龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

大震災の中で詠んだ歌

2011年05月31日 06時42分02秒 | 大震災の中で
大震災の中で。

もちろん短歌など作ったことはありません。

歌というより、自然と5・7の定形に流れ込んだ「息」のようなものです。

でも、歌と言えば古来相聞か挽歌。

日常を離れた現実の中で想いを綴るためには、千年間続いてきた伝統のリズムがふさわしいのかもしれません。

ご笑覧を。
______________________

☆原発事故によせて

原発が爆発した夜
逃げるのか
残っているか
諍(いさか)いになる

震災の瓦礫を運ぶ
河川敷
埃打ちつけ
つむじ風舞う

鬼瓦
庭でこちらを睨んでる
斜めの視線に笑ってしまう

大地震で
屋根から落ちた鬼瓦
意外に重くて驚いている

余震起き
ざわめく心映すごと
庭駆け回る
老犬を呼ぶ

見る人のいない桜の並木道
誰のためでもなく咲いている

「直ちには影響ない」と会見する
君の話は誰(た)がためのもの?

嫌ならば解雇と嘯(うそぶ)く上司にも
家族がいると思う夕暮れ

オレたちが
やるしかないと
原発に向かう車で妻子を思う

「原発へここから2キロ夏の花」
そういう俳句を今思い出す

水くみを楽しみながらやっている
大震災もお祭りのごと

一週間ぶりに入った浴槽の水溢れ出す金曜の夜

ガソリンを探して街中走り行き
燃料計の針に怯える

☆病室にて

この前の方がうまいと評しつつ
病気見舞いの苺食う父

「帰りたい」
ベットの上で繰り返す
父をなだめて震災の夜

甘夏を
食べたいという
父のため
震災あとのスーパーに行く

夕方には戻ると帰った
母を待つ
病室の父は幼子のごと

大地震
すごい被害と語っても
届かぬ父の
瞳を覗く

悲しみは
過去を失うことと知る
10秒前のことを聞く父

点滴の支柱を支え
ダイジョブと
眠れる父に声かける我

病院を閉じれば家に戻すしか
ないという医師の
横顔かなし

☆家に戻って

通夜の夜
僧侶も呼ばず水もなく
家族で灯す
火の暖かさ

曇り空
献体のクルマ
待つ庭で
ついの別れを
する母の顔


不審げに茶の間を覗く
老いた犬
亡父の姿探しているか

亡き父が丹誠込めた春野菜
引き抜いて花いっぱいにする



二本松市長のインタビュー。必見です。

2011年05月30日 22時02分07秒 | 大震災の中で
友人から紹介されました。
二本松市長のインタビュー
http://www.youtube.com/watch?v=s9e8rslKFhc
福島県の首長として、もっとも見識の高い会見の一つだと思います。
必見。
山下俊一という福島県の福島県放射線健康リスク管理アドバイザー
に対する冷静な批判。
歴史の分水嶺において主権者がもっとも重要だという判断。
賛成に1票です。
http://www.youtube.com/watch?v=s9e8rslKFhc


なんだか泣けてくる。

2011年05月30日 21時16分41秒 | 大震災の中で
真夜中に、Twitterから流れてくる「福島」を眺めていると、なんだか泣けてくる(ウルフルズ)。
http://savechild.net/?p=1639
とか、
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20110526x2.html

福島産の牛乳が使われているのかどうか、を各乳業メーカーに問い合わせた電話のやりとりが記録されたサイトと、東電福島第一原発を、核廃棄物の最終処分場にしようとの案が日本原子力学会で検討中、とのジャパン・タイムズの記事のサイト。眺めているだけでツラくなる。

消費者が食べ物に付着したり混入した放射能の線量を気にするのは当然だ。
また、これだけ汚染が広がりかつ収束に時間がかかるなら、いっそ他の地域の汚染を防ぐというかかばう意味で、福島に危険を集中させる、というやり方だって、一理あるのかもしれない。まあ、そんな追い討ちをかけるように絶望的なことを考えているなんて、いくらなんでもあんまりじゃないか、とはおもうけどね。

とにかく、自分たちの営みの蓄積の全てが失われていくのをなす術なく見ているしかないのは、あまりにも辛い。

そして失われること自体も辛いが、「福島」が処理されるべき「対象」の記号となって流通することがさらに切ないのだ。
私たちの声はそこでは、まずもって「届かない」。汚染地域であることは事実で、それは個人の力ではどうすることもできないからだ。

避難しろといわれても、誰も住み慣れた環境を離れて避難などしたくはない。
しかし、放射線量が高いのだと言われれば避難するしかないし、その先はもう、精神的な基盤を失って漂流するばかりなのか?と不安と絶望が先に立つ。
加えて風評被害。でも、風評被害は腹立たしいが、愚かさは相手にあるのだからまだましだ。
問題は、自分のふるさとに帰りたいという素朴な思いを、ある種の断念しきれない「未練」として受け止められるのが苦しい。

加えて、次第に明らかになる高線量の実態、事態収束の困難さ、安定化日程の実現性への疑念を目の当たりにして、どうすればいいのか分からなくなってしまう避難者も少なくないだろう。

加えて情報は、正しいことであればあるほど、むしろ絶望的だとしたら?

もちろんそうはいっても、そっとしておかれて何も知らされないままなのはもっと恐ろしい。

ネット時代の「リアル」を生きることの困難さか。

その悩みは「フクシマ」(カタカナ表現)に違和感を覚える、ということとも関連している。

「対象」として流通し、「客体」として扱われ、処理されるべき存在になってしまった「福島」の状態が、あられもなくカタカナの「フクシマ」に表れてしまっているのではないか。

実際、へこんでばかりもいられないんだけどね……。

その疎外された対象としての「外部」の「中」にあって、私たちは、簡単には「届かない声」を、だからこそなおも発信していかねばならないのだと、誰に対してというのでもなく、言い聞かせる。

一体私たちは、「わたしは」という主語のあとに、どんな「対象」を、どんな「客体」を置き直し得るのだろう?

