龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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野矢茂樹『語りえないものを語る』(講談社刊)を読む

2011年09月28日 21時47分54秒 | 評論
読んだ本の感想は、普段は別のサイトの分担なのだが、今回はこちらに書く。

野矢茂樹『語りえないものを語る』(講談社刊)

がメチャメチャ面白かった。
講談社のPR誌『本』に連載されていたものの単行本。
(注の方が長くなった、なんて書いてあるけれど、それはもしかするとこの本の魅力の本質の一つかもしれません)

ヴィトゲンシュタインとかデイヴィドソンとかグッドマンとか永井均とか野矢茂樹自身の以前の著作とか、まあ「そっち系」の、かつて読みかじったり耽読したりした哲学者の言葉が、この著者の思考の歩みの中できれいに再配置されていき、それらが道々見えてくる風景とか標識とか里程標とかになり、かつその「遊歩」とでも言うべき思考の歩幅と相俟って、えもいわれぬ楽しさがココロのそこから湧き上がってくるのを押さえることができなかった。

楽しさを満喫しつつ、この本を読んでこんなに楽しいと思う人は世界でどれだけいるんだろう、とも、ふと思った。普通の本ならそんなことは思わないのに。

この相対主義とか独我論とか、言語と世界との関わりとか、どう考えても狭い路地に入っていく哲学っぽくもあり、同時に哲学プロパーには軽んじられかねない「ああそっちね」系のテーマでもある(ように感じられる)この領域を、こんな風な足取りで一緒に遊びながら歩いてくれる筆者がいることに、驚きつつ、果たして読者はどれほどいるのだろう、とちょっと気になるのである。

國分功一郎の『スピノザの方法』なら手放しで誰にでも薦めたくなる。

この野矢茂樹の『語りえないものを語る』は、薦める人も選ばなくちゃ、と思う、そんな感じだ。

どちらも私にとっては今年最大級の収穫です。あと1冊見つかったら、今年のベスト3は決まり、かな。

何がいいって、たとえば
「一般的に言って、ウィトゲンシュタインになんらかの哲学的学説を帰すことには慎重にならねばならない。(中略)そういうときのウィトゲンシュタインの通例として、とりあえずそれで行けるところまでいってみるという態度がある」

とか書いてあって、まあその指摘自体は、たしか『論理哲学論考』の後書きでも『青色本』の後書きでも繰り返し触れていることなのだけれど、そういう哲学の「文体」に対する言及がさりげなくしかも適切になされていて、それがこの文章では自らの文体についても適切な距離感が保たれている。
以前はウィトゲンシュタインを読んで「勘違い」する「そっち系」の輩を諭す感じがあったのに、それが影を潜めて、『水曜どうでしょう』的快楽に近くなってきた、とでもいうか(笑)。

それがなんともいえない文章の「タメ」をもたらしていて、読み終わるのが惜しいほどだったのです。

それは、デイヴィドソンを引用するにしてもグッドマンを持ち出すにしても、クワインに言及するにしても、バランスの取れた言及では必ずしもなく、筆者の文章と引用とが、たかも筆者自身が言及した「ウィトゲンシュタインの通例」のごとくに「タメ」のあるつきあい方をしていく、その「保留」したり「同意」したり「反論」したりする「間合い」が爽快で、とても気持ちがいいのです。

素人の私が読んでいても、必ずしも公平に引用されているのではないのかもしれない、と思う。
でも、それが分かる「公平さ」っていうのは、ちょっとない「公共感覚」なのです。

これは國分功一郎さんの『スピノザの方法』を読んだときのきわめてクリアな感じと通底しています。
もちろん、野矢茂樹さんの文章のクリアさとは同じじゃないんですがね。
野矢さんの方は見通しがいいクリアさではなく、その場の焦点距離の取り方や絞りの選択が的確、という感じ。
國分さんの方は、若い研究者の序論、って感じだから、もっと明晰に語れることを語るっていう方にウェイトがかかっている感じです。

哲学書を読んでいてこういう喜びの感覚を味わうのは、かつてはそう多くなかった。
20年前ぐらいになるだろうか、永井均の『子どものための哲学』(講談社現代新書)を読んだときかなあ、初めて味わったのは。つまりは、学説の話じゃなくて、素手で付き合ってくれる感じ、というか。

