Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

日本三百名山回顧№45,岩手、焼石岳(2百名山)

2018年08月21日 | 三百名山回顧

 平成5年10月8日(金)(夜)~10日(日)

 

 切れ切れに続く日本三百名山回顧だが、さて今回は岩手県の焼石岳です。もう四分の一世紀前の話になるが、当時所属していた山岳会の先輩会員であったS子さんから「焼石岳の紅葉を見に行かない。」と誘われた。

 この時は個人山行で、参加者はS子さんをリーダーに彼女の友人の女性(非会員で名前が思い出せない。)と私の3人であった。幕営山行で装備が重かったので、S子さんは荷物を運ぶボッカ役として私に期待したのではないかと思う。

 当時既に東北新幹線は運行していたが、上野駅から夜行列車に乗り、朝方岩手県の水沢駅に着いた。駅前からタクシーで焼石岳の中沼登山口へ向かったが、途中の沿道には当時自民党幹事長だった小沢一郎氏のポスターがアチコチ張られており、ここが飛ぶ鳥落す勢いだった彼の選挙区なのかと思ったりした。

 正直に言うと登山の詳細は殆ど覚えていない。手元にある「日本三百名山ガイド」の焼石岳を参照しながら記憶を掘り起してみた。中沼登山口からは、樹林帯に小沼が点在する気持ち良い登山道が続く。

 中沼や上沼の畔を通って、緩やかに登ると銀名水避難小屋が在る。その名のとおり冷たい湧水が豊富に流れており、快適そうな幕営地だが時間が早いので一息入れただけで通過する。

 中沼から焼石岳方面

 上沼

 銀名水避難小屋から緩やかに登って行くと、焼石岳山頂直下の平坦な草原「姥石平」に着く。ここには山頂の姿を映す泉水沼があり、東焼石岳への登山道が右に分岐している。

銀名水から焼石岳への登り

 姥石平から焼石岳山頂(1548m)までは僅かな登りで着いた。天気は良かったが、山頂からの眺めがどんなだったか全く覚えていない。山頂から姥石平まで戻ると、右へ曲って東焼石岳への縦走路に入る。

 泉水沼

 焼石岳山頂

 焼石岳から金名水避難小屋に至る縦走路は、池塘などが点在し紅葉とも相まってとても眺めの良い所だった。幾つものピークを越えて行くのでハードな道だったと思うが、辛い記憶は残っていない。

 東焼石岳~六沢山間の池塘

 東焼石岳から六沢山方面

 金名水へ向かう縦走路

 金名水では避難小屋に泊らず、広場の一遇にテントを張った。此処は冷たくて美味い水場も有り快適な幕営地だった。夕食時、三人で祝杯をあげたビールが実に旨かった事だけはしっかり覚えている。

 六沢山から金名水(右奥鞍部)と経塚山(中央奥)方面

 翌日も良い天気でかなり寒い朝をだった。金名水避難小屋を出発して経塚山までの道はアップダウンが多くてタフなコースだったが、ここも辛い記憶は残っていない。経塚山は360度の展望で東北のたおやかな山波が望まれた。

 経塚山への登り

 経塚山山頂

 経塚山から夏油温泉までは、ひたすら長い降りが続く。夏油川へ降立ち赤い橋を渡って対岸を一登りすると後は林道歩きとなり、小1時間歩いて東北の秘湯、夏油温泉に到着した。

 経塚山から夏油温泉への下山道

 夏油温泉の野趣溢れるお湯に浸かって、二日間の疲れと汗を流した。お風呂を出るとバスで北上駅まで行き、その日のうちに新幹線で我が家へ帰宅したと思う。

 山の先輩S子さんとはその後も何度か山行を共にしたが、彼女が日本百名山をあと一つ残し意気盛んなところで、思わぬ不治の病に罹り若くしてあの世へ旅立たれてしまった。彼女が今も元気であれば、もっと数多くの山の思い出を共有できたであろうに残念でならない。

  追信・・・・後日このブログを見た山仲間のSさんからメールがあり、名前が判らなかったS子さんの友人は「K子さんじゃないですか。」と教えてくれた。K子さんはS子さんんが所属していた文芸誌の仲間だったそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする