龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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iPadの日本語本PDFリーダーのベストはBook+かも。

2013年02月23日 10時08分48秒 | iPhone&iPad2

iPadの日本語本PDFリーダーのベストはBook+かも。
私は日本語縦書きの書籍をPDF化しているので、いわゆる横書きを前提とした閲覧ソフトは候補から外れる。
Adobe readerやGoodReaderでは用が足りない。

最初、手になじんだのは

SideBooks である。

開き方も右→左、左→右ができ、しおりが付けられ、ピンチイン・アウトで自在に拡大縮小ができ、動作も安定している。
裁断した本をiPadで読む場合は、全てこのソフトに頼るようになっていた。
唯一残念といえば残念だったのはアンダーライン(縦書きだとサイドライン)を引いたりテキストを書き加えたりの加工ができないことだ。でも、しおりの見出しがテキストとして長めに書き込めるので、メモはそこでやればいい。
基本的には満足していた。

しかし。

Book+

を使ってみてびっくり。SideBooksの利点はそのままに、書き込みやアンダーラインが自在で、かつキャッシュを持っているため、再表示が極めて速い。
テキストをじっくり繰り返して読むときには、SideBooksのようにそのたびに読み込むよりずっと快適だ。

書き込み(アンダーラインなど)がひつような場合はGoodNotes を使っていたのだが、私の環境では不安定になってしまった。
書き込みのないテキストなら、幾重にもバックアップをしてあるのでまた入れ直せばよいが、書き込みデータはソフト依存だから、動作の安定性も重要だ。

というわけで、今のところ、私のPDF読書ライフのベストフレンドは、

Book+

になりました。
もしかするとそれできまりかな。
分割書き出しとかできるといいな、とか、希望はだんだんふくらんでしますんですけどね。

プリンターを接続していないので、印刷関係については不明ですが。


SoftBank、なかなかやるね!

2012年11月22日 23時05分05秒 | iPhone&iPad2
これは言っておきたい。
私の住むいわき市では、SoftBankが結構LTEカバーエリア拡大を努力しているようだ。

10月中、という地図を信じてSoftBank版iPhone5を購入したら、同僚のau版は職場がLTE圏内になったのに、SoftBankはなかなかカバーにならず、ちょっとがっかりしてました。

でも、一ヶ月と遅れずに自宅がLTE圏内に。
やるな、SoftBank。
あとは職場が3G→LTEになるのを待つばかり。
もう3Gには戻れません……。

今、ハイデッガーの技術論を読んでるんだけど、このインフラが進歩すると、それが「当たり前」になっていくっていうこの際限なき昂進を、どう考えたらいいのか、が難しい。

ちょっと前までは、漠然と、プロテスタンティズム→資本主義→科学主義→進歩主義というマックス・ウェーバー的図式で考えていたのだけれど、大震災でインフラ壊滅、というのを経験し、すくなくても人間中心主義的社会資本=無意識の前提感覚は、崩壊した。

(人間中心主義っていうのは、むしろ疎外をもたらす原因の一つでもあったりするからややこしい)

まずもって、進歩はむしろ人間の軛ってことなんだけど、で、軛ごと流されて初めてそこから距離を取ることができた「便利さからの追放」=「解放」されたってことなんですがね。
ただ、神様の存在がそこで関わってくるから、さらに面倒くさい。

人間を人間として成立せしめている、そこに人間を立たせ、動かす「力」。
プロテスタンティズムにおいては内面の信仰だったのかもしれないけれど、ハイデッガーではなんだかよく分からない、そのものを前に立たせて、人間を計算可能な世界像の中で主体に仕立て上げていく力みたいなもの、を想定しているようだ。
ハイデッガーは、直接神様とかに依拠しないから、話がよく見えなくなっちゃう。
でも、そのモヤモヤした辺りが技術論のキモだっていうのはむしろ面白い。

まあ、とにかくそれでもなお、3G→LTEっていう「便利さ」の進歩は乗っかってしまうのですよね。

なんだか、ざっくりした進歩礼賛や進歩懐疑っていう感じでは解析できないと思う。

ただ、ハイデッガーの技術論を読んでいると、もうそういう数値化された「進歩主義」みたいなものは人間の主体以前の、存在の「業」みたいなものであるかのような気がしてきてしまうんだよね。