最近はこちらが年をとったせいか、手練れの書き手が現れてきたせいか、喜びの頻度が心なしか増しているような気がします。

実のところ、自分の置かれた状況(心境)が、哲学的文章を渇望するほど現実に躓いている、というのが実情なのかもしれないけれどもね。

ともあれ断然お薦めの1冊。
でもたぶん人を選ぶと思う。
安い本じゃありませんから購入にはご注意を(2700円)。

ベテラン教員すり減る意欲(朝日新聞より)

2011年09月27日 00時16分27秒 | 教育
9/26付けの朝日新聞社会面に、国際労働研などの調査結果(1万人対象)が出ていた。
そのタイトルが「ベテラン教員すり減る意欲」だった。

オレのことか、と思った(笑)。

特に50代の男性教員出、働きがいの劣化が激しいのだそうだ。
その通りである。

まあ、難しいことを考えるまでもなく、私の40代前半の同僚体育教師が
「定年65歳とかいっても、体の利かない老体育教師が、クチだけで生徒に体育を教えられると思います?」
と呟いていたのが象徴的だ。

いろいろ体裁を取り繕って「ベテラン教員のあり方の多様性を模索せよ」なんて言ってみることは可能だが、ま、正直教員は定年を下げた方がいいんじゃないか、と思うことさえある。

でもね、きっと、それは話の半分でしかない。

大人の男が生き甲斐を感じられないバランスって、どういうことなんだろう。
教師を30年もやっていると、まともな大人じゃなくなるってこと?
もしそうなら、そんな職場って問題じゃない?

いや逆に、男を50年もやっていてなおかつ年の離れた子ども達と第1線で生き生きと仕事ができるためには、特別な才能が必要なのかもしれない。

疲れて当然だよ……。

真面目な話、50代は難しい。

現場作業員としての教師能力が低い者は、管理職にでもなるしかない、とつくづく思う。

40代まではその場の体力と気力、感覚で仕事はやっていけるけれど、50代になったら、本当の知性の蓄積が必要だ。

昔、50を過ぎたら予備校の講師は一線級を退くっていう話をきいたことがある。
客が急速に離れるのだそうだ。
たぶんそれは仕方がないこと。

世阿弥も言っている。
50代になったら、演じないことより他にない、と。

枯れていくことを怖れまい。
失うことを怖れるから、守りに入って意欲の減退に繋がるのだ。

おそらく、困難それ自体は別に意欲を削ぐわけではない。
体力だって本当に低下するのはもうちょっと後だろう。

今までやってきた蓄積が通用しなくなる。それが辛いんだね。

たぶん一般企業だって同じじゃないかな。
窓際、出向などの肩を叩かれるトラップは、どこにだってあるだろう。

それでもなお現場に立って現役でいたい、という「格好をつける」ヤツだけが残っていけるサバイバルが、50代の教育現場なのだと思う。

むしろノウハウに不足のある20代の方がこの仕事はやりやすい面だってあるのかもしれない。
いつも育つのは生徒と一緒だからね。

何か出来上がったものを生徒に与えようとした瞬間、生徒は離れていく。
そういう意味ではある種の「動物性」を優れて生徒以上に保持できる者だけが、サバイバルできるのかもしれないね。







ブログがスマートフォン対応に

2011年09月23日 11時06分43秒 | 大震災の中で
なったようですね。
最初はなんのことかわからなかったけれど、確かに読み込みも早くなりました。

PCでブログのオンラインエディタを利用していたとき、間違ってブラウザを操作するうちに文章が途中で何度も消えてしまいました。

メールで投稿し、スマートフォン専用表示で見ると、携帯端末でもストレスなく使えそうです。



福島の放射線量が下がっている(福島から発信するということ37)

2011年09月23日 05時15分43秒 | 大震災の中で

今日、福島市で計測された放射線量が初めて1μS/hを切ったという報道があった。

本当に良かったと思う。

新たな大規模爆発・放射能の大量飛散量などが起こらず、このまま原発の事故が収束することを祈りたい。

だが同時に、「それだけを切り取って言われてもなあ」という想いも強い。

福島では同時に新たな避難勧奨地点の検討がなされているとも聞く。

もはやこれだけあまねく放射能が広がり、かつホットスポットを含めてまだらに汚染が分布しているとなると、私たちの「生活」にとって「継続的定点観測」の意味は小さくなってきているといわねばなるまい。放出された総放射能量はどこにあっても変わらないのだから。