誰かに助けられたい、のではない。何かとひとつになりたいのではない。

どう「声」をだせばよいのか途方にくれつつ、そのことをも含めて書いていきたい。

ネットはそういうときも両義的(「両」というより「汎」かな、ふさわしい漢字は)だ。埋没するボトルメールで終わるかもしれないけれど、誤りや愚かしさ、偏りまで含めて、書きながらやり直し続けていこうと思う。公の道筋には乗らない泡のような声も、時に共鳴可能性を持つことはできるのだ、と信じつつ。


5月29日(日)のこと「山下俊一教授のコメントのこと」

2011年05月30日 02時32分12秒 | 大震災の中で
朝日ジャーナルで、鎌田實氏(「がんばらない」の著者)と、山下俊一氏(福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)が対談していた。
詳細はそちらをごらんいただければ分かるが、年間100ミリシーベルト以下の積算被曝線量の影響は「不明」だと山下俊一氏自身が認めていて、

「あえて『大丈夫だ』というわけですよ」

「微量の被曝には過敏になるな、と言っているんです」

と述べている(『週刊朝日緊急増刊 朝日ジャーナル 原発と人間』P128-P129)。

福島県が政治的に要求する「状況定義」の文脈を汲んで、「あえて」語っているのだ、ということが確認できる。

だって、同時に
「いまの子どもたちが50,60歳になったとき、本当にこの被曝の影響が出ないのか。僕は広島・長崎を調査したような拠点を福島につくるべきだと主張しているんです」
とも言っているわけ。

グレーゾーンで分からない→敢えて過敏になるなと言っている→調査をして検証しろ

待て待て。「分からない→過敏になるな」がまずおかしい。
分からないのだから、安全側に振った行政の対応を求めるのなら、専門家の姿勢として分かる。
どうして市民の行動を規制・馴致する言説がそこから出てくるのか不審を抱く。

加えて、次の段階がホラーっぽい。
グレーゾーンだから、過敏になるな、と政治的な言説を弄しておいて、調査拠点を作れとか言う。
これは、まるでモルモット扱いじゃないかしら。

終始鎌田氏と山下氏の議論は噛み合っていないのだが、そのすれちがいぶりも含めて、お読みいただければ。

福島県の被曝状況の危険を懸念する鎌田氏に対して、「ロマンチストなあと思ってますから(笑)」とコメントする山下氏の感覚もどうかと思うが、まあ、危険だけを声高に言われても困る、という福島県の置かれた「政治的状況」も理解できないではない。だって、県民200万人のうち、浜通・中通りが危険だとなったら半分以上が避難対象になってしまう。それは「政治的」に明らかに「無理」だろう。原発即時全部停止と同様、やれればいいけど非現実的だ。

だが、だからといって、科学者が「政治的」の要求に応える形で「敢えて」「過敏になるな」というメッセージを県民に「アドバイス」するのは、妥当なのかどうか。

飛散放射能の線量ばかりではなく、政治家の挙動ばかりではなく、科学者ではあっても、公共的なるものに対して公の言説を発した者については、最後まで検証をし続けていく粘り強さが、私達の側にも求められるということですね。
「安全だ」、と言うのも、「危険だ」、というのも、それが公に発せられただけではむしろ単なる「権力」=「状況定義力」の行使として働いてしまいかねない。

でもね、もう誰かの定義を鵜呑み=内面化して生きることはできない、と私は考えます。
関係する機関や東電、研究者のみなさんにはしっかりしたデータを公表しつづけてほしい。

私達は素人ではあっても、世界と向き合って生きていかねばならない。
そういうことを、この二ヶ月で学んだような気がするのです。



5月28日(土)のこと「スマホの住所録が全て消える恐怖」

2011年05月30日 02時06分55秒 | 大震災の中で
携帯からスマートフォン(iPhone4)に買い換えて1年弱、毎日便利に使っていました。

最近ではPCを使う頻度が減り、wi-fiでサクッと検索やHP閲覧が可能なスマホ頼みの生活パターンが定着していた……のですが、ついに来ました、恐ろしいその時が。

土曜日の午後、出先でiPhoneを取り出したところ、なんだか動作がよろしくない。
メモリ管理ソフトがメモリ解放をしようとすると落ちてしまう。

で、いったんresetをかけて動きを試そうと、ボタン二つを長押しして再起動をかけたら、なんと、

「起動パスワードの画面が一瞬出てはアップルマークに戻る」

という動作を延々と無限に繰り返し始めたのです!

最初は
「ああ、スマートフォンはPCだからね、実質。もう一回リセットしろってことかい」
ぐらいに考えていたのですが、何度やっても同じ状態。

しだいに手の中に冷たい汗がにじんできました。

「バックアップって、最後に取ったのいつだっけ?」
「そういえばいつもつなぐと自動的に「同期」してたけど、もしかして今度つないだらバックアップも変になっちまうの?」
「ってか、旅先で立ち上がらないと、誰にも連絡取れない……家族の電話番号さえ実は知らないし……」
「というより、このまま立ち上がらないと結局初期化するしかない?」

しだいに本体が熱を持ち始め、いよいよやばい匂いがしてきたため、市内のsoftbankショップに持ち込んで見てもらうことに。

係の人は、ちょっと様子を見た後、やはり
「バックアップは取っておられますか?」
と当然の質問。
「え、なんか自動的に同期とかしてたみたいなんですけど、あれってバックアップなんでしたっけ?」
「お客様のituneの設定によるかと思いますが」
「はあ、今旅先で分からないんですが」
「そうですか。リセットで立ち上がらないということになりますと『復元』つまり初期化が必要になります」
「初期化って、中身のデータが無くなるってことですよね?」
「そうなります」
「でも、そうしないと立ち上がらないんですよね?」
「はい。」

「それでもダメなときには、もうデータは無くなるってことですよね(二度目の確認)」
「そうなります(二度目の返答)」

「でもしょうがないですよね、第一立ち上がらないんですから」
「そうですねぇ(三度目の返答、気の毒そうに)」

PC歴は長いので、パソコンのデータバックアップはHDDに何種類か取ってあります。肝心なものはクラウドにも置いてあります。一部のデータは紙に打ち出したり、CDやDVDに焼いてもありました。

スマホは自由度が高いんだから、携帯と違ってPCと同じデータの扱いだ、なんてことは、言われなくても分かっていてよさそうなものなのに、ついつい携帯的に考えてしまっていたのです。

で、iPhone4のせいとまでは言わないけれど、なんとなく、自分でデータを引き抜いて保存する(住所録など)手立てが簡単には見つからないまま、放っておいたのが現状でした。

「じゃあ復元=初期化してよろしいですか」
「しょうがないですよね?ねぇ。はあ。じゃ、やってください」

もう絶望的というか、どうにでもなれ的感じになりつつありました。

祈りつつ、待つこと数分。

「お客様、なんだか立ち上がったみたいなんですが、PWを入れてみてください」
の声。

なんと、初期化前にお店のお嬢さんがセットをかけたら、たまたま偶然立ち上がったのでした。

あとはこのまま家に戻って、バックアップを確認してから、ということになり、

「うまくいくといいですね」
とお店のお嬢さんに励まされて店を出ました。

ふぃぃ。
「でもさ、オレ、励まされてる場合じゃねんじゃね?」


そして翌日。
自宅に戻ってPCにiPhoneをつないだら、なんだか自動的に「同期」が始まっているもよう。

同期はバックアップではないのか?
仮に既に内部データがおかしくなっていたらこれってダメだよなあ、いう危惧ももちつつ、いやデータだけを取りだすんだろうから大丈夫じゃないか、と根拠なく自分を励ましつつ。

