龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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妻の一周忌の話し。

2020年05月24日 11時12分16秒 | 相聞歌
今日お墓参りをしてきた。

父の死が東日本大震災と原発事故に重なって、家族だけの見送りになったのと同じように、妻の一周忌は新型コロナウィルスの非常時態宣言のため、母と息子(上)と3人3代で墓参りを済ませてきた。

首都圏にいる息子(下)は呼ばなかった。

若い時分は、法事なんて何の意味があるのか分からなかった。
今は少しその意味が分かるような気がする。私にとっては、可能性の扉を一つ一つ閉じていく営みなのだ。
だからこれはあくまでも現在形の仕事だ。

過去に止まってはいられない、と思っていたのは30代までのこと。
40代になると、いままでやってきたことの「報い」というか、「結果」が出はじめる。

50代になると、何はともあれいままで考えてきたことややってきたことの大きな全体像が見えてくる。

一方、平凡な人生を歩む私たちにとっては、今までと同じだけ時間をかけて何かをすることは、もはや許されていない、と自覚させられる年代でもある。

父は、震災の存在すら理解せず、ただ「家に帰りたいよ」と呟きながら亡くなった。

妻は「令和」の年号が発表された後、「知らなくてもいいことを知ったね」と笑いながら死を受け入れた。

お墓にお参りしたり、法事を執り行うのは、その人と共に生きてきた人生の可能性の扉を一つ一つ静かに閉じていく行為なのだ、と今は思う。

1人の人間が亡くなったからといって、「遅るる者たち」の心の中からその人の存在が消去されるはずはない。

また一方、どんな身近な家族であろうと、乳幼児でもなければ24時間を共に生活はしないだろう。

私たちは幾分かは常に、「記憶の中のその人」といつも一緒に生きているのだ。

だから、その人は死んでもいなくならない。私たちが次に会ううまでは「記憶されたその人」と付き合っているように、それと同じように私たちは死者とも付き合っている。

もちろん、死んだことは分かっている。だが、ちょうど連休中に読んだガルシア・マルケスの『百年の孤独』に登場する死者の亡霊のように、私たちは彼らを見、彼らと対話しながら生きていくのだ。
そしていつか、死者たちは二度目の死を迎える。それは亡霊となった彼らが、私たちと共に生きる可能性が閉じられた時だ。

それは必ずしもこの世の中から亡くなった日、ではない。
一方、思い出さなくなったときが終わり、でもないだろう。一生記憶の中には思い出として残っている。
今考えているのは、それとは少しべつの話しだ。

こうして、何度かの墓参りをし、法事を済ませ、仏壇や神棚などに手を合わせていく中で、そのの人との新たな出会いの可能性の扉を一つ一つ閉じていく。
そういうことだ。

その「可能性の扉」を閉じる終わり方は、繰り返し終わっていくリアルタイムな仕事の結果、訪れるのかもしれない。

可能性、とは何だろう、ということも考えるようになった。

人生に無限の時間が与えられてはいないのだから、私たちは有限の生を生きる。そこでは可能性は開かれているものの、限りもまた、ある。
有限の生と有限の生が互いに出会い、影響しあって生きることの中に、「より良き生」がありえるのだともし考えるとすれば、それは「可能」を生きる、ということなのかもしれない、とも思う。

私にとっては共に生きる可能性が無くなることが、悲しさの一番なのかもしれない。 

これから一緒に旅行に誘おうと思っても誘えない。

美味しいものを分かち合おうとしても分かちあえない。

1人で過ごしてても、いつか一緒に語らいたい、と思うこともかなわない。

それは、愛着とはおそらく少しちがうのではないか、と思う。

人との別れが悲しいのは、愛着ゆえ、だけだとはどうしても思えない。

愛着や依存という情緒はもちろんあるし、大切でもある。
だが、それが一番掛け替えのない感情だとも思えないのだ。大事な人やもの、ことを失えばそれは寂しいし、悲しい。

だが、本当に自分に問い直してみるとき、人との出会いが終わりを迎えるとき、「愛着」が一番だというのは端的にどこか足りないような気がしている。

とはいえ、それを声高に主張すると、まるで愛情の欠如の現れでもあるような気もして、言葉にするのもためらわれる。

愛着や依存、思い出にすること、とは少し違う形で、「可能性の扉」を少しずつ閉じていく営み。

その辺りの事情を、妻の一周忌の雨の夜、自分なりにゆっくりと考えている。


浅野俊哉『スピノザ<触発の思考>』明石書店は、スピノザの練習問題。

2020年05月18日 12時50分32秒 | メディア日記
浅野俊哉『スピノザ<触発の思考>』明石書店
を読了。
この本は、スピノザを現代の中で考えるときに必要な練習問題を解いてくれている、という感じがする。

