龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

今朝、犬が死にました。

2011年11月30日 20時53分53秒 | 大震災の中で
11月に入ってから体調を崩し、点滴をやったり、バスタオルを担架代わりにして運んだり、いろいろ世話をしていたうちの老嬢(柴犬)が今朝亡くなった。
享年11歳。ちょっと柴犬にしてはちょっとまだ若いが、肝臓全体に広がったリンパ腫だから仕方がない、との見立てだった。

不思議なもので、最後は茶の間にケージを置いてそこで寝ていたのだが、足や背中を見ているだけでは生死は分からない。

でも、朝起きて顔を見た瞬間、死んだことが一瞬で分かった。

生きるとは、その顔の表層にいっときも止まることなく、不断にめまぐるしく浮かんで来つづける表情のことなのだ。

その表情と犬の適応している世界像との間に乖離はない。

橋下市長と違ってね(いや「人間」はすべからくペルソナ=生きる世界像の全てではありませんからね。でも今だから比較しちゃう<笑>)。

優(彼女の名前でした)の表情は、生きているわけだから寝ていてもこちらが名前を呼んだだけで、薄目を開けてこちらに意識を向ける時、彼女自身の世界内での存在のありようが顔の表情に如実に表れる。

その表情は彼女が生きる世界を正確に反映しているだろう。
動物が生きるということは、その世界との乖離のなさ、を生きることなのだろう。

人間は違う。飼い主だった母は
「父親が死んだときも、連れあいが死んだときもこんなに泣かなかったのに」
といって泣きながら笑っている。

そうなのだ。犬は、人間の手のひらの中で終始ケアされ、その世界に正確に自らを配置して生ききる。
ところが、人間はそこから「成長」し、その世界との乖離を生きることになっていくだろう。

だから、老母は、父親や夫の死を、飼い犬の死ほど純粋に「泣く」ことはないのだ。
人間が人間を喪失することは、その世界の正確な配置の喪失ではない、ということだろう。

疎外を生きるといってもいいし、差異を生きるといってもいい。
「本来あるべきもの」「同一性」が失われているのではなくて、人間が言語において生きるということは、この飼い犬(動物)と飼い主(世界)のような関係性ではない場所に身を置くという意味で、本質的に「差異」が先行するということなのだろうと思う。

人は、死んでから後、むしろその存在が次第に変質しつつこちら側の心の中に位置を定めだそうとするかのようだ。

掌の中で生きて死ぬ幼子のような飼い犬とは全く違った形で。

人を育てることとペットを育てることとの意味の違いも、自分の頭で分かるのではなくて、その老犬の死の瞬間の表情の喪失の中にちら、とあくまで表面的、表象ならざる表層の喪失の中に見えた気がした。




迷ったので(のだが)書いておく

2011年11月29日 22時48分50秒 | 大震災の中で
橋下徹大阪市長の当選が決まった。
公務員の扱い方や教育行政の内容については賛成できない。

そして橋下氏の言う「民意」には息が詰まりそうだけれど、それでもその閉塞感を打破してほしいという思いは、どこかで私自身も共有している。

橋下氏が独裁を一人でなし得る訳じゃない。
むしろ、平松氏を束になって推薦しても敵わず、当選した翌日には橋下市長に秋波を送る既成政党にうんざりするし、選挙中のネガティブキャンペーンにも腹が立つ。
私は大阪市民じゃないから橋下氏の独裁に責任は負えないが、そのまま単純に国政レベルにたどり着く「独裁」じゃないだろう。
政治の節目はこれからいくつもある。
この2011年は、人為の裂け目という大災害と、地域ローカルな政治とグローバルな経済とがねじれながら出会った年として記憶されることになるだろう。

小田嶋隆がコラム「ア・ピース・オブ・警句」ムッソリーニの例を出して暗に橋下氏の独裁的な「正義」を批判し、Twitterで揶揄していた。

正面から「独裁」だ、といっても埒はあくまい。

声高な反対を唱えるだけなら、むしろその「独裁的」と批判される「正義」は力を得て、不正義への堕落さえをはらみながら拡大させていく手助けになるばかりかもしれない。

こういうと、橋下氏の全てが悪いみたいだけれど、そんなことはない。だから話がややこしいのだ。

教育と行政に対する姿勢はもう絶対反対なんだけどね。

そういう対立する論とは別に、橋下徹氏の表情は、いつ見ても両義的だ。

タメされているのは間違いなく、カレではなく、私だ、と思う。そういう顔をカレは持っている。

自ら感情的な身振りをし、時には相手を感情的にさせる身振りをする。
ナイーブな面をさらしつつ、十分にしたたかな側面をみせて多面的に寄り添える。
私は10年ほど前、政治家は言葉が貧しすぎる、と思っていた。
橋下氏は、言葉の手練れだ。相手に合わせて、言葉をの欲望レベルで権力行使の「力」として使用できる。

繰り返すが、それ自体を「悪」といってみても、おそらく埒は明かない。


たととえば、
「世界の中で競争力を持った大都市・市民を」
というグローバル化に敢えて乗ろうとするその動きを、内田樹は斜陽鎖国ニッポンを称揚しながら批判するけれど(そしていつも言うように、内田樹の「処世術」というか「身の処し方」としてはそれでいいのだろうけれど)、私にとっては、その方法は射程距離半径がいささか短すぎる。

むしろ萱野稔人が『ナショナリズムは悪なのか』で展開するように、ナショナリズムが近代国民国家を作ってきた現実を踏まえつつ、グローバリゼーションとナショナリズムの関係を、国家という「暴力装置」において、権力の作動をどうコントロールするのか、を考え、行動していくことが必要だ。

橋下氏の言動を「独裁」と声高に言い立てるのは、批判者自身が、自らの「正義」を、権力に手を染めない無責任な形で、橋下氏の権力(ある意味で暴力をはらむ)と対置することになってしまうだろう。
そうしたら、橋下氏の支持者は「勢いづく」ばかりだろうし、「正義」の旗の奪い合いにしかならない。

それはニューズウィーク誌日本語版の指摘するように、ティーパーティ的な元気をむしろカレに与えるだろう。
そういう元気の与え方は、カレにとっても幸福ではないんじゃないかな。
余計なお世話かもしれないけれど。


橋下氏は、「暴力的」な提案の言説を明らかに意図して行使している。

ようやく枝野さんとか橋下さんとか、三百代言(弁護士のことです)出身の人間の言説が、人前で堂々とできる時代になった、ということでもあるか。
ことばを扱う仕事をしている私としては、言葉を「武器」にして政治をする時代になったことを、正直うれしく思っている。武器を持って戦争をするよりはいい時代になったものだ。

でも、それはある意味で、無知だったり、素朴に言葉の使い方を知らないでいると、とんでもないところに連れて行かれる、リスクを背負うということでもある。
そして権力行使のための言葉は、最終的に物理的暴力=権力を背景に持つことになるわけだから。