宿命論みたいな感じすらしてくる。

その辺りをきちんと切り分けていかねば、原発事故論は自分の中で立てられないし、その事故による被害を踏まえたエチカ(住み処の倫理)が成立しない、と思う。少なくても、自分はそこを考えて行かねばならない。

まあ、でも、LTE速いって喜んでるんだけどさっ(苦笑)。

でも、技術は透明性を確保した社会の前提になったときが「完成」みたいなところってあるよね。
違いななくなって、初めて定着みたいな。

そこを外して、ちょっと前までのアーミッシュの方々みたいに開拓時代のごとく馬車で、とか、無理だよね。柱も家も自分たちで建てるとか。

あ、今日はLTE開通祝賀であって、便利=罪悪みたいな辛気くさい話ではなかった(^^;) 。




と、LTE「開通」を喜んではみたものの

2012年11月22日 22時47分29秒 | iPhone&iPad2

自宅ではWi-Fiを使うだろうし、よく考えればあんまり関係ないのですね、これが。

むしろ職場とか、普段よく遊ぶ場所、物書きをする喫茶店やアウトレットのフードコート(笑)がLTE圏内でなければ実質的な意味はないのかもしれない。

モバイルだからさ、結局自分の移動している最中の行動範囲がカバーされて初めて意味を持つのでした。

でも、気のせいか、東京のホテルとかで利用したLTEより実質ダウンロード速度が速いように思う。
やっぱり田舎は空いているからか。



マイクを使っての入力。

2012年11月12日 22時44分15秒 | iPhone&iPad2
ドラゴンスピーチというソフトを購入した。
それで今入力をしている。
もちろんiPhone 5でも音声入力が可能だ。
だが、速度制度ともにこの専用ソフトの方が格段に上だ。
(制度→精度は違ったけどね。)
この辺のところはどうやって選ぶのかはまだわかりません。
多分後で変換し直するのかなー。

でも 、これはなかなか良い。
大量に入力する場合、本当に楽だ。
まぁ、静かなところでないとなかなか正確な入力は望めないのかもしれないけれど。
書斎があるとか仕事場のブースがあるとか、そういうことが必要かな。

どうなんだろう。音声入力を駆使している人は多いのかな。
少なくても、肩がこらないというのは大きい。キーボードを叩けば、もしかすると短時間ならこれよりも早く入力できるかもしれない。
だが喋っているだけなら数時間は続けて入力できる。
キーボードではそれは無理だ。
削除したり訂正をしたりするのには、マウスとキーボードがあった方がいいことは確かだ。
道具っていうのは要するに使い方次第ってことなのだろう。
しゃべって入力するというのは、それにふさわしく文体が変わるということでもあるのだろう。
いや、文体というよりはむしろ「話体」なのだろうけれど。



音声入力の凄さ3(iOs6)

2012年10月09日 02時05分18秒 | iPhone&iPad2
しかし、これだけ入力が便利になると、のべつまくなししゃべり続けた物をアップロードしてしまうのではないかという危険を感じる。
誰も聞きたくない実況中継のようなものだ。

しかしそれほどの快適さを、この機能は持っている。
第一、キーボード打つよりずっと楽なのだ。肩がこらない。寝転がっても打てる。いや打てるではもうないのだね。
アイフォン4はまだ地図が満足に機能していないと言うことなので、 OSをアップグレードしていないが、この機能があるとするならば、アイパットの重さから比べればiPhoneは片手で持てる。
完全に、寝転がりながら文章が作れるということだ。

アプリケーションのディクテーションソフトとは違い、 OSレベルで直接入力ができるのはとてつもなく便利だ。
あ、これはiPhone5じゃないと対応していないのかなぁ?


音声入力の凄さ2(iOS6)

2012年10月09日 01時46分54秒 | iPhone&iPad2
以前、ドラゴンディクテーションというソフトの入力変換率の正確さに驚いたことがある。
このiPadの新しいOSはキーボードにマイクの印が付いていて、それを押すと、喋り出せば自動的に変換されるようになっている。
ちょっと複雑な表現をすると、ついて来れないということはもちろんある。例えば「改行する。」とは入力出来るが、
カイギョウとだけいうと行が変わってしまう(笑)。

