「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

光市母子殺害事件 被告人質問(6)

2007年07月02日 19時32分44秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48610171.html からの続き)

 昨日の報道番組で、元少年の手紙の中から、

 僕が初めて聞いた文面が 紹介されました。

「オイラは 嘘のプロだから、世のきたなさは 人一倍知ってるもん。

 でも 『殺人』 はみとめたろ? 

 これでも プライドはあるからな、

 『やってね~』 って言うヤツは、嫌いだね。

 オレが何十年後に 娑婆に復帰したら、せいだいに パーティーでもしてくれよ!」

 これらの文面に対して、弁護団は 果たしてどういう弁明を しようというのでしょう?

 来月の第2回集中審理が 待ち望まれます。

 

 今日のニュースでは、市橋容疑者に殺害された、

 イギリス人 英会話教師・リンゼイさんの 両親が出演していました。

 リンゼイさんの父親は、市橋容疑者が 逮捕されて有罪となり、

 一生刑務所で暮らしてほしいと 涙ながらに述べていました。

 リンゼイさんも 本村弥生さんに劣らず 残忍な方法で殺害され、

 遺族の被害者感情は 本村さんと同様でしょうが、

 死刑のない国から やってきているため、

 このような発言に なるのだろうかと思われます。

 死刑というものがなければ、被害者遺族の感情は、

 犯人に死んでほしい というところまでいかない ということでしょうか。

 死刑制度の存廃を 考える上で、重要なことではないか と思います。
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49124214.html
 
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光市母子殺害事件 被告人質問(5)

2007年06月30日 08時58分13秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48604707.html からの続き)

 元少年に ずっと接見を続けている 僧侶・和田隆恩氏によると、

 今回の元少年の供述は、彼のキャラクターと 違和感がないものであり、

 以前から 聞いたこともあるものなので、

 彼は 自分の言いたいことを言っている、ということです。

 しかし 今回の差戻し審では、犯行事実は すでに一審二審,最高裁で

 「揺るぎなく」 確定しています。

 殺意を否認し 傷害致死罪であると、事実を根本から ひっくり返してしまう審理は、

 本来なら認められず、裁判所も弁護側の発言を 制止することもできるはずです。

 けれども、死刑という 人の命がかかった 究極の事情であり、

 法廷は 被告人が自由に 発言できる場でなければならない という立場から、

 裁判所は 最後の機会なので 聞いてあげようという姿勢ではないか、ということです。
 

 来月24日からの 第2回集中審理で 弁護団は、

 なぜ 元少年の証言が変わったのかを 明らかにするそうです。

 また、9月の第3回集中審理では、本村さん自身が 意見陳述をする可能性があります。

 今回の控訴審は 順調に行けば年内に結審し、来年半ば頃に控訴審判決

 という予想がありますが、弁護側が精神鑑定を申し立てて 裁判所が採用すれば、

 さらに 後ろにずれ込むこともあるとか。

 どちらにしても、弁護側か検察側が 最高裁に上告するでしょう。

 最高裁は 弁護側の上告を破棄・自判するか、

 検察側からの上告審には また半年程度かかるかもしれない ということのようです。

 

 ところで弁護団は、この裁判を 死刑廃止のプロパガンダに

 利用しているのかどうか、僕には分かりませんが、

 死刑制度廃止を訴えるなら、どんな極悪非道な犯罪者でも 死刑にすべきではない、

 という理屈に ならなければいけないはずです。

 それなのに 殺人罪ではないと主張すれば、それは元々 死刑に当たらないのですから、

 死刑制度廃止を 後押しすることにはなりません。

 しかし、(組織的な経済犯罪でもなく) たった一人の少年の事件に、

 これだけ大人数の弁護士が 集結したというのは、

 やはりイデオロギーが 関わっているのではないか と考えられます。

 いずれにしろ、今の弁護団のやっていることは、

 死刑反対論者のイメージを 著しく損なっていることに 違いはありません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48659854.html
 
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光市母子殺害事件 被告人質問(4)

2007年06月29日 23時38分30秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48579121.html からの続き)

 元少年の精神鑑定をした 加藤幸雄教授 (犯罪心理学) は、

 元少年は 母体回帰したい 赤子の心情だった と証言しています。

 しかし この教授は、「光市裁判」 という本の中で 安田弁護士と共に、

 「何故テレビは死刑を求めるのか」 という記事を書いており、

 とても客観的な立場の 鑑定とは言えません。

 また、赤子の心情だったとするなら、復活のために 性行為をおよぶというのは、

 非常に 矛盾しているのではないでしょうか。

 また元少年は、

「この1年、記憶を精査し、何をしたのか探ったりしました。」

 と言っているのに、検察や判事に質問されると

「覚えていない」 と繰り返します。

 これも 全く辻褄が合いません。

 かつて これほど 支離滅裂な論理を 展開した公判があったでしょうか? 

 弁護団は この “ストーリー” が通ると 本気で思っているのか、

 しかと 問うてみたいのですが、どうも弁護団たちは 大真面目らしいのですね。

 
 一方 ネット上では、元少年への激しい処罰感情が 湧き上がっているらしいですが、

 裁判は復讐ではなく、国家が客観的に正当な刑を 決める場なので、

 第三者が無責任に わめき立てるのは控えたいものです。

 また、弁護団には 脅迫状が送られたそうですが、

 本村さんは いかなる理由があっても ルール違反は許されないと言っています。

 とにもかくにも、品格のない感情論に 走るべきではありません。

 外野の野次馬たちが 騒ぎ立てている中で、

 当の本村さんが 一番冷静で、克己しています。

 本村さんは ここに来るまで、果たして どれだけ血を吐くような、

 生き地獄の 懊悩があったことでしょう……。

 犯人に凌辱され、当初はマスコミにも批判され、裁判所に一度ならず退けられ、

 弁護士団から屈辱を受け、今また犯人に愚弄され……。

 こんな立派な人間に ならなくてもよかったから、

 本村さんが 弥生さんや夕夏ちゃんたちと、平凡で幸せな 暮らしをできていたらと、

 心から思ってしまいます。
 
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光市母子殺害事件 被告人質問(3)

2007年06月28日 20時49分10秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48561480.html からの続き)

 本日、本村さんは 記者会見を開きました。

 いつものように冷静沈着で 理路整然と、心に響く 的確な言葉で訴え、

 風格さえ 感じるものでした。

 本村さんは 元少年の死刑の意味について、次のように述べています。

「被告が悔い改めて、納得して、胸を張って 死刑を受けることに意味がある。

 もし元少年が嘘をついて、裁判に負けて 死刑を受けるとしたら、

 彼の人生は 何だったのか? 

 罪を犯したあと 少しでも人間として 名誉を回復して、

 罪に対する罰を受け入れて、生を全うすればいいが、

 これだけ世間に批判され、嘘つき呼ばわりされて、死刑が確定したときに、

 弁護団は この事件や彼の人生を、どう意味づけしようとしているのか分からない。

 最高裁が 「特別な事情」 と言ったのは、被告人に更生の可能性が あるのかないのか、

 彼を社会が 受け入れることができるのか、ということだと思うが、

 今の裁判は そういう方向にない。

 こんな状態で 死刑が出ても 何の意味もない。

 彼が悔い改めた姿を 社会が見て、人をあやめた人間は これだけ反省しても、

 命を持って償わなければならない と知らしめなければ、死刑の意味はない。

 そこが非常に残念で、弁護団に憤りを感じている。」

 本村さんは事件後から、一貫して このように主張してきました。

 元少年が心から反省して、その上で 死刑を受けてこそ意味がある、という考えです。

 一般には、被告は自責の程度によって 量刑が左右されます。

 実際 この裁判の一審二審が 無期になったのも、反省を認められたからでした。

 僕も 被告が心底悔い改め、苦しみ贖罪することによって、

 刑罰は軽減されると考えます。

 反省のない人間こそ 極刑を持って臨むべき ということになりますが、

 本村さんは 被告が反省していなければ 死刑の意味はないと信じるのです。

 日常的には、過ちを犯した人間が反省し 心から謝罪することで、

 被害者の傷は癒されます。

 最愛の人を 無残な姿で殺されることは、

 被害者遺族としては、それとは全く次元が異なる というのは理解できますが、

 法定刑の考え方としては どうなのでしょうか。

 皆さんは どう思われるでしょう? 
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48604707.html
 
