LECCAというシンガーの
『Step One』
というアルバムの収録曲
「Right Direction」・「再生」・「ファミリア!」
の3曲を、現在ヘビー・ローテーション中。
これらはほとんど宗教曲に近い。
今流通している歌のほとんどは、ラブソングか元気ソングに二分される。
そしてLECCAの曲は本人も言っている通り、ラブソングばかりではなく後者の曲も多い。
とくに私が現在お気に入りの「Right Direction」は凄いです。
歌のサワリはavexからアップロードされているビデオクリップは以下のURLで。
http://www.youtube.com/watch?v=udIsp7JY0qs
歌詞はこちらで。
Right Direction lecca 歌詞情報 - goo 音楽
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND121699/index.html
「素晴らしいと思うもの それは正しいと増えること」
なんて歌詞は
「悲しみ」それ自体は何ものでもない、自己の「力能」に拠って生きることだよねっていう感じがあって、それは、なにやらスピノザ的な匂いさえしてくる(笑)。あ、もちろんこれもフォーマットはラブソングなんですが(家族愛、ですかね)。
「再生」も、別れ歌なんだけれど、彼氏によって生まれ充実してきた自分の中の「力能」を見つめて、よりよき生を生きようってことになってて、これはやっぱりかなりこのLECCAっていう人は優れて「宗教的」な楽曲を作る人だと感じた。
それと、「レゲエ歌手」という肩書がある(wiki)ことが関係しているのかどうかわからないけれど、歌詞のフレーズがリズムの拍をまたぐ特徴がある。
それはいわゆる日本語の歌の桎梏(しっこく)から言葉を解き放つ力を持っているのではないか、と感じる。
レゲエからラップが生まれた、という話も聞いたが(真偽は不明)、私のような年寄りが普段耳にするラップなんぞよりは数段豊かな「差異」を、このLECCAの「歌」ははらんでいる。
とにかく凄い。
日本語を自在に操るその「発話」=「発声」は唯一無二の印象を受ける。
歌詞は、まあちょっと油断して聞くと「ベタ」に聞こえるかもしれないが、それは聴き手が曲の使用法を間違えているだけのことだ。
第一、かなり集中しないとおじさんには歌詞が聞き取れない(笑)。
しかし、このリズムが身体になじんでくると、ある瞬間突然「歌詞」が既にこちらの身体の中に「もう」「以前から」存在していたかのように響きだすのである。
この歌詞にこのリズム、このボーカル、このソウルが組み合わさると、とんでもないことが起こるということだろう。
「分かるときには、分かることがわかっている」
そういうことが身体のバイブレーションとして感じられる楽曲。
やっぱりこれは「宗教曲」に分類されるべきかと。
LECCA、かなりのお薦めです。
『Step One』
というアルバムの収録曲
「Right Direction」・「再生」・「ファミリア!」
の3曲を、現在ヘビー・ローテーション中。
これらはほとんど宗教曲に近い。
今流通している歌のほとんどは、ラブソングか元気ソングに二分される。
そしてLECCAの曲は本人も言っている通り、ラブソングばかりではなく後者の曲も多い。
とくに私が現在お気に入りの「Right Direction」は凄いです。
歌のサワリはavexからアップロードされているビデオクリップは以下のURLで。
http://www.youtube.com/watch?v=udIsp7JY0qs
歌詞はこちらで。
Right Direction lecca 歌詞情報 - goo 音楽
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND121699/index.html
「素晴らしいと思うもの それは正しいと増えること」
なんて歌詞は
「悲しみ」それ自体は何ものでもない、自己の「力能」に拠って生きることだよねっていう感じがあって、それは、なにやらスピノザ的な匂いさえしてくる(笑)。あ、もちろんこれもフォーマットはラブソングなんですが(家族愛、ですかね)。
「再生」も、別れ歌なんだけれど、彼氏によって生まれ充実してきた自分の中の「力能」を見つめて、よりよき生を生きようってことになってて、これはやっぱりかなりこのLECCAっていう人は優れて「宗教的」な楽曲を作る人だと感じた。
それと、「レゲエ歌手」という肩書がある(wiki)ことが関係しているのかどうかわからないけれど、歌詞のフレーズがリズムの拍をまたぐ特徴がある。
それはいわゆる日本語の歌の桎梏(しっこく)から言葉を解き放つ力を持っているのではないか、と感じる。
レゲエからラップが生まれた、という話も聞いたが(真偽は不明)、私のような年寄りが普段耳にするラップなんぞよりは数段豊かな「差異」を、このLECCAの「歌」ははらんでいる。
とにかく凄い。
日本語を自在に操るその「発話」=「発声」は唯一無二の印象を受ける。
歌詞は、まあちょっと油断して聞くと「ベタ」に聞こえるかもしれないが、それは聴き手が曲の使用法を間違えているだけのことだ。
第一、かなり集中しないとおじさんには歌詞が聞き取れない(笑)。
しかし、このリズムが身体になじんでくると、ある瞬間突然「歌詞」が既にこちらの身体の中に「もう」「以前から」存在していたかのように響きだすのである。
この歌詞にこのリズム、このボーカル、このソウルが組み合わさると、とんでもないことが起こるということだろう。
「分かるときには、分かることがわかっている」
そういうことが身体のバイブレーションとして感じられる楽曲。
やっぱりこれは「宗教曲」に分類されるべきかと。
LECCA、かなりのお薦めです。