しかし、とにかく面白い。こーゆーものは、速度と正確さの兼ね合いなのだろうな。

ちょっとぐらい違っていても、面白い表現として何とか意味を組んでくれようとするところもなかなかに可愛い。
どうせキーボードで打っても、結構修正は必要なものである。

だとするなら、こうやって喋っていってからちょっと直す位のつもりで入力するなら、むしろこの方が効率が良いかもしれない。

昔ペリーメイスンシリーズを書いたE.S.ガードナーが、ほとんどテープに入力しそれを秘書が文章に起こしていたと言う記事を読んだ記憶がある。
こう言うディクテーションソフトを使うと、いつも小学校の頃読んだガードナーのことを思い出す。
口述筆記というやつだ。うわ、口述筆記も出た(笑)。

ちょっと前まで、メールを音声入力でなんて言うのは馬鹿馬鹿しいと思っていたが、そのまんまこうやって入力できるのだから、馬鹿馬鹿しいなんて言っていられない。

実は300人分の作文をどうやって入力しようか考えあぐねていたのだが、このソフトを使って入力を始めてみようかと真面目に考えている。こりゃ、いけるね。

あとは、雑音にどれだけ強いか弱いかが勝負どころかもしれない。
もう一つ、考えなければいけないことがあるとすれば、できるだけ同音異義語を使わないことかな。

おっと、堂本異義語、同梱偉人を、どうp5、どーん異義語……なんとしても「同音異義語」が変換できない(爆笑)。
同ω異義語、同音異議語。
をを、ゆっくり喋ったら、 6回目でクリア。

別のゲームのルールになりかけている。



迷走するiPhone5の予約(笑)

2012年09月29日 23時40分23秒 | iPhone&iPad2
9月23日(日)にはいったん au のiPhone5を予約。

SoftBank→au のMNPを覚悟し、SoftBankのメールアドレスで登録していた様々なサイトをGmailなどに分散して再登録をほぼ済ませた。

ところがその後、SoftBankで下取りプログラムとテザリング開始の追加発表。
考えてみたら3G対応iPad2の契約は、iPhone4にぶら下がっていたことに気づく。
黒の32Gを予約したが、黒はアルミ塗装がきわめてはげやすいという情報も。

以上を勘案して、いったん au の予約をキャンセル。

これで1ヶ月ぐらい入手が遅れたかもしれない(苦笑)。

その後、ゆっくりじっくり情報を集めていくと、どうも自分の住む田舎ではSoftBankのLTE普及状況が、auよりもかなり早そうなのである。

うむむ。

さまざまいろいろ悩んだ挙げ句、最終的には

SoftBank版 白の 16G(実質0円)

を選択。
iPhone4はiPod代わりに、自宅のboseのwave systemに繋ぐことにしました。

スマートフォンは、音楽や動画、そしてゲームを溜め込まなければ16Gの容量で十分。

オフラインで地図&ナビのできるマップファンは2G弱の容量だけれど、その他のスマホの実用ソフトはそんなに大きくないですし。

最終的な問題は地方でのLTE(iPhoneやXiなど新世代のスマートフォンが対応している高速なデータ通信規格)普及の速度
にかかっている。

SoftBankの地方におけるLTE普及の執念に一票入れた、ということです。
頼みます(><;)!


本当は5インチ液晶のdocomoのスマホも惹かれたんですけどね。
年を取ると大画面に拡大して本が読みたいから。

でも、結局7インチの小型タブレットor電子書籍リーダーを来年購入するということにしました。

4インチ画面のスマホ、7インチ画面のブックリーダー、9インチ画面のタブレット。

バカじゃないの?
とまた家族に言われそうです。

でも、9インチタブレットは重い。4インチスマホは小さい。本を読むにはそれにふさわしい大きさが必要なんです!

本当に紙のように軽くて薄くて折りたためるディスプレイが早くできないかなあ。

というわけで、とりあえずは遅ればせながら予約完了(もう変えません!)。

でもなあ。

実は、既にゲットしている同僚のau版iPhone5の速度をみてびっくり。
早いのなんのって。
3Gの下り速度が、自分のSoftBank版iPhone4とは全く別世界の速さなのである。
(いわき市内某所)

速度は場所にも依存し、かつタイミング、混み具合にもよるので一概には言えない。
そしてそれがauとsoftbankの回線の差なのか、iPhone5とiPhone4の違いなのかも分からない。
しかし、とにかく比較にならない速さだ。

ちなみに、私の職場近くでは、同じ3Gでもauの方がSoftBankより下り速度が速い「ことが多い」、と、某SoftBankショップのおねえさんも言ってました(これは内緒です)。

SoftBankのLTEがカバーされなかったら洒落になりません。


悩ましい。実に悩ましい。
(スマホ事情に関心のない人にとっては実にどうでもいいことであるが)






この週末、おもちゃとしてのスマホ情報はiPhone5一色だった。

2012年09月23日 21時05分23秒 | iPhone&iPad2
docomoのラインナップはずれて出てくるのだろうね。

世界的イベントにぶつけてもしょうがないし。
でも、正直iPhone5は、完成形というか洗練形という感じはしたけれど、

「ををっ!?」

というビックリはなかったですね。

それでもiPhoneユーザーとしては超処理速度が速くなった「5」の現物がほしいけれど(笑)。

やっぱり、iTuneとかiPhoneとかiPadとか、機能もそうだけれど、トータルバランスが本当に絶妙で、技術じゃなくて「哲学」というかライフスタイルを売ってる感じなんだよね。

その「哲学」が正しいかどうか、が問題なんじゃない。
技術があるからそれを進歩させました、でもない。

技術をなんのためにどれだけ使い、さらにいえば
「限られた資産の中で、どこに技術を用いないか」

の決定的な判断があるのが、ここでいう工業製品における「哲学」なんだと思う。
デザイン力といってもいいし、それはある意味では「政治」的でもあり「権力」的でもある。
顧客を心地よく「抑圧=教育」する方法、でさえあるのかもしれない。

基本スマホは、一度かったら二年は縛られるから、それに慣れてしまえば多少の操作性の差なんぞは気にしなくなる。
手順さえ分かれば、まあ使えるものだ。
だが、それは目的が限定された使い方になりがちだ。分かっている道筋しか使わななくなる。
若者だったり、情報強者だったりすれば、アンドロイドでもいろいろできるし、その方が面白くもあるのだろう。

それに対して、iPhoneはどのソフトでも安心して「普通」に使え、かつ高水準の楽しみや実用性をもたらしてくれるし、さらには一貫したライフスタイルの魅力までも提案してくれるのだ。

そこが違う。

そういう意味では、細部にまでゆきとどいた技術力で勝負、とやってきた日本の「箱庭」芸が、今少々押されているような気がしてならない。

アップル製品の方が、むしろ細部にまでゆきとどいた心配りがあるような気がしてきちゃうから不思議だ。
そして心配りと同時に、その製品を使う「世界観」の提示がある。

日本は、既に「箱庭」に入っている人へのもてなしは結構まだまだ行けているんだけれど、「箱庭」の外の人を招待するのは、いつのまにか苦手になってしまった。

ソニーでもトヨタでもパナソニックでも、相手にされない外国にいって、軽薄短小を「箱庭」的に実現できる「日本力」で、お客さんの心を掴んできたはずなのにね。

技術と思想、哲学の問題は、ただいま勉強中だけれど、いろいろ考えさせられます。

iPhone5リリースのお祭り騒ぎが一段落したら、アンドロイド系のスマホがそれにどう対抗していくのか、またアマゾンのタブレットがどんな形で日本でリリースされていくのか。

アメリカの方で起こっている雲の上の話ではあるけれど、それは同時に私たちの掌の中の大事件、でもある。

技術と哲学の関係は、原発事故だけの専売特許ではないはずだし。


電話とスマホと書籍リーダーの画面サイズ(悩み)

2012年09月23日 20時43分49秒 | iPhone&iPad2
auのiPhone5に変えようかと考えて、ふと立ち止まった。

では、docomoのスマホじゃだめなんだろうかと。
昨日友人がXi(クロッシー)の大型(5インチぐらいか?)ディスプレイのスマホを見た。
ギャラクシーというのだろうか。

これならまだ私の目でも電子本が読めるかもしれない、と思った。
(時間の問題で、いずれ7インチのブックリーダーが必要になるのかもしれないが)

正直な話、iPhoneでは4だろうが5だろうが、老眼の始まった私の目では、眼鏡を交換しながらでなければ電子化した書籍が読めないのだ。

確かにiPhone5は縦に長くなったから、拡大して1ページ1画面ではなく、縦位1行を限界まで広げて横スライドしていけば、縦書き文庫本もそれなりには読めるかも知れない。
横書きなら横向きで読む手もある。