その後、緊張しながら初期化してOSを最新に直し、バックアップから戻してみると、結局なんのこともなく動き続けるではありませんか。

もう怖くてリセットはできません。
iPhoneは本当に便利だけれど、ituneのバックアップデータがそのままでは参照できず、自分で取り出せないため大層不安です。

アンドロイドだったら住所録データをPC側でテキストベースで閲覧変更保存とかできるんだろうか?
携帯電話を必要最低限プランで、バックアップ用にもう一台もつべきか?
など、心が千々に乱れる週末でした。

とにかくiPhone内部の住所録データを取り出しせるようなソフトを明日探してみなければ。


「私は歌手だから」どうした?についてもう少し考える。

2011年05月27日 17時51分24秒 | 大震災の中で
気になることだから、もう少し考えておく。

「私は」→「歌手」→「だから」→「歌で人々を勇気づけたい」→(ありがとう/よけいなお世話)

には、いろいろと躓きの箇所がある。

1,まず、「私は」という主語の提示。だれも私の話を望んでいないのに(コンサートのMCなら別ね。ファンにとってはすでに『矢沢』は特別なんだから、それでいい。)、気軽にインタビューで「私は」と言うのは、何を参照して「私は」と発話しているのか疑問。
いや、「私は」ぐらい誰でも言うだろう、と思われるだろうか。自分自身を参照して語っているに決まっている?

まあとりあえずはそうかもしれない。誰であろうが「私は」と語りだす権利は持っている。

しかし、その「私は」は、いったい何を参照し、そして何を根拠として語り出されているか、その「同一性」は問題になるだろう。

私があらかじめ「わたし」を参照しているとしたら、単なる循環だし、別の何かを「私」について語ろうとするなら、どの「連続性」どの「同一性」に依拠して語り出すのか、ためらいはあってしかるべきだろう。

だってね、ふつうのヒトは、マイクを突きつけられて、「わたしは」なんていわないさっ。

そういう語りの形をどこかで「習った」んだろうね。

だがどこで?

つまり、何も参照されることなく「わたしは」と語り出すのは、とてつもない虚構を前提としているわけですいろいろと。

まあ、それはたぶん多くのヒトがまたぎ越す「河」なんだろう。

けれど、それを躊躇いなく飛び越しておいて「歌手」かあ、勇気づけられないなあ、とも思うのですよ。

さて、もうここらあたりで「いいがかり」も甚だしいと思われているかな。でも、行きがかり上、さらに話を進めます。

2次に「私は」→「歌手だ」というところ。
これは昨日してきしたように、歌手は歌っている間は確かに歌手だ。
だから、その「私」は聞き手の前でその都度「歌い手」になることを反復するだろう。

つまり、その都度「歌(を配信する担い)手」である。
一応ボーカロイドプログラムじゃあないのだから、ご本人が人間の「私」が「歌う」のだ(文句ある?)と叙述することは可能だが、その叙述はどの水準で受け止めればいいのやら、挨拶に困る。

歌うことによって歌い手となったヒトは、開かれた空間に歌を投げ出して配信しようとし、それが受け手の手にとどいて初めて「私は歌手」になる。

うっとおしいと思われるだろうが、それが基本だろう。

もう歌手として活動を続けているヒトは、昨日も歌手だったし、一昨日もコンサートやったし、CDもいっぱい出したし、という「記憶」を参照しているのだろう。

だったら、黙ってその圏域で歌っていればいいのだ。

災害は、そういう人為を相当程度引き裂いた。

だから、津波の前ではヒトは、もう予め体験を参照された「歌い手」ではないのです。

改めて、その場所で声を発することによって、この世界で歌い手になろうとすることが可能かもしれない、そうは言えるけれど。

もしかするとその声は、原発事故がこの世界に示した裂け目に吸い込まれ、無人の荒野に吸い込まれてしまうかもしれない。そういう配達されない歌になることをも引き受けて、歌いだすことによって初めてヒトになる可能性を半分だけいきることになるのだろう。

そういうことです。

3,さて3つ目。もう誰もつきあってくれていないだろうけれど、明日になったら忘れてしまうから、書いておきます。自分に対して書いているわけでもないし、誰が読むか分からないのだから、誰か特定のヒトに書いているわけでもない。

「ボトルに入れて流す手紙」

というほどニヒリズムには行けない(もう行かない、と断言すべきときか?)。

今度は、画面の陰影、インクのシミを受け取る「ヒト」を想定することによって、そのヒトにこの思考の軌跡=痕跡が届くかもしれないことを祈って、歌う、あるいは書くわけです。

自分の中の「ヒト」と向こう側にいるかもしれない「ヒト」とが出会って「人間的営為」=「人為」が再度そこに立ちあがるかもしれないと信じつつ。


ヒトは、繰り返し人間になろうとする。それは、ただ無自覚に語ればなれるというものではない。
サッカーがルールを知っていればサッカーになるわけでもなければ、音符が読めれば音楽になるわけではないのと同様に。
いや、それもサッカーだ、それも音楽だ、と言ってみることはもちろんできる。だが、それは、マイクを向けられて「公共的」に語られるべき言葉でないことだけは、断固強く何度でも書いておきたいのです。

そんだけ。













自分のことばを持つということ(つづき)

2011年05月26日 21時46分38秒 | 大震災の中で
こういう時、私はいつもトム・ハンクスの言葉を思い出す。著名な俳優や監督を招いて、アクターズスクールの学生たちと語り合うたぶん有名なTV番組(題名失念)の中で、彼は

売れない俳優だったころ、タクシードライバーのバイトをしていて、
「オレは俳優なんだろうか、それとも元俳優がドライバーをしてるんだろうか」
と自問することがあった。それでもなおオファーがあったときに仕事ができるよう準備しておくことが大切だったんだ

と語っている。
モーガン・フリーマン(この人も遅咲きでしたよね、たしか)も同趣のことを言っていた。

つまりはそういうことなんだと思う。
成功した俳優の側からみたトーナメント理論的独善とはことなった、前向きの姿勢の称揚といった話とも違う、「隙間」「裂け目」の話に近いんじゃなかろうか。