橋下氏はとりあえず「うますぎる」両義性を持っているのだ。政治で使うには「危ない」ような。
それは、誰もが共有する危惧ではないかもしれない。

しかしとにかく、橋下徹氏が投げている表情と言葉の表象の「ボール」は、私にとって目下とても大きな課題なのである。

アーレントがアイヒマン裁判で、彼自身の責任を問うこと、を丁寧に論じている(『責任と判断』)が、それを思い出している。

橋下市長の言葉にうなずくにしても、反対するにしても、どこで自分の「責任と判断」をするのか、が問われる、そんな気持ちにさせる存在なのだ。

教育に対する姿勢は正直噴飯ものだ。到底容認しがたい。
(これについては別途論じる必要があります。宿題です)
公務員に対する扱いだって、ちょっとひどいなあ、それって既得権者として「普通の労働者」をつるし上げるやり方じゃん、と思う。
たぶん、橋下市長は法律家だから、行政の法律がんじがらめ状態のヒドサは十分に分かっていると思う。
それは現場の問題だけでないことも百も承知だろうと思う。
その上で、生活保護や文化行政や教育、原発行政など、叩きやすいところから叩いている。

関西電力は敵とするに十分な相手だと人はいうだろうか。

でも、東京都と大阪府の主張が脱原発を言えるのは、地方じゃないから、にすぎない。

橋下氏はルサンチマンを持って閉塞感がある人の気持ちを誘惑する。
あるいはそれを上手に力学として追い風にする。
でも、「動かずにいると茹でガエルだよ」という閉塞感を打破しようとする人気は、閉塞感という負の感情を前提とした権力作用になっていきはしないか。

だから、言説は自然と糾弾スタイルになり、それでいて簡単に「融和」するなんてことも言い出せる。

橋下氏が生来持っているであろうバランス感覚を誰のために、なんのために、どれだけの限定性を持って行使するのか。

それは、ヘタをすると「タメ」を失って、消費の論理を徹底する危うさが滲むと思う。

おそらく問われているのはそこだ。

橋下氏がその能力を何に使うのか。
その「力」の行使が、様々なところで起こっている「近代」のひずみを、回復不可能なところまで推し進めていくのか。その先に何が見えてくるのかこないのか。

簡単に答えの出る問いではない。
閉塞したまま立ち尽くせばいいってものでもないしね。

彼の提示するもの以上に魅力のある「力」の行使、権力のデザインができるのか?
素人の自分にできることは限られていると思うが、どんな権力行使の絵柄を描けるのか、が市民一人一人に問われているのだ。
橋下氏の当選で、そんなことをとりあえず考えた。


ヒラリー・ハーンという人のヴァイオリンを

2011年11月27日 19時54分17秒 | 大震災の中で
週末、ヒラリー・ハーンという人のヴァイオリンを、そればかりを聴いている。

子どもの頃、7年間も町の音楽教室でヴァイオリンを習ったのに、きらきら星も弾けないし、楽器も手元にないまま30年以上経ってしまった。
週一回レッスンに行くことがどうしてあんなに嫌だったのか今では思い出せない。

とにかく習い事が死ぬほど嫌いだった。
たぶん、当時の地方小都市公務員子弟のガキとしてはスカした感じでヴァイオリンケースを持って市街地まで路面電車で通うこと自体が小っ恥ずかしかったし、土曜半日と日曜日の友人たちとの遊びを断って練習とレッスンをしなければならないことが、どうしても我慢できなかったし、そんなこんなで上手にならないからますます嫌だったし、それでも父親が怖くてサボることもできないほどチキンだったし、結局やるでもなく、やめるでもなく、ダラダラと続けてしまった、というわけだ。

両親の立場で今振り返って考えれば、戦争で自分たちができなかった「文化的」なことを、高度経済成長の時期、子どもにやらせてやりたい、という思いだったのかもしれない。

もう一つ、「文化的」な匂いのすることを親から提供された。
それは集英社から月1回で配本された『少年少女 世界の文学』というハードカバーの名作全集。
それ以外にも推理小説の文庫本や漱石の小説など、文庫であれば気軽にお金を出してくれた。

結果からすると、前者の音楽教室はムダに終わり、後者の本の海の方は、国語教師として飯の種の基礎になった、ということになるだろうか。

90歳になった父親に元気がなくなり、私自身も五〇代の半ばになって体力気力ともに下り坂になってから、そして大震災の後はとくに、クラシック音楽を聴く気持ちになっていった。

そのとき手に取ったのは、昔あれほど嫌がっていたバッハのソナタとかパルティータだというのは、まあ不思議というか当然というか。

iPhoneとituneという「環境」も手伝っているかもしれない。
昔は気になったレコードを買うには、仙台か東京に出るしかなかった。
今はアマゾンとかHMVとか、あるいはituneなどでダウンロードすれば素早く手に入るのだから、本当に隔世の感、である。

日本の古典を読むのが楽しくなったように、クラシックを楽しむようになったのは、老境に入って新しいモノを受け付けなくなってきたから、かもしれない。

ヒラリー・ハーンという人は、余計なことをせずにすぱっと音を届けてくれるところが好きです。
まだ特に他の人の演奏と比較してみたいとは思わない。
ここしばらくは聴き込んでいきます。

中でもバッハが聴きやすくて耳になじみます。
結局鈴木メソッドでやった曲とかバッハが多いしねえ(苦笑)。


Hilary Hahn Plays Bach (Hilary Hahn)
The Essential Hirayr Hahn (Hilary Hahn)
Mozart:Violin Sonatas (Hilary Hahn,Natalie Zhu)
Mach:Violin Concertos (Hilary Hahn,Jeffrey Kahane,Allan Vogel,Margaret Batjer)





大切なのは、人的ネットワーク。

2011年11月27日 17時55分11秒 | インポート
3月11日の大震災以後、以前と違って見えてきたもっとも大きなことの一つは、人と人とのつながりだった。
今までの隣組とか地域共同体、職場・企業のつながり、子育てネットワーク、趣味の友人、腐れ縁の飲み友達、昔やっていた読書会のメンバー、大学の同期、高校のときのサークルの友人(元友人)、元カレ、元カノ、近所のおじさん・おばさん、犬の散歩友達、あるいは給水所で会った見知らぬ、しかし意外なご近所さん、避難所での共同生活、避難した先での人とのつながり……実にさまざまだ。
もちろん、新しい形のつながり、mixi、フェイスブックやTwitter、オンラインソーシャルゲームなども無視できない。

では、私にとって、3/11以降人的ネットワークのウェイトにおいて、何が変わったのか。
そして何が変わらなかったか?

