10/10深夜の救急車による入院から以降、妻は歌を詠まなくなる。
再開するのは2月になってからだ。
その間、癌と薬による苦しさの中で、今後の治療をどんな形で進めていくか、自分の限られた生命をどう 「使って」いくか、に焦点が当てられていく。
この4か月は、胸水と抗ガン剤のの副作用で苦しんでいた時期ではあるのだが、同時に、教師を終えたあとの自分の(限られた)命をどう無駄なく運用していくかに意を用いた時期でもあった。
それが一つには遺言ノートの作成と実行(遺品の整理と生前の形見分けを含む)になり、もう一つは元気なうちに友人や知人にもう一度会い、あるいは家族と改めても一度じっくり(最後の)話をする時間に充てられいった。
同時に、今後の治療をどうするかという話を二人で繰り返し相談していった。
①、10月中旬はまず呼吸が苦しくなった状態からの回復が先決だった。救急病棟から翌日には婦人科病棟に戻れるか、という話だったがそれが少し遅れた。
②、数日して婦人科病棟に戻ったところ、水を抜くかどうかが課題になる。 「ただ水を抜いてもまた溜まる」
というのはよく聞く話で、医師にもそう説明される。
そこで治療との兼ね合いになるわけだが、この時期から、
a胸水の苦しさ(水を抜くかどうか)
b治療の苦しさ(副作用の度合い)、
cそしてマクロ的にはどこまで治療を続けるか(ガン治療と緩和ケアとの関係)
これらを併せてどういう方向で治療法=ケアを進めていくか、が難しい課題になっていった。
③、主治医の提案は、肺(胸膜)への転移が可能性として考えられる。そして、胸水を抜いたら抗がん剤を直接その部分に投与して短期間で抜く、という治療法がある、というものだった。
④、その(③の)提案をゆっくり考えている余裕は正直なかった。
ただこのまま胸水が溜まり続けると、それを抜くためにそのたびに入退院を繰り返さねばならず、その間トイレにも自由に行けないため、生活の質は著しく低下する。
そのため、③の治療を受け入れたのたが、これが本人に取っては最高度に苦しい治療で、終了した後 「二度と、絶対にやらない」
と何度も何度も繰り返していた。
⑤、④の治療の後、このような苦しい治療なら今後抗ガン剤治療はとても続けられない、という本人の意思を受け本人も申し出たが、私もその旨主治医に相談する。
⑥、主治医の応答は次のようなものであった。
抗ガン剤治療は体に悪いものを入れるのだから、苦しいのはある意味当然で避けられない。
肺に直接抗ガン剤を入れる治療は二回やる(やれる?)のだが、別のレシピがいくつも候補としてある。
知識のある人はクオリティオブライフということをよく言う。
もちろん、最終的に肺が繊維化して呼吸が恒常的に苦しくなり、手当のできない状態になったなら終末緩和ケアも検討が必要だ。しかし、いまは体力も十分でかつまだいくつもの方法がある段階だ。
どの治療をするかを相談していこう。
何回かの説明をまとめて書いているので先生から見たら不足の面があるかもしれないが、おおむね以上のような内容として私たちは受け止めた。
今、8カ月ほど経ってこうして整理してみると、主治医の説明趣旨は明快で、キュア(治療)の側から見ればなるほどと納得のいくお話ではある。
しかし一方、妻の側からすれば自分の人生最大の仕事だった 「中学教師」を終えた先に、それほど苦しんでまで手にするものがあるのか、という価値判断になる。
なかなか双方の接点が見出しにくい状態で11月を迎えることになる。
再開するのは2月になってからだ。
その間、癌と薬による苦しさの中で、今後の治療をどんな形で進めていくか、自分の限られた生命をどう 「使って」いくか、に焦点が当てられていく。
この4か月は、胸水と抗ガン剤のの副作用で苦しんでいた時期ではあるのだが、同時に、教師を終えたあとの自分の(限られた)命をどう無駄なく運用していくかに意を用いた時期でもあった。
それが一つには遺言ノートの作成と実行(遺品の整理と生前の形見分けを含む)になり、もう一つは元気なうちに友人や知人にもう一度会い、あるいは家族と改めても一度じっくり(最後の)話をする時間に充てられいった。
同時に、今後の治療をどうするかという話を二人で繰り返し相談していった。
①、10月中旬はまず呼吸が苦しくなった状態からの回復が先決だった。救急病棟から翌日には婦人科病棟に戻れるか、という話だったがそれが少し遅れた。
②、数日して婦人科病棟に戻ったところ、水を抜くかどうかが課題になる。 「ただ水を抜いてもまた溜まる」
というのはよく聞く話で、医師にもそう説明される。
そこで治療との兼ね合いになるわけだが、この時期から、
a胸水の苦しさ(水を抜くかどうか)
b治療の苦しさ(副作用の度合い)、
cそしてマクロ的にはどこまで治療を続けるか(ガン治療と緩和ケアとの関係)
これらを併せてどういう方向で治療法=ケアを進めていくか、が難しい課題になっていった。
③、主治医の提案は、肺(胸膜)への転移が可能性として考えられる。そして、胸水を抜いたら抗がん剤を直接その部分に投与して短期間で抜く、という治療法がある、というものだった。
④、その(③の)提案をゆっくり考えている余裕は正直なかった。
ただこのまま胸水が溜まり続けると、それを抜くためにそのたびに入退院を繰り返さねばならず、その間トイレにも自由に行けないため、生活の質は著しく低下する。
そのため、③の治療を受け入れたのたが、これが本人に取っては最高度に苦しい治療で、終了した後 「二度と、絶対にやらない」
と何度も何度も繰り返していた。
⑤、④の治療の後、このような苦しい治療なら今後抗ガン剤治療はとても続けられない、という本人の意思を受け本人も申し出たが、私もその旨主治医に相談する。
⑥、主治医の応答は次のようなものであった。
抗ガン剤治療は体に悪いものを入れるのだから、苦しいのはある意味当然で避けられない。
肺に直接抗ガン剤を入れる治療は二回やる(やれる?)のだが、別のレシピがいくつも候補としてある。
知識のある人はクオリティオブライフということをよく言う。
もちろん、最終的に肺が繊維化して呼吸が恒常的に苦しくなり、手当のできない状態になったなら終末緩和ケアも検討が必要だ。しかし、いまは体力も十分でかつまだいくつもの方法がある段階だ。
どの治療をするかを相談していこう。
何回かの説明をまとめて書いているので先生から見たら不足の面があるかもしれないが、おおむね以上のような内容として私たちは受け止めた。
今、8カ月ほど経ってこうして整理してみると、主治医の説明趣旨は明快で、キュア(治療)の側から見ればなるほどと納得のいくお話ではある。
しかし一方、妻の側からすれば自分の人生最大の仕事だった 「中学教師」を終えた先に、それほど苦しんでまで手にするものがあるのか、という価値判断になる。
なかなか双方の接点が見出しにくい状態で11月を迎えることになる。