開沼博さん本人(個人)にはいささか申し訳ない題名で始めてしまったが、開沼博の名前で展開されている言葉たちの特徴について考える必要があるので、ちょっと仕方がなくこの項を続ける。
まず、
「ほんとうは書きたくない、論じたくない」のなら止めておけって話なのたが、それがそうもいかないという事情を書く。
それは、今読んでいる
『植民地主義の時代を生きて』西川長夫
に示されている「課題」というか問題点と重なっている。
どういうことか。
「国民が国民であることを一度受け入れてしまえば、徴兵反対や徴兵忌避を正当化する根拠は見出しがたい。残された問題は(中略)現実といかに折り合いをつけるかであって、戦争と軍隊の本質にかかわる問題が問われる機会は失われる」(『植民地の時代を生きて』P31)
ここで指摘されていることが、今の福島の 「復興と絆」が抱える問題にそのまま当てはまる側面がある、と考えずにはいられない、から、ということだ。
国民国家の「植民地主義」が「中央に対する地方」と「宗主国に対する植民地」という二重の構造を持ち続けてきたとするなら、アジアの国の宗主国として振る舞う経験と同時に、アメリカの「植民地」として振る舞うという二重性の中で原発政策が展開されてきたことを無視するわけにはいかないだろう。
つまり、 「東京と田舎」は 「宗主国と植民地」の関係だ、という、開沼も指摘している問題だ。
高橋哲哉氏のいう「犠牲のシステム」、という概念を重ねてもよい。
もちろん
P2「権力は常に抑圧的であるが、抑圧の形態と対象はつねに同じとは限らない」(同P27)
わけだし、その中で現実と折り合いをつけながら生きていくことはとても大切。
しかし、「植民地主義」論理の内部に取り込まれる前に 「ふと」感じる庶民の 「直感」はもっと大事だ。
それは、気の迷いなんかじゃないだろう。
むしろ、いったん権力の論理の内部に入ってしまうと、いくら考えても 「無思考」の枠組みから離れられなくなる。その意味では、論理的に思考し続ける上で、取り込まれる前の 「初期衝動」はむしろ思考の基盤であり、エンジンであるかもしれない。
ただし、その契機はつねにすでにここにあるのだけれど、論理の内部からは見えない。
国家が示す論理が、果たして 「この道しかない」のかどうか、ちゃんと考えてみたいと思うのは当たり前だ。
「書きたくもない開沼博論」のモチーフはここにある。
論理の内部に入ってしまうと 「無思考」から逃れられなくなる典型例を開沼博的発話に見て取ることができる。
内部の論理に入った発話者は 「分かっているのは私だ」という主張はできる。だから正しさは論じられるだろう。だが、考え続けるためのエネルギーにおいては決定的に劣る。つまり、決め打ちしか出来ないということだ。
他方、ややこしいのは、自分は全くの「外部」いると勘違いして、「開沼博的発話」を批判しようとする者たちもまた(私も含めて)、相手を
「非国民=わかっていない人」
呼ばわりするという決め打ちをし、結果として、基準の符号は違っていても結局は決め打ちの「無思考」の応酬にとどまってしまいかねないという点。
そうでなくても、分断や格差は、構造的な「決め打ち」のコトバを再生産しやすい。
でもそういう種類の決め打ちのコトバは、世界を「善と悪」や「正解と誤答」に分けて、そのどちらか半分だけを取り出そうとする「貧乏」な身振りを、身の回りに招き寄せるだけだ。
にもかかわらず、これからしばらくは
「決め打ちの時代」(ヤな時代だ)
がつづきそうだ。
決め打ちで自分達の生きる範囲を「縮減」して生き延びようとするのは、ある意味人間が危機に際して採る態度としてむしろ「自然」なのかもしれない。
だが、結果だけを握りしめて環境に反応する感情を基盤とした選択は、結局のところ、外部に振り回されるばかりになってしまうのではないか。
外部の環境が激変している今だからこそ、しっかりと精神の「身体的」な準備運動をしておく必要がある。
そのための体操の一つが、もしかすると「もう一人の自分」が立っていた場所だったかもしれない「開沼博的発話」について考えること、というわけだ。
その思考ををとりあえず今日支えてくれ、「決め打ち=無思考」から精神の身体をズラしてくれているのが
『植民地主義の時代を生きて』西川長夫
だ、ということか。
ちにみに、西川氏が元々は国際関係の専門家ではなくフランス文学が専門で、それを脱-構築していく中で編まれたのがこのスタンスだということを知って、なるほど私にとって読みやすいわけだ、と個人的には納得。
