Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

御嶽山噴火遭難事故から早や9年

2023年09月29日 | 日記

 9月27日(水)

 63名もの死者行方不明者が出た、御嶽山噴火遭難事故から早や9年の歳月が流れた。あの日の事は今でもはっきり覚えている。前日私は新潟県の焼山を登る為、笹ヶ峰高原に在る登山口駐車場で車中泊をしていた。

 その時カーラジオのニュース速報で、御嶽山が噴火して多くの死傷者が発生したとアナウンサーの緊迫した声が流れた。明日登る予定の焼山は御嶽山と同じ活火山で、過去に噴火で死傷者も出た山で、これは他人事では無いと思った。

 翌日火打山を越えて焼山の頂上に立った時、新潟の頂から、遠く木曽の御嶽山から立ち昇る噴煙の存在を確認する事ができた。それは何とも言えぬ衝撃的な眺めであった。

 これ程大規模な遭難事故となったのは、「火山警報が不適切」とか「避難施設が不十分だった」などいろいろ取沙汰されているが、私には「人間が御嶽山を、誰でも簡単に日帰り登山できる低山ハイクレベルの山に変えてしまった」という事が、多くの犠牲者が出た最大原因と思えるのです。

 普通なら標高3千mを超える高峰に、誰でも簡単に登れるものではありません。しかし御嶽山では麓から中腹に架かるゴンドラや観光道路を利用すれば、数時間歩いて山頂でランチを食べる事が可能です。そんな日帰りハイクで登れる山で大勢の人と一緒に居れば、まさか我が身に死の危険が迫っているなどとは誰が思うでしょう。その虚を突いて御嶽山が噴火し、多くの死傷者が出たのです。

 私はゴンドラや観光道路が悪いとか、利用するなと言うつもりはありません。文明の利器があるからこそ、より多くの人が山の自然や美しさを楽しめて、私もその恩恵を浴する一人なのですから。

 山は神の宿る場所・・と言っては大袈裟かもしれませんが、我々の普段の生活から離れた非日常の領域です。例えどんな山であろうと、山に対する怖れと自分の命は自分で護るという強い覚悟を持って登らねばと思います。

 それができない人は山へなんぞ登らずに、里から眺めるか映像の世界で眺めて満足するに留める事をお勧めします。

昭和58年1月の厳冬期、単独で御嶽山に登った。誰も居ない凍てつく山頂は朝日に輝き、正に神の宿る領域でした。

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