透明な気圏の中から

日々の生活の中で感じたこと、好きな作家についての思いなどを書いてみたいと思います。

倉敷と大原美術館

2014-02-13 21:44:33 | 日記

曇り時々雪。最低気温-15.3℃、最高気温-3.1℃。

先日、倉敷へ出かけ、美観地区を通って大原美術館へも足を運びました。地元の方もこんな雪は珍しいと言ってましたが、商店街の通りにも雪が残っていて、チリトリで雪掻きをするなど皆さんおおわらわの様子でした。こんなことは「実にまれです」よね、きっと。

道に迷って、親切な美観地区の方に大原美術館まで案内してもらいました。その大原美術館ですが、事業家大原孫三郎が、画家児島虎次郎を記念して昭和5年に設立したそうです、日本最初の西洋美術中心の私立美術館として、また、その後も西洋の近、現代美術、日本の近、現代美術、民芸運動に携わった作家たちの作品も収集するなど、民間総合美術館として世界にその名を知られているということです。

大原孫三郎という芸術愛好家兼スポンサーとその友人の画家・児島虎次郎の審美眼の結晶がこの美術館ということなのでしょうか。

児島虎次郎という方の目を通して集められた作品は日本人の心情に好まれるものが多いといえるのでしょうか。よくは分かりませんが、私にはすーっと心に入ってくる感じがして多くの作品に親しみを覚えました。

モネの「睡蓮」は、当時すでに有名だった79歳のモネと直に交渉を重ね、数点の提供を得て、その中から児島氏が選んだというエピソードがあるようです。初志貫徹、猪突猛進というか、こうした情熱はどこから湧いてきたのだろうと思いました。

                            

                                《倉敷駅前歩道橋の手すりに積もる雪》

                            

                                     《雪を被った花》

                            

                                     《倉敷本通り商店街》

                            

                                       《大原美術館》 

                            

                                        《大原美術館》                 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野幌森林公園・2月

2014-02-12 18:14:35 | 日記

晴れ。最低気温-20.6℃、最高気温-2.0℃。

今日も氷点下20度を下回る厳しい冷え込みとなった。最低気温をマークしたのは午前7時11分だった。立春を過ぎても春は名のみで、これからも冬将軍の配下で心身共に鍛えられる日々が続く。

今日は、比較的暖かくなった午後に野幌森林公園ふれあいコースを散歩した。晴れた青空の下、冷たく澄んだ空気を久しぶりに満喫できた。雪の上の足跡は誰のものだろう。自分の力で生きている野生の誰かさんが裸足で向かった先には何があったのだろう。白い雲間から、青空が顔をのぞかせていた。「空も冷たい清らかな青い石の板で出来てゐるらしいのです。」という『雪渡り』の冒頭をふと思い出す。

                    

                                      《ふれあいコース 14:04》

                          

                                     《大沢口 13:52》

                          

                                    《百年記念塔 14:15》

                           

                                  《ふれあいコース 14:16》

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第65回札幌雪祭り大通会場

2014-02-11 16:40:40 | 日記

晴れ時々雪。最低気温-15.6℃、最高気温-1.4℃。

第65回札幌雪祭りの大通会場へ行ってきました。ソチ冬季オリンピック開催時期と重なっていることもあり、「ウインタースポーツ天国 、北海道」の雪像は、ソチでの日本選手の活躍と「2017年アジア冬季札幌大会」の成功を祈念して作成されたとか。他にも台湾の伝統とモダンをデザインした氷像、インドやマレーシアの美しい建造物を模して作成された雪像が目を引いていた。

日々の雪かき作業は確かに大変、氷点下の中で凍えて過ごす北国の生活は厳しい。でも、その条件があればこその雪祭り。逞しく、賢く、粘り強い人間にエールを。

                        

                             《ウインタースポーツ天国 、北海道》

                          

                                《台湾~伝統とモダン》                       

                         

                              《スルタン・アブドゥル・サマド・ビル》 

                         

                              《一方通行の通路を歩く観光客》

                         

                                  《すべてにLOVEを》

                         

                                 《イティマド・ウッダウラ》 

                         

                              《イティマド・ウッダウラ ズーム》 

                          

                          