そんなことを、今日はほぼ一日家の中にいて一人で考えていた。

確実に変化したのはTwitter→サイト・ブログの情報量だった。
正直、Twitterのみではそれぞれの「印象」や「瞬時の叫び・反射」がとめどなく流れていくだけのように見えて、それ自体を有用な情報として利用する、という感じではなかった。今でもそれはそんなに変わらない。

でも、Twitterは、単に脳味噌の中の「呟き」が垂れ流されているばかりでもない。

多くはそのときの「今」の出来事に対するリアクションだ。

だから、ツイート自体の当否は別にして(だいたいしばらく眺めているとその人自身のリアクションはしだいに「読める」ようにもなってくる。そのあとになるとファン意識とか惰性とか、水戸黄門的物語承認って側面も大きい)、そのツイートというリアクションを起こした事象にリンクしていく、その広がりをたどっていくと、意外に面白いのである。

もちろん、些細なことまで熱心にネットでは議論されたりもするから、袋小路に入ってしまって何が「本当」なのか分からなくなることもある。
そして、どちらかというとそういうことの方が多い(笑)。

でも、いつのまにか「他人の声」になってしまったり、固着して別の視点が見えなくなってしまっていた「自分の声」に、他者の声を響き合わせ、「分からない」なら「分からない」という場所にいったん自分を引き出して、その上で様々な前提を含めて問い直しながら、「自分の考え」を立て直していくにはいい道具になっている。
また、Twitterは専門分野の先端部分の人の関心が、断片的にではあっても直に飛び込んでくる。
あとは自分で活字に当たればいい。
そういうネットワークの広がりという意味ではもっともこの半年「活躍」したメディアだった。

他方、家族のつながりもぐっと濃密になったと思う。

震災前後に家族の「入院」と「看取り」を経験し、その最中に家の損壊や断水停電、原発事故による避難・居残りの決断などなど、両親夫婦と同居しはじめて1年で起こった「大事件」は、親子・夫婦・兄弟・甥や姪・義母などとの交流を必然的に深め、緩やかなチームとしての意識を結果としてはぐくむことになった。

しかし、友人や知人の中には、震災をきっかけに別居→離婚と引き裂かれていってしまった人もいる。
震災後に容態が変わり、急逝してしまった親戚や元同僚も少なくない。
先週末に友人達と飲んだときも、震災後の訃報を持ち寄るような形になった。

震災をきっかけに結婚して福島に住むことになる、という人もいれば、付き合っていた相手と別れて東京に帰る、という人もいる。
そんなことは大震災があってもなくても同じように起こってはいるのだろう。

でも、私達は地震と津波の罹災に加えて放射能の脅威の中で半年以上を過ごし、震災がなくても必要であった大きな決断を、その大きな影響下で、セシウムを意識しながらさまざまに下していかねばならないことになったわけだ。

突きつけられた「人為の裂け目」の「闇」を意識しつつ、「人為」は続けられねばならない。
それは、避難するか残るか、という二者択一における「同意」や「反発」だけに収斂するものでないことだけはいっておこう。
何が一番大切なのか、っていう姿勢が、はしなくも現れてしまうのだ。
そんなことはもちろん決められない。普段意識するべきような種類のことでもない。
単純に「決断」すればたやすく「嘘」が混じり込みもするだろう一つ一つの選択に、それでもなにやら「選択」してしまったかのような匂いをまとわねばいきていけない、そんな「時代」が始まってしまった、という意識が私達の中にはあるのだろうと思う。

そういう「受動的」な「選択」を意識する意識の中で、私達は人と人とのつながりを以前よりも強く意識し、大切に思うようになるとすれば、みせかけの「受動的な選択」(それがどんなに過激で自分から決断したかのように見える興奮と熱意に満ちたものであっても)を称揚するような人、それだけで歩き出してしまうような人とは、自然と距離を取るようになっていく……そんな形で私は少なくても人的ネットワークを改めてたどりなおそうとし始めているように思うのだ。

反原発も自主避難も、ふるさとに帰ろう、福島は安全だキャンペーンも、どこまで何が危険かの基準さえ「暫定」のままに置かれている以上、私達は私達の与えられた可能性条件の中で、より良く生きようと思って動くより他にない。

そのとき、自分の判断を「理性」や「意志」、「科学」によって過度に強化する人をみると、距離を取るようになる。
少なくても自分が信頼を置いて付き合う気にはなれなくなる。

そういう主張の強度は、必ずしも哲学の強度を保証しない、と思うからだ。

中途半端がいいって話じゃないし、二者択一をした瞬間に間違えるって話でもない。
今は「正しい話」が多すぎるのだ。
私達は「話」にうなずきたいわけじゃない。そんなことは、自分の中の「物語」に任せておけばいい。
私達は人という「他者」と出会い、その違いと出会うことに「うなずきたい」のじゃなかったか。

違う他者と出会って意外な響き合いを見つけた時のために生きているのじゃなかったかしら。
そういう意味で、今は「正しい話」ばかりが職場でも、巷にも溢れていて、結果なにが「正しい」のか見えにくくなっている。

かといって、メタ認識を素早く「計算」するとかいう話をしたいのでもない。

正しさに向かって踏み出したら、その正しさからみて正しくない「今」を生きるように見える身体や物質の側に還ってくる勇気があるかどうか。
間違える勇気、とまではいかなくてもいいが、「力」や「権力」を身近な人との間でどんな風に行使し、あるいは行使を保留するのか。

そういうことに敏感な仲間と酒を飲みたいって話になるのだろうと思う。
身体を伴った身近な人との、繊細な哲学の強度に支えられた出会い。

それもまた物語の一つにすぎないとしても、多声的な物語ではあるだろう。
こたえはそこから先への道にあるのじゃないか。
あるいはその先から手前に戻ってくる道の中に。

そんなことを、考えている。


昨日、Twitterで「大分に移住したい」とつぶやいた。

2011年11月26日 09時30分12秒 | 大震災の中で

昨日の時点での正直な気持ちである。
「ここより他の場所」
に生きる選択肢があるなら、それを選んでみたいというのは、震災や原発事故以前からずっと持っている欲望だ。

但し、大震災直後は、パニック的に避難したいとは思わなかった。むしろ自分の目と耳と体に、起こったことを刻みつけておくべきだと考えていたかもしれない。
でも、夏を過ぎ、災害の中に生きる「興奮との蜜月期間」が終って、静かに疲労感が蓄積してきている。

大波地区の五つの農家の米から基準値を超えるセシウム検出、の報道を聞き、福島市の親戚が「今年はりんごを送らないから」という電話を受け、スーパーで茨城産の半値で県産野菜が売られているのを見ると、そして福島の県の出産数が震災後三割減った、という話を聞くと、九州ならそんなことはなく暮らせるのだろうなあ、と、ふと思う。

とはいえ、私は九州には移住せず、福島県にとどまり続けるのだろう。

なぜなら、以前からファンタジーとして「ここより他の場所」を夢想していた私の願望に今現在形を与えているのは、結局のところ消費者の欲望に他ならないからだ。

それはとりもなおさずかつて福島県に誘致され、震災後も放射性物質を撒き散らしつつ存在し続けている原子力発電所の「稼働原理」と共通しているのではないか、と感じるからでもある。共通は言い過ぎかな?通底?響き合う?
ま、そのあたりはまだよくわからないが。

そこでは、かつて原発は安全です、なんて話を「信じた」福島県民が愚かだったのと同様、今では、福島県は危険なのにまだ避難せず生活している福島県民は愚か、なのだ。

もうみんな福島産品なんて買いたいとは思わないよ、なんてね。

消費者の論理はそういうものだろう。
世界中どこでも便利なところがあればそこへ行き、不便利な事柄やモノは排除されて市場から退場する。

福島県は、消費者の論理としては、間違いなくその「外部リスト」に載ったことになる。
放射線が検出限界以下になるまでは。あるいは消費の論理として排除対象の意味がなくなるまでは。

震災後の被災による心的ダメージがしだいに大きくなっていくこの時期、この消費の論理に苦しめられるのは正直苦しい。

だって、それは自分の中にも装填された論理だから。

震災後の早い時期、既に萱野稔人と大澤真幸の対談で大澤氏が指摘していたことだけれど、

「政府が事態を隠蔽しているというよりもむしろ、どんな基準値を政府が決めてもただちにその基準の正統性が問題になって、基準自体がうまく機能しない」

そういう状況を私たちは生きているのだ、と改めて思う。

消費の論理は、一方では福島県民の被害は避難不要な程度のものとして賠償の対象から外し(それは税金を200万人避難に投入する決定をしないという形で現れる)、他方では福島産のものは買わず、福島県では人間も再生産せず、放射能が検出される期間は消費の範囲の「外部」に位置付ける、ということになるわけだ。

これを別々の主体がバラバラに行っていると観るのは、どうも事態を見誤るのではないか、と最近考えるようになってきた。

税金の投入を200万人避難に使わないのは、私はコスト意識として当然だと思う。私が納税者だったなら(そうなんだけどね)納得しない。ファンタジックな健康幻想に費やすには、あまりに莫大な金額になるから。
でも、他方、それは本当に低線量長期被曝の被害が存在しないと証明された結果じゃないのも自明だ。

なにせ暫定基準ってぐらいだものね(笑)。

行政的法律的に不可能なのでも(原理的には)ない。主たる原因は、どこまでコストをかけるか、の判断だ。
それは政治判断と呼ばれるけれど、一義的には経済的判断、しかも税金をどう「消費」するのか、の判断に(結果としては)なってしまっているのではないか。

でも、他方では、消費者の論理は原発を考慮に入れなかった3/11以前の見事な反転系として、今度は福島全体を考慮の外に置こうとしている。

そしてまた厄介なことに、福島県民自身もその消費の論理を内部に装填されているから、自分たちの生きている場所を「交換可能」な場所として半ば考えてしまうのだ(必ずしも福島が絶対的に交換可能なものだとは思わないですよ、もちろん。程度問題だよね、当然だが)。

このとき私たちは徹底的に情報を「消費するもの」として「情報の生産と消費」に関わることになるだろう。

福島は今、半ばは情報の中にある。
だって暫定的にしか決められない境界線上に福島県は存在していて、どんな立場をとるにしても、福島の一部は、間違いなく消費されるべき経済活動の「外部」になっているからだ。

私は、震災の一ヶ月後、津波の被害を受けた沿岸部を車で走りながら見て、そこに「人為の裂け目」を観た。

今震災から半年以上過ぎたところで、人為による裂け目の隠蔽を目の当たりにしようとしている。「人為の裂け目の人為化」とでもいおうか。

もともと安全基準は私たちにとって自明のことではない。

だから、安全です、も危険です、も、絶対的な「真理」とはかけ離れた匙加減の領域だ。

とすれば「裂け目」はもはやここでは、スティグマとしての力を消費するべき「商品」のごときものとして再生産され、それ自体が負の記号として機能してしまっている。

憂鬱なことに。

「福島 信夫山ネコの憂うつ」
のブロガーが、そのあたりの事情、反原発の言説が福島を徹底的に排除することによって、「外部」としての福島を成立させてしまっている様子を明らかにしてくれている。

私はこのブロガーの意見には同意しないが、ブログの意図は共有したい。

福島は消費の外部を作り出す便利なアイコンじゃないぜってことです。

ただし、福島の中に、触れることのできない「人為の裂け目」が痕跡として存在することを否定することはできない。

それは原発事故だけを特権的に扱うという意味ではなく、それももっとも大きな悲惨な震災の傷だ、という意味でも。

そして、私たちの思考はもちろん境界線なしには成立しない。そんなものの外部に立つ、というのは哲学者かクルクルパーにまかせておけばいいのだ。

だが、消費の論理は最後まで内部に止まるだろう。

外部を簡単に措定して排除するのは、消費者の中に潜むテロリズムだと思う。

白井聡『未完のレーニン』講談社選書メチエ
を読んで、そんなことを考えた。

行政が設定する基準も検証の対象としつつ、科学的データの正確な提供を求めつつ、私は、私たちは、外部と内部をどちらかだけで生きてしまう貧しさから自由でありたいと強く願う。

たとえば、福島大学の推薦入学志願者倍率が低かったのは、まあそりゃ当然だと思う。
消費者の論理からすれば。

値段も安くなるらしい。受験料免除とかね。

それでもなおわたしたちの内部には、クルクルパーな哲学の不可能さの旋律が多声的にが響いていると思う。

思いたい。

それは断じて単なる愛郷心でもなければたんなる無知でもなく、現状維持の諸力の結果でもなく。

福島大学を県外から一般受験で志望する人はかなり減っているという。

選択し得る商品を消費するという観点からいえば、それで当然だ。
県内の高校生でも、敬遠する人は多いだろう。それも当然。
少しでも生命リスクの少ない商品を選ぶのはあたりまえのことだ。
福島を商品として流通させるためには、安全性を高める努力が必要だ。
安全性が低ければ安売りするか、回復が望めなければ市場から撤退するか。

気がついてみたら、テレビのニュースの主題も、放射能それ自体の問題より、福島(の産品)をどう商品として流通させるか、あるいは排除するか、のせめぎ合いがメインになりつつある。

でもね。


風評被害を口にする生産者がどこかある瞬間、「押し売り」に見えてしまうってことはありませんか?

「福島から直ちに避難すべきです」

って助言に、福島を世界の「外部」に追いやって息の根を止めてしまうテロリズムを嗅ぎ取ってしまうのと同様に。

多分、そういう風に単純な言説によって主体を立ち上げる方に、むしろ今からクルクルパー、の称号を差し上げておきたい。

そういうところに主体の匂いを嗅ぎ取って固着してしまう自分の思考の身振りも、いい加減にしておきたい。

ヒューマニズムから、唯物論へ。

二十世紀が抱え続けてきた近代批判の問題を、現実逃避の空想的哲学としてではなく、今ここで徹底的なリアルさで自前の思考を鍛え上げよう、それしかねえや、ってことでした。

何か簡単に悪を排除して、正しいことだけををなし得ると妄想するのではなく。

避難するヒトも残るヒトも、米作りを続けるヒトも止めるヒトも、県産品を食べるヒトも食べない人も、境界線が揺らいでいるのだから、個人的な振る舞いはむしろ何でもあり、だろう。

ただひとつ言い得ることは、境界線の単純な画定による二分法のどちらか内部=世界の半分でだけ生きるわけにはいかないよってこと。

「力」、端的には「権力」・「暴力」に対する感覚と振る舞い方を身に付けていく必要があるってことでしょう。

今、哲学をやってる若い人の多くはそこから信号を発していると感じます。

この項、継続検討です。


『「物質」の蜂起をめざして-レーニン、<力>の思想』白井聡を読み中。すげえ。

2011年11月25日 20時53分16秒 | 評論
『「物質」の蜂起をめざして-レーニン、<力>の思想』白井聡を読み中。すげえ。

読む前に想像していたものよりずっと腑に落ちるし、なるほどそこかあ、とも思う。
しかし、それにしてもレーニンを、ソビエト連邦の誕生→終焉→資本主義の全面化まで来てしまったこの「今」において研究対象とする知的膂力というか、へそ曲がりさ加減というか、そこに痺れながら読み進めている。
カントとレーニンは「モノ自体」に対する姿勢として奇妙な「近さ」があるっていう言及にやられた、と思う。

