望」はしていない、というレトリックは正直分かりにくいです、いわき市長さん。


とはいえ、このブログでも繰り返し書いているとおり、正直いわき市が本当に難しいところに立たされているのは間違いない。


ただ、いわき市は、官房長官会見の次の部分は真剣に受け止めて対応してほしいと切に願う。
「安全宣言」だけでは、賭け金を半分にしか張ったことにならない。


>市自らの組織的な避難準備等もしっかりと整えるということなどを前提に

この内容をしっかりと素早く市民に提示してください。

官房長の記者会見では、「いわき市は安全だ」なんて話には全然なっていない。
いつでも逃げられるように準備することを前提に、ってところは25日でも訂正されていないのです。

本当は、国の避難準備区域の指定になるかならないかより、きちんと危険に対する準備がなされることの方が大事。

「安全宣言」でこと足れりとして、「よしあとは復興だ」、なんてなりませんように。

第一原発は、いつまた冷却が不安定になって爆発しないとも限らないのですから。

「よしあとは復興だ」ってのは「市外・県外」の外向きのメッセージでしょう。
もちろん景気づけも必要です。

でも、同時に、きめ細かくいざというときに備えての避難準備計画も進めていくってのが前提になってるはず。

市民はけして安心なんてしていない。
仕事があるから、子どもの友達がいるから、家があるから、年寄りが避難しないっていうから、親戚がいるから、あるいは、ずっと今まで家がここにあったから、肉親とここに住んでいたから、やっとの思いで踏みとどまってるんじゃないのか?

その装われた冷静さ、の心意気に通じる言葉を持って、発言してほしい。

心に通じることばは、けっして「いわき市は安全だ」じゃないと思うよ。



------------------枝野官房長官22日&25日の記者会見---------------------

asahi.comからのリンクを参照のこと。

25日記者会見の当該部分
http://www.asahi.com/politics/update/0425/TKY201104250218.html

 「私の22日の記者会見で、計画的避難区域等の説明を行った際、質問に答えて、いわき市からの強い要望により結論を出したと受け取られかねない答えをした。これについて、いわき市長からそのような認識はない旨の申し出をちょうだいした。この点については、いわき市のご意向を忖度(そんたく)したものであったというふうに認識しているし、避難地域等から外れることが期待されるというご意向を踏まえたものであったとは認識しているが、若干それについて十分な認識が共有されずに誤解を招くような発言になった。このことについては、いわき市長におわびを申しあげるとともに、訂正をしたい。先ほど、市長と直接電話で話をし、このような趣旨を説明し、ご理解を賜った。重ねて文章で申し出を頂いているので、文書にて、今のような趣旨をしっかりとお伝えしたい。いずれにしても今回の地域設定は、地元といろいろと意見交換したが、国の責任において設定しているものであることを改めて申しあげたい」



22日会見の当該部分
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104220315.html

 ――20~30キロの間で計画的避難区域、緊急時避難準備区域で両方に該当しない地域と、該当しないとした判断理由は。

 「もちろん、それぞれの地域の線量であるとかリスクというかというものを安全性の観点からしっかりと踏まえた上で、それぞれの自治体の皆さんとこの間、協議をしてきた。具体的に言うと、20キロ~30キロ圏内にいわき市の一部が含まれていたが、ここはどちらの指定もなくなって、そして屋内待避の指示も解除される形になる。いわき市については線量が高いという状況ではない中で、30キロ圏内ではあるが、大規模な放射性物質の放出、つまり、原子炉の悪化というような緊急時に備えて住民の皆さんがしっかりとした万が一の場合に自力で避難ができるという態勢がしっかりと確立されるということがこのエリアの指定の目的だ。いわき市については、市自らの組織的な避難準備等もしっかりと整えるということなどを前提に、いわき市からも強い要望があって、それから安全委員会等の意見も踏まえた上で、その一部について従来の20キロ~30キロ圏内については、そうしたことを踏まえてどの指定もしないということが安全の観点からも可能であろうということの前提に基づいて、市の強い要望に基づいた結論を出した」