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光市母子殺害事件 被告人質問(2)

2007年06月27日 22時30分09秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48536162.html からの続き)

 昨日に引き続き 弁護側の被告人質問と、

 検察側の反対尋問、裁判所による 追加質問が行なわれました。

 弁護側の質問に対する答では、弥生さんの幽霊を見て パニックになったとか、

 ドラえもんの四次元ポケットが 何とかしてくれるとか、

 およそ荒唐無稽で 不可解な供述を展開しています。

 ちなみに、元少年が読んだという 山田風太郎の 「魔界転生」 では、

 性交の儀式で 復活するのは男性であり、

 死亡した女性を生き返らせる 設定ではないということです。

 元少年は一審二審で、検察の 詳細な犯行経緯の 供述書をすべて認めています。

 公判という 公の場で認めたのですから、

 密室の取り調べ室で 強引に調書を取られたのとは わけが違い、

 極めて信用性が高いものです。

 何故 一審二審で 起訴事実を認めたのか、何故 今回それを翻したのか、

 合理的な説明をする義務が 弁護団にはあります。

 そうでなければ、今回の供述は 信じられないだけでなく、

 反省がないということで 更に死刑に傾くことになるでしょう。
 

 検察側からの反対尋問が始まると、

 元少年は それまでの饒舌で 早口な答え方が一変し、

「分からない」 「覚えていない」 を繰り返しました。

 弁護側の質問の答との 矛盾を指摘されると、

「質問する人が違えば、違ったニュアンスで 答えることになります。

 詳しくは説明できません。」

 と 強い口調で反論したとか。
 

 最後に裁判所が 追加質問を行ないました。

「弥生さんを通して 実母を見ていたという気持ちを、

 もっと具体的に 話してください。」

 元少年は言葉に詰まり、長く考えた後、

 それまでと同じことを 繰り返すだけだったといいます。

 弥生さんを生き返らせようとした ということに対しては、

「(暴行の後) 弥生さんの脈があるか 確認したんですか?」

「確認していません」

「どうして?」

「分かりません」

 これらの被告人質問で、裁判所の心証は かなり形作られたのではないでしょうか? 

 裁判所の常識は、国民の健全な常識と 一致すると信じたいと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48579121.html
 
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光市母子殺害事件 被告人質問(1)

2007年06月26日 20時13分05秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47893251.html からの続き)

 本日、差戻し審の第2回公判、弁護人による 被告人質問が行なわれました。

 今日から3日間の 集中審理です。

 元少年の口から 何が語られるのか 注目されましたが、

 やはり 弁護団の筋書きに 沿った内容でした。

 母親に甘える気持ちで、殺害の意志はなかった という主張ですが、

 本当に この期に及んで こんなことを言い出す 意図が分かりません。

 元少年は事件の半年後、獄中から友人に宛てた手紙に こう書いています。

「事件は オレが本村さんのはいごから 襲ったからな~。

 女のパワーじゃ たぶんむりだよ。

 それにいちよ 本村さんも ていこうしたし。」

 公判で元少年は、ぼそぼそと 甲高く小さな声で、

 文章を読むように よどみなく即答していたといいます。

 身振り手振りも交え、かなり詳細に 説明したようですが、

 弁護団と周到に 練習はしたのでしょう。

(でもそれって、拘置所の接見室で 行なうんでしょうか? 

 弁護団が 元少年に “作り話” を覚え込ませようとすれば、

 監視の記録に残って、それは証拠には ならないんでしょうかね?)


