龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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2021年度いわき市小説講座の受講メモ。

2022年06月13日 20時59分28秒 | 書くことについて

芥川賞作家に学ぶ小説講座2021年12月4日(土)5日(日)

講師:松村栄子先生

※講座を受講した個人のメモです。
単なる心覚えですので、そこのところ了解の上ご覧ください。

☆導入

・好きな作品を100編挙げてみよう

・身近くまとめるのが文章力としては上。必ずしもながいのがえらいというわけではない。

・小説は魔法のようなことがある。

・無理矢理言語化して伝えてみたい。

 

☆小説執筆のための要件

 

大事なもの

長さ(ボリューム)、テーマ、ストーリー

しかしこれらは後で変更可能。

 

語りの視点、文体、登場人物、読者層

これらが決まらなければ一行目も書き始められない。

 

 掌編     短編   中編    長編 

 1-30    30-100  100-300  300-(原稿用紙換算枚数)

 文芸的 ←ーーーーーーーーーーーーーー→文学的

(一語一語?一文一文)         (ことの重さ・深さ)            

アイディア  1テーマ    多くの人物と長い時間を管理

 

空白を勘定に入れるのか?一行改行もパソコンでは読みやすい。

(これは過渡期)

 

☆テーマ これは書き始める動機、きっかけ

 

 ①人物……ある人物像

 ②主張……世の中の不合理

 ③世界……日常から遠い環境

 ④情景……一場面

 

・しばしば動機となったテーマとは違うものが描き出される。

・だから最初のテーマにがんじがらめになる必要はない。

・終わったときには違ったものがあらわされていてもかまわない。

 

☆ストーリー これはシーンとシーンをつなげる役割がある。

 

・シーンには表層の意味と深層の意味がある。

 

表層のできごと→情景

 

深層→本当に書きたいこと

 

・「こう思った」とは書かないが、そこで価値観や心理が動いている。

(ケバケバシかったり、妙だったり……)

 

・そして

 語られたこと→表層

 語られなかったこと→深層

 

 前者よりも後者の方が重要。それによって読者が想像し、ふくらませていく。

 それが読書の醍醐味

 

・書くときには、エピソードと本筋の二本立てで考えている。

(そこに物語を考えるおもしろさと難しさがある)

 

・物事は常に二層構造になっているということ。

 

視点 語り手は見えるものしか語れないということ。

 

語り手は心の中で、見えるものについて語る。意識、感情、記憶を含む。

それ以外は想像するのみ!

 

・視点と人称は、語り手と読者の存在論でもある。

(意識しすぎるのがよいとはかぎらない。ほどほどに意識して)

 

・カメラには死角がある

・語り手≠作者 (語り手は虚構である)

 

・語り手=作者なのは、エッセイ、作文、論文

 

 A一人称視点

 B三人称主観(登場人物)視点

 C三人称客観視点

 

A~Cには謎がある。それを徐々に解いていくのに向く。

それに対して

 

 D神の視点は長大な物語に向く(歴史ものなど)

 

Dは推移がわかりやすい(「孔明が悩んでいた頃、曹操は……」など)。

 

・C(三人称客観視点)について

 あるときこれを説明していたら

 「それって『鬼の視点』じゃないですか」

といってくれた人がいた。

 

つまり、どこにでもいけるが人の気持ちは分からない語り手ということだ。

 

・章ごとに視点を帰るのは安易に使わない方がよい。効果を考えていこう。

 

☆文体 

 

・これは視点の口調に合わせよう。

・一人称の場合、キャラクターに添いすぎると、濃くなり過ぎる。

(多少上品すぎる程度に抑えていく)

・人物より目立つのは不利。

・文体は世界像をつくるもの。したがってことばのレベルを揃えるのが重要。

 

 口語(みたいな) 

 普通(のような)

 文語(のごとき)

 

・視点のぶれも気になるが、ことばのぶれも気になる。

 (感覚を養っておくことが重要)

・話者の違いを、ちゃんと一貫して保つ。

(そうでないと会話の主体が分からなくなる)

・ちょっと書きすぎることがあるので注意)

 

・地の文、叙述部分について

 

  語り手の知性・性格を反映することになる。

 

 実在の作者、仮想の語り手などどのような文体を選ぶかが一行目から重要。

 

・文体は作品全体の品位に係わってくる!