4月25日(月)のこと(その2)<いわき市長の安全宣言>

2011年04月25日 13時06分58秒 | インポート
いわき市の市長の4月22日のコメントも、単なる「安全宣言」の身振りに力を入れているのが見え透く、切ないものだった。

引用開始---

市民の皆様には、いわき市の「屋内待避地区」指定が解除となり、国が正式に本市の安全性を認めたものであり、「いわき市は安全だ」ということで、御安心していただきたいと思います。

---引用終了

なるほどね。

(平常時から比べれば相当高い線量が続いているわけだけれど)まあ、一時期に比べれば、そして(こういう感覚がやばい、と自分でも思うのだけれど)他の高い地域に比べれば確かに線量は確かに「低い」。

バカバカしい言い方だが、
「直ちに健康被害を起こすことはない」
という意味では、あるいは
「高地ではこれよりずっと高い線量を浴びている」
という意味では、いわき市は問題ないレベルになってきている。

で?

それがどうして「いわきは安全だ」になるのかが分からない。

風向きと雨の具合によっては、高線量の飛散放射能が降り注ぐ危険はあったわけだし、これからも、原子炉冷却が安定するまでは危険と隣り合わせで「いわき市」は、日々生活していかねばならないはずだ。

実際には、国や東電が「安定冷却」とか言い出しても、フクシマの人たちはもう、冷温状態にならない限り安心しないと思うけどね。

その市民が背負う危険や不安、にもかかわらず子どもたちをここ「フクシマ」に置いておかねばならないジレンマに、上のいわき市の市長のコメントは、どう答えているつもりなんだろう、と、しみじ思う。

まあ、聞かなくても答えはきっときまっている。

「国が安全だから、そういうこともふくめて大丈夫」

っていってくれるのだろう。

市内の「新浜公園」で、基準値を超えた福島市でも、やっぱり「気をつけていれば大丈夫」といわざるをえないんだろうね、行政は。

せめて学校ぐらい、保護者の見方(別にことさら「味方」をしなくてもいいから)に立って話ができないのかしらね。

一方でお役所が安全だ、と言い張るときに、それに疑義をはさむのは普通「変な人」しかできない。
でも、かなり異常なことがおこっているのだから、こういうときは、あまり「常識的」にもの分かりよくお役所のお話を鵜呑みにしないほうが絶対にいいと思うなあ。

「変な人」<インテリチンピラ、とよく言われます(笑)>の出番、ですね。

こういうときは、地元に根ざした自治体ぐらい、「杞憂」でいいから、多少「愚か」でもいいから、安全に大きく針を振ってもらいたいのです。

分かってほしいなあ。
ヒステリックに、非科学的に騒いでるんじゃないのです。

「狼」が本当にやってきたのだから。


4月25日(月)のこと<「保護者のことば」の見方に立てるか>

2011年04月25日 12時38分11秒 | 大震災の中で
連休中、長野の温泉に年寄りと湯治に行こうと思っていたのだが、親子で風邪を引いて身動きが取れなかった。
出発前日の夕刻にやむなく断念してキャンセル。
震災、父親の死、原発事故といろいろあった1ヶ月の区切りをつけようとしたのだが、ちょうどそのぐらいに体も疲れが来るのだろう。