ニーチェ、レオ・シュトラウス、アドルノ、ネグリ、シュミット、三木清など(バーリンはよく知らないので……)におけるスピノザ受容やスピノザ理解、スピノザ批判を取り上げ、それらの思想家との距離を測定しなおす作業をしながら、筆者と一緒に現代におけるスピノザの「可能性」を考えるという本、という風に理解して読んだ。

「スピノザの思想は、そこに姿を映した者が、自らのゆがみや偏り、あるいは秘してきたものを大写しで見させられる、精巧に磨き上げられた水晶玉のようなものかもしれない……。/思想史を反転させ「もう一つのあり得る思考」の水脈を明るみに出す」

と表紙にある通り。

「スピノザが批判するのは、むしろ、「他者」という位相を特権化することによってそれを自己の「外部」と規定し、自他の間に乗り越えることの不可能な壁を構築するような、ある種の思考だった(かれは「人間」や「存在」という表象すら非十全な観念として告発しつづけた)。スピノザはきたるべき全体性の一景気として他者性を揚棄するのではなく、様態としての世界にしかいきられない私たちに対し、他者をその不定型な多様性のまま感受し、互いに触発し合い、その無数の力の放射に応答していくという行動様式を提示している。」P41~P42

ざっくり早わかりしてしまうと、スピノザには普通の神様のごとき外在的人格神が存在しないため、その神様に対して良心に恥じないことをするとか神様に対して道徳を以て向き合うみたいな姿勢が全くなく、そこがニーチェによって「良心なき思考」みたいに言われたりする。
しかしその一方で、非十全な形でしか知り合えない限定された「様態」同士である人間が、互いに影響を与え合いつつ互いに「よりよき生」を目指して生きていくことを強く内在的な喜びとして捉えている、ということになる。
そしてここに明らかに存在する人格とか人間性とか他者に依拠しない「共同性」の「芽」から、multitude(マルチチュード)的な発想も生まれてくるというわけだ。

スピノザは、暴力がいけないのは「悲しみ」をもたらすからだ、という。その悲しみは、自らの力が非十全的な方向に向かうから「悲しい」ということであって、内面的な人間の感情としての悲しみではなく、身体を伴った「情動」としての悲しみなのだって話になる。

レオ・シュトラウスの項などは、そのあたりの事情がよく見えてきて面白かった。『自然権と歴史』を國分功一郎先生に勧められて読んでいたことも与って力になっていたか。カール・シュミットも、ワイマール時代の話から読んでいたし。

概ね、「そうか、なるほど、そういう風に考えるとスピノザもこの人たちもよく見えるようになるんだ」と納得の一冊だった。


その中で一つ気になったのは、正面から語られていないレヴィナスのことだ。
レヴィナスといえば、スピノザを徹底的に批判したユダヤ系の哲学者で、イスラエルが300年以上続いたスピノザのユダヤ教からの破門を解こうとしたときに、徹底的に反対の論陣を張ったという話も聞く。

レヴィナスとスピノザをがっちりこの著者に論じてほしいな、と思った。

そう思ったら自分でやれって?

