龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

引っ越しをした

2010年03月31日 10時34分03秒 | インポート
引っ越しをした。
5年暮らしていたアパートから、建てて20年間自分の家なのに住んだことがなかった家に移動したのだが、20年年寄りが住んでいた場所に新しく荷物を持って入るのは、普通にアパートを借りるのよりずっと手間がかかる。
先住民(笑)たちの家財を片付けて、侵入者(わたしです)の荷物を入れねばならないから、なんだか2回引っ越しをしたような気分になる。

当然荷物は入りきらないから、庭に家具が山積み(猫の額とてあるだけましだが)になる。
それを小さいゴミのように、可燃不燃リサイクル別に判断して車で処理場に持参したり業者さんを呼んだり、とはなはだ面倒くさい。さらに、年寄りはアナログTVで我慢していたが、私は地デジに替えていたから我慢できずにアンテナ工事。
ADSLも光に変更する工事。

そして当然ながら残った本の山。

今日一日で来年度の準備ができるはずもなく、飲み疲れ引っ越し疲れで痛くなった背中をさすりながら、1週間読めなかったメールの返信をしている。

さて50代も半ば。これからどんな風に生きていこう。荷物が幾分なりともい落ち着いたら、じっくり腰を据えて考える必要がありそうだ。


年金記録がつながった

2010年03月18日 23時00分34秒 | 社会
 年金記録の不整合など他人事だと思っていたが、去年届いたねんきん特別便をみたらなんと記録に不備があって驚いた。
 しかし、問い合わせて年金手帳のコピーを送ったら、意外にも?(失礼!)ちゃんと記録をつなげてくれた。
 政治問題化していなかったら、こんな風にスムーズにいっただろうか、とつい思っちゃうけど、何はともあれ一安心。

 私のころ大学生のうちは、20歳からの国民年金加入が任意だったらしい。
 父親が将来のため、といって、就職までの3年間(浪人したので23歳まで学生だった)国民年金をかけていてくれたのだ。

 今はもう年金の受け取りが65歳からになってしまったし、さほど金額が変わるのかどうかも分からないが、32年前の父親の心遣いは、今更ながらありがたい。

 記録が照合されていなかったのは、名前のふりがなが違っていたためだった。
 途中で名前の呼び方を変えた私自身の若気の至りのせい、なので、お役所の人の責任ではない。

 でもね、本当は年金なんてもらわなくても、ずっと元気で働ければそれがいい、とも思う。
 実際は体がきつくなったり、新しい仕事に対応しにくくなったり、気力が足りなくなったり、もするのかもしれない。
 あと10年後、20年後の自分の「元気」を想像することは、20年前の頃に「今」を想像することより、ずっと難しいような気がする。
 それでも、使える場所はあるはずじゃないのか?
 日本から元気がどんどんなくなっている、みたいな話をよく聞くし、実際「正採用」になる若者の比率はぐっと低くなったようだ。手取りの給料は、100万単位で減っている。リストラにあって生首を切られないだけずっとまし、なのかもしれない。人手は減って、仕事は増え続けている印象もある。

 それはそうなんだけれど、主観的にはもっと仕事がしたい、と思う。贅沢かもしれないけれど、持っているノウハウを存分に発揮できたら、60代は、「上手に限定的」であればまだ十分な戦力たり得ると思うし、お金を稼げれば守りに入らなくて済むから、経済的にも悪くない「存在」でありつづけられる可能性は十分。
そんな気がする。セミリタイアの道筋を上手に自分でつけられたら、とも。
 もう、今すぐ引退してどこかで庵を結んで隠居だぁ~い、という思いが強まると同時に、生涯現役(といっても75歳ぐらいまでには一段落つけたいけどさっ)でいられたらいいのに、という気持ちも頭をもたげてくる。
 どちらかだけに傾くのではなく、軸足を私生活に移しながら、年金分ぐらいを働いていけたらいいのになあ。

 難しいねえ。


 


 それが無駄にならなくて良かった。



卒業式を終えて

2010年03月08日 00時14分53秒 | 教育
 昨年に引き続き今年も3年担任なので、2年続いて生徒を送り出すことになった。

 教員の仕事は、どんな仕事が「いい仕事」なのか、にわかに決めがたいこともある。
 1年1年目標も違えば、対応すべき課題も変わる。
 去年はコースが私立・国立混合だったので、一人一人異なる目標進路の実現が課題だったけれど、
 今年は文系でかつ二次数学を用いるクラス、だったので、難関大学合格が課題になった。
 国立文系で個別試験(二次)に数学があるのは難しめの大学が多いってことなんですが。

 加えて、経済状況を反映してか、浪人しない、という圧は年々強くなっているように感じる。
 難関を目指すなら浪人覚悟、といった「昔」の感覚では対応できない。
 現役で難関大学をどう目指すか。
 目標としては当然だが、現実としては半分厳しいことも事実。

 逆にいえば、仕事として、それぞれが異なる進路という去年のバラエティ豊かな楽しさとはまた、違った面白さがあった。

そして得た結論は「完全燃焼の手助け」がどこまでできたか、が仕事の評価軸になる、ということだった。

受験という通過儀礼は、必ずしも公平とはいえないけれど、なにはともあれ平等に同じ試験を受けて、自分をどれだけ磨いたか、その結果だけが問われる。自分のためだけにがんばればいい、子供として最後の関門、といってもいいかもしれない。社会に出るときには、社会(他者)に対してどんな貢献が可能か、という「社会力」が問われるが、受験で問われるのは個人の「学力」や「能力」だけだ。
だから、どれだけ自分の中にある力を出し切り、伸ばしきれるか、さえ考えればいい。

昔の公立進学校に多いセンセイのあるタイプがよくつぶやく言葉
「受験は自分の力でやるものだ」
「自分で考えるようにならないと所詮だめだよ」
という言葉は、最終的な述懐としては真実を含むけれど、そこにたどり着くプロセスにも言及しておかないと、今日びは責任放棄のそしりを免れまい(ニガ笑)。

どうしたら、本人が「完全燃焼」した、と納得のいく受験ができるか。
それはある意味「気のせい」みたいなものだ。
現代において、サービス業はこの「気のせい」みたいなものを売り買いしているといってもよい。
「顧客満足度」

学生を「顧客」といい切ってしまうのは愚かな正しさだとは思うが、それにしてもその「顧客満足度」があるとしたら、それは何だろう。
私にとってのとりあえずの答えは「完全燃焼」の手応え感だ。

最初は詰め込みやドリル、朝自習やら宿題、追試で「追い込む」ことも必要だ。効率的に時間を使うためには。
けれど、最後には基礎を使いこなして難問にチャレンジし、そのかなりの部分に光を見いだせる程度にはなってほしい。

さきほどの昔の高校教師の言「受験は自分の力でやるものだ」という言葉は、たぶん学生がその面白さを知り得た時にだけ、語ることが許される言葉なのではないだろうか。
「な、自分の力で解けると面白くてしょうがないだろ?」
って感じで。

特に国語は、各予備校や受験問題本についている記述の答えが時にばらばらだったりもする。
自分の読みを持たなければ、答えだけを探していても力はつかないのだ。

「そういうことは、自分の力でやるもんだ」(ドーラの言葉 from『天空の城ラピュタ』)

それがどれだけ生徒の「自分」を燃やせるきっかけ=火種のことばになり得るのか。

同じ「啓蒙」でも、知識ではなく教師(=大人)の生き方がやはり問われているのだろう。

そんなことを漠然と考えつつ、国公立大学前期日程の合格発表を待っていた。




物欲に負けた……

2010年03月07日 23時50分03秒 | インポート
 腕時計を一つ購入した。
 若い人は、携帯でチェックするのかもしれないが、私にとって腕時計は携帯と同じぐらい必須のアイテムだ。
 まあ実際私も、携帯を家に忘れたら途中で戻るが、腕時計なら1日ぐらい我慢するかもしれない。だから重要度では

 腕時計<携帯

 の面もある。

 しかし、万年筆の書き味と同様、腕時計には見て満足する、という面もあって(携帯も新機種萌えがないではないように)、一概に必要性=重要性=重傷度とも限らない。

 で、購入したのはまた、電波ソーラー。
 以前に買ったシチズンのそれがなかなか良かったので、そのクロノグラフ版を。

 けれど、買っておいて言うのもなんだが、1/100秒のクロノグラフ(まあストップウォッチ機能ですね)なんて、私個人にとってはほとんど無用の長物である。欧米中の電波キャッチも、海外旅行など滅多にいかない自分にとっては宝の持ち腐れだし、ワールドタイム&カレンダーも同様。しかも以前のものより重くて厚いし(笑)。

辛うじて、針が衝撃でずれたときに1分以内に自動補正してくれる機能は、電波ソーラー(つまりほったらかしでも正確)の安心感を増してくれる。

 ただしこの機能も、以前買った電波ソーラー腕時計、6年間でたった1回1分程度ずれただけである。

 完全に物欲に負けた状態、である。
 まあ、仕事が一区切りついたので、ご褒美って感じですかね。

シチズンアテッサ ジェットセッター ATV53-3023