結局家の中で寝込んでゆっくり、という週末になってしまった。

福島県の学校に関して屋外活動基準が文部科学省から示された。
お役所の仕事はどうしてもそうなりがちなのは分かるが、なんとも遅い。

そしてこれから先のこと、保護者の不安などには全く対応できていない、というのもいつものことだが腹が立つし、心配にもなる。

毎日新聞のサイトに載っていた保護者のコメント二つが全てを示しているだろう。

「国は(水素)爆発が起きて線量が一番高かった三月中旬に何もしなかった」

「将来子供に何か起きても『想定外だった』といわれそう」

その通り。

たぶん、この国の行政はそういう風にできているのです。
今回だけじゃなくて、これから起きることについても同じことが繰り返される懸念がある。

問題なのはそこだよね。

つまり、水素爆発の危険性はまだ去っていないのに、もし爆発が起きたら行政がどう対応するのか、どんな避難をすればいいのか。全く示されないままだ。

黙って様子を見ていて、言質を取られないようにし、「想定外」とまずつぶやき、「全力で対応」という振りをし、パニックを起こさないように一部の人間には黙って放射能を浴びてもらい、その後事態が収まってから、だめだったところには「ごめんなさい」、大丈夫なところには「安全です」という。

現状、その程度の対応しかできないのだ。

福島第一原発の周囲20キロの警戒区域に至っては、いつ戻れるのか今のところ見当もつかない状態が続く。

福島県の教職員(小中学校)の採用試験が中止になったという。避難などによる100クラス減のため、とか。
子どもたちの安全を考えれば避難するのは当然だが、残った子どもたちの保護者が、
「もうフクシマはすっかり安全だから」
と考えてフクシマにいるわけではないだろう。
友達のみんながいるところで学びたい、と子どもたちは思う。
だから、踏みとどまっている保護者も少なくはあるまい。
そういう子どもたち、保護者たちに、市は、県は、文部科学省は、果たして十分な手当をしている、と言えるのだろうか。

もちろんことさらに騒ぎ立てるばかりがよいわけではない。だが、どう考えても「安全だ」といって子どもを他の地域より線量の高い土地に縛り付けるだけでは、十分な対応だとはとうてい言えないのではないか。

行政側として、瞬間的に「安全宣言」を敢えてする、というような「手品」が必要なことがあるのは分からないでもない。
しかし、事件が起きてもう2ヶ月目である。
ここからどれだけ手厚い子どもたちへの配慮ができるか。
今後起こりえる危険にどれだけ真摯な対応が可能か。

そこに福島県の未来が、かかっている。
単純に事故のせい、、緊急時なので、予想外だから、といっていればいい時期は、そろそろ終わりじゃないかな。




4月23日(土)のこと(その2)<「日常性」という忘却装置に身を寄せずに生きる術>

2011年04月23日 18時03分47秒 | 大震災の中で
 週末、家の年寄りと一緒に長野方面の温泉にいくつもりだった。
 しかし、年寄りも自分も風邪を引いてしまい、旅行はあえなくボツ。

 キャンセル料を支払うために送ってもらった書類は、被災地のため届かずに返送されてしまった、と旅館から電話があった。

 郵便ポストには、ぼちぼちダイレクトメールやらはがきやらが届き始めているので、「返送されてしまった」と言われたのには少々驚いた。
 繋がっている、と思っていたネットワークが実はどこかに綻びがあって、自分の居る場所はその「外部」として扱われているのだ、と知ると、なにやら得たいの知れない疎外感が生じる。
 ま、被災地気分が蘇る、ということで、それはそれで「自覚」が促される効果はあるんですがね(苦笑)。

 でも、市内の郵便物や、損保会社からの地震保険の損害調査の書類は届いている。
 長野からの手紙はブロックされてるのかなあ……。

 自粛とか意味が分からない。
 被災者だって酒飲みはするし、花見もする。普通の人はなおさらだろう。

 東日本大震災と福島第一原発事故の傷跡は、自粛するしない程度の小さな出来事ではないしね。
 ずっと、これからの日本を考える上では、通奏低音のように底流に流れ続けていく「事件」だから。

 そういう意味では、私達の基盤を根底から考え直させる「力」のある出来事として、捉え直していけばいいのだろうと思うし、そうしていくしかない。

 お風呂に入り、水を使い放題にしているとき、ふとあの断水の(併せて)10日間ぐらいの日々を思い出す。
 雨が降ると、原発事故で未だ飛散し続けている放射能を思い出す。
 海岸線を走ると、あの恐ろしい壊滅した住宅地が瞳の奥に蘇る。

未だ避難所で生活している家をなくした方々に比べたら被災者とは呼べないような、無事家に住んでいる自分でも、3/11以前と以後では、決定的に物事を見る角度が変わってしまった。
自分は、あのとき以前にはもう戻らないのだ、と分かる。

これから先、残された時空間をどう生きていくのか。
それが幸いなのか不幸なのか、いいことなのか悪いことなのか、という二分法じゃなくて、否応なく選択してしまった後、選択させられてしまった後、を私は、わたしたちは生き始めてしまっている。

家は余震で揺れ続け、隣近所ではもう住めない家も出てきた。
雨漏りが次第にひどくなる家もあると聞く。
同僚の家も、3/11の時は無事に見えたのに、傾きがしだいに大きくなってきて、ビー玉が転がるようになった。
まだ住むことが出来ている自分の家も、壁のひび割れはどんどん大きくなっている。

薄膜の上に、それが堅固な大地だと勘違いして安穏と生きてきた時は、私にとっては終わった。
ノマド的な生き方、にすぐ乗り換えられるわけではないけれど、私はもともとこの土地の住人でもない。
また、どこかに移住することも考慮に入れることはできる。
そこからもう一歩進んで、動きつつ生きる、といった感覚を持ってもいいのかもしれない。

1000年に一度の災害を「考慮」していたら何もできない。
だから、何事もなかったように、何も変えずに生きていく、とうそぶく人もいる。

それはそれでいいだろう。私は、そんな風に生きられる人が正直羨ましくもある。
だって、こんなに大きな「世界」の変化を目の当たりにして、
「何もなかった日常」=「劇場」=「箱庭」
のみを、自分の世界像として改めて選び直す頑固さは、信じられないものね(苦笑)。

それでもフクシマ第一原発は、リアルタイムで危険をはらみつつ発熱し続けているのです。

この決定的な変化について、慌てずに私にしては珍しく「粘って」考えていきたい。



4月23日(土)<「爆発の危険」は続いている>

2011年04月23日 17時18分35秒 | 大震災の中で
昨夜から雨が降り続いている。
桜の咲く頃の暖かい春の雨は心地よいものだが、今年はそうのんびりしたこともいえない。
いちいち原発と結びつけて考えなければならない状態が続いていて、それが相当なストレスになっている、と気づかされる。

考えてみれば、不信は、水素爆発の時に始まっている。あの爆発によって飛散した放射能の影響により、何のアナウンスもないまま、福島市や飯舘村は高い放射線量を記録した。
そういう状況を放置しておいて、十分な説明もないまま、IAEAの勧告があってさえ、現況安全だ、といいはっておいて、結局は避難の強要である。

今回の学校に対する国の活動基準も、大人の基準をそのまま当てはめ、何の対策も採らなくても学校が始められる程度に基準を設定して「安全」だと宣言して見せただけのことではないのか?

十分な説明なく大丈夫だといわれたあげくに避難させられることになった飯舘村の二の舞にならないと、どうやって信頼できるというのか。

真面目に、このストレスと日々向き合っている市民と真剣に向き合って対話してほしい。

例えば、原発事故がまだ落ち着いていない以上、もしあの水素爆発が再度起こったら、どうすればいいのか、せめてそのときの対応ぐらいシミュレーションして市民に示す義務が行政側なはあるのではないか?

学校は安全だ、とばかりいってこどもを学校に縛り付けるのは勘弁してほしいものだ。

もし、福島第一原発であの爆発がまた起こったら、また安全だといいはった挙げ句の果てに、やっぱりごめんなさいするのかしらね。
水温が上がれば、再度の爆発は避けられない。
懸念材料として検討・説明が必要だとは思わないのだろうか。
安全なはずのものが「想定外」に大事故をひきおこしたのであれば、それにふさわしい慎重さで事後の対応はなされてしかるべきだろうに。