スバルの評価で面白い記事を見つけたのでメモしておきます。
JBPressというWeb雑誌のコラムです。
「信じられるクルマ」であることがスバルの証し
日本車が元気になるための処方箋(富士重工業篇)
2011.08.29(月) 両角 岳彦
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/20205?page=1
ちょっと引用。
(引用開始)
その中で、「スバルのブランドアイデンティティーは『シンメトリカルAWD(水平対向エンジンを縦に置いて前輪と後輪を駆動する動力機構の基本構成。上から見るとほぼ左右対称になっている)』です」などという、本末転倒のフレーズを、宣伝だけでなく商品企画部門までが掲げるようになった。
そうした人々に対して私は、「そんなことを言って、(スバル360、スバル1000の開発を指揮した名技術者)百瀬晋六氏に顔向けできるの?」と、何度となく問いかけたものである。水平対向エンジンを縦置きした前輪駆動機構は、「最良のクルマ」を希求した結果の一形態であって、それ自体が価値を生むものではない。
(引用終了)
この両角岳彦という人は、自動車ジャーナリストの経験もある自動車工学の研究者のようですが、とても深く納得しました。
あくまで工業製品として「最良のクルマ」をどう追求していくかという道しか21世紀のクルマの生き残りはありえないという徹底した視線と、あくまで乗って体で体感する「動質」という概念で、クルマの「良さ」の本質を語ってもいます。
そのあたりの指摘通り、5代目レガシィは「絶賛迷走中」の製品だったと言えるでしょう(笑)。
こちらは私が価格.comにアップしたレビュー。
「じっくり付き合いたいクルマです。」
レガシィ ツーリングワゴン 2009年モデル2.5i EyeSight B-SPORT G Package
(2011年11月22日発売)
http://review.kakaku.com/review/K0000287215/GradeID=19505/
工業製品としての迷走という両角氏の視点のシビアさから比べると、メルセデスやマツダがスバルよりもちゃんとしてるみたいにもとれる単純比較になっちゃってるところが今ひとつでした。
以下は蛇足。
マツダロードスターにおけるライトウェイトオープンツーシータースポーツという設計の思想や、ベンツのCワゴンに見られるような重いものをしっかりと制御して疲れずに安全に乗員を移動させるというクルマ文化の方が、新型レガシィの、awdだから、アイサイトだから、広いから、という、クルマの「動質」という根本的な魅力とのつながりが弱い技術先行の「売り」と比較するとしっかりしてるんじゃないのかな、という印象を抱いたことは間違いありません。
「自己の中に働く力能が、どこで世界の根本原因と繋がっているのか、をきちんと問い続けられるかどうか問題」
と言い換えてもいいです。「倫理」の問題ですね。
一見突拍子もない方向性であっても構わない。
どこまで徹底し、透徹した「初期衝動」=「根本原因」の共鳴を信じうるか、が問われているように思います。
その上で、それをどう実現していくのか。
難しいことだけれど、たかだかクルマを乗り比べて購入する時にも、ユーザーだって意識的か無意識的か、を別にして、そんなことを考えながら選択していくものなのですよね、やっぱり。
だから作り手にも、いや作り手だからこそ、その「表現」に「神様」が宿るところに手を届かせてほしい……。
勝手な欲望なのかもしれません。
でも。
人間が動物と違って、他者の中に「表現」を見いだした何万年も前から、私達は「動物的」な次元、「想像的」な次元、そして「表現的」な次元の多層性をずっとずっと生きてきたのです。
手近に「村の神様」を想定して、その絵図面通りに生きるわけにはいかないことが、原発事故以降、分かってきてしまいました。
それでもなお、電気やガスや水道や道路などのインフラを使って、電化製品や自動車や現代的な家の設備などの便利さを享受し続けようとするならそこに、自分のスタイルに対する自覚的姿勢が必要になると私は考えています。
哲学といっても思想といっても文化といってもいいのだけれど、「姿勢」であり「表現」であるという意味では、それはやっぱり「倫理(エチカ)」という表現が一番ふさわしい。
「クルマ」における「エチカ」、なんて「哲学ヲタ&クルマヲタ」カテゴリーに過ぎない、かな(苦笑)。
いや、対象はなんであってもいいのです。「棲み家」における「エチカ」であっても、「食」における「エチカ」であっても、「職」における「エチカ」であってもいい。
「エチカ」の大増殖、歓迎!
