龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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てつカフェ@湯本高校『茶色の朝』を読む、をやりました。

2018年09月19日 11時45分23秒 | 大震災の中で



『茶色の朝』

文:フランク・パヴロフ 絵:ヴィンセント・ギャロ メッセージ:高橋哲哉


をテキストにして、てつカフェ@湯本高校をやってみました。

国語演習という三年生の選択授業9人のメンバーで、9月12日(水曜)の3、4校時二時間。

時間的にはちょうどいい感じでした。



1、まず自由に感想を出していきました。



「なぜ国が茶色推しなのか知りたい」という疑問が出されました。確かに犬・猫の色というのはいささか馬鹿馬鹿しい話だし、どうでも良いこと、のようにも思われます。

別の人からは、  「法律で決まっているというが、おかしいものはおかしい。遺族が反対しても犯罪者が社会に戻れる例と似た理不尽さを感じた。」という感想が出てきました。

「狂っているのはどっちなのか。」

という感想も。


次に、物語の展開について感想が出てきます。

 「主人公は、最初はどうなのと思っていたが、茶色に合わせていって、最後に気づく

。最初から自分の考えを信じ続ければ良かったのに、社会の雰囲気に自分も合わせてしまった。」


 「私たちの日常でもあり得るのではないか。」

と、自分たちのことに重ねて考える視点も出てきます。

さらに、

 「俺やシャルリがこの後どうなったのか?」

と、物語のその後に注目する視点もだされました。


今度は、強制する国や政府側、状況全体についての視点も出てきます。


 「この話では、国や政府は国民に押しつける者だ。国民は意見を言えないままそれに従い、最後には『今いくから』と諦めてしまっている。いろいろ考えさせられる」


 「自分の犬や猫を殺したり、本を廃棄させられたりと、登場人物は薄々おかしいんじゃないか、と感じてはいる。しかし次第に「ただ従っているだけだ」と自分に言い聞かせ、自分を正当化していくプロセスがある。そして最後自分が窮地に陥った時に初めて気づく。さらには自分自身に「どうしようもなかった」といいわけし出す。これは私たちにも当てはまる。」


 「新聞の廃刊の例は、それに従わなければ罪に問われる(弾圧される)というのを強く感じたと思う。そうなると人々は権力を恐れて自分から茶色を選ぶようになる。さらには、クジに当たったことで、本来は無関係なのに『茶色も悪くない』という感覚まで植え付けられてしまう。これは一種のみ情報操作の側面もあり、政府の圧力の存在がどんな影響をもたらすかの例になっている」


など、国や政府の企みと、結果としてそれに巻き込まれていく人々の様子が読み込まれていきました。

そこで、どうすれば良かったのか、という意見も出てきます。


・人間社会のルールは大事

・しかしおかしいルールもある

・従わなければ自分の犬・猫を殺さずに済んだかもしれない。

・でも、従わないと周囲の目がある

・(いいわけはしているが)一応気づいた。

・愛する者のために勇気を持って行動するのが大事


などなど。


2、一通り意見がでたところで、この作品の意義について論じられていきます。


① 動物に対する 「愛情」は変わらないはずだが、  「茶色に染まる」と、それが変質してしまう。こういうのは明らかにおかしいと思うが、私たちでは解決できないのか。

②普段意見を言えていない人が、意見を押しつけてくる人に流されて合わせてしまうという現実に教官した。

③絵本という形式を取ったのは、どうすることもできないという絶望的な現実を踏まえて、せめて絵本という形式で思ったことを自由に表現しようとしたのではないか?

④登場人物は「どうしようもなかった」と言い訳しているが、この作品には  「~すべきだった」という批評の視点があるのではないか。

⑤この本は絵本という形式を取っている。カタイブンショウハ読みにくい。どんな人でも社会の問題をたくさんの人に考えてもらいたかったのではないか。


⑥歴史的事実はよく分からない。目に見える形での独裁者は今はいないが、もし現れたら同じようになってしまうのではないか。そういう危機感を表しているのではないか。


3、その後、感想・課題をふまえて意見を出し合う討議のような形になりました。


・今の学校、社会、読んでくれている人全員に考えてほしいのだとおもう。  「おかしいと思ったときに言わなければ後悔する」と。


・しかし、いつのまにか当たり前になり、慣れてしまうということもある。知らず知らずのうちに従わなくちゃ、となるのではないか。


・そう、必ずしも最初からすごい圧力で押し付けられたというわけではない。  「気づいていない」というだけでなく、自分に得がある場合さえある。現状を肯定する姿勢がさらに正当化を生むという悪循環があるのではないか。


・別の視点から考えると、最初から少数派の人はそれだけで圧力を感じている。すると少数派の人は目立たないようにむしろ積極的に同調する場合さえあるかもしれない。


・本当に外それ以外の選択はなかったのか。こういうことが起こるからこそみんなで話し合うことが重要になる。押しつけではなくちゃんと説明し、話し合って決定することが(当たり前だけど)重要だ、ということが、分かる。


・今の自分たちにもいえることだが、圧力を感じている側と不自由を感じていない側で意見がすれ違ってしまうことも考えられる。シャルリーが連れて行かれて主人公は初めて気がついた、と本文にもある。他人事の人はこのほんの終わりでも  「まだいい」と思っているかもしれない。


・こういう場合、

よく知らないのに乗っかる人がいる

    ↓

乗っからないではいられなくなる

    ↓

上の圧力がさらに強くなってしまう


という、メカニズムがあるのではないか。


・別の角度で。今までは従う市民の側の話が中心だったが、強行する側の問題、国や行政のあり方も考える必要がある。


・国や政府はどうやって国民に強制していくのか。法律が決まる前にきちんと議論がなされているのか。この本ではそこが全く書かれていない。そこがとても重要だと思う。


・法律にきちんと人々が関われることが重要ではないか。そうじゃないとただ法律だから従え、となってしまう。

十分に自分たちで話し合いをしていない。

署名をしたりとか市民が活動したりとか、そういうことも必要だ。


・もうひとつ付け加えたい。

話し合いはもちろん重要であるが、それを支える条件がある。

外部との比較(標準性)

専門家の意見(正当性)

情報の公開(公平性)

そういう話し合いを支える条件があって初めて十分な議論ができ、適切な意志決定ができるのではないか。


以上、充実したイベントになりました。