Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

7年前応募した私の作文題して「登山が健康をくれた。」

2013年01月17日 | 日記

 良くも悪くも平々凡々の私は、賞罰みたいなものには無縁の人生を過ごしてきたが、今から7年程前だろうか。その時勤めていた会社が創立80周年記念行事の一環として、社員を対象に作文コンクールを行ったのです。印刷会社なのにお題は「健康」、私も暇つぶしの軽いノリで応募したのですが、思いがけずその作文が大賞を獲得してしまった。授賞式に呼ばれた私は、表彰慣れしていない為すっかり舞い上がってしまったが、冷静に考えればバリバリの企業戦士がこんな作文なんか応募するはずも無く、作文で表彰=仕事に不熱心のように思え、そういえばあの時臨席した重役方の目線も醒めていたような気がしてきた。結局その作文は社の広報誌に載せられただけで忘却の彼方へ消えてしまった。甚だ厚顔だが、その作文を下記に転載してみたいと思います。

 

題  「登山が健康をくれた」

 20代の私は、取り立てて趣味も取柄もない平凡な若者であった。ある時フラッと出掛けた旅先の、上高地から眺めた北アルプス穂高連峰の山岳美に一変に魅了され、それが山登りを始めるきっかけとなった。

 私は早速登山用品店で登山用具一式を購入し、一人でアチコチの山へ出掛けた。しかし、より困難な山に登りたいと思えば単独では限界があった。知人の紹介である山岳会の門をたたき、会山行に参加していろんな山に連れて行ってもらった。レベルも夏山から沢登り、岩登り、冬山と段々グレードが高くなり、それにつれ登山が益々面白くなり、のめりこんでいくようになった。

ふと気がついてみると、以前に比べて体重が落ちた分体力が向上し、運動なんて全然縁が無かった自分が、登山はもとより駆け足、テニス等すっかりスポーツ大好き人間に変身していた。その後も、年齢や環境の変遷につれ頻度に変化はあったが、私は山に登り続けた。そのお蔭か健康にも恵まれ、ズーッと医者要らずの生活を過ごし、何時までも若いつもりでいた。

だが50代も半ばになった時、何気なく受けた検診で私は思いもしない病名を告げられ、頭が真っ白になり気が動転した。そんな私にお構いなくすぐに入院そして手術と事は進み、点滴だけに頼った私の身体はアッという間にガリガリに痩せて、起き上がるのも覚束ない状態になった。健康という唯一の取柄を失った私はすっかり気落ちしたが、とにかく体力をつけようと点滴に頼りながらも歩き始め、その距離を少しづつ伸ばしていった。また山に登れるだろうか、そんな不安を打ち消すようにひたすらウォーキングを続けた。そして年末に退院し、その後も歩き続けた。

退院から一か月後、私は妻を伴い中央沿線にある高川山という小さな山に出掛けた。ファミリー向けハイキングコースだが、私はまるでヒマラヤの高峰を目指すような心境であった。妻のサポートを受けながら、痩せて痙攣しそうな脚を騙し々々登り続け、やっとの思いで高川山の山頂に到着した。すると今まで見えなかった南側の方向に、忽然と白銀に輝く巨大な富士山が姿を現した。魅入られたように眺めていると「よく登って来たなあ、これからも頑張れよ。」とまるで富士山が私を激励してくれているような気持になった。

あれから序々に体力も回復し、3年経った今私はすっかり元気になった。もう昔のように登れないが、体力が許してくれる範囲で山を楽しんでいる。再び私が健康を取り戻せたのは登山をやっていたからだと確信している。そして健康でいられる事のありがたさを深く実感している。

 

以上のような内容で冷静に読み返せば、とても受賞するような代物で無い事がよく判り冷や汗の出る思いですが、今の私も山に行けない体調なので、自らを励ます意味でも振り返ってみました。ご了承ください。

高川山からの富士山

 

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