もう24年の時が経ちました。・・東京の新聞では、片隅記事になっているかもしれません。
阪神高速道路の柱が大きく傾いて、通行中のバスが転落寸前でした。海辺に集まっていたゴム靴の家内工業の建物が発火して大きな火災となり何時間も燃えて多くの人がなくなりました。
その数ヶ月前に米国西部で地震があって高架高速道が被害にあった映像ニュースのときに日本の建築専門家が「日本は地震国なので建築基準が厳しい。米国のような事故はおこらない」と発言していたことが虚しく感じました。
私は、当時、国際通信企業の欧州駐在をしていたので、日付では前日の夜間に現地で自宅に「日本に電話がつながらない」とに問い合わせをうけて、急いで日本本社との連絡に忙殺されました。
現代とは異なり、インターネットが普及していなかったのでもっぱら電話が即時性のある安否確認手段でした。