「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「それでもボクはやってない」 (2)

2007年02月06日 10時54分39秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/44885903.html からの続き)

 国家権力の前に 我々は全くの無力です。

 容疑者段階での人権蹂躙も 目を覆うばかりのものがありました。

 推定無罪でなければ いけないはずなのに、

 拘置所から検察庁へ送られる際の 罪人扱いぶりは 僕も始めて知ったことで、

 信じられないくらい 屈辱的な待遇でした。
 

 周防監督は、とにかくリアルに表現することを 心がけたということです。

 供述調書は 全く警察の作文であること,

 検察官も 容疑者の話を 端から聞いてくれないこと,

 日本の裁判の有罪率は 99.9%であること,

 裁判官も自分の保身のために 公正さを欠いてしまうのは人情であること,

 それらが 簡単に起こりうる現実を 映画は伝えてきます。

 言うまでもなく、全ての裁判官,検察官,刑事が 悪質なのではなく、

 いい人間は当然 沢山いるわけで、何でも冤罪になるわけではないでしょう。

 でも 裁判官という職業に限っては、他の仕事のように

 いい人もいれば 悪い人もいる、では困ってしまいます。

 悪徳医師や 不正な警官などから 被害を受けたとしても、

 裁判はその悪を正す  「最後の砦」 でなければならないはずです。

 ところが、日本の裁判は 真実を明らかにする場所ではなく、

 法廷という限られた空間で、書類の上だけで、裁判官の心証で、

 取り敢えず 判断が下されるに過ぎないのだ ということが表されます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/44935988.html
 

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