去年(2018年)の夏に卵巣癌が再発し、治療を続けていた妻(島貫妙子)が5/26(日)の夕刻に亡くなりました。
先週葬儀と納骨を終え、事務的な手続きも一段落して、ふと我に返ると、家の中のもの全てがあたかも強い磁場に引きつけられた羅針盤ででもあるかのように亡妻を指し示していることに気づきはじめました。
カップでコーヒーを飲もうとして、お風呂の順番を家族で声かけしようとして、 「もうそろそろ寝ようか」と声を出そうとして、妻の不在に家中が満たされているのを思い知らされます。
そのたびごとに心は「あくがれいづる」のですが、行き場を持たないそれは、涙にならない溜め息としてふわふわと漂いながら床に転がっていきます。部屋の掃除をいくらしてみても、全てが亡妻の思い出と結びついていますから、溜め息はそこいら中に積み重なっていきます。
さて、このままでは身じろぎするのも億劫になってしまいかねない状態になりそうです。
一方そんな風に感傷的な気分を掻き立てる家の中からとりあえず待避しようと試みても、旅に出てそれを楽しむほほどのエネルギーが湧いて来ず、荷物をクルマに詰め込んでみたものの結局どこへもいけずじまい。
ではどうする?
と思ったときに思い出したのが、メモ用紙をやりとりしながら妻と書いた短歌(のようなもの)でした。
妻は8月に、私は9月に仕事を辞め、2人で残りの人生を共に生きる選択をしました。その闘病生活が始まってから、妻は短歌をメモ帳に書き始めます。私もまた、妻が何か書いているのを見て、それに倣って短歌(のようなもの)を付け返すようになりました。
拙いなりに 「表現」が持つ持続性は、今私が身の回りのモノやコトに感じている ふわふわとした 「あくがれいづる魂」に対する一つの 「アンカー(錨〈いかり〉」のような役割を果たしてくれるのでなないか、と考え、毎日少しずつここに書いていこうと思います。
表現とかいうのもをこがましい話ですが、2人が短歌のやりとりをしたその道を辿り直すことは「作業による悲哀の仕事」療法めいた意味ぐらいは持てるのかもしれません。
自分では完結しようのない想いをなんとかくぐり抜けるために、ここに書き記しておきます。
もし万一お時間があればゆっくりお付きあいくださいませ。
先週葬儀と納骨を終え、事務的な手続きも一段落して、ふと我に返ると、家の中のもの全てがあたかも強い磁場に引きつけられた羅針盤ででもあるかのように亡妻を指し示していることに気づきはじめました。
カップでコーヒーを飲もうとして、お風呂の順番を家族で声かけしようとして、 「もうそろそろ寝ようか」と声を出そうとして、妻の不在に家中が満たされているのを思い知らされます。
そのたびごとに心は「あくがれいづる」のですが、行き場を持たないそれは、涙にならない溜め息としてふわふわと漂いながら床に転がっていきます。部屋の掃除をいくらしてみても、全てが亡妻の思い出と結びついていますから、溜め息はそこいら中に積み重なっていきます。
さて、このままでは身じろぎするのも億劫になってしまいかねない状態になりそうです。
一方そんな風に感傷的な気分を掻き立てる家の中からとりあえず待避しようと試みても、旅に出てそれを楽しむほほどのエネルギーが湧いて来ず、荷物をクルマに詰め込んでみたものの結局どこへもいけずじまい。
ではどうする?
と思ったときに思い出したのが、メモ用紙をやりとりしながら妻と書いた短歌(のようなもの)でした。
妻は8月に、私は9月に仕事を辞め、2人で残りの人生を共に生きる選択をしました。その闘病生活が始まってから、妻は短歌をメモ帳に書き始めます。私もまた、妻が何か書いているのを見て、それに倣って短歌(のようなもの)を付け返すようになりました。
拙いなりに 「表現」が持つ持続性は、今私が身の回りのモノやコトに感じている ふわふわとした 「あくがれいづる魂」に対する一つの 「アンカー(錨〈いかり〉」のような役割を果たしてくれるのでなないか、と考え、毎日少しずつここに書いていこうと思います。
表現とかいうのもをこがましい話ですが、2人が短歌のやりとりをしたその道を辿り直すことは「作業による悲哀の仕事」療法めいた意味ぐらいは持てるのかもしれません。
自分では完結しようのない想いをなんとかくぐり抜けるために、ここに書き記しておきます。
もし万一お時間があればゆっくりお付きあいくださいませ。
選択国語での豊富なコラム、日常生活でのコミュニケーションの取り方、ディベート学習、
楽しく為になる授業を提供して頂きました。
生徒会中央委員会での文章指導、社会での文書、メール文作成に生きるもので、今でも大変助けられています。
一番の思い出は、進路報告で学校を訪れた際に
給食委員長だった自分のアナウンスを
国語の授業に「敬語の使い方」教材として活用頂いたお話、今でも忘れません。
自分自身、現場で教える側に立ち、伝えることの難しさ、大切さを学んだ次第です。
あの頃の学びをもっと後世に語り継ぎ、
還元して行きたいと思います。
彼女はいつも
「教育って『一粒の麦もし死なずば』」だよね
といっていました。仕事を一生懸命やるのは当然なのですが、なんとか教師として次の世代にバトンを繋ぎたい、といつも願っていたのを脇で見ていました。
教え子の方が教職に就き、 彼女の実践の 「何か」を繋げていただけるなら、これ以上嬉しいことはありません。
おそらく亡妻にとって一番の幸せはそこにあると思います。
今の教職は本当に激務です。
くれぐれもお身体に気をつけてください。
返事が大分遅れてしまいました。
>私も次の世代へつなげて
そういう方がいらっしゃるということは、本当にうれしいことですし、妻が最も喜ぶことだと思います。
ご活躍をお祈りします。
先生に御指導して頂いたのは20年以上前になりますが当時は今より学校も荒れていて、私自身も所謂不良に分類される人でした。
元々読書自体は好きだったのですが、そこまで没頭する程ではなかったのですが島貫先生に「カラフル」や「TUGUMI」を紹介して頂き私の人生は変わりました。
本を読むという事は、ただ情報を入れたり娯楽だけでなく読み込めば感情移入して沢山の人生を垣間見れたり、その先にある作者の込めた想いを紐解くヒントや知的好奇心が隠されていること。
当時のテストとしては中々意地悪な問題も多かったですが考えさせられる事も多く人生経験の少ない中学生では難しかったのを今にしては思います。
恥ずかしながら趣味程度ですが未だに物書きをしているのですが、それもこれも島貫先生との出会いが無かったら始まらなかったです。
きっとこの文章も島貫先生が見られたら添削が入り指導を受けそうなのでこれぐらいにさせて頂きます。
遅くはなりましたがご冥福をお祈りします。
妻のことをこんな風に記憶していただいて、本当にうれしいです。
のっぽさんと妻が教室で「出会うこと」ができた、ということは、彼女自身の教師人生にとっても貴重な宝物だったと思います。
思い返すと
「卒業したら私のことなんて忘れなさい」
ってのが本人の口癖でしたが(^_^)。
彼女はもうこの現世に肉体を持って存在はしていませんが、のっぽさんの心の中に住まわせてもらっているのだ、ということを、家族として本当に幸せに感じます。
ありがとうございます。
そしてことばの花束の実践からも分かるように、「表現」を一番大切に考えていました。
僭越ですが、書くことをぜひ続けていっていただけるとうれしいです。教師冥利に尽きるとはおそらくこのことでしょう。
本当におりがとうございました。