でも、どうせキャリアをSoftBankから移るなら、4.8インチとか5インチ(もはや既にこれは果たして電話なのか?という大きさだが)のLTE端末に気合いを入れているdocomoも検討の余地があるんじゃないか、と思い始めてしまったのです。

iPad mini も噂され、電子書籍リーダー(多くが7インチか?)の選択もいよいよこれから来年にかけて本格的になるだろう。

そんな中で、自分自身のスマホの守備範囲をどのあたりにしておくかが、目下の最重要課題になってきた。

ただ、iPhoneとiPadのiCloudのデータ連係とか、分かりやすいインターフェースとか、大きすぎないデザインとか、さまざまにアップルの優位性はあるんだよねぇ。

iPhone5を買うなら、iPhone5とiPad3の間の大きさの、電子書籍リーダーも買わねばならなくなりそう。

5インチスマホだったら、7インチを今年来年あたりはパスできるかもしれないわけで。

いや、悩ましいです。

最近、本の裁断による電子書籍化計画を進めている関係上、iPad持ち歩きが必須になりつつある。
ところが、持っている人は分かると思うが、正直なところiPadはどこでもいつでも持ち歩いて本をさくさく読むには、決定的に重いのである。

片手でiPadをずっと空中に把持しつづけて本を読み切る「腕力」のある人は、あんまりいないんじゃないかな。

しかし、iPhoneでは、ちらっと参照するには十分だが、本を読むには決定的に画面が小さいのだ。
去年だったか、『歌うくじら』(村上龍)をiPhoneで読んだ時は、まだ読めた。
1年のうちに、また老眼が進行したらしい。

そのうち眼鏡を買うか、携帯を買うか、みたいな本末転倒のシーンになだれ込みそうだよ(苦笑)。

ジョブズが断固反対していたとかいう7インチサイズ。
噂になっているiPad miniの大きさは、そのまま電子ブックリーダー7インチ画面の市場だ。

iPhon5 4インチ
大画面スマホ 4.8~5インチ
bookreadr 7インチ
iPad3 9インチ


auのiPhone5予約を取り消してきた(爆笑)

2012年09月23日 17時46分44秒 | iPhone&iPad2
SoftBankの思うツボ、だろうか(笑)。

今日の午後、auのiPhone5の予約をキャンセルしてきた。
理由は3つ。

1,とりあえず、地図が実質バージョンダウンしていて使えないのはどうかと思う。
(別にマップファンを入れてあるので不自由はしないが、批判票を1票いれておこうと思った。)
(少なくてもGoogle Mapが出るまで待ってもいいかと)

2,自分の居住地がプラチナバンドカバー地域になり、以前ほどau回線をうらやまなくても良くなった。
(まだ差はあります。先週末も山間の道路沿いでauだけ電波が入って悔しい思いはしました)

3,旧iPhone4の下取りがSoftBankだと1万ほどになる。
(iPod代わりにそのままBoseのWave Music Systemに繋いでもいいが)


以上のことを勘案すると、現状のSoftBankをauに移す面倒なことをするよりは、しばらく様子をみようかと。

そうそう、考えてみたらipadが一台iPhone4にぶら下がっていて、auに変更するとそちらも余計な負担が発生することに気づいたのでした。

iPhone5にすること自体をしばらく様子見すると同時に、auに移るのもちょっと待ってみようかと。
周りの様子を見てからでも遅くないかな。

それから、16Gbyteでもいいかな、とか、黒は塗装がはげやすいとか、いろいろ迷う余地はあるのですね。

結局、予約直前までプランは出さない、ブツの情報は不十分、という中で、「初日で予約200万台突破」というニュースに煽られてしまっていたのでした。iPhone4のホームボタンがいつ壊れるか、っていうところとの兼ね合いもあって、つい浮き足だってしまいました。