 

 会話文→登場人物の知性・性格を反映(リアリティ重視)

 

 地の文→たとえ一任上でも上品めに。リアリティは会話部分で。

 

・会話文が多いと軽薄。工夫がないとダラダラになる。全てカギかっこにすると地の文が貧しくなる。

 

・会話対が少ないと、重厚だが説明的になる。

 

・会話と地の文のバランスが必要

 

・会話文の効用

①全体のリズムのバランスをとる

②ストーリーを先にすすめられる

③状況説明の補助

(説明ではなく描写するために役立つ)

「なんだよその妙ちきりんな服装は!?」

など

 

・小説は描写。説明は不用。本人に言わせればいい。

・ただし説明的なダラダラした会話は×

(リアルではあっても冗長、くどいので整理すること)

・「と言った」をやりすぎると困る。テンポも悪くなるし誰が言ったのかも問題に。

 

・ではどうするか。

登場人物のしゃべり癖をあらかじめ設定しておく。するとそのキャラがわかりやすく紛れなくなるので、テンポが落ちない。

 

・「と~は言った」ではなく別の動詞を動員しよう。

「目を丸くする」

「振り向いた」

「立っていた」

「~の声だ」

などの、動詞を使ってみる。

 

・地の文は

①視点をずらさず(語り手が誰かを常に意識)←作者に近い美意識を持つ

②くだけすぎず

③無駄なく簡潔に

 

・会話文は

①文法は不要

②話者の個性(年齢性格方言性別)を決めておくこと

 ←キャラを立てる

 ←どれだけ登場人物がたち上がっているか

(一日目、以上)

 

二日目

 

☆小説をどこから作るか?

 

テーマ、キャラクタ、シーン、方法論といろいろあるが

 

☆登場人物について

 

書くかどうかは別として考えておく。

 誕生日、名前、性別、年齢、身分、容姿、家庭環境、 

 性格、趣味、トラウマ、嗜好など

 

・キャラを作るのではなく、どこかにいるはずの人物を想像して描写する。

・「世界で一番の美女」←これは通用しない。ずぼら。もっと多様。

「語り手はそう思う」というのはあるが、具体的特徴を描くのがよい。

・愛情を持った瞳が必要

・身分は、場合によっては作品の中でじゃまになることもあるので注意

 (ある種の固定観念を呼び寄せる?)

・容姿は、モデルのような人物を想定しておく。

 それには通販カタログの人の切り抜きが有効

 また、一度に容姿を書くのではなく、場面場面で必要に応じて矛盾しないように書くとよい。

・主人公を美男美女にしない方がいい。

・ある一部分が魅力的、というのがよい。

・読者がリアルな人物として思い描けることが大切。たとえ突飛であっても、描き方によってはリアリティを持つこともある。

・作者はそういう人がいることを信じることが必要。というよりむしろ「知っている」のだ。

 それを観察して描く←ここが大切。

 

・登場人物は少ない方がよい。

・似た人物は避ける。一人で代表させる(ゴレンジャー)

・ご都合主義に陥らない

・奇抜なキャラクターを書くとき、本人(作者)が存在を疑ってはならない。

・重要人物については、要素を一覧表にまとめておく。

・端役はワンポイントの個性があるとよい。

  咳払いの癖

  変わったメガネ

  くたびれたカーディガン

 すると名前を付けなくても分かる。あとでもしかしたらあのときの?となる。

 

・固有名詞は必要な人だけにつけた方がよい。

 

・産みの苦しみより、捨てる苦しみが大きい。

・スピード感の感覚が必要。捨てるべきは何か。スローモーションもしくは制止画にするとき。

 

・文章は基本順接で進めよう。

・絶対的な悪はかけない。

・自分の好きなものしかかけない。

・楽しいのが大切。

・つらいこと、本当のことは覚悟しないと書けない。

・登場人物を安易に殺さない方がいい。それでもやっぱり実際にそういうことは起こるが。

・つらくてもがんばって生きていくというのが文学的かな。

 