やられたもなにも、レーニンのことなんてからっきし知らないで「旧世代の遺物」と思っていただけなのだから、何もやられてさえいないただの「無知」というべきなのだが、それにしても、この白井聡という人の「暗い情熱」というか(笑)、もとい、凄みのある切れ味というか、それでいて「まっとうな感じ」がする不思議さというか、國分さんとのトークイベントがなければ絶対手にも取らなかった、と思うと、それもまたびびることではある。

全然分かっていないので解説めいたことは言えないが、それでも、今、脇において併読している東浩紀『一般意志2.0』のリーダビリティの高さとは全く違うのだけれど、そこに引用されているルソーの思想を読みながら、白井さんの「近代における人間=主体」を壊す力としてのレーニンの思想を、2011年の「今」として同時に、肌のひりひりした部分で受け止めている。
それはもちろん「本来性なき疎外」っていう國分さんの提示とも呼応している。

残念ながら「リトルピープルの時代」(宇野常寛)は私にはよく分からないんですが。
村上春樹体験も違う感じだしね。ま、村上春樹自体に対する私自身の齟齬とのねじれた感じもあって、最初でつまずいちゃったから、こちらはとりえず保留=宿題。

この週末は白井聡の「レーニン」にかなりやられています。




國分功一郎×白井聡『暇と退屈の倫理学』刊行記念トークイベント|第2弾のこと

2011年11月24日 22時31分43秒 | 評論
國分功一郎×白井聡『暇と退屈の倫理学』刊行記念トークイベント|第2弾のこと

『未完のレーニン』白井聡を読了。
次の課題本
『「物質」の蜂起をめざして-レーニン、<力>の思想』白井聡
を読み始める。まだよく分からないが、対談の白井さんを重ねて読むと、「徹底的に行くところまで行く」というアグレッシヴな印象がさらに強くなってくる。

『未完のレーニン』の方は、
「だいたい今時レーニンって……」
とかいう温い感じで読み始めたら、あっという間に置いてきぼりを食らってしまった感じもあって、十分文章についていけなかった。

また、11月19日の時も、正直、白井さんと國分さんのトークを聴いているときは、どこか「齟齬」を感じていました。二人の話が十分に噛み合っていないような気がして。

まあ、今もその感じが全く解消されたわけではありません。
でも、白井さんのぐぐっと内部に向かって潜りながら「飛ばす」感じは、遠くから響き合わせるべき調べなのかもしれない、とこの二冊目を開いてようやく考え直し始めています。

デカルトの方向に展開していった近代とは違ったもう一つの可能性をスピノザに見ている國分さんと、
ロシア革命・ソビエト連邦の方にいった20世紀社会主義とは違った別の「力」をレーニンに見ている白井さんとは、背中合わせにずっと近しく響き合っているってことなんだろうか。

この二人を同時に読むと、すげえ肩に力がはいっちゃいそうですけど、その「力」に満ちあふれたドライブ感がたまらないです。

そうそう、『暇と退屈の倫理学』をクラスの高校生に貸し出ししたら、
「まだ第1章読んだだけですけど、すんげー面白いですっ」
って感想でした。
やっぱりやるなあ『暇倫』。






國分功一郎『暇と退屈の倫理学』刊行記念トークイベント|第一弾を観た.

2011年11月16日 00時27分41秒 | 評論
『暇と退屈の倫理学』刊行記念トークイベント
第一弾が動画(USTREAM)で公開されていたのだが、犬の看病などで後回しになり、ようやく今晩通しで観ることができた。

http://www.asahipress.com/hima_web/#talk_01

『暇と退屈の倫理学』はスピノザ哲学の研究者である國分功一郎氏が、すぐれて「個人的な関心」にこだわって構想10年、描き上げた「哲学者による自己啓発本」(by千葉雅也)です。

そして、上記イベントは、ともにドゥルーズ哲学研究者で(も)ある國分・千葉両氏が、本の刊行記念として行ったもの。

大上段の直球勝負イメージのスピノザ主義者國分氏の「朝」のようなすがすがしさと、ラカン的分析を前提とした「夜」の楽しみ=「トランスアディクション」をぶつけてつっこむ千葉氏の対比が面白かったです。

本自体は読めばいい、というか、読めば楽しめる。
というか、この本は基本エクリチュールをプロセスとして楽しむ以外にない(「結論が大事なのではなく過程が大事なんだという結論」ではなく<笑>)わけで、だからむしろトークは、その本の外部の楽しみとして楽しむ「別メニュー」になっていました。

真正面から生きる倫理を問うていく「自己啓発本」を丁寧に「脱構築」してくれる千葉さんの「追及」の愛に満ちた「かいがいしさ」がむしろこのトークのキモだったかもしれません(笑)。


「生成変化を乱したくなければ動きすぎてはいけない」
っていうドゥルーズの言葉がお気に入りだっていう千葉さん、いい味でした。

全部で1時間半ほどですが、興味のあるかたはどうぞ。

でもまずは本自体の方がお勧めかな。

本を読んだ後で、誰かと喋りたいけどすぐには相手が見つからないという人がいたらぜひ!



犬の点滴(2)

2011年11月13日 21時03分28秒 | インポート
血液検査で白血球が普通の5倍。
肝臓が全体的に腫れている。
組織検査のサンプルを取り、送ってみるけれど、リンパ腫の疑いが大きいとのこと。

肝臓ガン、ということか。
とりあえず抗生物質とステロイドの投薬。家で点滴をすることになる。

犬の点滴?

んー、良く分からん。

右前足にシリコンの針を埋めてゴムのキャップをし、顔にエリザベスカバー?をつけて家に戻ってきた。

〆て2万3千円。医療保険が利かないってこういうことなのね(トホホ)。

家に戻ってから、犬の点滴という初体験の準備。
いやいやけっこう疲れました。
病気で元気がなくなっていたからまだ良かったけれど、天井からつり下げた点滴の針をセットしてケージの中に入れるまでまた一仕事でした。

年齢を考えると手術はどうだろう。
となれば悪性だと抗がん剤使用、ということになる。

検査の結果が心配だが、とりあえずは待つしかない。

今までは散歩にときどき付き合う程度だったが、病気になるとこちらも身体を寄せていくことになる。
病気の身体はそれだけでも辛いだろうし、治療行為自体、動物には理解できない理不尽な扱い、でもあるだろう。

でも、この感じは子育てにやっぱり似ている。幼児の頃子どもが病気になって何もしゃべれないとき、こんな風に病院にいったり看病したりしていたのだった。
考えてみると、父親の最後も少し似ていたかもしれない。

人は、動物から人間になって、また動物に帰っていく。
その生きることの基層を、飼い犬の点滴は改めて実感させてくれたようだ。

点滴でとりあえず熱が引いた「老嬢」は、餌も水も摂りはじめ、ぐっと元気を取り戻してきた。
とりあえずは一安心。

だが、来週末には検査の結果が届く。
保険が利かないから、手術でも抗がん剤でもなかなか大変である。

医療保険が利かないアメリカの人は、こんな風に命をお金で換算しながら生きていくのかしらん。
日本人はこういう場所から遠いところに今までいたんだなあ、と、いろいろ考えた週末だった。







犬の点滴(1)