あとはそれとどう付き合っていくか、が問題だ。

同僚が先日福島の会議で、県立医大の先生とかに、
「ヨーロッパの地域での線量は驚くほど高い。1μS/hを軽く越えるというわけではないが、心配は無用だ」
と聞かされてきたのだそうだ。

ふーん。

どのみち公務員だから県の予算でそんな会議も開催されているのだろうが、ひどい話だ。

何がひどいって、県の行政側自体が国策の原発推進をしてきたわけなのだから、「おまえらの会議でそんな話は聞きたくねえ」ってことである。

発話は基本的に状況定義力=権力が宿る。
(私は、いくら研究はしていてもお医者さんは基本スタンスが技術者であって、科学者じゃないと思っているけれど、それは今は措く)
教員(管理職です)を集めておいて、医者の話を聞かせて、「安全です」言説を県全体に「配信」する……。
4月6日に始業式を強行して「親」を福島に押しとどめたことを、また繰り返そうとしているのだろうか。

教員は、子どもたちの状況を定義するために雇われた「権力行使者」の側面を持つ。

いささか偽悪めくかもしれないが、「子供だまし」が主たる仕事なのだ。

だからこそ、発話主体のスタンスには敏感であるべき。

それなのに福島県の教育が「正しく恐れる」的な話に収斂していくとしたら、正直仲間にはなりたくないな、と「やれやれ」気分になる。

たやすく収斂・収束する発話は、その言説主体のスタンスの偏差が問われる。

ブログで書き散らすのとは訳が違うだろう。

花火ひとつでガタガタいうなよ、と福島在住者としてはは思うけれど、同時に原発推進県だったその県の役人風情が企画した会議で、医者に安全だとか言わせてるなよ、とも思うわけだ。

ま、今までの権力の振るい方、だね。
不安に怯える市民を、子供の教育を通じて啓蒙 馴致していく、みたいな。何時代だよ、と突っ込みたくもなろうというものだ。


改めて、今は言葉が問われている、と思う。
言葉が求められている。
それはおそらく「渇望」に近い。

これから発せられてくるであろう「ことば」に耳を澄ませていこう。

強い拒絶はその内側に、いつだって「動き」の種をはらんでいることぐらい教員なら誰でも知っている。

われわれは誰かの拡声器じゃなくていいはずだ。

たしかに欲望はいつだってまずは他者の欲望なのかもしれない。そういう意味でいえば「安全神話」も「フクシマヲワタ」の風評も、収斂したがる欲望の「鏡」としての役割は果たし続けるのだろう。

でも、じゃあ、私たちは何を反復していくのか?

安全だとか、危険だとか、単純に世界を半分にした言説だけを握りしめていては、ここでは生きられないのじゃないかな。

あくまでも開かれた世界像に向かって、口をつぐむのではなく、語り続けて行くためには、何が必要なのだろう?

何を反復しつつ、そこからどんな世界像を自分たちの手で作り出して生き得るのだろう?

各々の「匙加減」を終着点にするのではなく、出発点として、なおどんな「公共性」が語り得るのだろう。

せめて教員は、そのぐらいは葛藤する義務があるよね。そういう技術のプロ、なんだからさ。

円谷幸吉の遺書(手紙?)のような、身体を伴ったことばを受け止める準備を子供達にさせておくことが必要なのだと思う。
アスリートの動物語録(松岡某や、某イチロー)ではなくてもいいけれど。
「正しさ」を言い募るばかりではなくてね。

臨界面を泳ぎ回ることばの群れを想像しつつ。



福島から発信するということ(36)

2011年09月21日 17時39分30秒 | 大震災の中で
ブログの更新頻度が週1ぐらいに落ちている。
誰と競争しているわけでもなし、締め切りに追われているわけでもない。
だが、毎日日記をつけるように、呼吸するように書いていこう、と思っていた場所から少しずつ「ずれ」てきているのだと思う。

一つは疲れ。
もう一つは日常への復帰。
さらには、不安定の中にさえ「バランス」を見いだしてしまう性向。

そんなことが理由としては考えられる。

今職場は、日常への復帰を急いでいる。
3月11日以降、校舎が立ち入り禁止なってから丸5ヶ月以上、イレギュラーな状態を強いられてきた。
ようやく8月下旬から仮設の建屋ができ、ここでこれから数年は過ごすことになる。
なにはともあれ住み家(すみか)がまた、出来たわけだ。

となれば、今までは「罹災」した「被災者」だったけれど、これからは「普通」の「日常」への復帰を急がなければならない、ということになる。

復興か復旧か、新天地で職を見つけるのか、避難場所から元の家に戻れるまで待つのか、我々よりもずっと深刻な事態の中で大震災(および原発事故)の被害を被った人達は、今なおそういうところで苦しみ、迷い、鈍い痛み(半年経ってしまうとどうしても痛みは鋭く付きささるばかりではなく、広範囲に広がり、鈍く人の意思を根底から挫くようにまとわりつき始めるものだ……)を抱えているのだろう。

「我々は仮設校舎があるだけまだましだ」

間違いなくそうは思う。いろいろ大変なところと「比較」すれば、それは十分すぎるぐらいの環境だ。
でも、本当は「そうじゃない」ことも知っている。

心はもともと、そんな風に「比較」によって世界を半分で生きるようには出来ていない。
わがままだ、というより、世界像全体を自分の中に抱えていなければ、人は人間としていきられないのだ。

自分より大変な人のことを考えて、我慢したり、衝動をコントロールしたりするのは「大人」の振る舞いだし、それはある場合には「美徳」であったり、「常識」であったりもするのだろう。

でもね。

この震災は、そういう「美徳」や「常識」でカバーできるような小さい規模のものじゃない。
単なる災害規模の話ではない。ここでは精神に与えるインパクトの規模のことを言っている。

言うまでもなく、模試の成績だって下がっている。1年間で微細ながら成績が上がってきた分は全部吐きだした(笑)。
授業を集中して受けることができているのかどうか、すらおぼつかない生徒もいる。

だからといって、「普通」や「常識」や「規範」を振りかざせばいいってものでもないだろう。
震災前が平常時で、震災後が「異常な事態」だというなら、福島ならずとも、もはやその「平時」は遠い昔の出来事になってしまっているはずではなかったか。

一見、平穏が戻ったかにみえるこの「世界」も、世界像の根底は(哲学的な意味で)大きく不可逆的な変容を被ったとみるべきだろう。

だが、職場でそんなことを言っても、
「また哲学ボケがなんか呟いている」
ということにしかならない。

ま、そりゃそうだ。

そんなことは当たり前といえば当たり前である。
でも、自分がだんだんそこから「ズレ」ていってしまっているのも隠蔽しがたい手応えのある「事実」なんだよね。

さて、ではどうしよう。
ありもしない日常=「平時」への復帰など、私の仕事ではない……のはいいとして、じゃあどうするつもり?

一人で山に穴掘って隠遁して暮らす衝動に、身を委ねる勇気もない。
ただ、震災後に抱えた「初期衝動」を反復していくことは続けようと思う。

そうか、それがここに書き続けることに意味、でもあったのだ。
震災を負の「お祭り」のように捉えるだけでは足りないのだろう。
回復を目指す日常の「仕事」群の中で、自分が間違いなく感じた「人為の裂け目」の「闇」に対する印象と、そこから何を求めて動き出しをするのか、という最初期の衝動を、改めて考えておこう。

何か特定の行動をすればいい、というものではたぶんない。
でも、この「疲れ」もまたその「最初期の衝動」と無縁だ、というわけではないのだろう。
日常を回復するのではなく、日常を反復しながら「ズレ」を表現の回路に結びつけるための努力。

もしかすると、当たり前に今までやりたかったことを、むしろ後回しにせずに始める必然性を与えられた、のかもしれない。











福島から発信するということ(35)

2011年09月18日 04時51分08秒 | 大震災の中で

南福島にジョイエというイタリアンレストランがある。
先週末そこで食べたオードブルの、ウズラとリードボー(牛の胸腺?)のグリルがメチャメチャおいしかった。
内臓に限らず、お肉といえば韓国焼き肉という生活習慣が身について久しい。
イタリアンといえばパスタ、という「反射神経」もおなじみだ。
でももちろんそんな枠組みばかりで週末の食生活を「処理」しちゃうのはもったいないわけで。

おいしいといえばコンビニ大国の日本では「塩おにぎり」さえ立派な商品として美味しくいただける(皮肉じゃないです!)。

幸せなことだ。

最近ついつい震災や放射能汚染のことばかり考えてしまうけれど、まあかなり色々あってもそれなりに美味しく食べ物をちょうだいできる幸せがあるのは、しみじみありがたい。

ちなみにジョイエのシェフは以前、同じく福島の保原町にある名店「わさび」のスタッフだったはず。その後イタリアで修行してこちらのお店を始めたとか。

「わさび」も季節の野菜やお肉にこだわった素敵なお店。

片方に行くと、もう片方にも行きたくなるね、と、お店を教えてくれた友人からメールがきた。

ざっくりとした大ざっぱな放射能汚染の言説ばかりではなく、具体的で体と心に響く福島の食のことも、考えたいよね。

福島のキノコは会津の一部を除いて出荷停止になるとか。

ほんとうならこういった地元の美味しいレストランは、地産地消も当たり前だったはず。でも、それが無理だとしても、安全でおいしい食材をこだわる魂は変わらないだろう。

残念なことはたくさんあるし、そういうことを抱えながら生活を敢えて「無邪気に」(気にしない、と言う意味ではありません。繊細に気遣いつつなおも、という意味です)食を楽しむのは、ともすればそのこと自体むしろ大きなストレスにすらなりかねない。

また、「福島産」の食品は今強い有徴性の旗が立てられていて、苦しい戦いを強いられている。

けれど、それは決して福島だけの問題には終わらないと、私はいささか逆説的に楽観視してもいる。

森林の腐葉土の除染など、いつになったら進むのか進まないのか、期待するだけバカバカしい。あたかも大きなホラ話の本の中に閉じ込められたファンタジーの登場人物みたいな気にもなる。

でも、人はどんなところにあっても、その中でも楽しみつつ生きて行くだろうし、自分の初期衝動を見失いさえしなければ、「あれかし」という祈りの中で希望を持ち続けつつ「外部」をも感じ続けることができるだろう。

オフレコができる「外部」なんてないのだと政治家は腹を括って、なおかつ重心を自分の身体の中に置いて、肉体の響きを伴った声を出し続けられるかどうかが問われている(9/17付けの朝日新聞にインタビューが載っていた渋谷陽一のコメントに深く納得)。

同じようにまた、私たち福島のモノたちもまた、重心を身体の内部に把持しつつ言葉を発することが求められているのだろうと切実に思う。

今福島で、どこかここより他の場所のファンタジーを語ることはできない。
こここそが「死の町」なのだ。そして同時にそれがわたしたちにとっての「生の町」でもあるという多重性、矛盾、裂け目を生きることの自覚も深い。

極端な話、放射能に汚染されていても、おいしいモノは身体がおいしい、と感じるだろう。

『ベスト』(カミュ)や「腐海」(宮崎駿)についての想像力を、どこか遠いところのものとしてではなく、この目の前のおいしい野菜や肉や魚についてその美味の中の「危険」において駆動させなければならない。

そういう想像力の働かせ方には、私たちは誰もがまだ不慣れだ。
でも、絶対にそれが必要なのだ、と思う。
これからは、外部ではなくこの場所で駆動しつづける想像力を、やむを得ない福島だけに背負わされた苦行としてだけでなく(まあ、なんで俺たちなんだよ、という理不尽さに対する愚痴はしこたま限りなくあるけどね。そして文句もいうし、訴訟もするさ。それとは別に)、この福島を言祝ぐために、「発見」していかねばなるまい。

だからこそ、そのフックとして、おいしいモノは断然不可欠だ。
誰かそういう福島にとって必要な復興ファンドを組んでくれないかな。エンタテインメントと「食」は、ものすごくシンクロしてるわけだから。
「風評」とかいう貧しいところにいつまでも、その言説を「すくだまらせ」てはおけない。

お金が持続的に回るシステムなくして、心の復興はないんだし、そのお金が持続的に別の価値にきちんと開かれていなければ人は、人間として生き続けられない。

つまりは、流通するのはお金だけでも言葉だけでもダメだってこと。当たり前だよね。

福島にいると、いろんな当たり前が見えてくる。別にみたくもないんだけどさっ(笑)
とりあえずこの項目も考え続けなければ。




福島から発信するということ(34)