ごもっともですが、そんな力は、ない(笑)。
ただゴシップ的な興味も湧くので、素人としては素人なりに今度考えてみようとは思っている。







読むべし!『ホハレ峠』もしくは辿り着かない大西暢夫論のために(その2)

2020年05月18日 12時45分36秒 | 大震災の中で
なかなか大西暢夫さんの『ホハレ峠』にたどり着かない。
そんな中、エチカ福島の仲間の一人が幻の第14回(イベント中止が決まった後の大西監督との飲み会)での監督の言葉をピックアップしていた。

大西監督曰く

「今の時代の価値観はたかだか100年程度、人間の歴史から見ると一瞬に過ぎない。
今の価値観が見直されるときがきっとくる、自分の仕事がその時の資料になればと思っている。」

100年、か。なるほど。

というわけでたどり着かない大西暢夫論の第2回は、最近読んだばかりの『100年の孤独』との関わりについて書く。

100年といえば、その1で書いた母親の聞き書きの範囲もまた、おおよそその程度の長さになる。

30年一世代とよくいうが、当時は10代で子供を産むこともめずらしくなかったし、100年程度のうちに5世代が重なりながら広がっていて、二つ上の世代(祖父母)までは直接話が聞けることも多いということもあり、ざっと100年程度が私たちの生きた言葉の語りが届く範囲、と考えても良さそうだ。

祖父母の祖父母まで、自分を含めて5世代。
これはそのまま『百年の孤独』の世代とぴったり対応している。
ガルシア・マルケスの小説『百年の孤独』には、コロンビアとおぼしき未開の土地にマコンドという町を開拓し、その中心にあった一族とマコンドという町の盛衰記が描かれているのだが、ほぼ要約は不可能だし、大河ドラマのようなたった一人の主人公がいるわけでもない。語りの中心には一族のグレイトマザー的なその100年を見つめていく第一世代の長寿な女性と、その女性よりもさらに長生きする陰の語りの担い手であるもう一人の女性が二つの視点人物になっているとも見える。ふたりの女性は「語り手」ではないが、明らかな視点人物であり、日本の小説でいえば中上健次の「オリュウノオバ」(『千年の愉楽』)に比することもできそうだ。当然、中上健次が影響を受けている、というべきなのだろうが。

ここでは、千年ではなく百年、というところにこだわっておきたい。
千年は無時間的な語りの時間という喩えを感じるが、百年は、その一でも書いたように、顔の見える人の営みの広がりの限界とでもいえる長さだ。高祖父母も曾祖父母も見たことはないが、祖父母の話なら直接聞いたことがある。その祖父母が直接出会っていたのが私の祖父母にとっての祖父母、(つまり私にとっての曾祖父母)だ。

写真があったかなかったぐらいの世代、でもあろう。

その長さを大西暢夫監督は「一瞬」と語る。私の中ではその『ホハレ峠』における一瞬が『百年の孤独』の百年と重なって見えるのだ。

『百年の孤独』の「孤独」の意味、ということについて考えをめぐらす、ということにもなるだろう。
一読しただけの素人の管見だが、この「孤独」は、間違っても「近代的個人」の孤独ではない。
中南米の奥地に花開き、そこに川の治水がなされ鉄道が敷設され、バナナ農園が作られ、そして衰退していくマコンドに存在する「孤独」があるとするなら、それはそういう近代化とは全く別のものだろう。
『地球の長い午後』ブライアン・オールディス
に描かれている圧倒的な生命力に満ちあふれた植物やアリが全盛の世界にむしろ近い、といったらそれはそれでミスリードかもしれないが、少なくても、北アメリカ主導で展開され、中南米に押しつけられるインチキくさい「近代化」とは全く別の豊穣なエネルギーの充溢が抱える「孤独」として読まねばなるまい。

個人個人の「孤独」に苦悩する「近代」とかいうものとは対極の、オルタナティブとしての「孤独」。

大西監督の「百年は一瞬」という時間認識は、その「孤独」と通底している。

『ホハレ峠』のことばたちは、ダム工事が究極の無駄だということを声高に語ることをしない。
ひたすら廣瀨ゆきえさんの人生を丁寧に取材していくだけだ。
しかし、

「現金化したら、何もかもおしまいやな」
「国の話を聞いてやろうと思った瞬間に、国は金を持って村民の心の中に入り込んでくるのだ。……集団移転などというのはわるで筋違いのことで、そこには村や家族の形はない。すべてがそれに似せたもの」