壊れたときは壊れたときのこと。

とりあえず、iPhone5フィーバーから少しだけ距離をとって、落ち着いて考えよっと。




softbankのiPhone5もテザリング対応……だって。

2012年09月19日 23時22分39秒 | iPhone&iPad2
週末、意を決して au のiPhone5を予約してきた。

そしたらいつものSoftBankの後出しじゃんけ攻撃?(笑)で、下取り含めるとSoftBankの方がとりあえず安い状況に。

もちろん切磋琢磨の企業努力は歓迎すべきところです。
でも、迷う。

auの繋がりの良さとテザリング無料に惹かれて決めたんだけど……悩ましい。

メールアドレスとか変えるの実は面倒だしねえ。

docomo,SoftBank,イーモバイルと試してみたのだから、auも体験してみようかな。


iPhone4のボタンの二度押しが利かなくなっている状況がなければ、もっとゆったり構えられるんだけどなあ。
渾身の力を込めたベストタイミングの二度押しにしか反応しなくなってる(^^;)。






ソフトバンクの 録画対応デジタルTVチューナー(2)

2012年07月29日 14時23分39秒 | iPhone&iPad2
ソフトバンクの 録画対応デジタルTVチューナー(2)
休日なので丸一日家にいて、本を読みながら本の裁断を続けている。
で、このipadで見るTVチューナーはメチャクチャ利用価値があることにジワジワ気づきつつある。

もちろん風呂でも(カバーは要るが)台所で食事を作りながらでも、ごろ寝しながらでも、テレビが見られるのは助かる。便利だ。

でも、そんなことなら携帯ワンセグでもできたし、小型TVなんて昔からあった。

何にも革命的なことは起こっていないといえば起こっていない。
いまさらテレビを家中で見られるからでなんなんだ、である。携帯だったらipadよりよほど軽い。

でも、テレビもwebブラウザも、私たちの生活に標準装着された世界の覗き穴だ。
だとすれば、携帯じゃあ小さすぎる。パソコンじゃ面倒すぎる。テレビでは重すぎる。

ちょうどライラの冒険シリーズの第2巻で出てきた神秘の短剣(空間を切り裂くと、もう一つの平行世界への裂け目ができる。ナルニアにいける洋服ダンスの携帯版です)のようなもので、それにはある程度の大きさが必要。

タブレットはその絶妙なバランスだと思う。

つまり、ことここにいたって、本とwebとTVが、同一メディアになった、ということです。
タブレットはあくまで「短剣」にすぎない。

向こう側のコンテンツに、ここから自在に行き来できるのが、凄い。

TVの大画面とか、携帯のコンパクトさとか、PCのキーボードとかは、たしかにタブレットより便利だ。

でも、適切な平行世界の覗き穴のサイズは、脳味噌的にこの程度のサイズで十分だし、逆にこの程度のサイズは必要だったってことでしょう。

2012年における平行世界の覗き穴の最適解。
(それは本であっても、映画であっても、ホームページであっても、YouTubeであっても、TVであってもいい)

それがこのipadだったのですね。

だからこそ、Googleもマイクロソフトもタブレットを次々に投入せざるを得ない。

正直、文字を入力するにはBluetoothキーボードが必須。携帯するには正直重いし大きい。映画を大迫力で見ようと思ったら物足りないのだ。

むしろ、このタブレットは、脳味噌に情報を与えるのに最適なサイズ(本のサイズは、教会の図書館に収められていた時代から考えれば、グッとコンパクトになり、世界中で共通している。あの本の見開きサイズが、これ、なんだよね)だったということでしょう。

本を裁断していて、物理的なサイズの共通性にふと、思い当たりました。

速度と画面はもう十分。
iPadの課題は値段と重さだね。

この種の端末は、絶対貧乏でもお金持ちでも持てるべきだ。
お金に換算する必要のない必須メディアです。









400冊裁断した。

2012年07月25日 15時50分26秒 | iPhone&iPad2
書籍の電子化が400冊になった。
一週間100冊のペース。
ということは一年で5,000冊だ。

物置の床を空けるためにかける労力としてはちょっと大変かも(苦笑)。

でも、全部を一度に捨てる訳にもいかず、かと言って全部をこのままにしておくのも限界。
スキャナーと裁断機購入というオモチャ効果で5,000冊処理できればそれはそれで「現実的」かもしれない、とも思う。

まあ、5,000冊が実現可能かどうかは措くとしても、1,000冊は現実味を帯びてきた。

ザックリと本をピックアップしつつ、捨てられる(もしくは売りに出せる)本も多少分類していければよい。
かつて読んだ本、読もうとした本と向き合うのは、懐旧的な意味合いばかりではなく、面白いものだ。

