ついに裁判員裁判で、 少年に対して 死刑判決が出てしまいました。
現場で悩み抜いて 結論を出した裁判員の決定は 尊重しなくてはなりませんが、
死刑回避の立場の 僕としては残念です。
少年というものは とにかく未熟であり、
今後の矯正教育次第で どう変化するか分かりません。
更生の可能性がないというのは、 どのような場合でも 断じるのは困難だと思います。
(それだけに 矯正教育のプログラムが重要です。)
被告の少年は、 涙声で 「一生償いたい」 と謝罪しています。
「犯行当時は 相手の気持ちを考えず、 自分勝手な気持ちで 二人の命を奪ってしまい、
申し訳ないと思っています」 と 声を絞り出したといいます。
光市母子殺害事件との比較がありますが、
光市の被告は 犯行後の行状が 甚だ悪かったところがあります。
それに比すれば今回は、 保護観察中に起こした 事件だったとはいえ、
更生の可能性は 充分あるのではないかと思えます。
その希望を 国家が抹殺してしまうのは、 余りにも無惨ではないでしょうか。
被告の母親も すすり泣きながら、
「今後、 何があっても 息子を見捨てません」 と言っています。
光市の事件では、 この親にしてこの子あり という父親でしたが、
更生を支える 環境があるかどうかも 大事なことかと思います。
被害者遺族が 極刑を望む気持ちになるのは、
例え死刑制度反対論者が そう思ったとしても、 止むを得ないことでしょう。
ただ量刑は それだけで決めるものではなく、
その他の 幾つもの要件を熟慮して 選択するものです。
死刑をためらう条件が ひとつでもあれば、 僕は選択すべきではないと思うのです。
矯正できなかった場合に、誰がどんな責任を取るのか?
安っぽい≪お涙頂戴≫にしか受け取れないね。
犯した罪について裁くんだから、≪矯正可能かどうか≫に重きを置く必要はないっての。
そして匿名であること。
刑罰には「応報刑」と「教育刑」ありますが、近代国家において応報刑はすでに過去のものです。