2011年09月12日 22時09分14秒 | 大震災の中で
8月下旬、半年ぶりに学校が元の敷地に戻ってきた。
とはいっても仮設校舎。エアコン付きで、思ったより音は響かないけれど、「仮の宿り」には違いない。
一応数年はここで落ち着いて授業ができることになったのだが、二学期が始まってから、心身ともに(とくに「心」の方が)不調を極めている。
おそらく、今まで緊張をし続けていた大震災との「蜜月」が終わり、これからしばらく、長い精神的な低迷期に入り込んでいくのではないか、と「他人事」のように思っている。
震災後、小説が読めなくなった。その代わり「哲学」する日々が続いていた。半年たって、日々の忙しさに取り紛れて、この二週間ほど、何もできない自分に気づかされている。

かるい「鬱」なのかもしれない。緊張の糸が切れた、ということなのかもしれない。どう説明を付ければいいのか分からないけれど、本も読めなければお酒を飲む元気もなく、ただ日々の仕事をこなすので精一杯になって、ブログの更新もままならない。

まったく困ったものだ。
といいつつ、とりあえず、知人のブログにコメントを付けさせてもらっています。
よろしかったらこちらへも。
http://blogs.yahoo.co.jp/yamakawasennin/MYBLOG/yblog.html#10635117


中間貯蔵から最終処分へ。廃棄物は「ゾーン」に送り込むのか? 福島から発信するということ(33)

2011年09月05日 22時32分13秒 | 大震災の中で
細野原発相のコメントが波紋を呼んでいる。
福島県、具体的にいえば第一原発内の中間貯蔵を言うとともに、最終処分場を福島県外に、と示唆した話だ。
詳細は以下を参照のこと。
http://www.asahi.com/politics/update/0904/TKY201109040227.html

この最終処分場は福島県外へ、という示唆には、少なからず面食らった。
どこか別の「ゾーン」(四次元空間というか擬似空間をジェネレーターで作成し、力場でそこを固定して恒常化するというSF的なお話。詳しくは『ゼイラム2』を参照)でも想定するのか、とまぜっかえしたくなる。

半減期を端折って放射線量をなくすことができない以上、放射性廃棄物は封じ込め以外に現状では「策」はない。
封じ込めに失敗すれば福島以外に福島と同様の場所がもう一つできる。

それがどこになるのか分からない。しかし、ここではない、と大臣は言い張る。

私は5月の連休後半弘前から青森、十和田とドライブする機会があったとき、
「ここを放射能で汚染させては絶対にいけない」
と深く深く心の奥底から感じたのを忘れられない。
夏、もう一度青森県を訪れた(私は何を隠そう青森県の大ファンなのです)とき、大間の漁港の隣では原発が建設中だったし、下北半島を訪れると、すぐそこに六ヶ所村があった。
無論青森県には青森県の事情や現実があるだろうし、それは福島県の事情や現実とは違うに違いない。

でもね。

やっぱり、人口密度が低くて(笑)、美味しい農産物や海産物が採れて、空気がきれいで、自然が豊かな場所だ。

そんな場所を汚染させてはいけないと思う。

細野大臣は、どんな場所を想定して、福島県を最終処分場にしない、と断言しているのだろう。
断っておくまでもないが、私は福島県に最終処分場を作るべきだ、と考えているわけではない。

原発事故だけでもうんざりなのに、処分場も、なんて言われたら、暴動でも起こそうか、という気にもなる。
でも、じゃあこの究極のNIMBY問題のもっていきどころは本当にあるのだろうか。

気休めや身振りだけのたらいまわしのための発言ならあまりにひどいし、そうではなく、47都道府県にパッケージした廃棄物を分散配置する、となったら狂気の沙汰だろう。

まさか外国に「輸出」するわけにもいくまい。

どんな意図なのか、直接会って話がしたい、と切実に思う。だれかマスコミの人、そこ聞いてください。
「あーもーっ!!」
て感じになる昨日、今日でした。

あまりにも出口の見えない、意図の分からない発言と感じられるのだ。




いろいろな首相批評 福島から発信するということ(32)

2011年09月02日 20時01分30秒 | 大震災の中で

ようやく菅首相が退陣した。それにしてもまあ驚くほど評判が悪かったようだ。
典型的な評価が日経ビジネスオンラインのこの記事。

「“決断”命! 空回りリーダーが最後までさらした醜態」河合薫

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110830/222351/?P=1

なるほど。
彼はお話にならないほどひどいリーダーらしい。たしかに、身近にこんなリーダーがいたら部下としては困るかもしれない。思いついたことをなんの相談もナシにいきなり記者会見で口走り、部下のハシゴを下ろし続けた挙げ句、一貫性のない場当たり的な人気取りの迷走を続ける……。困ったものである。