2011年11月13日 20時21分00秒 | インポート
今週半ば職場にいるとき、老母からメールが来た。

「犬の食欲が全くないので、夕方病院に連れて行きたい」

四半世紀前、まだ若かったころなら犬の病気で仕事を切り上げるなんて考えられなかった。

だが、今は違う。
犬も「家族の一員」ってなことになっている。

正直いささか気持ちが悪い。
私にとって、犬は犬だ。
もっといえば、人間だって犬みたいなものである。
生きるだけ生きて、死ぬときは死ぬ。それでいいじゃないか、と思う。

「生命」はもちろんとりあえず一番大切なものだし、いざとなったら執着するのだろうけれど、我執を振り回すのは本人だけで沢山だ。
周りのモノ全てが「生命」以上の価値を持たないかのように振る舞うのにはいささか閉口する。
「生命」のリミットとしての死。
そこは、人間の最後の悪あがきが現金で賭けてある場所ではなかったか。

ま、そういうのは今時流行らないのだろう。

まして、連れあいを震災直後に亡くした老母にとっては、柴の老嬢が「唯一の財産」である。
小論文の添削を早めに切り上げて、動物病院に連れて行った。

うちの柴犬は12歳。まだ寿命というのには少し早い。
だが、食わせ放題食わせているので、体重がかなり重く、足取りもよたよたしている。
最後の命をどうこういうより、早めにダイエットさせておいてやるのが動物自身のタメなのだが、食べさせることが愛情表現になっている母親には、そのあたりなかなか難しいらしい。

甘やかされた最近の動物たちが集まる動物病院の待合室では、お互いに興味津々でありながら、ちょっと怯えた様子で間合いを計り合っている。

「とりあえず熱があるので、それを下げれば食欲は戻るだろう」

という獣医さんの見立てで、抗生物質を注射してもらい、一晩様子を見ることになった。

ペットを飼っている人はご案内だと思うが、動物の診察台は、比較的高い。
高いところに乗せると犬などは怯えるためか、おとなしくなって都合がよいという話を聞いたことがあるが、そに乗せるのも一仕事だし、診察台でも直腸検温や注射、触診など、うちの「娘」はいちいち吠える。

柴犬は比較的うるさい、のだそうだが、それにしても触られ慣れていないからだろう。

首を羽交い締めにしてじっと怯えて暴れる犬を押さつつなだめていると、教師の仕事も実はこんなものかもしれないな、と、ふとおかしくなってきた。

一晩様子を見てみたが、いっこうに食欲が戻らない。
翌日の夕方もう一度車に乗せて動物病院へ。

このときはもう、車にも飛び乗れないほどになっていた。

具合がよくならないのを見て、お医者さんが検査をしましょう、とおっしゃった。

採血、エコー、レントゲン、と、首をつかんだり、両足を握ったり、鉛のエプロンを着てレントゲン室で押さえ込んだりして、数時間悪戦苦闘。

犬も疲れるだろうが、私も疲れた……(苦笑)。






ダライ・ラマ14世講演を聴いて

2011年11月07日 00時08分06秒 | 大震災の中で
ダライ・ラマ14世講演を聴いていて、最も痛切に感じたことは、

「英語が分かったらいいのに」
だった。
講演は、一区切り法王が喋ったら、そこについて脇にいる通訳の方が日本語で語り直すという形式で進行した。だから、内容は講演時間の正味半分。もどかしい。
加えて、英語が分かっている人はどんどん理解していくのに、こちらは通訳の方を通してだから、臨場感にズレが生じる。小さなことのようだが、法王はそんなに難しい単語を用いているわけでもなければ、そんなに高速で喋っているわけでもない。
このダライ・ラマ法王の講演ぐらいは自分の耳で聞き取れる「べき」だと、思った。

いまさらこれから英語の「耳」を育てるのか、と思うと正直げんなりする。そしてもう日本語もよく聞こえなくなってきているのに「無理」とも思う。
でも、語学は必要だね、というのが結論。日本の若者、頑張れ!おじさんはもうリタイアするが(笑)。

二つ目に感じたことは
secular(世俗の)
と言う言葉がものすごく繰り返されていたこと。
もちろん、単なる「仏教」の立場からというポジションじゃないんだよ、と説明する必要があるのは分かる。
でも、途中でiPhoneで辞書を引いてようやく分かったのだが、そういう気になるキーワードだった。

これは、ある意味で「公共性」概念と響き合うものなのじゃないか?
「宗教の倫理は世界を包摂しない」
というのは、宗教VS世俗っていう対立じゃなくて、「複数性」をバラバラにせずにその「世俗的」なる場所でどう繋げていくか、っていうその「場所」の問題であって、それはむしろ「公共的なるもの」に接続していく概念かと思われた。

冒頭部、「亡命者であり難民でもあるからこそ様々異なる考えと出会った」といい、末尾には「70億いれば70億の問題がある、だからDon't Worry」と締めくくっているのも、多様性というか寛容性というか、そのあたりを示唆しているのかな、と感じた。

言っていることは「当たり前」で、一瞬あっけないぐらいだが、その「姿勢」をゆっくり読んでいくと滋味深いんじゃないかな、という懐の深さを感じる。
魅力はむしろそちらの方にあるかもしれない。

質問させてもらったのだけれど、意図が十分伝わらなかったようで残念。
ま、それもご愛敬でしょうが。



ダライラマ14世福島県郡山市の講演概要メモ

2011年11月06日 23時25分07秒 | 大震災の中で
ダライ・ラマ法王14世特別講演会
日時:2011年11月5日(日)
場所:福島県郡山市日大工学部体育館
演題:「苦しみを乗り越え、困難に打ち勝つ力」

この講演は、福島県から世界に発信することを目的に今年4月に開塾された下村満子が主宰する「生き方塾」のイベントとして開催されました


以下、連続して講演内容のメモを書きます。
(私が理解できた範囲なので、あくまで個人が受け取ったこととご理解ください)

(開始)
57年間、亡命し、難民として生きてきた。その結果、世界の異なった考え方の沢山の人と出会った。
天災は別として、ほとんど多くのものは人間が自らの手で作り出したものだ。

それが大きな問題となるのは、現実に対する認識が不十分であるからだ。

だからこそ、物事を全体的に考えることが必要。
一つの見方だけではダメ。正しい現実を把握することが必要。正しい現実を知る、とは複雑な現実を知る、ということだ。

そのために重要なのが教育なのである。

人間は物質的・技術的・外面的には進歩し、高められてきた。
だが、そうではなく、心の中の良き資質を高めること。つ
まり内的世界を、教育を通して高めることが必要なのである。

では、私達の高めていくべき価値=倫理とは何か?

やさしさと思いやりである。
知識・教養・脳の活性化だけでは足りない。
他の生命あるものの痛みを分かり、思いやりを持つことが必要だと考えている。

そこで、その倫理について考えるとき、ヨーロッパの人々は宗教行く基づいて考えることが多い。他方、世俗的な意味で倫理を考える行き方もある。
私(ダライ・ラマ)は後者を取る。

正しい倫理観、正しい動機によって、心と体(外面的な行い)に正しい方向づけをしていくことができる。

他者を助けて役に立つ。貢献と奉仕を行っていく。
もしそれができなくても他者に害や迷惑を与えないことだ。

なるほど、愛や自費など宗教は共通の教えを説いている。
しかし、宗教に基づく倫理は全世界を包摂しない!