思考が単なる「縮減」に終わらないために出来ることを考えて、その考えを形にし続けなくては、と思う。
まず、
「ほんとうは書きたくない、論じたくない」のなら止めておけって話なのたが、それがそうもいかないという事情を書く。
それは、今読んでいる
『植民地主義の時代を生きて』西川長夫
に示されている「課題」というか問題点と重なっている。
どういうことか。
「国民が国民であることを一度受け入れてしまえば、徴兵反対や徴兵忌避を正当化する根拠は見出しがたい。残された問題は(中略)現実といかに折り合いをつけるかであって、戦争と軍隊の本質にかかわる問題が問われる機会は失われる」(『植民地の時代を生きて』P31)
ここで指摘されていることが、今の福島の 「復興と絆」が抱える問題にそのまま当てはまる側面がある、と考えずにはいられない、から、ということだ。
国民国家の「植民地主義」が「中央に対する地方」と「宗主国に対する植民地」という二重の構造を持ち続けてきたとするなら、アジアの国の宗主国として振る舞う経験と同時に、アメリカの「植民地」として振る舞うという二重性の中で原発政策が展開されてきたことを無視するわけにはいかないだろう。
つまり、 「東京と田舎」は 「宗主国と植民地」の関係だ、という、開沼も指摘している問題だ。
高橋哲哉氏のいう「犠牲のシステム」、という概念を重ねてもよい。
もちろん
P2「権力は常に抑圧的であるが、抑圧の形態と対象はつねに同じとは限らない」(同P27)
わけだし、その中で現実と折り合いをつけながら生きていくことはとても大切。
しかし、「植民地主義」論理の内部に取り込まれる前に 「ふと」感じる庶民の 「直感」はもっと大事だ。
それは、気の迷いなんかじゃないだろう。
むしろ、いったん権力の論理の内部に入ってしまうと、いくら考えても 「無思考」の枠組みから離れられなくなる。その意味では、論理的に思考し続ける上で、取り込まれる前の 「初期衝動」はむしろ思考の基盤であり、エンジンであるかもしれない。
ただし、その契機はつねにすでにここにあるのだけれど、論理の内部からは見えない。
国家が示す論理が、果たして 「この道しかない」のかどうか、ちゃんと考えてみたいと思うのは当たり前だ。
「書きたくもない開沼博論」のモチーフはここにある。
論理の内部に入ってしまうと 「無思考」から逃れられなくなる典型例を開沼博的発話に見て取ることができる。
内部の論理に入った発話者は 「分かっているのは私だ」という主張はできる。だから正しさは論じられるだろう。だが、考え続けるためのエネルギーにおいては決定的に劣る。つまり、決め打ちしか出来ないということだ。
他方、ややこしいのは、自分は全くの「外部」いると勘違いして、「開沼博的発話」を批判しようとする者たちもまた(私も含めて)、相手を
「非国民=わかっていない人」
呼ばわりするという決め打ちをし、結果として、基準の符号は違っていても結局は決め打ちの「無思考」の応酬にとどまってしまいかねないという点。
そうでなくても、分断や格差は、構造的な「決め打ち」のコトバを再生産しやすい。
でもそういう種類の決め打ちのコトバは、世界を「善と悪」や「正解と誤答」に分けて、そのどちらか半分だけを取り出そうとする「貧乏」な身振りを、身の回りに招き寄せるだけだ。
にもかかわらず、これからしばらくは
「決め打ちの時代」(ヤな時代だ)
がつづきそうだ。
決め打ちで自分達の生きる範囲を「縮減」して生き延びようとするのは、ある意味人間が危機に際して採る態度としてむしろ「自然」なのかもしれない。
だが、結果だけを握りしめて環境に反応する感情を基盤とした選択は、結局のところ、外部に振り回されるばかりになってしまうのではないか。
外部の環境が激変している今だからこそ、しっかりと精神の「身体的」な準備運動をしておく必要がある。
そのための体操の一つが、もしかすると「もう一人の自分」が立っていた場所だったかもしれない「開沼博的発話」について考えること、というわけだ。
その思考ををとりあえず今日支えてくれ、「決め打ち=無思考」から精神の身体をズラしてくれているのが
『植民地主義の時代を生きて』西川長夫
だ、ということか。
ちにみに、西川氏が元々は国際関係の専門家ではなくフランス文学が専門で、それを脱-構築していく中で編まれたのがこのスタンスだということを知って、なるほど私にとって読みやすいわけだ、と個人的には納得。
思考が単なる「縮減」に終わらないために出来ることを考えて、その考えを形にし続けなくては、と思う。