                          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉敷へ

2014-02-10 20:33:32 | 日記

江別は晴れのち曇り時々雪。最低気温-10.5℃、最高気温-2.5℃。

 8日、倉敷へ向かった。大雪のため、新幹線は60分遅れで岡山駅に着いた。駅構内は思った以上にごったがえしていて、駅員さんのいるところに数名の乗客が取り囲むという光景があちこちに見られた。在来線にも遅れが出ていたが、倉敷市まで無事たどり着くことができた。歩道の雪は5センチはあったと思う。一部はシャーベット状になっていて、すぐにブーツの中まで湿ってきた。

 トラブルの原因ともなったこの雪だけれど、倉敷の街並みを一段と味わい深く、床しいものにしていたのはまちがいがない。良いこととそうでもないことは裏表一体になっていることが多いものだ。

 駅から美観地区へ向かう。この地区は1642(寛永19)年に江戸幕府の直轄領地になり、代官所が置かれて、備中南部の物資が集まり、取引が盛んに行われた歴史をもつという。

 1969年には倉敷市の条例に基づき、天領時代の風情が残るこの一帯が美観地区に定められ、1979年に県内2件目の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたそうだ。通りに面してずらりと並ぶお店はそれぞれに歴史を感じさせ、風流でお洒落だった。なかでも、倉敷川沿いに立ち並ぶ白壁なまこ壁の屋敷や蔵のたたずまいはその姿を川面に映し、落ち着いた中に優雅さを秘め、ため息がでるほどに美しい景観だった。

                           

                                       《倉敷駅》

                           

                                     《倉敷美観地区》

                           

                                  《川には二羽の白鳥が》

                           

                                 《くつろいでいる風でしたが…》

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島美術館へ

2014-02-09 22:15:47 | 日記

先日、広島へ出かけた時のこと。2日目の午後からは雪となり、傘をさして移動することになりました。時間が空いたのを機に広島美術館へ行ってきました。ミレー、モネ、ルノアール、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、シャガール、モジリアーニ、ムンク、ロダン他の作品が展示されており、見ごたえがありました。

この日、広島美術館は開館35周年を記念して「日本画の精華」と銘打って、東京画壇と京都画壇の巨匠の作品が一堂に展示されていました。音声ガイドを頼りに、じっくり見終え、日本画と一括りにするには抵抗を感じるほどに、多様な作品として結実していることに少し驚きました。でも、それは、自らの個性を開花させようとした才能ある方々の挑戦の賜物なのだろうと思い至り、深い感銘を持って、館を後にしました。

                          

                          

                                     《広島美術館》

                          

                          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『沈黙の春』その4

2014-02-08 15:35:15 | 日記

『沈黙の春』の第一章は「明日のための寓話」だ。こういうお話がまったくのフィクションだとも言い切れない現実が怖い。引用が長くなるが、しばし、お付き合いを。

 「アメリカの奥深くわけ入ったところに、ある町があった。生命あるものはみな、自然と一つだった。町のまわりには、豊かな田畑が碁盤の目のようにひろがり、穀物畑の続くその先は丘がもりあがり、斜面には果樹がしげっていた。春がくると、緑の野原のかなたに、白い花のかすみがたなびき、秋になれば、カシやカエデやカバが燃えるような紅葉のあやを織りなし、松の緑に映えて目に痛い。丘の森から狐の吠え声がきこえ、シカが野原のもやのなかを見えつかくれつ音もなく掛けぬけた。

 道を歩けば、アメリカシャクナゲ、ガマズミ、ハンノキ、オオシダがどこまでも続き、野花が咲きみだれ、四季折々、道行く人の目をたのしませる。ー中略ーむかしむかし、はじめて人間がここに分け入って家を建て、井戸を掘り、家畜小屋を建てた、そのときから、自然はこうした姿を見せてきたのだ。

 ところが、あるときどういう呪いをうけたのか、暗い影があたりにしのびよった。いままで見たこともきいたこともないことが起こりだした。鶏はわけのわからぬ病気にかかり、牛も羊も病気になって死んだ。どこへ行っても、死の影。農夫たちは、どこのだれが病気になったというはなしでもちきり。価値の医者は、見たこともない病気があとからあとへと出てくるのに、とまどうばかりだった。そのうち、突然死ぬ人も出てきた。何が原因か、わからない。大人だけではない。子供も死んだ。元気よく遊んでいると思った子供が急に気分が悪くなり、二、三時間後にはもう冷たくなっていた。

 自然は沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。・・・・・」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『沈黙の春』その3