というところにも、「似せたもの」ではない「村や家族の形」を生きてきた廣瀨ゆきえさんの傍らに立ち続ける大西監督の姿勢が見える。

近代的個人の孤独に対置された村や血や家族の物語の称揚、ということではない。
そんなものがあるとすれば近代個人のノスタルジーにすぎまい。
もう一つの姿が私たちに迫ってくるのは、その生きることそのものの峻厳さと向き合うという意味での「孤独」がそこに表現されているからだろう。たかだか100年は一瞬だということの意味は、そこにあるのではないか。




母親が語る私(たち)の上の世代の人々の栄枯盛衰の様子ともそれはズレながら重なりあう。
母親の父(私の祖父)は炭鉱の糧食(生協のようなものか?)の仕事から、無尽講の開拓(後の相互銀行)に身を転じた男だが炭鉱の盛衰と相互銀行の盛衰は、私の周辺における語りの広がりの限界に近いといっていいものだが、その百年とも重なる。生きるということそのものの姿が持つエネルギーの豊かさ。

そういうものを感じたということだ。

さて、まとまらないままだが、もう一回だけ大西暢夫監督のいる場所にもう少し近づいてから終わりたい。
もしもメモにもならないメモにもう少しつきあっていただけるなら、の話だが。





読むべし!『ホハレ峠』もしくは辿り着かない大西暢夫論のために(その1)

2020年05月15日 11時04分01秒 | 大震災の中で
仕事が非常勤時間講師のため、この非常事態宣言で4月後半の仕事がなくなった(当然そこは無給)。
かといって、この自粛(騒ぎ)では出歩くこともできない。
(「騒ぎ」などと書くとお叱りを受けそうだが、自粛はちゃんとやってます。でも、納得はしてないよ、という程度の意味です。)
というわけで不本意ながら超暇になったので、以前からやろうやろうと思いながら果たせていなかった、母親の家系と人物の説明図の作成をようやく実行に移した。
不本意といいつつ、仕事が休みになるのはちょっとワクワクする面もある。
仕事は社会貢献でもあり、自分にとって大切な経験の場でもあるのだが、結局お金のための我慢しているという側面もゼロではないから、4月から働き出したはかりだというのに仕事がなくなってホッとしている自分もあって、それもなんだか「ヤレヤレ」なのだけれど、それはさておき。
母親は現在88才。
福島県いわき市で生まれた。
父親(つまり私の祖父)は炭坑の街湯本の、母親(祖母)は勿来の出身だ。
私の母親が知っている範囲で、片方半日ずつ時間をかけて聞き取り「調査」を実施した(笑)
出てきたのは、私を含めて5五世代の話だ。
第一世代→昭和30年代の私。
第二世代→昭和初年代の母親
第三世代→明治末期の祖父母
この三世代までは私が知っている範囲だ。祖父母の兄弟は見たことがあるし、その子まではなんとかわかる。分からないまでも、いわゆる福島あたりでいう「マケ」つまり一族の範囲ぐらいは一応なんとなくきいたことがある。
つまり、第四世代、私にとっての曾祖父母(母の祖父母)までは、私にとっての「血の意識」が、届く範囲といっていいだろう。その上の第五世代(私にとっての高祖父母)までは名前は分かるが、その親戚とか一族のことは分からない。どこの「安島」という「マケ」から(第五世代の)お嫁さんが来たのか、という話になる。
第四世代→明治中期
第五世代→明治政府ができて以後
第六世代→明治初期に戸籍を買って長男となった、などの「言い伝え」のみ残る
といったところか。もはや第六世代になると実態は分からない。
ちなみに法律上の「親等」という概念は、自分を0と数えるので両親が一親等、祖父母が二親等、曾祖父母が三親等、したがって高祖父母は四親等。
他方、世代という横の帯の区切りで考えると、自分を一世代とと捉えれば、全部で5つの世代ということになる。
そしてこの系図聞き書きが、意外なことに、抜群の面白さだった。
 今、抜群の面白さだったと書いたが、私の中ではその面白さが今回書こうとする『ホハレ峠』の面白さに繋がっているので、もう少しお付き合いいただければありがたい。
かつてアメリカで『Roots』という小説が爆発的に話題となった。そのTVドラマは日本でも高視聴率だったと聞く。自分のルーツを知りたいという思いは分かる。ましてアフリカ系アメリカ人の作者にとって、当時それを掘り起こして形にすることは、強いモチベーションに支えられた仕事だったと想像できる。
だが、私が面白かったのはそういった祖先探し、ルーツ探しの魅力ではない。
ポイントは「語り」だ。今まで、母親・父親・祖父母が繰り返し断片的に語ってきた「マケ」の話、どの世代どこに住む親戚だかも分からない人の名前が次々に出てきて、そういう人がいたということだけは印象にのこっているものの、いわゆる分家の「マケ」が字(あざな)の名で呼ばれたり、通称で言われたり、襲名された本家(父方は商家だったので、嫡男は同じ名前も継いだのだ。そりゃわからなくなるよね)は違う人が同じ名前で呼ばれていたり、もはや『百年の孤独』かってカオス状態だった。
おそらく皆さんの多くも、お年寄りの話を若者が「傾聴」する習慣が最近出来てきて(いいことです)、いろいろな昔話を聴く体験をしていると思う。
で、これが再構成困難なのだ(笑)
母親が生きているうちに系図とヒモづけて話を聞くことができた結果、五世代にわたる「マケ」の全貌が母親の父方、母方2系列に渡って再構成することができた。
ああ、あの身代を潰したといわれる「細めのコウゾウ」さんは、そういう人(商才がなくて、お店を預けられたのに、イケメンでモテて、お店の売り物の高級たばこに手を着けるひとで、結果身代を潰した人)だったのか、とか、街の世話役をやっていた三代前の当主はお目かけさんと正妻の間でだいぶ「苦労」したとか、「行かず後家」の人たちは、「マケ」の中の繁盛していた家が引き取って「お二階姉さん」としてその家の切り盛りを奥さまに代わってマネージメントし、みんなに一目置かれていたとか、様々な人の生きている様子が、極めてリアルに立ち上がってくることになったのである。
それはいわゆる自分のルーツを辿る「旅」とはちょっと違う悦びだった。
ルーツを辿るとは、たった一つの、もしくは少数の、自分の血筋の原点にむけて遡行(ソコウ:さかのぼること)する「旅」がメインになる行為、とみていいだろう。
私(ブログ子)が驚いたのは、そういうことではない。
まあ、面倒臭い話をちょっとすると、わたしの祖先はたった一つの血統に収斂するはずがないものだ。遡れば遡るほど、祖先は広がっていく。当然至極だ。父母は2人、祖父母は4人、曾祖父母は8人と、さかのぼれば遡るほど広がっていくではないか。そしてそこから改めて下の世代をみれば、あたかも扇状地のように人々の血筋は広がっていく。
つまり、ルーツが一つというのはほぼまちがいなく都合の良いフィクションにすぎない。
「万世一系」のくだらなさは言うに及ばず、だが、そういう話は今はどうでもよい。
語り始めたのは良いけれど、まだ『ホハレ峠』にたどり着く気配がないのには正直困るが、もう少しお付き合いいただきたい。
まとめて言えば、あまりにも多様な「生きること」の集積に、驚いた、ということになるだろうか。
そんなことは当たり前のこと、かもしれない。まあ、そうだろう。親戚を辿れば人間の数が増えていくことは、小学生でもわかる。たが、これはそういうことで「も」ない。
たった1人のルーツ探しが特権的な系図を称揚する(ほめたたえる)ためのフィクションであるとするなら、他方で親戚を辿ってカウントしていけばいろんな人がいるという話は、結局のところいろいろあるよね、という数に解消された抽象にすぎなくなってしまいかねない。
かつて年寄りの話を聞いていたときには、意味が分からず退屈で、ただ祖父母に付き合うためにだけ聴いていたような断片が、お話の総体に適切に配置されることによって、生き生きとした相貌(かおかたち)を獲得していく過程がそこにあったからだ。
いや、もう少し正確に言おう。
断片だけの話は正直聴くのがツラい。
ちょうどガルシア・マルケスの小説『百年の孤独』の最初の100 ページを読んでいるときの気分のようだ(笑)
だが、丁寧にメモをとって話をきいていくと、その断片が次第につながり出し、最後には全体像を結び、かつそれが大きな100年の流れとして把握できるようになっていくのだ。そこに立ち現れる悦びは、語りを聴く体験におけるレイヤーというか、次元というか、そういうものもまた多層的なのだと気づかされ、そのことにも感動を覚えてしまった、のだろう。
やれやれ、いくら書いても『ホハレ峠』に辿り着かない。
ここはさらにゴールデンウィーク後半に読了した
『百年の孤独』ガルシア・マルケス
を迂回して騙らなければならない。読んでくれる奇特な人がいる、と仮定しての話ですが。

ついに『百年の孤独』を読み切った(飲み切った、ではありませぬ)。

2020年05月11日 12時35分00秒 | 大震災の中で
ガルシア・マルケスの長編小説『百年の孤独』をようやく読み切った。
中身を忘れないうちに感想メモを書いておく。

hontoのサイトにはこうある。
https://honto.jp/booktree/detail_00000795.html

[「一般的なファンタジー小説とは一線を画す「マジックリアリズム」をご存じですか?ラテンアメリカの文学で隆盛をきわめたその技法は、ただ怪奇を描くだけでなく、それがその世界での常識として表現されることで、よりいっそう数奇な味わいを感じることができます。さあ、新しい不思議の扉を叩いて、異常な日常をご堪能ください。」
また、『百年の孤独』の紹介文には
「「蜃気楼の村」であるマコンドが、勃興し、隆盛をきわめ、やがて廃墟となるまでの百年間を描いた小説です。開拓者たちの絶望と希望、生と死、そして孤独。明らかに非現実の世界であるのに、圧倒的な現実感を伴う物語は、マジックリアリズムを冠するにふさわしい説得力に充ちています。」https://honto.jp/booktree/detail_00000795.html
とる。

いずれもhontoのサイト

私も読む前は、その「マジックリアリズム」を体現した、たいそうイメージ豊かな、そしてそれゆえにリーダビリティに難ありの、本格的南米小説という印象を抱いていた。

今回、コロナ禍による自粛GWを奇貨としてプライベートな読書会の課題図書に友人が挙げたこの本を、だからたまたま読んだわけだが……

とにかくめっちゃクチャ面白かった。マジックリアリズムとか、読んだことがないひとの戯れ言か、と思った。


何が「マジック」なものか。
ある意味、これこそ小説ではないか、という思いがわき上がってくる。
確かに、不思議なことはいくつか起こる。
気がついたことは二つあって、一つは不眠症の解決方法であり、もう一つは小町娘の行く末だ。
だが、それは別に「マジック」とかいうほどの話でもない。まさか幽霊が出てくるから「マジック」とか言っているわけではあるまい。そんな物語なら星の数ほどある。
むしろ「誰に幽霊が見えないのか」というのがポイントかもしれないが、それは今は措く。

少佐の一代記であるかのように始まる話が、それで終わらず、むしろ次第に実は軸となる登場人物はウルスラ(イグアラン)<町を開拓した第一世代、ブエンディア家の「グレイトマザー」>であり、ピラル(ネルネラ)<作品の最初から最後まで生き続ける占い師であり売春宿の主>であると気づかされていく。しかしもちろん、男の物語から女の物語へ、とズレていくだけの話でもない。

「マジックリアリズム」という言葉の裏には、北側に「マジックでないリアリズム」があるという前提にたった視線があるだろう。その視線が「読み手=私」の中で解体しはじめてから、作品が本当に楽しくなっていったのだ。
これは個人的な体験なのだろうと思うけれど、そのまた陰には、北(アメリカ)が中・南(アメリカ)に当時強いていた政治的な圧力を考えれば、のんきに「マジック」とか言っている場合じゃないだろう。個人的読書体験で終わらせてはなるまい。

いったいリアルはどちらの側にあるのか、と考えてしまう。

男は女を求め、女は男を求め(あるいは拒み)る当たり前の多様な豊穣さが、そこにはあるではないか。あるときには近親相姦のタブーを拒み、あるときにはその線を越えようとする。あるときには革命に燃え、暴力を行使しあるいは怯え、あるときには内に籠もって夢想する男達に対し、様々なものに縛られつつ支えられ、それから解き放たれようとし、それらさまざまな営みを成就させていこうとする執着を生きる女たちの姿は、本当にここに「生ー性」がある、との手応えを与えてくれるのではないか。

また、『百年の孤独』という題名にも惹かれる。
ネットで検索すると、そのほとんどが焼酎の名前としてヒットするのだが(笑)、そのネーミングはこの小説を多分に意識したものではないかと推測(根拠はないが)してみたくなる。

「百年」は5世代にわたる「ブエンディア家」とマコンドの町の栄枯盛衰を示す言葉だとみてよいだろう。
では「孤独」はどうか。

作品中の「グレイトマザー」ウルスラは、作品の中で、一族の者が抱えるさびしさというか憂鬱のようなものに繰り返し言及している。その一方の極に、この作品の登場人物中おそらくたった一人だけ(読み過ぎかな?)幽霊を見ることがない大佐が位置しているとはいえるだろう。
たとえば三人の次世代についてウルスラが考える次の部分を見てみるとよい。
ウルスラの、次男アウレリャノ大佐に「愛の能力の欠如の明白なしるし」を見いだし、男を拒み続ける三女アラマンタにその拒否の身振りの中に「底知れぬ愛情と自分ではどうにもならぬ恐れの葛藤」見いだし、そして子供同様に育てたレベーカにこそ「自分が息子や孫たちに望んだ奔放で大胆な心の持ち主」を見いだしている(ガルシアマルケス全小説版P292~P293)。
だがおそらく、ここにあるのは、少佐=孤独、アラマンタ=逆説的な愛、レベーカ=自由、が内面化されているという話ではら、全くない。
ここに描かれているのは、(北)アメリカ(と私たちパクスアメリカ-ナの中で生きてきた現代人たち)がそうであるような近代的個人の孤独や愛、そして自由ではおそらくない。

そうは書かれていない。

むしろ奔放に豊かに生ききる登場人物達が、同じような名前を次々に引き継ぎつつ、同じことを繰り返していく、その繰り返しの中で町が生まれ、繁栄し、衰微し、終焉を迎える……その時空が「孤独」で満たされている、ということであり、「愛」にも満ちているということでもあるのではないか。

あえて言うなら「孤独」(1)ではなく、「孤独」(2)をそこに見る必要がある。
5世代に渡り、血を濃く受け継ぎ、名前も受け継ぎながら模倣し繰り返されるような多層化された一族の人生の「孤独」は、町が広がり、さまざまなシーンを経巡りながらその寿命を閉じていく町の100年の「孤独」と正確に響き合っている。
そこでは「愛」も「孤独」も「自由」も、拒む身振りや革命の流血や、土を食べる奇癖とともにある。それらの人物達に、「愛」なり「孤独」なりの言葉がもたらす原因を尋ねてみても、しょうがないんじゃないだろうか。

人間の諸様態が丁寧に描かれている「幾何学」が見えてくるような気すらする、といえば、スピノザかぶれのおじいちゃんの妄言、ということになるのだろうね(笑)。

だが、この作品は徹頭徹尾丁寧な記述に支えられた律儀な物語だということは言っておきたい。
だから、丁寧に読めば人物を混同するのではなく、むしろ正確に描き分けて豊穣な枝葉が絡み合っている様子が浮き上がってくる仕掛けになっている。マジックはむしろ、単純化してしか物語を読めない私たちの側の「瞳の中」に装着されていた装置の別名ではないのか?そんな風にも思えてくる。

前評判にとらわれず、挫折した何人もの愚痴をとりあえず横において、ゆっくりじっくり、人物の名前と世代のメモぐらいを軽くとりながら読み進めさえすれば十分なんじゃないかな。

コロナ禍の自粛騒ぎに終始したGWも、そうでなければ絶対に読まないまま終わっただろうこの小説を読ませてくれたという意味では、ありがたいものだったのかもしれない。

ぜひ、お勧めです。

だいいち、なにかスポーツをやり遂げたような達成感も得られますし(笑)。







#百年の孤独

観るべし、大西暢夫監督作品『オキナワへいこう』

2020年05月11日 12時30分26秒 | 大震災の中で
大西暢夫監督に初めて会ったのは、今年の春(2020年3月14日)のことだった。

昨年の夏からずっと、大西監督に福島へ来ていただき、『水になった村』<2007年8月4日(土)公開>という映画の

上映会&監督を囲んでの対話の時間&その後じっくりお酒を酌み交わす……

という計画を立てていた。自分たちの仲間でやっているエチカ福島というイベントの第14回になるはずだった。フォーラム福島の阿部さんにサポートいただき、映画館で上映していただけることにもなっていた。特に計画を発案した友人のAは、大西暢夫監督に惚れ込んでおり、この日を心待ちにしていた。

そこに折からのコロナ禍だ。
一時は感染症対策を呼びかけた上での開催も考えたが、最終的に諸事情を勘案して開催を断念することに決めた。

だが、イベントは中止したものの、大西監督のスケジュールもガラガラになっていると聞き、イベントとは別に大西監督を迎えてお酒のみをプライベートで企画することになった。
そこでうかがった話がメチャメチャ面白かったのだが、それは最新刊の『ホハレ峠』の内容だった。
翌日、監督と朝食をとりながら、「『オキナワへいこう』という映画ができたんだよ」という話をうかがう。
これがまた抜群に興味深い。20年間毎週『精神科看護』のグラビアを撮影しつづけていて、その結果としてできあがった映画だという。
『水になった村』という映画、『ホハレ峠』という書籍も、何十年もの時を跨いでできあがった作品で、その取材の重さを感じていたが、『オキナワへいこう』も粘り強いというか、日常との出会いを継続してきた大西監督ならでは、の作品になっている。

前置きが長くなった(コロナ禍で時間だけはあるので)。
連休中、5月2日から、vimeoというサイトで期間限定有料配信がなされていた(再延長がなければ現在は終了、のはず)ものを観た。

すてきな映画だった。
70歳を過ぎた長期入院者の女性が、「沖縄に行きたい」という願いをカードに書く。それは院内のイベントか何かで書いたのだろう。ただし書いた経緯は映画には出てこない。そこも、いい。「沖縄に行きたい」という初期衝動が設定されていて、しかし映画はその直後、その女性が「私いかない」とかたくなに「あきらめる」ところを映し出す。女性の発案で5人の患者さんが沖縄に行く計画に乗り、みんなその気になって看護師と旅行のバッグや荷物を準備始めている時に、である。

映画は、日本の精神科病院が、世界標準からは大きく逸脱した(超)長期入院患者を抱えている「文化」について声高に批判したりはしない。

監督は「明るい映画」にしたかった、とメイキングの自己インタビューで語っている。
そうなのだ。この映画はどこかその「明るさ」に支えられて進行していく。

沖縄行きを希望した人の全てがそれを断念したわけでもなく、全ての人がいけたわけではない。
そのイベントの成否だけが重要なのでもないだろう。
映画が、けっして「オキナワ」にいけるどうかのドラマを描こうとはしていない、ということでもある。

徹底して映画が重視しているのは、おそらく、(ブログ子の感覚でいえば)「出会いを待ち続ける」(by ジル・ドゥルーズ)姿勢だ。具体的で繊細な出会いが、大西監督の映画には溢れている。そしてその出会いは、一瞬一瞬の一期一会で終わるのではなく、「弱い」つながりが「持続する強度」に支えられている。

後半、「オキナワ」に行った患者さんの一人に恋人ができる。その「出会い」についても映画のカメラは丁寧に追っていく。ただ恋人に出会うことだけが重要なのでもない。オキナワに行くという「物語」が重要なのでもない。この映画の目は、そういうことを跨ぎ越して、「生活」をつないでいく。

この感じは、ぜひ映画を観て味わってほしいと思う。
映画が何か人生の一部のシーンや物語を切り取ったり物語ったりするだけの現場ではないことが、そこことこそがしみじみと「明るい」姿勢を肯定できるのだと、分かってくる(ような気がしている)。


映画『オキナワへいこう』も映画『水になった村』も、最新刊『ホハレ峠』も、そういう明るくて丁寧で、繊細で
出会いを大切にしつつそれを長い時間紡いでいく努力の持続を厭わない瞳に支えられている。

私たちが必要としているのは「新しい生活様式」ではけっしてなく、この映画の瞳の力なのだ、と実感した。

ぜひ、観てください。





♯大西暢夫 ♯オキナワへいこう