 本村さんは 奥さんや娘の 最期の言葉や様子を、

 元少年に 聞きたいという気持ちと、聞きたくないという 気持ちとがあり、

 複雑な心境だということです。

 全くそれは もっともなことだと思います。

(僕も 心子の最期の状態を、病院に聞きたいというのと、

 聞くのが恐いというのと、両方の気持ちがありましたが。)


 明日は 検察側からの反対尋問もあります。

 元少年が どこまで辻褄の合う 答をできるか、見物だとも言えます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48561480.html
 
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光市母子殺害事件 差し戻し審(7)

2007年05月28日 23時54分21秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47867166.html からの続き)

 日本の裁判は 明治政府になった時、仇討ちを禁止して、

 その代わりに 国が被告を罰する という形になったため、

 応報刑の性質を帯びていました。

 もっともそれが、被害者を完全に 蚊帳の外に置いてしまう格好になり、

 長い間 犯罪被害者が一顧だにされない 問題を起こしてしまったわけです。

 そして 犯罪被害者支援の運動の黎明期に、

 本村さんの存在が与えた影響は 絶大なものがありました。

 下手な弁護士は叶わないほど 理路整然と、人の「心」に訴える 本村さんの言葉は、

 生き地獄を くぐり抜けてきた者にしかない、痛切な説得力があります。

 かくいう僕も、元々は 死刑制度廃止の立場でしたが、

 今は そう言い切れなくなっています。

 人々が 被害者感情の峻烈さを知るに及び、

 体感治安の悪化と相まって、厳罰化の方向へ 進んできています。

(僕はそれよりも、被害者の傷を癒すプログラム,加害者の矯正プログラムの

 研究・実践が、何よりも必要だと 考えるものです。)
 

 日本の判例主義は 以前から論じられています。

 死刑に関しては、1983年の永山判決で、

 次の厳格な条件を 満たす必要があると定められました。
 
 1:犯行の罪質

 2:動機

 3:事件の態様 (残虐性)

 4:結果の重要性 (殺害数)

 5:遺族の被害感情

 6:社会的影響

 7:犯人の年齢

 8:前科

 9:犯行後の情状

 今回の21人の弁護団は、近年これらの基準が なし崩しになり、

 本来 無期懲役である者が 死刑になってしまうとして、

 死刑の基準の厳しさを 取り戻さなければ、

 これから先も 更に死刑判決が出やすくなってしまう と主張しています。

 これに対して本村さんは、

 永山基準は 法曹界の運用のための基準であって、法律ではない、

 個々の事件や 時代によって 基準は見直されるべきだ と訴えています。

(4の 被害者の人数については、

 被害者が一人の場合は 死刑にならないという、形式的なものがありましたが、

 昨今 少女への性的暴行殺人などが相次ぎ、一人でも 死刑判決の例が出てきています。)
 

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48536162.html
 
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光市母子殺害事件 差し戻し審(6)

2007年05月27日 23時15分30秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47825735.html からの続き)

 先ほどテレビで、21人の弁護人に インタビューをしたという 番組がありました。

 その中で 一人の弁護士が、匿名を条件に 本音を述べたと言っていました。

「 もし自分が 本村さんの立場だったら……、

 被告を殺しに行くと思う……。」

 これはショッキングでした。

 この弁護士は、自分の本心に 反することをしようとしている、

 ということなのでしょうか? 

 自分の感情や考えとは 異なる弁護を、

 自ら進んで 買って出ているというのは、どういうことなのか? 

 自分の個人的な感情と、職業上の信条は別だ ということはないはずです。

 人の命に関わる 最も重要な問題を、

 自分の心に背く形で 決めることなどするべきではありません。

 「感情」というものは、人間にとって 重要な価値判断をする 心の機能なのです。

 自分が被害者だったら 殺すという被告人を、

 どうして弁護士として 弁護することができるのか? 

 または 死刑に反対することができるのか? 

 この弁護士の真意を 何とか知りたいものです。
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47893251.html
 
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光市母子殺害事件 差し戻し審(5)

2007年05月26日 01時19分41秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47801532.html からの続き)

 一審二審では、被告はひたすら反省している と述べることで、

 辛うじて更生の可能性を 認められてきました。

 ところが今回、一転して 殺意を否認する方針は、

 その反省は嘘だったのかと 裁判官に思わせることになります。

 今まで 極刑を免れてきたのに、殺意を認めず 反省がないとなれば、

 逆に これまで以上の罰 = 極刑になってしまうという、

 非常にリスクを負う 弁護方針だとのことです。

 一方で、差し戻されたことによって、従来と同じ方針では 死刑になるしかないため、

 新たな立証をせざるを得ず、窮余の策であるという 見方もありました。

 元少年は仮想現実の中で、ままごとや 死者を復活させる儀式を 行なったという、

 異常な心理状態だったのだから、精神鑑定が必要だ という理屈だそうです。

 しかしすでに、一審二審,最高裁で 強姦殺人は確定しており、

 この事実認定を 動かすことはできないということです。

 その上で、極刑を回避する 特段の事由があるのか 裁判をやり直し、

 それがないなら 死刑にすべきというのが、今回の差し戻し審の意味です。

 大弁護団の主張は、社会の常識を 納得させるには程遠く、

 余りに リーガルマインドに反するものでしょう。

 元少年を救うことにもならないし、

 これでは 死刑廃止論の理解も 得られないと思います。

 6月26日からの 次回公判では、被告人質問が注目され、

 むしろ 弁護団の論法と 本人の口から出ることが 食い違うのではないか、

 ということも考えられます。
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47867166.html
 
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光市母子殺害事件 差し戻し審(4)

2007年05月25日 00時28分42秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47784815.html からの続き)

 広島高裁で、差し戻し審が開始されました。

 事件の日、元少年は水道工事を装って 本村さん宅に侵入し、

 弥生さん母子を 殺害したわけですが、

 今回 弁護団は次のような 驚くべきというか、

 呆れて物が言えない 持論を展開しています。

 傍聴していた本村さんも、怒りを通り越して 失笑したと言っています。

「被告人は 仮想現実の中に入り込み、

 水道工事屋さんになって ままごと遊びをしていただけだ。

 ままごと遊びとは、母を投影して甘えることだった。

 被告人は母に甘えるように、弥生さんの後ろから そっと抱きついたところ、

 弥生さんが驚いて抵抗し 声を上げたので、

 右手で口を押さえ、過って 首が絞まっていった。

 夕夏ちゃんについては、泣き止まそうと、

 償いの意味で 首にリボンでチョウチョ結びにしたら、死んでしまった。

 被告人に殺意はなく、傷害致死に留まる。」

「 (死後に姦淫したのは)

 死者に生をつぎ込んで 復活させる、魔術とも言うべき儀式。

 被告人は 精子が死者を復活させる と信じていた。」

 1年前、弁護団は同様の主張して、最高裁に退けられました。

 そして最高裁は、特別な事情がない限り 死刑にするほかないとして、

 高裁に差し戻したわけです。

 差し戻し審は 最高裁の裁定に拘束されます。

 これについて本村さんは、会見で こう述べていました。

「弁護団は 『差し戻し審』 の意味が 分かっていない。

 弁護側の主張している “事実” は 最高裁で否定されている。

 それを差し戻し審で、もう一度 議論する意味が分からない。

 弁護側の主張に 新事実はない。」

 今回の巨大弁護団は 死刑廃止論者の集まりで、

(僕も死刑制度に 賛成するものではありませんが)

 上記のような 詭弁を弄するようでは、死刑廃止論の 説得力をおとしめ、

 信用を失わせることに なってしまうと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47825735.html
 
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光市母子殺害事件 差し戻し審(3)

2007年05月24日 10時00分10秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47777510.html からの続き)