そういうところにしか、「自分のことば」は宿らない。つまりは、開かれた裂け目を持つ、ズレ、痕跡、としてことばは繰り返しその場所へ向かっていくのだ。たどり着かない手遅れの身振りとして、ね。

だから、気がついたら俳優だった、というのはアメリカンドリームの話じゃなくて、自分なんて消えろ、忘れろっていう呟きや、自分ってなんなんだ?という呻きの方にちかい、いわばむしろ傷とか業とか、そんなもんに近いんじゃないかなぁ。わかんないけど。



自分のことばを持つということ

2011年05月26日 21時23分22秒 | 大震災の中で
 自分のことばを持つということは、自分が自立しているということではないのだ、と分かる。
 自分のことば、とは、自分という事件の現場から、発せられることば、ということで、別に自分が物語の主体になることでもなければ、発話主体であれば自分のことばを持っているということでもない。

当たり前のことだが。

友人から、メールをもらって考えさせられた。彼のメールにはこうあった。

>こんなとき思想家も政治家も、技術者も、もちろん科学者もですが、言葉に鋭敏でなければならないと思う。
池澤夏樹が朝日ジャーナルに寄せている原稿の文章が良かった、という話。

池澤夏樹の小説は、私にとって「当たり外れ」が激しくてびっくりすることが多いのだけれど、むしろエッセイはアベレージが高い印象を持っている。
これから本屋さんに行ってみます。

自分のことばを持つ、とはもちろん「文体」の話で、文体っていうのは「人の中」にはないものだろう。

もう、人の中から出てくるものに興味はない。
自然に還るというのでもない。

もちろん「外側」にむかって格好をつけた、という話でもなくて。

世界の磁場の偏差に対して瞳を閉じるのではなく、主語と述語がほどよくバランスして何かを叙述してしまうことに満足して何かを忘却する装置から、身を半ばズラして瞳を凝らすこと。
いや、そんな面倒はどうでもいいのです。

人為がもはや「人」に還元しえないズレとして改めて受け止めることになった「不可避」の現実を、他の何かと取り違えずに見て、考えて、その現場で言葉を発すること。

たとえば、海水注入の中断があったとかなかったとか、指示をしたとかしないとか、指示に従ったとか従わなかったとか、助言したとかしないとか、どうしてもそうなっちゃうんだろうか。


「意思の疎通が不十分なまま発表してしまったから」
みたいな枝野氏のコメントが他人事の極みに聞こえて失笑した。

枝野官房長官の言葉は、弁護士の水準としてはよくできています、という印象をずっと持っている。
他の政治家の言葉があまりに頼りないから。
だが、良くも悪くも「そこ」から動かない。

言説についての言説。言葉によって状況定義をしようとする「三百代言」のことばが広がる。

別の友人は、

「私のできることは~です。だから精一杯~します」
(サッカーでも歌でも料理でもいいんだけどね)
ってのは、たとえばサッカー選手は震災があろうがなかろうがサッカーするわけで、歌いますっていうのは何もしませんと同義語じゃなかろうかと……

とことばについてコメントしていた。正鵠を得た指摘だと思う。

主語と述語が簡単に一致するなんて、誰が保障していたんだろう、とつくづく思う。
「私は歌手ですから歌います」
じゃなくて、「歌うことによって私はヒト=歌手」なんだよね。
「私はサッカー選手だからサッカーで勇気を与えたい」
じゃなくて「サッカーをすることによって私はサッカー選手になる」
んだと思う。

「私」は同一性ではなく、むしろ「差異」において成り立っている。
大震災は「そういうこと」を教えてくれたはずなのにね。

できることをやるしかない、のです。できることがそれなら、それをやるしかない。
大震災の後、ヒトは何者でもなくなったのですね、瞬間。
そういうことを忘れた「歌手」や「料理人」「サッカー選手」そして「詩人」は、必要な言葉に対する鋭敏さが足りない、かもしれません。

いや、「ことば」のプロじゃないから、それでいい、とヒトはいうだろうか。
「ことばが足りない」んだったら、それでもちろんいいんだ。
表現なんて、ほどよいところでバランスしないから。
主語と述語のほどよい出会いと同一性の回復に、しがみついていなければ、それでいい。
「私は歌手だから」
という言葉が、どこから出ているのか。

歌うしか能がない「歌バカ」ってことなのかもしれないよね。サッカーバカってことかもしれない。

それが不安へのいいわけになっていないことを、私はサッカー選手でも歌バカでもないけれど、祈りたくなります。無論それこそもちろん、余計なお世話。

でも、歌で、あるいはサッカーでヒトを勇気づける、なんてそんな「ことば」はそれこそそれも余計なお世話、だろう。

そのズレ、その差異を承知で放たれたことばなのか?
知人二人のいいたいことは、そのあたりにありそうな気がする。

私は、そういうボールを私に投げてくれる友人を持っていることを、密かにとてもありがたく思う。
もう、言っちゃったから「密か」じゃないんだけどね(苦笑)。

ことばは自分の中から出てくるってことを信用しないっていうのは、そういうことでもある。

出会いであり、偶有性を持った、でもそこにあらかじめ存在する基盤がなければ成立しない、にも関わらずそれは同一性を保障されていない、そんな亀裂の走った場所で発せられることば。

間の抜けたお人好しの詩人や批評家でないかぎり、その裂け目の意味は脇腹あたりで感じると思うのだけれど。

間にあるもの、もしくは絶対的差異

2011年05月24日 21時41分43秒 | 大震災の中で
鈴木文科省副大臣のコメントが気になっている。
それについての再論を少し。

BSフジ午後8時プライムニュースのインタビューに答えて、副大臣が言っていたこと。

100ミリシーベルト/年でも安全だという説もある。もちろん諸説あって、1ミリリーベルト/年という考え方もある。
疎開がいいかというと、子どもの精神に与える不安も国際機関から強く指摘されてもいる。
そこでもろもろを勘案して20ミリシーベルト/年という基準になった

そういう内容のことをコメントしていた(要約がまずかったらすまんですが)。

ここには、昨夜も指摘したが、
「『イチかゼロか』というダイコトミー(二者択一)にすぐ陥ってしまう」(森達也)
ことを前提とした「折衷案」としての間を取った20ミリシーベルト/年が示されているばかりだ。