今は開高健の箱にさしかかっている。
エッセイは読み返さなくてもいいが、釣りの本はむしろまた読みたいと思う。
ベトナムの「暑さ」も、もう少し暇になったら読み直そう。
彼の女性像には今は興味がなくなったけれど、それでもそこにただよう「退屈感」は、もうちょっとみておいてもいい。

もうすぐ蓮實重彦の箱になる。
30年ぶりの蓮實はどうだろう。小林秀雄全集は裁断できないけれど、蓮實重彦の本は「切れ」る。
石川淳の全集はふたつあるけれど、古い方を裁断するかどうか迷っている。

今日び、古い個人全集なんて(選集がでたら尚更)誰も買わないもんねぇ。

太田蜀山人の全集は「切れ」ないけれど、三田村鳶魚は「切れ」る。
鴎外・漱石は、青空文庫もあるので切らなくても読める。
絶版になったSF文庫とかは、価値の問題ではなく電子化して手元に置き、生きているうちに読もうと思う。

買い置きして読まなかった推理小説は、果たして今後手に取ることがあるのだろうか。
暇つぶしが必要ならブックオフでまた100円で買えばいいのだ。
でも、なあ……

ともあれ、好きな本を手近に置いてあれこれ考えながら時間を過ごすのは、何のたしにもならないけれどすこぶるたのしいものである。


藤あさみさんのブログ

2012年07月20日 00時41分25秒 | iPhone&iPad2
藤あさみさんのブログにあるこの記事、納得でした。
「わざなう」
http://touasa.cocolog-nifty.com/wannazau/2007/05/scansnap_8053.html

1,書籍の山の解消にはならない
2,透明テキスト付PDFの便利さ
3,スキャンデータとモバイルの相性の悪さ
4,意外に使える名刺OCR
5,こまめなお手入れが必須
とまとめてあります。ぜひ参照のほどを。

ただし、私が今使用している環境
新ipad・scansnap s1500・裁断機ブック40の組み合わせ
だと、

1,書籍の山の解消にはならない、っていうのが少し変わってきたかもしれない、と感じています。

超音波の重なり検出があるので、安心して大量連続スキャンができること。
新しいiPadは画面がキレイで(重いけれど)、拡大してもスキャンデータさえキレイなら、十分読書に耐え得るクオリティになっていること。

この2週間ぐらいで300冊超を自炊してみての感想です。蔵書の総数がどのぐらいかまだ掴めていないのですが、とりあえず500冊は手が届くところに来ました。
全部を自炊するつもりはないので、5000冊もやれれば上出来。ということは10%ぐらいは1ヶ月以内に楽勝で終わるってことです。まあその半分の2500冊だって、だいぶ省スペースにはなるはず。

「書物に刃物を入れるなんて」

って人は、ぜひ筆字から活字に変わった時のことを思い出してほしいです(っていっても、グーテンベルグの時代に生きていた人はいないんですが)。
ただし、私も裁断&電子化するのは文庫本と新書、それに社会学系の現状分析本が主です。
全集本とか、哲学テキストとか、全巻揃いのものとかは、とりあえずは本棚の肥やしのまま。

ただ、かな~り便利なんですよね、閲覧に限って言えば。

なにせ、本を何冊持ってもiPadの容積と650gの重さで済むわけですから。
(PDFだから、テキストを一応検索可能な索引付けすることができますし)


藤あさみ(とうあさ)さんも、最近のブログでは新型iPadの購入で、電子化した書籍の「読書環境」は整った(重いけど)って書いてました。

同感です。

ちなみに、この藤あさみさんのブログにお邪魔したら、なんと私が最近購入したヒラリー・ハーンの「SILFLA」というアルバムのレビューがあってびびびびっくり。

そして
『無限振子 精神科医となった自閉症者の声無き叫び』Lobin H.
のレビュー。自閉症スペクトラムと診断された精神科医のお話だそうです。

要チェックのブログになりました。



本棚が空いていく快感

2012年07月06日 20時25分53秒 | iPhone&iPad2
本棚が空いていく快感-書籍電子化の効果-

100冊ちかく裁断&電子化を進めると、本棚が3段近く空いてくる。
部屋にある本棚(横積み縦積み前後重ね等々)の本を数えるとざっと800冊ぐらい。
身近に置く本の量としては主観的には必要最低限、といったところ。