 元少年の生い立ちは、確かに 不遇なものではありました。

 言うまでもなく、だからといって 許されるわけがないのであって、

 罪は償わなければなりません。

 ただ、理解する必要は あるだろうと思います。

 元少年は、同級生からは 明るかったと言われており、

 能天気で へらへら笑っていたそうです。

 反面で、父親からはいつも叱られ、殴られて 青あざを作っていたといいます。

 心のより所にしていた 母親が、中1の時に 自宅の玄関で 首吊り自殺。

 父親は通夜の日にも、少年を塾へ行かせました。

 もっと母親に 甘えたかったとも、元少年は言っているそうです。

 高校では 不良仲間と付き合ったが、心を許せる友人はいなかったのでは。

 ズボンに花火を入れられて ひどい火傷を負うなど、いじめにも遭いました。

 光市の事件を起こしたのは、そんな高校を卒業してから 2週間後のことでした。

 元少年の父親は、自分も事件の被害者だ と思っています。

 息子さえ あんなことをしなければ、と憎しみが沸いてくる。

 自分にとって 事件は二の次で、自分たちは(非難の中で)

 生きていかなければいけないので、開き直った と話しています。

 育て方は 間違っていなかった。

 息子は 罪を深く考えて 成長しているので、死刑でなく 生きて償わせたい。

 やはり親だから。

 そう語る父親は、この8年の間に、少年には 1回接見しただけだそうです。

 やはり、子供の健全な成長にとって、

 親の愛情が いかに大切であるかということが、嫌というほど思い知らされます。
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47795344.html
 
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光市母子殺害事件 差し戻し審(2)

2007年05月24日 00時06分16秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47754682.html からの続き)

 二審の無期懲役判決が 最高裁によって 高裁に差し戻され、

 死刑判決の可能性が強くなりました。

 その時から、安田弁護士をはじめとする 新たな弁護団は、

 事件は殺人ではなく 傷害致死だと主張しはじめました。

 これは余りにも奇矯で、

 弁護団は本気でそれを信じているのか 問いただしたくなります。

 元少年が雇えるはずもない、21人もの弁護士が 付いたのは異常で、

 死刑制度に対して 挑戦しているかのようです。

 しかしそれは 立法や別の場で行なうことであって、

 法廷は 死刑制度の是非を 論じるところではないでしょう。

 「この裁判が、死刑の存廃の議論に 利用されることを恐れる」

 という、本村さんの言葉は その通りだと思います。

 差し戻しが決定したあと、本村さんに 元少年からの手紙が4通届いたのも、

 情状の材料にするための 弁護士の入れ知恵だと、本村さんは述べています。

 一方、少年に面会している 住職によると、

 少年は 自分が死刑になって当然だと 認識しており、

 反省して反省して 償いきったところで死にたい、と言っているといいます。

 近年の少年の日記には、

「しっかり罪を償いたい。

 二人を生き返らせるなんて 要求,反省は無理だけど、

 では どういう反省ができるのか。」

 と書かれています。

 もしそれが 事実からかけ離れていないものだとしたら、

 弁護団の方針は 少年の本心にも そぐわないものかも知れません。

 安田弁護士は会見で、元少年が涙ながらに 真実を訴えたと言っていましたが、

 公判を不当にボイコットするような、安田弁護士のやり方を 僕は信用しかねます。
 

 それにつけても この数年の、

 被害者感情を汲もうとする 世論の高まり,厳罰化の流れ。

(僕は もろ手を挙げて賛成とは 言えないのですが。)

 そこに果たした 本村さんの功績は、本当に深甚なものがあります。

 本村さんの存在なくして、犯罪被害者支援の運動も

 ここまで実を結ばなかったでしょう。

 以前の記事にも書いたように、

 まさに 『神が与えた被害者』 という言葉が 心に突き刺さります。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36588506.html

 神は時に、真実の成就のためには 実に残酷な生贄を生ませるものです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47784815.html
 
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光市母子殺害事件 差し戻し審(1)