むろん、口頭ではできるだけ1ミリシーベルト/年に限りなく近づけるよう線量低減に向けて「支援」をしていくとのコメントもあった。

でもね。安全基準を多めにとって、あとは自治体の責任において気になるならより少ないのはいいことだから支援します……っていうのは、国の姿勢としてどうなんだろう。税金使わけりゃいいってもんじゃないだろうと思うよ。
原発事故だぜぇ。今国民を救済しないで、いつ救済するんだい?もしかして納税者は全国にいるから、福島県にだけお金を使うと他の納税者と不公平が生じるから、なんてつもり?まさかねえ。

ま、そんなつもりではないでしょう。ただ「責任」の所在があきらかにならない仕組みで「ここの国」の政治は動くのですね。

それは、「安全か/危険か」という二者択一に傾きがちな「極端さ」をこの国の言説空間=権力空間は持っていて、そのどちらかに傾斜する傾向をもちつつ、それに納得する人も、納得しない人も、結論さえ出ればあとは各自が「心理的忘却装置」に身を委ねて日常に帰っていく「癖」みたいなものがあるからじゃないか、と思えてくる。

ただし、今はその機能が幸いなことに十分には働かない。ダイコノミーと裏腹の忘却装置は、繰り返し大震災の津波の現実、余震のおそれ、飛散し続ける放射能、安定化しない原子炉事故などによって、絶えず脅かされ続けているのだ。

この事態を見ると、頼りになるのは「原発事故」の方じゃないのか?と逆説的なことを呟いてみたくもなる、というものだ。
これは、二者択一を推し進める、反対派テロとか、這っても黒豆的に安全を言い立てる推進派の間抜けぶりとも違う、「裂け目」の話である。

どちらか半分に回収されえず、繰り返し「絶対的差異」の喚起を「反復」によって示し続ける「裂け目」=「痕跡」。
私は、同一性の形而上学、偏った知=権力、に回収されまいとし、その裂け目、その差異、その「実在」の傍らに踏みとどまって瞳を凝らし続けた「哲学」たちを、今こそ喚起して思考を徹底する必要があると、個人的に考えている。
たとえばドゥルーズ。たとえばスピノザ。たとえばフーコー。
加えて、日本人としては、その傍らに天皇を置いて考えなければなるまい。

(本当は日本人限定のお土産物みたいな扱いじゃなく天皇を考えたいんだけれど、それはさておき)

鈴木副大臣の話に戻れば、1ミリ以下を目指すのか、100ミリ以下は全然楽勝なのか、その極端な二者択一の前で、現在の「政治」は「間」を取って政府がリスクを回避する方向で20ミリシーベルト・年という「折衷」を進めていく。

それは、結果として、
「どうなるか分からない1ミリ~20ミリ/年のリスクはフクシマが個別的に背負ってね」
ってことだ。

するとどうなるか。

もっと危険なら、助けてくれるの?って話になるでしょうが。
あるいは、じゃ、助けてくれないなら安全だという話に乗るしかないね、って話になるでしょうが。

私達の態度も引き裂かれていくのです。
どうして、できることをできるかぎり全部やって、心配に応えていこうってならないのかなあ。
離れているように見えても、様々にバラバラな方向で小さな「方向性」をもった動きがてんでに蠢きひしめきつつ、それがある瞬間地下茎で繋がっているかのように出会う。そういう分散型の「仕事」が結果として「集約」されていくのが、ほんまの「力」の集約になるのじゃないか。

お金や権力を統合し集約して「状況定義力」を発揮できるのは、平常時に限られる。
集約された権力や機構には対応できないことがあるのだ。

もちろん、原発の冷却をバケツリレーでやるわけにはいかない。
(それをパフォーマンスとして自衛隊や消防の人にやらせた責任は重いとおもうけどねえ)
大規模な事故の対応やインフラ整備と維持は、なんといっても行政府の責任で行うべき仕事だ。
高度システム化されたものを、個人や少人数で維持管理することはできない。

でも、「非常事態における個」に関わるものは、逆に集約された権力は対応しきれないのだ、としだいに分かってきた。

人為の裂け目に感応できるのは、あくまで「個人」なのだ。それはPTSDとか「心理的な癒されるべき傷」の範疇に収まる話ではないと思う。
私達はやはり、瞳をこらし、全身で「絶対的な差異」、「人為のリミットとしての裂け目」を何度も何度も反復して確かめていく必要があるのだ。

反復が日常の忘却装置として働くような「差異」→「同一性」への回収の道筋ではなく、繰り返しなぞることが、収斂を不可能にして、広がりをもって全ての場所に「実在」の表現をもたらしていくような種類の反復、痕跡をなぞり続けることがたったひとつの「正解」に帰結せず、傷つく危険を冒すことで始めて不可触なものに触れていくことが可能になるような身振り。

2ヶ月を超えて、そんなことを考えている。

5月24日(火)「野菜から花へ植え替えられた我が家の庭」

2011年05月24日 20時39分25秒 | 大震災の中で
生前父親は、暇さえあれば庭に出て、野菜や草花、庭木の手入れに余念がなかった。

今でも天気の良い休日の午後、母親と居間でお茶を飲んでいると、一仕事終えた父親が縁側から上がってきそうな気がする。

父が亡くなってからは、母が一人で庭いじりをしている。けれど、大きく変わったことが一つ。
ホームセンターに行くたび、いつも浅めの段ボール箱に一杯花の苗を買ってくるのだ。
母親は連れあいの霊前に供えるから、と今は言っているけれど、そうなるまでには二ヶ月かかった。

それまでは、父が春先にむけて作っていた菜の花やほうれん草を取ってきては、
「よく洗えば食べられるよね」
と自分に言い聞かせるようにおひたしにしようとし、何度かは食べていた。

そうはいいつつも、彼女なりに気にしているのだろう。
80歳になる自分一人ならば全部食べても平気なのだろうけれど、一緒に暮らす者のことを考えると無理はできない。
結局収穫したのはごく少量。ほとんどは庭の肥やしになってしまった。


付着した放射能の放射線量の多寡は、自宅なので計測もしていないから分からない。
このままではいつ「野菜作り」を再開できるのかも分からないままだ。

けれど、花ならば、目で楽しめる。

今、家の裏の畑は、父親が野菜を植えていた畝を埋め尽くして、綺麗な草花がびっしりと植えられている。
無理に庭で取れた野菜を食べる必要があるわけではないし、花でも野菜でもいずれ年寄りの手すさびにすぎない。

けれども、父親の死と放射能飛散と地震とが同時に3重の「ズレ」として、母親の前に立ち現れている。

「こんなことは戦争以来だね」

笑いながら、歯止めがかからないかのように彼女は花を買い続けている。今週の日曜日にベコニアや日日草を大量購入してきた(その前はマリーゴールドとペチュニアだった)。
今度はサルビアとコスモスを買いに行くのだそうだ。
アメリカシロヒトリ用のスプレーも必要だし、除草剤も撒かねばならないという。

