透明な気圏の中から

日々の生活の中で感じたこと、好きな作家についての思いなどを書いてみたいと思います。

『沈黙の春』その5

2014-02-27 19:14:11 | 日記

晴れ。最低気温-13.1℃、最高気温2.5℃。

レイチェル・カーソン著の『沈黙の春』は、化学薬品に対する警告の書として、1962年9月に出版された。およそ50年前の著書ではあるが、昨日のコラム「アブラムシの警告」と通底する部分が多いと感じる。そこで、その一部を引用したいと思う。

二・負担は耐えねばならぬ

 この地上に生命が誕生して以来、生命と環境という二つのものが、たがいに力を及ぼしあいながら、生命の歴史を織りなしてきた。といっても、たいてい環境のほうが、植物、動物の形態や習性をつくりあげてきた。地球が誕生してから過ぎ去った時の流れを見渡しても、生物が環境を変えるという逆の力は、ごく小さなものにすぎない。だが、二十世紀というわずかのあいだに、人間という一族が、おそるべき力を手に入れて、自然を変えようとしている。

 ただ、自然の秩序をかきみだすのではない。いままでにない新しい力―質の違う暴力で自然が破壊されていく。ここ二十五年の動きを見れば、そういわざるをえない。たとえば、自然の汚染。空気、大地、河川、海洋、すべておそろしい、死そのものにつながる毒によごれている。そして、たいていもう二度ときれいにならない。

  中略

 めまぐるしく移り変わる。いままで見たこともないような場面―それは、思慮深くゆっくりと歩む自然とは縁もゆかりもない。自分のことしか考えないで、がむしゃらに先をいそぐ人間のせいなのだ。放射線といっても、岩石から出る放射線でもなければ、またこの地上に生命が芽生えるまえに存在していた太陽の紫外線―宇宙線の砲撃でもなく、人間が原子をいじくってつくり出す放射能なのだ。

     中略

いったいなんのために、こんな危険を冒しているのか―この時代の人はみんな気が狂ってしまったのではないか、と未来の歴史家は、現代をふりかえって、いぶかるかもしれない。

 

 

 

コメント
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