そうではなく、すべての人間を包摂する倫理が必要だ。
ユニバーサルな方法が必要なのだ。
個人から家庭へ、そして社会へと説明を広くしていく必要がある。

そのためには、世俗のレベルで説くことが大切。
そのような倫理観が必要だと確信することによって、
愛と慈悲による
1,身体の健康
2,心の平和
3,家庭の平和
4,社会の平和
5,世界の平和
が実現する。

それは決して「神」への奉仕ではない。
そしてまたこれは来世の話ではない。

個人の平和な心を高める。そのために教育はキーファクターになるのである。

実のところ今、皆世界は同じ状況なのではないか。お金や経済、モノの向上、その重要性を強調しすぎている。
(その結果むしろ)
私達が抱える問題はますます増えていってしまっている。

宗教ではなく、世俗的倫理性を高めるアプローチを考え、多くの人と分かち合いたい。

イスラム教徒の人、キリスト教徒の人がいる。
またあるいはそれらの宗教を拒絶する態度を取る人もいる。
それらは互いに尊敬されるべきだ。

(例)
古代インドには様々な学派があった。
ローカーヤタ学派というものもあった(無神論的で異端とされた、とか)。
この学派の見解を否定するのは構わない。しかし、インドの人々は、人に対する敬意を持つ姿勢は保たれてきた。
見解と人とを区別すべきだ。

人に対する尊敬を持つと言うこと。全ての宗教に対するリスペクトをすること。それは宗教を持たない人をも含んでいる。

協調しつつ共存する、ということをインドでは行ってきたのだ。

現実的な意味において価値観を高めようとすること、一人の人間において正しい生き方をする、ということが大切なのだ。
ガンディや( 不明  )などのように、自身の宗教があるということと、世俗の倫理観を高めることとは、何ら矛盾しない。

近代教育を通して倫理観を高めていくことに対して、大きな賛同を得ることができる。

(例)
 瞑想修行が、ウィスコンシン州大学において研究に取り入れられ、心をよりおだやかにする訓練の成果が出ている。
 つまり、内なる価値観を高めることが個人を幸せにし、行動をより良いものにしていく、降下がある、ということだ。個人が穏やかな雰囲気を身につけそのことによって、学校が、そして社会がより幸せになることができるのだ。

 人々は今、近代的教育を通して世俗のレベルの倫理観を高めていくことを考えている。
 日本社会の中にも大きな反応が起こってきている。たとえばこの「下村塾」のように。
 教育を通して倫理を守り、正しく生きる道を得るということだ。

 私は、物質的なものには満たされていながら、心の中が平和でない人をたくさん知っています。モノやお金で心の平和は築くことができないのは明らかだ。

 肉体レベルはいいのだが、精神レベルはダメ、ということがある。

 自分自身で心の中を変えて自身の良き資質を高めることによって初めて心の平和を得ることができる。

(例)
スーパーマーケットにいって「心の平和はどこに売っていますか」と聞いてもそれは買えません(笑)


そこで、世俗の倫理観を高める方法には3つあります。

一つ目は、共通の体験に基づくものです。

 (例)
 母親の胸に抱かれて愛情豊かに育てられてきた。完全に依存して成長してきた。
 生後2・3週のうちに十分に愛され頬ずりされることが脳の発達に重要だ、という研究もある。
 愛情の種を受けた人々は、自信を持って人生を生きていくことができる。
 他方、心の奥底に不安を持って成長すると、他人に愛情を示すことができない。

私の母は農婦で、知識はなかった。が、暖かで穏やかな人だった。本当に優しい人だった。
少しスポイルされたぐらいで、私はいささか攻撃的になったかもしれない(笑)。
子どもの頃よく母親に肩車をしてもらった。右に行きたいときは母の右耳をひっぱり、左に行きたいときは左耳を引っ張った。母はいつも暖かく見守ってくれた。私の中の愛と慈悲は、母親からもらったものだ。

二つ目に世俗的価値観を高めていく方法は、常識に基づいて倫理を説いていくことだ。

 両親が愛情豊かであれば、喜び・楽しみ・幸せがそこに生まれ、信頼が種と鳴って尊敬の程度が高まる。
両親がそういう状態でないと、たとえ豊かであっても嫉妬や疑惑が生じて不幸になってしまう。

 動物でもそうだが、友情や愛情に基づく信頼が重要だ。

 一つの社会の中で、世俗的に倫理観に満ちた人がいれば、より良く生きることが出来る。一人一人が倫理をもっていなければそうはならない。
 私がアメリカを訪れた時、これだけ豊かな国でも、その首都でも、貧富の差が大きく、悪事を働く人が多い。そういうところでは人は安心して生きることができない。

 一個人が他に対する優しさを思いやりを持つことが、社会全体を幸せにしていく大きな要素になっている。

三つ目に世俗的価値観を高めていく方法は、人間の心のレベルの研究だ。

 20世紀前半までは、肉体的リサーチが中心だった。
 しかし、20世紀後半からは、人間の心に研究のレベルが到達してきた。
(例)
 怒りや憎しみや破壊的な感情は、免疫を低下させ、穏やかで健全な心を持つとより健康になる、ということが研究で分かってきた。
一人一人の健康=心の平和が重要だ。世俗的倫理観に基づく正しい生活が大切なのだ。

(例)
 例としてコスメティックがある。女性が外面的美しさを目指しても長続きしないし、男性の心を未了することはできない。
 内面における美しさを磨くこと。一人の人間としての内面的な美しさが重要だ。
 ガンディーなども同じことを言っている。

 全ての生命を慈しみ、人権や幸せを目指すこと。それは私達によって何十年も記憶に止められていくだろう。

 心の平和、検算名心を維持することが大切になる。他者への尊敬を大切にすれば、騙し搾取、いじめはなくなる。信頼関係を高めることができる。

 全ての源は穏やかな心の平和だ。
 全ての生命に対する暖かさと優しさが大切なのだ。

 それらが脳細胞にも良い影響を与えていくのだ。肉体的に免疫が弱いと病気になる。心もそれと同じだ。
 強い免疫力を持って現実にアプローチしていけば、困難も自信を持ち精神力で乗り越えることができる。
 そうでないと、些細なことでも負けてしまう。

(例)
 昨日石巻でも、私はこのようなことをいった。
 起きてしまったことは仕方がない。悲しみを続けるのではなく、新しく頑張ることが大切。自信を持ち、楽観的に立ち向かっていくことが大切なのだ、と。

ここで講演本体は終了。その後質疑応答があったが省略。

最後に、

世界には70億人の人間がいて、その全てが問題を抱えている。どんなことがあるにせよ、あと2000年ぐらいは人間は滅びずに存在していくでしょう。だから楽観的にね。心配ないよ、

という言葉で締めくくられた。
(終了)

武器輸出三原則の見直しに着手(朝日新聞デジタル)

2011年11月05日 00時03分26秒 | 社会
武器輸出三原則の見直しに着手(朝日新聞デジタル)

という記事を見た。

これもまた、考え始めれば様々な事情があるのだろう。
でも、私は反対。

人を殺すための武器を「輸出」する日本より、「輸出」しない日本でありたい。

ナイーブすぎますかね?

武器というものが全く不要だとも思わない。
全ての暴力がこの世から消えてしまえばいいのに、とも思うが、そう簡単にははいかないだろう。

でも、さまざまな事情があるとはいえ、ここしばらくの間武器を輸出せずに来た歴史は、そう悪いものじゃない。
可能ならばそれを続けたい。続けていきたい。

そういう手だてはないのだろうか?

アメリカの傘の下にいたっていう従属的立場にいたから出来た「隔離」という側面もあるのかもしれない。
世界の中で一人前のプレーヤーになるには武器も自前でってことか。

原子力発電もそうだった。豊かになるために、暴力的なまでに圧倒的な「力」を必要としたのだ。
政府も、国民も、電力会社も、そして私達も。

国を守る技術を高めるためにっていう理由をつけて、そしておそらくは商売のためにも、武器を輸出する、という。

悪いことは言わないから止めておけってことだ。

TPPも私にとっては近いものを感じる。ココロのそこから「そこだ!」って感じが全然しない。
しょうがないから、やらなければより事態が悪化するかから。
もう早くやらないと遅くなるから。

まあさ。
自分だけじゃあ無理だよ、秩序に適合して生きて行けよっていういわゆる「去勢」的な言説の必要性も分かる。

でもね。
そんな風に適合すべき「社会」って、資本主義社会なの?民主主義社会なの?平等な社会なの?公正な社会なの?格差社会なの?

それはむしろ自分たちの閉塞感を解消したいための鏡像への欲望じゃないの?っていう視点も必要だろうと思うよ。
言説だかんね、今、渦を作っているのは。

手っ取り早い外部の「秩序」をしょうがないからってなしくずしに選択するぐらいだったら、日本の豊かさを、どううまく黄昏れさせていくか、とか、低空飛行で温度を低くそして長くバランスさせるか、なんてことを考える選択肢だってあっていい。

「やるか/やめるか」
っていう二分法じゃなくてね。どちらかを選ぶっていうのは勇ましいようだけれど、そのフレームとなっている前提を「問う」ことがあらかじめ排除されている。

そういう装われた手遅れ性を前提としない「疎外」というか「差異」というか「亀裂」の受け入れから始めたいな。

とりあえず、武器輸出と原発再開は止めておいた方がいいんじゃないのかね?









iPad2の使い心地が良いということ

2011年11月04日 00時33分37秒 | iPhone&iPad2
iPad2の使い心地が良いということ。

もう使っている人には当たり前だし、使っていなかった10月までの自分にとっては分からなかったことなのだけれど、iPad2の使い心地がすこぶる良い。

iPad2できることって、ほぼiPhon4で代替できる。むじそ大きくなって電話できないだけ……というのは、当たっているんだけれど、でも、全然違うんだよね。

今までは
Windows7パソコンとiPhone4+Bluetoothキーボード+携帯用バッテリー
という環境で1年ちょっと過ごしてきた。これはこれで何の不便もない。
家のWi-Fiで、どこでもiPhoneでネットを見たりTwitterしたり、メールを送受信してブログも読み書きできる。

iPad2が来たからといって、実は出来ること自体にはそんなに変わりがない。
逆にいえば、今までいろいろ軽くて小さい端末を使ってきたけれど、機能的にはiPadってのはそんなに出来ることは多くない。キーボードとか入力しやすいかっていったら、PCにつないでいるTopreのキーボードの方がガラスをなぞるバーチャルなキーボードよりよほど使いやすい。画面だってPCモニタの方が広いし、iPhoneの方が軽くてどこにでも持ち運べる。

でも、iPad2は触りたくなる。
それを使って遊ぶことが圧倒的に楽しい。
何のココロの準備もスキルもなく使える。
指と目の可動・集中可能範囲にぴったりしている。
身体に近いのだ。
だから、その道具にココロが近くなり、結果その先の出来事に集中できる。

外出時にアップルのBluetoothキーボードとiPhoneとiPhoneスタンドとバッテリーを持って出て、喫茶店でそれらをバッグから出してセットして物書きを始めるのも別に悪くはない。
でも、iPad2だったら、何の準備もなく、世界の窓がそこにあらかじめ四角に切られてでもいるかのように、スッと入っていける。

79歳の母が、今晩作った料理のゆで野菜サラダのレシピは、早速手に入れたiPad2のアプリで検索したものだった。

25年前、パソコン通信のサーバーを立ち上げて、自分のPCに数回線の電話とモデムをつないで掲示板の書き込みやファイルのアップロードを積み重ねてそのメモリの中に小宇宙を作って遊んでいたころと、やっていることの本質はそんなに変わっていないとも言える。

電話回線がwi-fiになり、256kバイトのメモリが32Gバイトになり、繋がるのが数人とのチャット、一〇〇人程度の会員の書き込みではなく、全世界に開かれ、情報の処理速度は何十倍にもなり、キャラクタのみだったコンテンツは動画も音楽も生中継までになり……。

でも、部屋の中にいながら、モニタの向こう側にバーチャルな人の息づかいが見えたあの瞬間の驚きと喜びの延長線上に、このiPad2も位置している。
そんなに革命的な話じゃないのだ。

でも、やっぱり凄いんだよね。
その凄さは、それこそ『暇と退屈の倫理学』で引用されていた(テキスト貸し出し中につき引用元が不明)、生きることを「花で飾る」ってポイントにも繋がっているのかなぁ。
ネットワークの原理が重要なのでもなければ、こうすれば繋がるって技術が大切なのでもなく、習得すれば誰でもできるノウハウ、が大事なのでもたぶんない。

技術とは透明で匿名的で、誰でもがその恩恵を受けるべきものだって誰かが言ってたけれど、インフラ的な技術はその通り。技術や体力がなければ水が飲めないってなったら死活問題だし、現代文明は崩壊しちゃう。

このイノベーション(新しい切り口?by wiki)って、お金さえ出せば、ってもんでもないんだよね、きっと。
できるとかできないとか役に立つとか立たないとかじゃなくてね。

飛躍するみたいだけど、教育もまた、そういうことなんじゃないかな。

タブレットを教科書にっていうと、一見SoftBankの社長さんの陰謀みたいに聞こえてしまうかもしれないけれど、そうじゃなくて、紙の教科書に限定されない広大な情報のジャングルをナビしてくれる教科書としてのタブレット端末は、絶対あった方がいいと思う。

別に教科書が教育するわけじゃない。基本的に教育のメディア=「端末」は何だっていいとも言える。

でも、6歳から80歳までを魅了するメディアとしての端末には、教科書に取って代わるぐらいの魅力があると思うのです。
スマートフォンじゃこうはいかない。
教室にPCが40台あったからといってそうはいかない。

私的な場所と公的な場所をつなぐものがテキストなのだとしたら、教科書をこういう端末に代替していくことを真剣に考えてもいいのじゃないか。

その次にくる問いかけは、「じゃあこのジョブズが作った端末のように、おまえの仕事(教師としては授業)にイノベーションがあるのか」である。

まあなかなか難しいんだね、これが。
でも、新しい切り口を探しつづけるってことは、していきたいと思う。
その新しさが時代の求めるものになるのかどうか、っていうのは、教育の広がりや深さのスパンをどの程度に設定するか
によっても変わってくるんだけれど。