野菜は身体の中に取り込んで新たな「生への促し」になるけれど、放射能は「死への促し」にしかならない。
うちの庭で花を愛でることは、幾重にも「死」のイメージが重なることになってしまった。

ただし、それは必ずしも悪いことばかりを象徴している、というわけでもないのだ。

年老いた母と、初老の息子が二人、老父を失って暮らすには、大量の野菜より花のあふれた庭がむしろふさわしいだろう。そして、夏になってさらに花が溢れれば、そこを我が物顔に歩くもう「一人の家族」、老いた柴犬にとっても、大根やキュウリよりも楽しめる草むらになるかもしれない。

やっぱり、富士には月見草、じゃあないが、

「放射能は老後によく似合う」

若い人には酷な現実だよね、当然ながら。



5月23日(月)「文部科学省の緩すぎる基準」

2011年05月23日 21時25分21秒 | インポート
鈴木文部科学副大臣のコメントはちょっと納得がいかなかったので、コメントしておきます。

本日午後8時BSフジのプライムニュースでの副大臣コメント。

20ミリシーベルトに設定したのは、もっと低い基準にして子どもたちの疎開が必要なったときに、重篤な被曝をしたと事態を深刻に内面化してPTSDの原因となったり、差別などを助長することにもなりかねない。加えて年間100ミリシーベルト以下は安全だ、という学説もある。
それらを勘案して年間20ミリシーベルト以下と設定した

という概略です。


子どもの精神的ケアはもちろん大切。
でもさ、長期低線量被曝の影響なんて分かってないわけだよね。
そっちで博打を打てばお金も手間もかからないっていう政治判断が見え見えじゃないかしら。

平常時の大人のプロの基準を子どもに当てはめるのはあり得ないと思うなあ、やっぱり。
外の授業は部活は1年ぐらい止めたらいい。特に保育園や幼稚園は、土の完全入れ替えとか、より安全な方策をしっかり行うことが大切で、できる小さいことはいくらでもあるのにね。

この鈴木副大臣のコメントは、圧倒的に森達也氏が現代思想の原稿で指摘しているように

『イチかゼロか』というダイコトミー(二者択一)にすぐ陥ってしまう

ことの典型じゃないか。
安全か危険か(かれは20ミリか1ミリかっていう基準の択一を例として上げていました)二者択一をしなくちゃいけない。
それはできないから1ミリと100ミリの間を取って20ミリ、にしているだけだ。

もっと小さいことでさまざまに出来ることはあるはず。

可能な限りの努力を、文部科学省は福島県内の学校において行うべきだと思う。
全くなにも実質行っていない(基準を決めただけ?!)ってのは、ちょっとどうかなあ。

「出来る限り線量を低下していくことが大切」
といいながら、「土地を入れ替えるという方針をお示しして」いるだけ。
緩い基準を決めればお上としては何もしなくてもいいんだもんなあ。

困ったものですね。





5月23日(月)「いわきは闘っている、ということ」

2011年05月23日 20時52分13秒 | 大震災の中で
知人のブログにこうあった。

>いわき市にいる人は、そこで踏みとどまって未来と闘おうとしている人たちです。
>行く場所さえ亡くしているひともいる。仕事があるから残らざるを得ない人もいる。
>でも、みんな、闘ってる。
>私は、そう思ってます。

同感です。選択の余地があって、子どものために退避を決断することだって大事な闘い方だし、敢えてここに残ることだって苦しい戦いだけど、単に安全神話を鵜呑みにしているわけじゃない。
選択肢なく警戒区域指定で移動を余儀なくされた人も、選択の余地なくここで仕事をしている人もいる。
東電の最前線で仕事をしている人だって、「福島の住人」だし。



>今回の災害で、日本の国民はなんて大人しいのだろう、という趣旨の言葉を海外の友人から沢山言われました。
>クーデターが起きるでもない、暴動になるでもない、なんて大人しい、真面目な国なんだろうと。
>でも、それは諦めているからじゃない。
>おとなしく、羊のようにしているのは、そのほうが事態が早く終息すると知っているからです。
>東京電力に石を投げてもどうしようもない、それよりは早く、一日でも早く、彼らの力を借りてなんとかしてもら
>いたい、と思っているからです。
>私たちだって怖くない訳じゃない。リスクや不安は知れば知るほど大きくなります。
>でも、その努力は、無駄じゃない。
>無駄じゃないんだ、って、私はずっと信じています。


http://machikodiary.blog.shinobi.jp/Entry/276/


いわき市の職員の呟きだけれど、もう一度水素爆発があったら、もういわき市は「もたない」だろうとの声も。
現状の飛散放射能線量で推移するなら、なんとか生活していけるだろうか。
しかし、本当のところは分からない。
大丈夫かもしれないし、大丈夫じゃないかもしれない。

年間累積量20ミリシーベルトの被曝量レベルというのは、完全に政治的な選択ですよね。
その上、長期化したら長期低レベル累積線量が、どこまで累積量が上がるかも未知数だし、それがどんな影響があるのかも分からない。

それにしても、政治とはいえこの年間20ミリシーベルト以下という限度は日本の平常時と比較してどう考えても高すぎるよねえ。

特に、子どもは最大限放射線の被曝から守られるべきだと思う。
せめて、平常時、仕事で被曝する人の限度「管理区域(3ヶ月1.3ミリシ-ベルト)」以下に押さえる基準で学校を運営してほしいと願うのは、無理なことなのだろうか。

そんなに「非常時」が日本の政府や国民は好きなのかなあ。

踏みとどまらないと福島が、いわきが、なくなっちゃう、と思う危機感も確かにある。
そう思って大人が踏みとどまるのは戦いとして理はあるとも思う。

でも正直、将来を担う子どもたちに対する扱いが、文部科学省、ひどいと思うよ。







5月22日(日)のこと<フクシマと福島の違い>

2011年05月22日 23時43分56秒 | 大震災の中で
親しい知人からメールがあった。

>巷にあふれるフクシマという表記が、気になる。私の家は福島だもの…。

>東京にいるときには、やれマスクだ帽子だと言っていたけれど、
>帰省したら露地アスパラをバクバクたべて、一日中外で田植えの手伝いした。
>でも、知人が福島市に行くって言ったら、やっぱりマスクだの帽子だのって言う。