同僚の本好き夫婦に聞いたら「二万冊は超えるけど、数えてない」とのこと。
それに比べれば私の蔵書はおそらく全部合わせても数千冊程度だからたかが知れているのだが、それにしても、本の置き場には苦労してきた。
引っ越しの時に処分してはみるものの、なかなか捨てられない。いちばん問題なのが

「捨てるか捨てないかを分類する」

という作業である。

1,片付けているうちに惜しくなり、気がつくと棄てる本がなくなってしまう。
2,見ているうちに忘れていた本と再開し、片付け途中で読み始めてしまう。
3,整理を忘れて分類に走り、本棚の並べ替えで終わってしまう。
4,途中で飽きて収拾がつかなくなる。

だいたい上のいずれかになる。本に限らない片付けの難しさだ(笑)。

ところが、書籍の「裁断&電子化」の作業は、

1,魂を吸い取って保存するので、棄てるという「惜しさ」に捕らわれずにすむ。
2,本の裁断は1分程度、スキャンも数分あれば終わるので、本を開いて「読み出す」危険が低い。
3,整理は後で電子化されたものにキーワードを割り振ればいいので、その場では整理の必要もない。
4,裁断機や連続スキャナ、ipadなど、ガジェットを扱う楽しみがあるので、途中で飽きない。

というメリットがある。

最大のネックは一度書いたように、本に刃物を当てる瞬間だ。

自分が持っている書籍に対するフェティシズムと、しっかり向き合うことが必要である。

「本の背を切ってバラバラにした挙げ句に棄てるなんて」

本好きなら誰しもそう思うはず。
雑誌ならいざ知らず、単行本の背を裁断するときには確かに、

「ああ、これでおれは地獄に落ちるなぁ」

というか
「ルビコン河を渡ったな、こりゃ」

と、「尻小玉を抜かれる」ような脱力感があった。

まあ、別に無理して書籍の電子データ化をすることもないのだけれど(笑)。

でも、電子データ化を始めてから、軽い本は数十分から1時間程度でざっくり読めてしまうことを知った。

つまり、読み方の手順が変わった印象がある。

一文字一文字リニアに(線状的に)目で追っていくのではなく、ざっくり画面ごとに読む、というのに近い「読み方」になった。

それがいいのか悪いのかは分からない。

たぶん、善し悪しではなく、そういう風になった、ということなのだろう。

その読み方によって情報の「速度」は確実に上がっている。
当然、逆に脳味噌の中における情報の「熟成」度合いは低くなることも予想される。

つまり、そういう読み方ができる本は電子データ(PDF)で読めばいい、ということだ。

私の場合、社会学系の本のほとんどは、その手の本だった。

ちなみにまだ小説は1冊も電子化していない。
小説を裁断する「敷居」は、社会評論より高いらしい。

哲学テキストは、二冊購入していたスピノザの『デカルトの哲学原理』1冊だけを電子化した。
もっと手軽に持ち歩きたいとも思うけれど、「テキスト」としての哲学は、裁断&取り込みした挙げ句、なんだかもう一冊同じ本を買い直ししてしまいそうだ。

小説はためらうけれど、そんな気持ちにはならない。
このあたり、今の自分のテキストに対するフェチ度合いが露わになって、これもまた面白いのだが。

とりあえず、小説は繰り返し謎ときをさせてくれるテキストだし、哲学テキストは繰り返される謎そのもの、に近い。

その二種類は電子化して大量高速にスライドして読むものではなさそうなのである。

喜んで裁断&スキャンをやってはいても、どうやら全てをスキャンしてタブレット(ipad)で読みゃあいい、ってものでもないらしい。

但し、住宅事情の面から言えば本のジャンルなんぞは問題にはならない。
ひたすら本の置いてあった場所が空けばそれが「正義」ということになる。

そこでは、絶対的に電子化が「正しい」振る舞い、ということだ。

どうなんだろうね。

でも、これだけ便利で場所を取らないのであれば、書籍形式で本を購入するという行為は、筆で字を書くことが特殊が芸術や儀礼になったように、特別な意味を帯びていくのかもしれない。
そんなに遠い将来じゃなくて、ね。
でも、だから本はなくならないんだろうね。
書籍はその社会的意義を変質させつつも、世界に対する「裂け目」でもあり「封印」でもあり続けるのかもしれない。

世界とはこのとき、無意識といってもいいし、とりあえずは他者といってもいいのだけれど。