龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

格安SIMの速度は一つの要素に過ぎない。

2017年05月30日 12時31分48秒 | ガジェット
今まで、BIGLOBE、DTI、FREETELL、IIJmio、Y!mobile(そしてもちろん大手三社)と、5+3社のサービスを利用してきた。
サービス内容はもちろん一長一短あるから、それぞれ最適解は違うだろう。

実質本体無料から始まり、半年3ギガ無料というものもあったし、基本料金三年無料というものもあった。

そういう意味で言うとIIJmioは、派手なサービスは、ない方かもしれない。

だが、高速通信のON/OFFスイッチを備えたのはIIJが早かったし、そのサイトへのアクセスはFREETELよりも高速だったりする。

一方、Y!mobileは通信量の持ち越しが出来ず、特典やポイントで買い物をすることで通信量を 「あたえよう」とする。

通信業社の根本的なサービスは何か、と考えるとき、必要なのは、キチンとした分かりやすく、論理に裏打ちされたサービスの質ではないか。

実はスマホに取って、通信速度は絶対ではない。
そのゲームがスムーズにできるのか?
その映画サービスは途切れないのか?
サイトの必要なアクセスは気持ちよくできるのか?

サーバー側と端末側の必要な条件は、自分の必要な中身によって違ってくる。速度はその中の要素の一つに過ぎない。

私にとっては速度の優先順位は高くない、ということが比較の中で見えてきた。
3~4Mbps出ていれば、それ以上はオマケのようなものだ。

ゲームをやる人、双方向通信をやる人、音楽配信を利用する人、メール程度の人、自分の必要を理解し認識することは、満足に一番近いのかもしれないですね。

では、なぜ遅いIIJmioを止めないのか?

2017年05月30日 12時06分22秒 | ガジェット
通信速度(特に下り)について言えば、UQかY!mobileが大抵の調査で上位に来る。

まあそれはUQはau、Y!mobileはSoftBankがバックにあって回線が実質大手と同じだから、というのが大きいのだろう。

取りあえずは私もauガラケーをY!mobileに替えた。
無制限カケホーダイ→10分カケホーダイにして様子を見ようと思ったのもあるし、たまたまY!mobileの特典が 「道端」に転がっていたから、ということもある。

だが、昨日Y!mobileに入ってはじめて気づいたのだが、Y!mobileは、TポイントカードとYahoo!Japanのコラボレーションが半端ではなく、これをやるとポイントが何倍、あれをやるとさらに何倍、そしてそのエコシステムの中で買い物をすると、無料通信量が提供される、などのいわゆる 「特典」がてんこ盛りなのだ。
言われるままにソフトを導入していたらスマホのホーム画面はいつの間にかYahoo!JapanとY!mobileのアイコンで埋め尽くされてしまったではないか!!

雑誌の7,000円引き特典に惹かれてY!mobileの圏域(実はSoftBank&Yahoo!のエコシステム)に入ってはみたものの、真面目にくじを引いたりソフトを使ったりしていたら、完全に取り込まれて 「お客さん状態」になってしまう、と思った。

ポイントが何倍になるのはもちろんメリットだ。買えば買うほど得になる、というのは、売り手も買い手も一見win-winのようでもある。

しかし。

おそらく私は、7カ月の特典が終わったなら、IIJmioに音声SIMをMNPするだろう。その時点で10,000円を払っても、元は取れている。むしろ自分の経済活動がたった一つの環境に 「支配・統合」されていくのはちょっとどうかと思う。

なぜIIJかといえば 「手触り」がいい。

バーチャルなWeb上の商売であることは同じなのだが、そしてY!mobileはショップで対面販売もしているのだが、商売の 「設計思想」が違うと思う。SoftBankは株を買っておくべき会社であって、その顧客になる会社ではない。そう思う。