そう、「フクシマ」は、世界に向かって発信され、流通する外部の表象ですね。
私達の「福島」は「福島」だから。

外からみたら大変な放射能汚染の場所「フクシマ」は、
中にいると、その中でも日常の時間が流れる「福島」に外ならない。

>ふっ…と、また地震があればいいのに、と思っている自分に気づく。
>不謹慎極まりない。人間としてどうかと思う。 でも、確実にそう思う瞬間がある。

強く同意。
他人の言説にこと寄せて同意するのは卑怯千万、とも思うが、私の中にも余震があるたびに世界の底が抜けてしまうような、この日常がどこかに飛んでしまうような恐怖を感じ、それでいて、その恐怖の中にある種の「親しみ」を同時に覚えてしまうことを止められない現実が存在する。

今度きたら終わりだな、と冷静そうに思いつつ、実は恐怖を感じつつ、なおもその「恐怖」にはどこか「非日常」に自分をスライドさせていく「空白感」があって、日常に自分を埋没させていく忘却装置がもたらす「空白」とは全く違った、しかしそれもまた何かを「飛ばして」くれる「力」として惹かれているのかもしれない。


もう一つ、付け加えることがあるとすれば、二ヶ月経ってから、余震に対してより強い「恐怖」を抱くようにもなってきた。これは明らかな変化である。地震直後は「非日常」に自分の身体が「包まれている実感」があったせいか、むしろ「おお、きたか」みたいな感じさえあったような気がする。
しかし、今は一見非日常性がもう一度日常性の薄皮に隠され始めている。そのときにその薄皮が剥がれてしまうかもしれない予感をもたらす「余震」は、私達の再度油断しはじめた心をかなり強く「挫く」力を持つ。
今は震度1ぐらいでも、以前より気になるようになってきてしまった。

PTSDとかいうほど大げさなことじゃないだろうけれど、心の動きは単純じゃない、と思うね。




『現代思想』2011年5月号「特集東日本大震災」を読む

2011年05月21日 18時19分56秒 | 大震災の中で
『現代思想』2011年5月号「特集東日本大震災」を読む

読まなければいいのに、と自分でも思いながら、ついつい読んでしまった。

読んだ後で苦しい気持ちになった。

これは、AERAの増刊号だったか、高村薫氏の文章で、ほとんど共感して読んでいたのに一カ所だけ、海辺に住むヒトはもはや高台に移り住むべきだ、という結論を読んだときと同じ苦しさであった。そのとおりなんだけどね。

難しい話ではない。

フクシマの人々は愚民政策で放射能の危険を十分に認識し得ていない、故郷に住みたい気持ちは分かるが、そこにとどまっていては危険だ、政府の「安全神話」に思考停止してはならない……

と言った方向の記述がいたるところに見られるわけです。

まあ、そりゃそうだよなあ。
「ばかじゃないの、いきなり放射線の年間累積被曝量限度がいきなり何倍にも跳ね上がり、平常の何十倍(短期的には何百倍とか)にまで飛散放射能線量が上がってるのに、自分の慣れ親しんだ土地に住みたいとか……〓」

と考えるよね、普通。

「また、こんな津波が来たんだから、もう海岸に住むのは止めて、高台に住む決断をしなきゃいけないでしょ?」

と考えるのはまともだよね。

そういう「まとも」や「普通」の良識が、この特集本にはあふれている。

悪いけれど、こういう人たちと共に生きることはもうできないんだろうな、と私は実感した。

無論、長崎から安全神話の語り部としてフクシマにやってきた教授さんよりは100万倍も頼りにはなると思うよ、現代思想に原稿書いてる人達のほうが。

だって、原発事故の危険意識は共有できるんだから。

そして、年間の限度量をを突如ゆるめたお手盛り政府の基準を「信頼」するバカがどこにいる?というスタンスも賛成。

でもね。

この人たちの正しさは、原発を止めることができなかった愚かさを抱えているという点では私たち「フクシマ」と同じ「ニッポン」と同じなのに、にもかかわらずなんだか「正しさの国」の国民みたいなんですもの。その空疎さは、フクシマのスティグマを受けたモノの僻みにすぎないのかしらん?それともこのひとたちが無邪気に原発=悪みたいな図式にに寄りかかって書いている知的怠惰のせいでイライラするのかしら。

何度も書くけれど「フクシマ」は、自分たちのもっとも大切な生活圏域を守ることができずに、こんな事態になるのを手をこまねいて見ているだけだったのだから、たしかに「愚か」だったに違いない。

「何にも悪いことをしていないのになんで避難なんかしねばなんねんだ」

「おれらはとにかく漁がしてえのよ。旨い魚捕って自分でも食べて、みんなにも食わせてぇのよ、それだけなのよ」

なんていくら素朴にいってみても、もう戻れない場所に立ってしまった。
スティグマを受けて、その傷をこれから先ずっと抱えて生きなければならない。

その愚かさを他人ごとにしないためにね。

翻って雑誌の特集記事で、納得がいったのは、
柄谷行人の

「地震がもたらしたものは、日本の破滅ではなく、新生である。おそらく、人は廃墟の上でしか、新たな道に踏み込む勇気を与えられないのだ」

ということばと、

森達也のインタビュー形式の記事

「もしも以前に戻すことをデベロップメントと定義するなら、今回は絶対無理です。従来の意味での復興はあり得ない。多くの遺体は捜索されないままに終わるでしょう。放射能汚染だって消えません。上に土が盛られたとしても、そこに同じ都市文化が繁栄するとは思えない。
(中略)今回の衝撃のみで今の日本が変わるとは僕はあまり考えていません。(中略)ただし、傷は残ります。そして時折疼きます。行政もエネルギー政策も社会システムも、そして何よりも一人ひとりの考え方も、長いスパンでは変わるでしょうね。」

「(ドイツは原発を)ゆっくり減らそうとしている。日本はそれがなかなかできなくて、『イチかゼロか』というダイコトミー(二者択一)にすぐ陥ってしまう。これはメディアの問題でもあるのだけれど。」

だった。

それ以外は、いかに地域住民や日本人が愚かで、そして政府がひどいか、みたいな感じで、そこだけ精緻に書かれてもなあ、という感想を持ちました。

逃げろっていう話は、聞き飽きた。
フクシマが愚民だって話も聞き飽きた。

無論逃げるのは逃げないよりは圧倒的に良いし正しいことだろう。

安全だなんてどの面下げて言ってるんだ?!危険じゃないか!
と声高に糾弾するのは「正しい」ことだ。うん。

でもね、みんな原発捨てて作業員も一緒に逃げられるのかなあ?

それから、年寄り世帯とかは、おそらく低線量長期被曝の不利益よりは、避難所リスクとか移転にともなう環境変化コストがずっと高いと思うよ。

強制退去を半径50キロに設定したり、年間累積被爆線量1ミリシーベルトれべるでの避難となったら、実際はコントロールもむずかしいし、資金的にもかなり莫大になるでしょう。その社会的了解を取り付ける政治的な困難とその乗り越えの方向性を示しえている論文はほぼ皆無。

人間の命の値段(また不謹慎なことをいうけれど)を考えても、影響のある地域住民の全員「避難」とか、全部丸ごと補償とか、原発即日停止とか、難しいよねえ。

ソノナカデいちばん可能性が高いのは、全部の原発停止かな。
これはやろうと思えばやれる。

でも、政治的抵抗は、この雑誌でのんきに書いてる人達が示すビジョンじゃノリコエラレナイでしょう。

それも政府の愚民政策のせい、といわれても、「愚民」としては挨拶に困る。
大学の先生とかとかジャーナリストとか、批評家とか、って、その無力の責任はとらないのかなあ。

政治的権力の悪と庶民の無知ラインでどこたまで押すのか。

そういう論調が多くて、苦しかったです。

くどいですが、それでも「原発は将来にわたって日本のエネルギー政策の基盤です」みたいな話をされるよりは、被害を被っている立場としては100万倍もありがたいんですがね。

難しい。

そうそう、「とにかくオレは娘を連れて逃げるぜ」っていう内田樹的な個人的処世に徹する矢部史郎の「東京を離れて」はなんだか笑えた。内田の文章より腑に落ちる。
娘にも説明しないところとか。とにかく、逃げる決断をしたらガンガン逃げたらいいのです。人生いたるところ青山ならぬ、生きる豊かさをもたらす土地やはあるし人もいるからね。若い人、これから将来の長い子供たちは、新しいところでも生きていける。

すくなくても、内容空疎な「ニッポンはひとつ」
とかよりずっといい。

ま、私は飛散放射能の放射線量&累積値とにらめっこをしつつ、ギリギリまでここフクシマで、地震と津波と原発事故による「人為」の裂け目を見つめつづけ、廃墟で新生を選びます。
それは私の「てんで」な選択。

フクシマに残るのは、政府や東電の思うつぼ的「愚民」的行為かな?

そうかもしれない。そうではないかもしれない。

少なくても、啓蒙っていうことの意味を、この特集を読むことで改めて考えさせられました。

権力は、均質化した人々を確率や統計によってより多くより適切に、生かそうとするわけです。でも、決して一人一人を守ったりはしない。
原発全部止めてまで絶対的な安全など求めるはずはない。
安全基準を示し、原発事故による不可視の放射線をも馴致しえるかのように、その中にヒトを囲い込む。

さてでは、権力って、どこで発動し続けているのか。

それに抵抗し、ずらすにはどうすればいいのか?負け続けの愚かな?日本人の一人として、あるいは日本人の選択した(させられた?)政策をどう止めるのか?
「生権力」の話でもあるか。ああ、また課題が増えるなあ。



5月21日(日)のこと

2011年05月21日 15時35分13秒 | 大震災の中で
佐々木敦『ニッポンの思想』を読んで
久しぶりに新書を読んだ。

職業柄、と言うのも変だが、普段から本は手当たり次第に読む。

ところが、3/11の大震災以降、それまではスポーツ中継(欄)ぐらいだったTV・新聞を毎日かじりつくようにして注視し、台所にいても、トイレにいても、水が出るようになってからはお風呂に入って、てさえフクシマの文字や音と出会うたび、その都度画面や紙面に瞳と耳を奪われ続けるようになった。

同時にそれと反比例して、本を読まなくなる。以前書いたようにアマゾンの被災地向け配達が止まっていたこともあるし、書店でも新刊(特に雑誌)の流通が完全に止まっていたのも大きかった。
はじめたばかりのTwitterもお休み。

父親の看護と葬儀、家と家族の被災、そしてフクシマの状況。それでもう十分すぎる状況だった。

病院での看護を綱渡りでしている小状況、
被災の中で自宅・家族・仕事場・顧客について考える状況、
原発事故・震災という大状況

それらを交通整理しながらなんとかやっていくためには、私にとって読むことよりもむしろ「書くこと」が必要だったのかもしれない。

ゴールデンウイークにこの土地を離れて事物をながめ、土地を訪ね、人と出会うことによってようやくそれらをもう一度頭の中で再配置し直し、考え直すことができるようになってきた。

本が読めるようになるまで、たっぷり二ヶ月はかかったことになる。

リアルタイムで傷口を広げ続ける「裂け目」に、五感を奪われ続けていた、とでも言えばいいのか。

昨日も縦にドドドドォーッと揺れる地震が午後4時過ぎにあった。
後で聞いたところでは、フクシマのいわきでは震度1程度のごく弱い地震だったらしい。
しかし会議中のメンバーたちは、怯えてこそいないものの、
「ああ、こういう縦揺れがこのまま続いて大きな余震になればいよいよ全ては崩壊するのだね」
といった「了解」の空気が確かに流れていた。単なる杞憂と笑うなかれ。1000年に一度とまで大上段に構えるまでもなく、これだけ「人為的営為」が高度化した中を切り裂く天災は、何年ぶりか、というより、それ自体が「未曾有」の事態なのだから(天変地異が未曾有だったかどうか、なんてわかりゃしないですよね。私達の「人為」に起きた「裂け目」が未曾有なんです。当たり前、なんだけどね)。

スティグマと敢えて繰り返すのは、例えばそういうことでもある。

今日の午前中犬の予防注射をしに動物病院に犬(11歳柴・雌)を連れて行ったところ、休日でごった返していたのだが、犬たちが一様におびえていたのが印象的だった。

今時の犬は人間の中だけで育てられるから、犬の接近遭遇になれていないせいか、と軽く考えていたが、どうもそうではないらしい。

地震からこのかた情緒不安定で……とか、

3/11以来、地震がある度怯えてはドアの金属フレームをかじって外に出ようとし、歯が欠けてしまった……とか、

どちらもうちの犬に共通する症状だったのに驚いた。

言葉で説明することができないから、彼らを安心てあげるためには、そばにいてやるほかにない。言葉では癒せないのだから。

あ、そうか。
もしかすると僕らだって犬と同じじゃないか?

逆にいえば犬たちの生活にも、しっかりと震災のスティグマは刻まれているのだ。
放射能の危険は、彼らが永遠に知ることのない世界だけれど。


ちなみに、本の感想は下記まで。

メディア日記
々木敦『ニッポンの思想』講談社新

を読んで

http://blog.foxydog.pepper.jp/