2014-02-07 15:12:14 | 日記

『沈黙の春』のまえがきから

「1958年の一月だったろうか、オルガ―・オーウェンズ・ハキンズが手紙を寄こした。彼女が大切にしている小さな自然の世界から、生命という生命が姿を消してしまったと、悲しい言葉を書きつづってきた。まえに、長いこと調べかけてそのままにしておいた仕事を、またやりはじめようと、固く決心したのは、その手紙を見たっときだった。どうしてもこの本を書かなければならないと思った。」

この文章に続けて、レイチェル・カーソンは、この本を執筆するに当たり、大勢の様々な職種の方々の協力を得たことに感謝の言葉を綴っている。

そして「そのほかたくさんの人々のおかげをどれほどこうむったかを記して、このまえがきを終りたい。個人的には知らない人たちが大部分だが、こういう人たちがいるということにどれほど勇気づけられたことか。この世界を毒で意味なくよごすことに先頭をきって反対した人たちなのだ。人間だけの世界ではない。動物も植物もいっしょにすんでいるのだ。その声は大きくなくても、戦いはいたるところで行われ、やがていつかは勝利がかれらの上にかがやくだろう。そして、私たち人間が、この地上の世界とまた和解するとき、狂気から覚めた健全な精神が光りだすであろう。」

この本が1962年に発行されたことを、うっかり忘れるところだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『沈黙の春』その2

2014-02-06 15:04:50 | 日記

晴れ。最低気温-17.9℃。相変わらず今日も酷寒の日となる。

『沈黙の春』の冒頭の続きを。

キーツ「湖水のスゲは枯れはて、鳥は歌わぬ」

E・B・ホワイト「私は、人間にたいした希望を寄せていない。人間は、かしこすぎるあまり、かえってみずから禍をまねく。自然を相手にするときには、自然をねじふせて自分の言いなりにしようとする。私たちみんなの住んでいるこの惑星にもう少し愛情をもち、疑心暗鬼や暴君の心を捨て去れば、人類も生きながらえる希望があるのに。」


ジョン・キーツ John Keats(1795-1821)はイギリスの詩人。結核で25歳の若さで亡くなる。冒頭の部分は「つれなきたおやめ」最終連「それゆえに、わたしはさまようこのあたり、 色青ざめて、ただひとり。 湖のほとり菅(すげ)は枯れ果て、 ひと声の鳥も鳴かぬに。」 (And this is why I sojourn here /Alone and palely loitering,/Though the sedge is wither'd from the lake,/And no birds sing.)
からとのこと。

 

E・B・ホワイトElwyn Brooks White (1899年ー1985年)はアメリカ合衆国ニューヨーク州マウントバートン生まれの作家。

 『沈黙の春』(青木りょう一訳 新潮社)の解説には、カーソンより8つ年長の彼の短文や童話の表現をカーソンが積極的に自分の中に取り入れようとしたのではないかと書かれていた。ホワイトの作品には適切さと優雅さと意外性とが同時に兼ね備えられていて、洗練されたユーモアのなかに真実への火のごとき思いが秘められいると。簡潔で力がこもった表現は高い想像力のみが産み出しうるものだと言い切っていた。

 私はE・B・ホワイトの作品を手にしたことはないのだが、童話作品から一つ選んで読んでみたいと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

氷の紋様

2014-02-05 17:06:32 | 日記

晴れ。最低気温-21.1℃、最高気温7-7.2℃。

立春の昨日、そして今日は再び、氷点下20度を下回る酷寒の日となった。適度な湿気のある台所の窓には美しい氷の紋様が浮かび上がっていた。暖かくなると、影を消す氷の紋様だ。まるで厳寒のさ中を生きる私たちへのご褒美のような気もする。自然の采配は厳しいことも多いけれど、こうして美しいものをさりげなく誰にでも差し出してくれもする。

                          

                          

                          

                          

           

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立春

2014-02-04 21:06:01 | 日記

曇り時々晴れ時々雪。最低気温-10.6℃、最高気温-5.9℃。

今日は立春。暦の上では春ということだが、実際にはこれからもしばらく厳しい寒さが続く。今は家人が頂いてきた花束で、春の気分だけを味わっている。当分は、この寒さに心身を引き締め直して過ごそうと思っている。。「はる立つや新年ふるき米五升」と芭蕉は俳句を残している。

改めて立春とは何かをグーグルで検索する。『世界大百科事典第2版』と『日本文化いろは事典』にはそれぞれの解説があった。

『世界大百科事典第2版』の「立春」の冒頭では、「二十四節気の一つ。現在では太陽の視黄経が315゜のときをいい、2月4~5日に当たる。」とある。

また、『日本文化いろは事典』では、「冬と春の分かれる節分の翌日であり、立春は寒さがあけて春に入る日です。また、立春以降初めて吹く南よりの強風を春一番と呼び、立春の早朝、禅寺では厄除けのために門に縦書きをすると、左右対称になる「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣があるようです。」とのこと。

                               

                                 《春の気分を花束で味わっています。》

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『沈黙の春』

2014-02-03 23:40:15 | 日記

晴れ。最低気温-4.5℃、最高気温3.1℃。今日は節分、明日は立春。

『沈黙の春』の 著者はレイチェル・カーソン、訳者は青樹(りょう)一。2001年6月25日発行、2004年11月25日10刷。発行者は佐藤隆信、発行所は株式会社新潮社。

数日前から 『沈黙の春』を手にしている。ずっしりと手ごたえのあるこの本の著者はレイチェル・ルイーズ・カーソン。1907年生まれのアメリカの生物学者である。彼女はいち早く農薬の散布に警鐘を鳴らし、1962年9月に『沈黙の春』をホートン・ ミフリン社から出版した。この本は半年間で50万部を売り上げ、大反響を呼ぶことになった。産業界は激しい批判のキャンペーンを繰り広げるが、市民の支持は根強く、ついに時のアメリカ大統領ケネディを動かし、DDT(農薬)の規制に繋がっていく。彼女は1964年4月に癌で亡くなるのだが、その8年後にアメリカでDDTの使用が全面禁止となった。

 本書の冒頭にはシュヴァイツァー、キーツ、E.B.ホワイトの言葉がある。ここではシュヴァイツァーの言葉を。

《 シュヴァイツァーの言葉》
未来を見る目を失い、現実に甘んずるすべてを忘れた人間。そのいきつく先は、自然の破壊だ。
                   

                                         《レイチェル・カーソン著》

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二月の野幌森林公園

2014-02-02 15:15:52 | 日記

晴れのち曇りのち雪。最低気温-17.8℃、最高気温-1.4℃。

二月二日は母の命日。早いもので27年の歳月が流れた。昨日は当時6歳だった二男の誕生日で、私が看病で留守をしていたこともあり、淋しい思いをさせた気もする。

早いと言えば、このところ、一週間がとても早い。NHKの「伝えてピカッチ」という番組を見て、もう? つい、この間見たばかりだったのに・・・と。このセリフを毎週言っている気がする。

野幌森林公園大沢口の風景も比較的、明るい午後に写真を撮ることができたのはしばらくぶり。途中の歩道脇の木々では小鳥たちが大騒ぎをしていた。

                           

                                     《大沢口 14:30》

                           

                           

                             

                                                            

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エゾシカ革にも注目が

2014-02-01 19:36:01 | 日記

晴れ。最低気温-7.6℃、最高気温-2.6℃。

本日付北海道新聞の夕刊のトップに「エゾシカ革に熱視線」という見出しの記事が掲載されていた。シカの革はしなやかで丈夫だとは首都圏浅草にある老舗の中村千之助商店の社長中村高志氏。しかも、一枚一枚の表情が異なるので一点ものという魅力があるとは三越伊勢丹のバイヤー福田隆史氏の弁。アパレル大手の山陽商会(東京)はドライビングシューズを発売する予定という。

アパレル業界団体の日本ファッション・ウイーク推進機構は2月11日からニューヨークで、エゾシカ革を使った衣服やバッグの展示会を開く予定とのこと。これらの動きを後押しするのは音楽家の坂本龍一氏主宰の森林保全団体「モア・トゥリーズ」(東京)で、この革を「モア・トゥリーズ・レザー」と名付けて、ブランド化することにも協力する。水谷伸吉事務局長は「うまくいけば、全国で増えているシカの活用策の手本になる」と。

天敵となるオオカミが絶滅?したと聞いているので、年々シカの頭数は増え続けているようだ。それに伴って、エゾシカの被害も深刻化していると聞く。もし、「モア・トゥリーズ・レザー」と名付けられたエゾシカ革がブランド化に成功したならば、エゾシカが少なくなることと比例してエゾシカによる被害は減少するだろう。ついにエゾシカの肉だけではなく革にも注目が集まった。まさか絶滅危惧種?になるほど活発な需要拡大とはならないと思うけれど・・・・・・・。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする