仕事の優先順位を付けるのが大切だ、という話を最近よく聞く。
なるほど。
しかし、テーブルの下で火が燃えている時に、テーブルの上の優先順位ばかりを考えていては全部燃えてしまう。
問題は、解決に至る「問題」を自分が処理する対象としえているかどうか、の判断ができないところにあって、
単に「優先順位」の問題ではないことが多い。
それもまた「優先順位」の問題だ、と繰り込み発言をしてしまえば、その通りなんだけどね(苦笑)。
きな臭いのに、火元が分からない場合。
あるいは、取り返しのつかないことが起こっていそうなのに、自分はその「解決方法」から遠く隔てられているという無力感にさいなまれている場合。
そんなときは神様について考えたくなる。
必ずしも神頼み、じゃなくてね。
開かれているっていうことは、限定されたテーブルの上の話じゃなくて、むしろその下でくすぶるまだ見えない火種について考えること、なのだろうけれど、残念ながら神の加護なき「考える」行為は、実在を保証されてもいなければ、本質につながっているとも限らない。
逆に言えば、見通しのつく範囲内で「世界」をコントロールすることが「成果」だというのも、なんだかなあ、という気がする。
さて、ではこれから、どんな「仕事」をしようというのか。
とりあえずは今晩中に燃え広がらないと信じて、ベッドに入ることになるのだろうけれども。
なるほど。
しかし、テーブルの下で火が燃えている時に、テーブルの上の優先順位ばかりを考えていては全部燃えてしまう。
問題は、解決に至る「問題」を自分が処理する対象としえているかどうか、の判断ができないところにあって、
単に「優先順位」の問題ではないことが多い。
それもまた「優先順位」の問題だ、と繰り込み発言をしてしまえば、その通りなんだけどね(苦笑)。
きな臭いのに、火元が分からない場合。
あるいは、取り返しのつかないことが起こっていそうなのに、自分はその「解決方法」から遠く隔てられているという無力感にさいなまれている場合。
そんなときは神様について考えたくなる。
必ずしも神頼み、じゃなくてね。
開かれているっていうことは、限定されたテーブルの上の話じゃなくて、むしろその下でくすぶるまだ見えない火種について考えること、なのだろうけれど、残念ながら神の加護なき「考える」行為は、実在を保証されてもいなければ、本質につながっているとも限らない。
逆に言えば、見通しのつく範囲内で「世界」をコントロールすることが「成果」だというのも、なんだかなあ、という気がする。
さて、ではこれから、どんな「仕事」をしようというのか。
とりあえずは今晩中に燃え広がらないと信じて、ベッドに入ることになるのだろうけれども。