そういう感触って大事じゃないかな。

そうはいっても特典攻撃に 「転んだ」私にえらそうなことをいう資格はない。
今はとりあえず、7カ月間のwin-winを享受しておく。


Y!mobileへの乗り換えを冷静に考えてみる。

2017年05月30日 05時19分15秒 | ガジェット
(いずれも税別です)

プラン→Y!mobileスマホプランS

二年間を均した料金は1,772円/月

☆プラン内訳
2Gbyteのデータ+音声通話10分無料

☆料金内訳
・最初の一年間1,980円×12
・二年目以降は2,980円×12
・雑誌特典で7カ月1,000円引き
  (つまり-7,000円)
・iPhone6下取り10,000円
 (auなのでSIMフリーなし)
※二年縛り(解約料あり)

本体をセットにするともっと安くなります(たとえばiPhone5sなら本体実質無料)aが、自由に本体やSIMを選べるメリットがなくなります。

そんなにほしいわけでもない旧機種を二年縛りでタダ、といわれても挨拶に困る。もし仮に途中で解約すると本体代の残債が発生して、けっきょくキャリア縛りと何の違いもなくなりますからねぇ。
それは結局ディスカウントした二年縛りに過ぎない。

今はY!mobileのSIMを手持ちのアンドロイドスマホ(ファーウェイ製Honor6plus)に差して使っています。
快適といえば快適。

IIJmioの3Gbyteデータ通信SIM(900円)との併用で、合計5G+10分カケホーダイ。IIJmioはなかなか使い勝手が良く、いずれはY!mobileを解約することも視野に入れつつ。

家族間の長話はLINEでやればOKと見通しががついたし。

以上覚え書き程度に。


Y!mobileのSIMに変えたら速い!速い!

2017年05月29日 23時00分35秒 | ガジェット
今日、MNPでY!mobileのSIMに替えた。
計測したら下りが夕方で44Mbps。
今までのiijmioなら10Mbpsもいかないところ。いや、夕方の混雑しているときだと家の光回線だって怪しいものだ。
Y!mobile、圧倒的に速い。
UQモバイルはこれ以上だとの記事もあるが、これでもう十分といえば十分だ。
だが、早ければUQやY!mobileの方が絶対にいいのか、というと、なかなかそうとばかりも言えないのが面白いところ。
実際、Y!mobileは、ソフトバンクと全く同じ場所(ソフトバンクの電話が切れそうになった場所)で、同様に電話が切れそうになった。
つまり、いくら速くてもDOCOMOのSIMほどのカバー率ではないところが間違いなくある。少なくても私の生活圏では、DOCOMOのSIMの方がカバー率は高い。

ワンキュッパ値引き、雑誌の特典、下取りを加えた結果、Y!mobileでも今のところ安く利用出来ている(通話SIM+2Gデータ+10分カケホで月額1,000円程)が、長く使えばそれなりに高めの料金になる。

その点、格安SIMは最初から値段が変わらないのが安心だし、SIMの追加なども安くできる。

しばらく使ってみて、プラスマイナスを確かめたいと思っている。
でも、iijmioはどっか安心感があるんだよね。ブランド力かな。やっぱり様々なサービスの設計、WEBのシステム体系、わかりやすさもちゃんとしてる。
ドコモ、AU、BIGLOBE、フリーテルなどを使ったが、IIJが一番信用出来る感触あり。
これはなんなだろうなぁ。
メニュー、対応、提案の分かりやすさとか、かしらん。
この項、続く、、です。



國分功一郎『中動態の世界』二度目の読了。

2017年05月21日 12時00分35秒 | 大震災の中で

國分功一郎『中動態の世界』を二回読み終えた。
しかし、ちっとも読み終わらない。
ギリシア語の分析のところは、分からないからむしろサクサク読める。へぇーそうなんだ、と感心していればよい。
だが、
「言語は思考の可能性条件である」
との表現でデリダのバンヴェニスト批判を批判するあたりからそうもいっていられなくなる。

ソシュールは「言語というもの」については論じたが(それはまだ抽象的であり)、バンヴェニストはもっと具体的にきちんと言語を論じている。それが重要だ
(4/29星野太氏とのトークより)

というその指摘からも見て取れるが、

実はこの本でめっちゃビビっていたのは言語学からの「攻撃」です

(5/10大澤真幸氏とのトークより)

との言葉が逆に示しているように、哲学者國分功一郎氏はバンヴェニストと共に、具体的な言語の「現場」で(抽象性やイメージにおいてではなく)緻密な思考を展開していく。
これが見えてくると、ちょっとゾクゾクしてくる。

次の山はもちろん、アーレントだ。
この本は國分さんの語学フェチぶりが序盤戦のポイントだとすれば、中盤戦はアーレントの意志論との対峙が大きなポイントになってくる。アーレントは終章でも大きな役割を担っており、國分さんの「哲学」にとってアーレントがいかに大きな存在か、ということが示されていく。

(言うまでもなくドゥルージアンでありスピノジアンである國分さんがそれでもなお、という逆説的な意味での重要性です。おそらくそれは「姿勢」の問題でもあり、「義」の問題でもあるのでょうね。)

(結論は真逆だが)、人間に期待しているという点はアーレントと共有しているのじゃないか。
(5/10のトークより)

さらに個人的にドキドキしたのはその次、

第六章言語の歴史

だ。日本語の「ゆ」を例に上げつつ、中動態が論じられていく。これは30年も古文を教えて自分なりに調べてみなければならない課題にもなる。


もう、二度目の読みはこのあたりでいっぱいいっぱいになってきてしまった。


とにかく「豊かな」本なのだ。

ドゥルーズの章とスピノザの章ほもう少しゆっくり読まないと、読んでいるうちに頭から溢れ出してしまいそうだ。

映画「ちはやふる-上の句-」が面白かった。

2017年05月20日 23時47分50秒 | メディア日記
広瀬すず主演の「ちはやふる-上の句-」を観た。「海街diary」以来だったが、彼女はもちろん良かった。でもここで書いておきたいのはカルタ競技映画、のことだ。

縁あって、去年からカルタ競技のサークルの顧問をしている。といっても地方少子化に伴う学校規模縮小が進む昨今、正式な部活として認められてはおらず、取りあえずは
①校舎内で練習が許可するための監督要員
②大会出場のための引率要員

として、生徒から依頼されてやっているだけの
顧問だ。まあ生徒から頼まれてやる顧問というのは、そう悪くない。少なくてもお互いに自分たちで枠組みを一から作る楽しみがあるしね。

顧問をやるまでカルタ競技のことは何も知らなかったのたが、去年一年福島県のカルタ競技関係の人々にお世話になって、ようやくどんなものかか分かってきた。

その上で今日、大会引率帰りに「ちはやふる-上の句-」を観た。

泣けた!いろいろ泣けた。

明日、まだ大会の続きがあるのでもう寝なきゃならないんだけど、日本の「部活物」という創作ジャンルは、なかなか侮れない成長ぶりだと思った。

県大会で真剣に札を取っている若者たちと、映画の広瀬すずたちがとうしても重なってくる。そのシンクロ度合いが半端ではない。

「部活物」のノウハウは、漫画やアニメの世界ではもう何十年と培われてきたのだろうし、小説(森絵都の「Dive!」とか、あさのあつこ「バッテリー」)なとでも一大事ジャンルを構成しているのだろうけれど、考えてみれば映画でも吹奏楽やらシンクロやら、卓球やら合唱やらと、「部活物」はしこたまあるのだった。

それにしても、今日見てきたばこりの競技を映画で観るのは不思議な感覚だ。そしてこの「ちはやふる」はそんな中でも「映画的」だと感じる。

たとえば、執拗なまでに飛ばした札を拾いにいく動作が何度も何度も撮られているのだが、その繰り返しが、なんだかとてもリアルなのだった。

もしかすると映画的というよりもむしろある種「教育的」とでもいうべきなのだろうか。

この映画を観て「カルタ競技部」を立ち上げたいと思う生徒たちが出てくるのがとてもよく分かる、そういう「雰囲気」がよく出ている映画なのだ。

もちろん、メディアに流れれば流行りはいつも起きる。その流通のメカニズムの限りにおいては、取り上げられたら題材としての競技がなんであっても同じと言えば同じだろう。

だが、このカルタ映画は、なんだか見ていて楽しくなってくる。
どうしてなのか、もう少しかんがえなくちゃ。

星野太『崇高の修辞学』が面白い!

2017年05月18日 21時45分10秒 | メディア日記
星野太さんのインタビュー。
極めて興味深い。

修辞学は、単にあるパースペクティブ(立場や見方)を説得するための「技巧」あるいは真理を歪めるための「小細工」ではなく、真理が真理として現れ出ることを可能にする技術のことなのだ、と星野さんはいう。
これ、カッコいいと思う。
芸術論の新たな転回01 星野太『崇高の修辞学』をめぐって
http://realkyoto.jp/article/inteview-by-ikeda-kosuke01_1/

東北6県ロールショー(ボーカル白崎映美)のライブを温泉神社で観た。びっくりした。

2017年05月08日 23時08分11秒 | 大震災の中で
東北6県ロール!ライブ in 湯本温泉神社
に行ってきた。

白崎映美、恐るべし。


白崎映美は、上々颱風というバンドのボーカルを30年近くやっている歌手、なのだが、なんとも形容のしようのない「パワー」に満ちあふれた人だった。

あまはげ(秋田では「なまはげ」)の衣装と本人は自伝エッセイで書いているようだが、むしろ田舎のお地蔵さんや古びたお堂の観音様が赤いぼろ布をたくさん被せられている、その観音様が生きて歩いて踊って歌っている……そんなイメージがする。

ちょうどいわき市湯本の温泉神社には、舞を奉納するためのものか、舞台が神殿の向かいにしつらえてあり、薄暮の境内の中、そこだけがライトアップされているのだが、その舞台の中央正面前に、赤い無数の布きれを身にまとった「観音様」もしくは「吉祥天」といった、ホリゾントから舞い降りて私たちの前に「何か」が本当にやってきたような印象を抱かせる。

歌う歌は、東北を元気づける、不思議な歌であり踊りであり、語りだ。

『イサの氾濫』という小説に強烈なインパクトを受けた白崎映美が、東北で東北の歌を歌わねば!!!と、自らメンバーに声をかけ東北6県ロール!というバンドを立ち上げたのだそうだ。

「妖怪もお化けも神様も」みーんなやってきて、まつろわぬ民(権力に服従せず抵抗する人々のこと、かつて蝦夷は都からそう呼ばれていた)を言祝げ、踊れ、歌え、と歌い出す白崎映美は、すでにミュージシャンではない。

なんといったいいのだろう、シャーマンというのとも違う、なんだろう、なんだか得たいのしれない、しかしとても身近にある「力」が白崎映美=「あまはげ」となって、私たちのところにやってきた、そしてもう立ち去ることはない、そんな感じがする。

私はスピノザを読んでから、人生を「スピノザ以前/スピノザ以後」に分けて考える癖がついたのだが、今晩このライブを観てから、ちょっと大げさにいえば「白崎映美以前/白崎映美以後」と人生を分けることができるかもしれない、と思った。

白崎映美は「傍らに立つ者」だ。みずからもまつろわぬ民の末裔として、その踊り手・歌い手として、私たち東北の者どもの「傍らに立ち立ち続ける。

ちょっとエスニックな沖縄的なバンドのボーカルという旧来の印象を持っていた自分の不明を恥じる。

みなさん、「東北6県ロールショー!」のライブに行きましょう!