☆最後に

・主述の対応、表現の対応(あたかも~ででもあるかのように)

・てにをはを明確に

「気持ちにさせる」

「思いをさせる」

・小説においては漢語は和語にひらこう。柔らかな表現を用いるのがプロ。

・重複表現を避けよう。

・話し言葉は、対象が移ろいながら展開していくこともある。

 通じていれば間違いとはいえない。しかし、書き言葉の時は気をつけること。

・「産みの苦しみ」より「捨てる痛みを!」

 


夏休みといえば、読書、勉強、研究。

2013年07月27日 11時06分30秒 | 書くことについて
曲がりなりにも人文系の高校教師として、夏休みになんにもテキストを読まずに過ごすことはできない。

小説や文庫になった哲学書だったら気軽に持ち歩ける。
最近は結構な厚さの本も
裁断機→スキャンスナップ
でiPadに「収納」できるようになった。

問題は、それを超えた厚さの本である。
例えば、
『哲学原論 自然法および国家法の原理』トマス・ホッブズ
は、厚さ8cmあって、裁断不可能だ。
中身は買った時に流し読みしただけだし。
ミシェル・フーコーのコレージュ・ド・フランスの講義集は配本されたときにパラパラめくったものの、長らく本棚の飾りつけにすぎなかった。ロールズの『正義論』に至っては平積みの底の底に眠っているはず。

裁断機にかけられる本は手軽に割と読むようになった気もするが、余計に「重い本」に手が出なくなる。

今日明日は夏休みで雨の土日、部活の人も職員室にはいない。
8時間一人で籠っている仕事なので、どれかとじっくり付き合ってみようと思う。
まずはホッブズですかね。
これを読むと、次はスピノザとホッブズの聖書解釈について書かれた研究書(面白そうなんだけれど、素人には敷居が高くて最初しか読んでいない)が待っている(書名は埋もれていて現在発掘不能)。
読書における「負の連鎖」ってやつですね。

分かろうと思って読むと、その度に謎が増えるってヤツ。

まあ、それが面白いっちゃ面白いんだけれど、読んでるだけでもつまらない。
なんらかの意味で「今、ここ」=原発事故以後の福島・いわきを生きる「糧」になれば、とは思うんですが。

いわき市の常磐では、今も雷が鳴っています。


週刊読書人の上半期収穫

2012年07月30日 20時16分14秒 | 書くことについて
週刊読書人の上半期収穫アンケートの中に
トマス・ホッブズ『哲学原論』伊藤宏之・渡部秀和訳(柏書房刊)
が挙げられていた。

ホッブズの研究者は論文書くより、『リバイアサン』以外の主著を訳してくれよ、と周りから言われていた、とのこと。
業界筋の話は知らないが、「我が意を得たり」といったところ。

序文に、21世紀初頭の今だからこそ、読まれなければならない、とある。

その通りだと思う。

私は「近代社会理論」なんかに関心はない。
ただスピノザが読みたい、読めるようになりたいだけだ。
でもそんな素人でさえ、この本の「価値」は分かる。

前のブログの続きになるが、優れた訳というのは、原著に対する明晰な解釈がなければならない。

無論自分勝手であさっての方角の解釈じゃ困る。
でも、現著者の抱える課題や、時代が抱える困難を踏まえた上で、なお、単に言語的に間違っていないのではなく、原著者と問題意識を共有した上での原文に忠実な「訳」が欲しいのだ。

もしかすると原著者さえも著作が完成するまでは輪郭をつかみ得ていなかったかもしれないような「世界像」を、こちら側の言語で、決して単に「代理表象」的に引き写すのではなく、もう一度その問題を日本語で生き直してもらわなきゃならない。

そうでなければ明晰な解釈にはならない。

まだ読み始めたばかり(っていうか1500ページもある哲学書だからいくら読んでも終わらないと思う)だが、その予兆に胸が震えた。

語学的な批判、哲学プロパーの側からの批評をぜひ聞きたいものだ。
でも、この素敵な感触は、じわじわおいしさがにじみ出てくるような気がする。