問われているのは、生きること全体に、全面的に関わってくる「スタイル」の問題だから。
この項、結論なく、また後ほど続けます。
JBPressというWeb雑誌のコラムです。
「信じられるクルマ」であることがスバルの証し
日本車が元気になるための処方箋(富士重工業篇)
2011.08.29(月) 両角 岳彦
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/20205?page=1
ちょっと引用。
(引用開始)
その中で、「スバルのブランドアイデンティティーは『シンメトリカルAWD(水平対向エンジンを縦に置いて前輪と後輪を駆動する動力機構の基本構成。上から見るとほぼ左右対称になっている)』です」などという、本末転倒のフレーズを、宣伝だけでなく商品企画部門までが掲げるようになった。
そうした人々に対して私は、「そんなことを言って、(スバル360、スバル1000の開発を指揮した名技術者)百瀬晋六氏に顔向けできるの?」と、何度となく問いかけたものである。水平対向エンジンを縦置きした前輪駆動機構は、「最良のクルマ」を希求した結果の一形態であって、それ自体が価値を生むものではない。
(引用終了)
この両角岳彦という人は、自動車ジャーナリストの経験もある自動車工学の研究者のようですが、とても深く納得しました。
あくまで工業製品として「最良のクルマ」をどう追求していくかという道しか21世紀のクルマの生き残りはありえないという徹底した視線と、あくまで乗って体で体感する「動質」という概念で、クルマの「良さ」の本質を語ってもいます。
そのあたりの指摘通り、5代目レガシィは「絶賛迷走中」の製品だったと言えるでしょう(笑)。
こちらは私が価格.comにアップしたレビュー。
「じっくり付き合いたいクルマです。」
レガシィ ツーリングワゴン 2009年モデル2.5i EyeSight B-SPORT G Package
(2011年11月22日発売)
http://review.kakaku.com/review/K0000287215/GradeID=19505/
工業製品としての迷走という両角氏の視点のシビアさから比べると、メルセデスやマツダがスバルよりもちゃんとしてるみたいにもとれる単純比較になっちゃってるところが今ひとつでした。
以下は蛇足。
マツダロードスターにおけるライトウェイトオープンツーシータースポーツという設計の思想や、ベンツのCワゴンに見られるような重いものをしっかりと制御して疲れずに安全に乗員を移動させるというクルマ文化の方が、新型レガシィの、awdだから、アイサイトだから、広いから、という、クルマの「動質」という根本的な魅力とのつながりが弱い技術先行の「売り」と比較するとしっかりしてるんじゃないのかな、という印象を抱いたことは間違いありません。
「自己の中に働く力能が、どこで世界の根本原因と繋がっているのか、をきちんと問い続けられるかどうか問題」
と言い換えてもいいです。「倫理」の問題ですね。
一見突拍子もない方向性であっても構わない。
どこまで徹底し、透徹した「初期衝動」=「根本原因」の共鳴を信じうるか、が問われているように思います。
その上で、それをどう実現していくのか。
難しいことだけれど、たかだかクルマを乗り比べて購入する時にも、ユーザーだって意識的か無意識的か、を別にして、そんなことを考えながら選択していくものなのですよね、やっぱり。
だから作り手にも、いや作り手だからこそ、その「表現」に「神様」が宿るところに手を届かせてほしい……。
勝手な欲望なのかもしれません。
でも。
人間が動物と違って、他者の中に「表現」を見いだした何万年も前から、私達は「動物的」な次元、「想像的」な次元、そして「表現的」な次元の多層性をずっとずっと生きてきたのです。
手近に「村の神様」を想定して、その絵図面通りに生きるわけにはいかないことが、原発事故以降、分かってきてしまいました。
それでもなお、電気やガスや水道や道路などのインフラを使って、電化製品や自動車や現代的な家の設備などの便利さを享受し続けようとするならそこに、自分のスタイルに対する自覚的姿勢が必要になると私は考えています。
哲学といっても思想といっても文化といってもいいのだけれど、「姿勢」であり「表現」であるという意味では、それはやっぱり「倫理(エチカ)」という表現が一番ふさわしい。
「クルマ」における「エチカ」、なんて「哲学ヲタ&クルマヲタ」カテゴリーに過ぎない、かな(苦笑)。
いや、対象はなんであってもいいのです。「棲み家」における「エチカ」であっても、「食」における「エチカ」であっても、「職」における「エチカ」であってもいい。
「エチカ」の大増殖、歓迎!
問われているのは、生きること全体に、全面的に関わってくる「スタイル」の問題だから。
この項、結論なく、また後ほど続けます。