2007年05月23日 00時44分23秒 | 光市母子殺害事件
 
 光市母子殺害事件・差し戻し審の 第1回公判が、

 5月24日に 開かれることになったそうです。

 被害者遺族の 本村洋さんは、僕のブログでも トピックになっています。

 関連記事を紹介しておきます。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/29299802.html
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36556382.html
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47777510.html
 
 
ps. 今日はσ (^_^;)の誕生日です。
 
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光市母子殺害事件・最高裁上告審判決(5)--元加害者少年の手紙と父親

2006年06月22日 14時33分00秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36588506.html からの続き)

 加害者の元少年が 本村さんに宛てたという手紙の全文を、

 某テレビ番組で公開,分析していました。

 「信書の秘密」というものがあるのに対して、裁判の証拠に提出されたものは

 公開していいという ルールがあるのか知らないのですが、

 一般的にはそうされていますね。

 でも、国民の「知る権利」はありますが、本村さん本人が 開封していないのだから、

 テレビでは自粛する姿勢があっていいと思います。

 それにしても、元少年の手紙は意味不明の主張で、

 謝罪どころか 読む者の神経を逆なでするものでした。

 弁護側は、これが裁判で有利な材料になると 考えたのでしょうか? 

 最高裁は 情状を認めなかったわけですが。
 

 また、元少年の父親も テレビ取材を受けていました。

 父親は、元少年の面会には ほとんど行ったことがないそうです。

 腕組みをして、本村さんへの責任は考えないと 言ってはばからないその態度は、

 まさに この親にしてこの子ありと 思ってしまいます。

 やはり 親から受ける影響は大なのですね。

 一方で ある殺人事件では、被害者への慚愧のあまり、

 「息子を死刑にしてください……!」と 泣いて詫びる母親がいました。

 この母親のことを 元少年の父親に話しても、恐らく理解できないでしょうが……。

 やりきれない思いです。
 
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光市母子殺害事件・最高裁上告審判決(4)--『神が与えた被害者』

2006年06月21日 11時22分14秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36574858.html からの続き)

 この事件が起きた1999年は、心子と僕が 付き合いはじめた年でもありました。

 その時期は 犯罪被害者支援の運動が起こり、マスコミにも取り上げはじめられた時でした。

 心子と僕も 「犯罪被害者の会」設立のシンポジウムに出席して、

 そこで本村さんの話を聞いたわけです。
 

 本村さんは被害者の身でありながら、非常に論理的で 説得力のある話をします。

 事件の翌年に 「犯罪被害者の会」ができ、

 犯罪被害者保護法成立、刑事訴訟法改正、少年法改正と、

 犯罪被害者支援運動が次々と実っていきました。

 この間の本村さんの功績・影響力というのは 絶大なものがあり、

 犯罪被害者支援運動の草創期にあって 本村さんの存在は、

 『神が与えた被害者』かと 思われるほどだったといいます。

 本村さんは大変に勉強をされ、下手な弁護士はかなわないくらいだそうです。

 普通 被害者は喪失感で 何もやる気がなくなってしまい、

 弁護士や検事でも 被害者になると 脱け殻のようになって、

 論理的にも混乱し 何もできなくなってしまうといいます。

 そんななかにあって 本村さんのように、理知的で 感情をコントロールしながら

 世の中に訴えられる人の存在は、非常に貴重だと言えるでしょう。

 記者会見などでは、時に厳しく 攻撃的な印象も与える本村さんですが、

 自分の言っていることは 本当に正しいのか、常に悩み 葛藤してきたそうです。

 疲れ果てて すべてやめてしまいたいと思ったことも、

 遺書を書いて 上司に引き止められたこともあるということです。
 

 本村さんは、「人生とは、偶然を必然にしていくことだ」

 という言葉が好きだそうです。

 事件は 本村さんにとって 非常に悲しい偶然でしたが、

 そのために 分かったこと、世の中に訴えることができたこと などがあれば、

 いつか、妻子の死も無駄ではなかったと 思えるときが来るかも知れないと、

 本村さんは言っていました。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36639075.html
 

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