被害者の首を生きたまま 電動ノコギリで切断した 池田被告に対し、
裁判員制度で初の 死刑判決が出ました。
残虐さが突出しており、 死刑が出やすいケースでしたが、
それは裁判員の重圧を 軽くすることにはなりませんでした。
法廷の最後に裁判所は、 「控訴してください」 と付け加えたのです。
このことは、 どんなに残虐な罪を犯しても、
目の前の被告に 死刑を宣告する精神的負担が、 いかに大きいかを示しています。
それは 職業裁判官でも同じで、 ある裁判官は こう言っています。
「死刑の結論を述べるとき、 のどがつっかかる感じがした。
その瞬間の被告の表情は えも言われぬものがあり、 一生忘れられないだろう」
「法と証拠に基づけば、 これが最善の結論だったと 思うしかない。
そのためには 一人で結論を出したのではないと 実感できるよう、
充実した評議を する必要がある」
市民の間では、 「裁判員経験者ネットワーク」 が作られています。
経験者同士が 率直に語り合うことで、 負担が軽減されるといいます。
裁判員には もうひとつの負担があります。
高齢夫婦強盗殺害事件では、 裁判期間は最長の40日間。
連日、 審理時間が予定オーバーし、
裁判員の疲労がたまって、 公判内容を振り返る 余裕もなかったそうです。
休廷日を入れるなど、 時間を取って 審理することが求められます。
死刑判決は、 被告の生命を絶つという 究極の権力行使です。
その過程の一部を 国民がチェックする意味では、 裁判員制度は意義があるでしょう。
しかし現状では、 負担の方が 余りに大きすぎます。
守秘義務を軽くし、 裁判員経験者が 意見を交流できる 場が必要です。
〔 読売新聞より 〕
どこまでいても、犯行の残虐さから死刑判決になるだろうよ。
それを地裁の裁判官が≪控訴してください≫といったのは、ある意味悪魔の所業だな。
死刑にならないかもしれないという希望を持たせてから、叩き落す。
高裁でも、最高裁でも、死刑判決にならない可能性なんてのはきわめて低い。
それなのに、希望を持たせる裁判官てのは、「ワルよのう」
あなたは裁判員たちが感じた重圧に、少しも想いを馳せることができないのですね。