まるで「私」がブログで責任もなく思いつきを書いているかのような「軽さ」の匂いが、この首相の言葉には漂っていたことは間違いない。
一国のリーダーとして、大組織の代表としての資質は間違いなく欠いていたのだろう。まあ、私も
「マネージメントする者は余計なことを言わず、言ったら必ずやり遂げる準備と覚悟がなくちゃ」
なんていつも上司像を口にしたりはしている。

でもね。
「正しさ」の理念を部分的にではあれ現実の中でそれを形にしようとした「おじさん」として彼を眺めてみれば、ごく普通の人だったと思う。
そして彼のダメさは、分かりやすいダメさなのだ。本人は「正しい」と思うことことばかりいっていて、しかも結果言うことがコロコロ変わり、頼りにもならず使えない学級委員長みたいな(笑)

私は、「私たちはこの『ダメさ』からはじめる必要がある」と思う。少なくても、菅首相のダメさは「私」の「私たちのダメさ」、なのだ。

そういう意味で丸山茂雄氏が言っていることに納得。

「『頼れる首相』は無い物ねだり 」 (丸山茂雄氏の経営者ブログ ソニー・ミュージック元社長、247ミュージック会長)

http://www.nikkei.com/biz/blog/article/g=96958A9C93819499E0E0E2E3E58DE0E0E2EAE0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;dg=1;p=9694E0E2E2E5E0E2E3E3E3E7E2E5

だいたい、今現在システムとして日本は一国のリーダーにふさわしい人物なんて特別なものを選出するようにできていない。(別に首相公選制がいいといっているわけじゃありません。念のため。話はむしろその逆です。)
事実、自民党も民主党もずっとリーダーは利害調整と数合わせで選ばれてきた。
理念なんてものは懐の奥に閉まっておけ、それが政治家だ、というわけだ。

でも、それじゃあ国民に「言葉」が届かない。だからマニフェストって話しになったわけではなかったか?

ところが、結局分かりやすい政策の提示はなし崩しになろうとしている。

菅首相の「私」がかたる理念がいつも「正しい」とは思わない。その語り方が適切だったとも思わない。
だから、福島の住民からみて、浜岡原発の停止は「そりゃ停止したほうがいいよ」と賛同したいと思っても、あまりの「思いつきめいた」言葉の軽さゆえに、賛同しにくくなってしまうという印象があった。

つまるところ、政治家としてはどうかと思う。

でも、これは私たちがここからはじめなければならない、ということなのではないか。

國分功一郎氏が朝日のインタビューに答えていたように、菅首相は少なくても彼の理念をシステムにしようとして法案を通したわけだ。
幼稚で賛同しにくいことはたしかだけれど、菅首相のダメさの中に、相田みつを的「人間観」に基づいて「調整」をする政治家とは別の可能性(の萌芽)を見ておいていいのではないか。

同じ市民活動家出身の政治家辻元清美もその手法の限界を述べている。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110901ddm013010006000c.html

敢えてここで言葉の問題として書いておくけれど、菅首相の思いつきに聞こえてしまいかねない「正しさ」=理念は、明らかにそのままでは「私的な言葉」に過ぎないことも事実だ。

突っ込みどころ満載の「私的な言葉」が持つ「正しさ」を、いかに公共的なるものに鍛え上げていくか、が政治としては重要な「ことば」の問題だと思う。

などと考えていたら、小田嶋隆が政治家のことば(演説)についてもうこんなことを書いていた。

「政治家の演説口調が行き着く果て」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110901/222383/

リーダーの資質とか統治者のやり方とかについては論じる準備もないけれど、「一個人」に還元される政治的能力が国を左右するってのもどうなんだろう、と思う。

「私」という「私的なことば」の存在がそのまま「公共的なるもの」に接続でき、しかもその公共性が個人や利害共同体に還元されてしまわないシステム、社会的な機構が必要だとつくづく思う。

日本の政治は、しばらくは野田さんでまだ旧来の「調整型」を続けるのだろうか。でも、野田さんだってたぶん昔のままの調整ではなく、動いて変化していくと思うなぁ。
そうなってほしい。

いろいろと菅首相批評が目に付いた1日でした。