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朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

足立美術館

2013-10-18 | 国内各地の風物
島根県の有名な名所は、出雲大社、石見銀山(UNESCO世界遺産)、玉造温泉、安来節、そしてこの美術館でしょうか。



”世界が認めた庭園をお楽しみください”



米国で発行されている「ジャーナル・オブ・ジャパニース・ガーデニング」誌によるランキングで、10年連続で日本一となっているそうです。・・その雑誌って、どのぐらい「権威」あるの?とは思うのですが。

第2位は桂離宮、3位は常磐ホテル(山梨県石和温泉)、4位平安会館(京都)?、5位山本亭(東京)?、、となっています。・・まあいいでしょう、この雑誌が指名した評価委員によるランキングですから。・・食品業界でも「モンドセレクション」最高金賞など、衛生基準を満たしてそこそこの製品を出展すれば認証してくれる欧州の民間団体があるのですから。

それはさておき(桂離宮より高得点かどうかは、まだそちらを見学していないのでノーコメント)、確かによく手入れされている庭園です。



後ろの山々は借景。

この松、庭石などすべてを、創立者の足立全康氏が全国から自ら探し求めて造園し、全命中は毎日、手入れや掃除に走り回っていたそうで、そんな情景を撮した短編映画も見せてもらいました。



後背にある小山から滝が流れています。この滝は彼が人工的に作ったもの。その山までの間は他人の田畑と道路が通っています。



茶室にて、お抹茶を頂きました。掛け軸の代わりに、細長い窓が切ってありそこから見える庭の景色を楽しみます。



松江・松平の殿様が茶道を楽しみ大いに奨励したことから、お茶や茶道具がこの地でも発達しました。茶碗の窯元も各所にあります。



昼食は、まだ混雑する前すこし早めに喫茶室「大観」にて、美しい庭をみながら笹の葉で包んだおこわ三種を頂きました。

美術品の話は、明日にでも。
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ごちそうさん

2013-10-17 | もろもろの事
NHKテレビ、朝の連続ドラマは大阪局が制作すると全国的にはあまり視聴率が取れないとのジンクスがあるそうです。


(引用:NHKweb連続テレビ小説「ごちそうさん」)

そのためか、出だしの場面は東京の文京区という設定にして関東の視聴者の関心を引こうとしているように思えます。大正時代の風俗がふんだんに現れるのも、現代から見ると新鮮であり、女生徒の着物がカラフルだし、髪型も楽しい。

ヒロイン卯野め以子の相手役、西門悠太郎は「帝大生」(現在の東京大学)で大学の教室で製図をしている場面がありました。T定規をつかって画板に向かっている映像。このT定規は、少なくとも昭和40年くらいまでは工学部学生のシンボルで入学するとこの定規、大きな三角定規2種と烏口(黒インクを入れて線を引く筆記具)を購入し(あわせて計算尺も)、布のケースに入れて図学実習には肩にかけて通学する姿がありました。詰め襟の徽章もT。

今日の場面で、悠太郎は工学部土木工学科の学生の模様ですね。・・「土木工学」という名称は、明治時代の学者が英国でのシビル・エンジニアリング(civil engineering)の翻訳として考えた言葉です。しかし、時代の変遷により、土や木では実態と合わないこと、土建など言葉のイメージがよくないことから、現代、いくつかの大学では「社会基盤学科」(東京大)、「地球工学科」(京都大)、「土木・環境工学科」(東工大)などと変更しています。一方で、日本大や東京理科大などでは伝統的名称を堅持しています。(伝統的私学のほうが「保守的」なのは興味深い)

少女に成長した「め以子」は女学校に入学します。そのロケ地となったのは、、




(引用:上記2件とも http://koto.nara-wu.ac.jp/campus/campus.htm#kinenkan)

奈良女子高等師範学校(現在奈良女子大学)の建物です。100年以上も前に建てられました。高等師範学校とは、師範学校(教員養成学校)は各県各地にありましたが、その上級の学校として高等師範があり、女性が入学できる女子高等師範は、東京と奈良の二つだけでした。東京の女高師は現在お茶の水女子大学。

この大学の付属高校に通学したことがありますが、そのまま大学には進学できませんでした。

め以子を演じている女優さんの名前も、個人的な思い入れのある字なので、ついついこのテレビをみてしまいます。

~~追記(2013-10-18)~~
女子高等師範は、調べると、戦時中に広島にもできたことを知りました。現在の広島大学教育学部福山校だそうです。

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ひつじいね、ひこばえ

2013-10-16 | 国内各地の風物
稲刈りがおわった水田に、青々とした稲の葉がそだっています。



穭・稲孫(ひつじ・ひつち・ひづち)と言うそうです。あるいは、穭稲(ひつじいね)・穭生(ひつじばえ)ともいい、稲刈りのあと穭が茂った田を穭田(ひつじだ)との言葉もあります。俳句の季語では、秋。

樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のことは、蘖(ひこばえ)だとか。

太い幹に対して、孫(ひこ)に見立てて「ひこばえ(孫生え)」というとか。春から夏にかけて多く見られ、俳句では春の季語。

まだまだ知らない言葉や漢字があります。
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なつめ 実る

2013-10-15 | 国内各地の風物
久しぶりに今は人が住んでいない父の生家を訪れました。



棗(なつめ)の木に赤い実が沢山なっていました。

すこし枝を折って、持って帰り父の霊前に供えました。



棗の実をかじってみると、あっさりしたリンゴのような味でした。


「あの子はたあれ」 細川雄太郎作詞・海沼実作曲

 あの子はたあれ たれでしょね
 なんなんなつめの 花の下 お人形さんと遊んでる
 かわいいみよちゃんじゃ ないでしょか

 あの子はたあれ たれでしょね
 こんこん小やぶの 細道を 竹馬ごっこで遊んでる
 隣のけんちゃんじゃないでしょか


その近くにある井戸の屋根が先日の台風の風で倒壊しています。



見る人もいないのに、ホトトギスが咲いていました。



これも切って、仏前にお供えしました。

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玉造温泉2、現代の旅館料理

2013-10-14 | 国内各地の風物
神話像の続きです。



因幡の白兎と大国主。(1円硬貨が余計です、神性、芸術性を汚すこんなイタズラはやめましょう)



八岐大蛇と戦う須佐之男命。



退治した大蛇の尾から、「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」を見つけ、天照御大神に献上しました。これが三種の神器の一つであり、現在は名古屋の熱田神宮の神体となっています。



旅館に戻って、入浴後に夕食となりました。

二昔前の旅館の形式や食事スタイルと、現代の高級旅館では色々な面で進化しています。

まず、部屋はかつては和室の畳部屋がほとんどで、布団を敷いてもらって眠ります。

ふとんを敷く前は、部屋に大きな座卓を置き、座布団、座椅子(足のついていない背もたれ)、脇息(肘掛け)が用意されていました。

食事は、通常、同じ和室の部屋に、仲居さん(給仕係)が料理を運んできます。ご飯はお櫃に入れて持ってきて、仲居が茶碗によそいます。お客の食事中、ずーっと付き添ってご飯、汁、お茶などの給仕をする時代が相当昔はありました。

かつては4人で一部屋が基本で、2人では一人あたりの料金が高くなっていて旅館の営業効率の点であまり好まれませんでした。現代では、ほとんどの旅館料金は2人部屋を基本としています。

和室に布団は、立ち上がりなどにすこし辛いので、ベッドルームを予約してもらっています。

団体客の宿泊が激減しているようです。今回も百人規模の団体は一組、十人か二十人の団体がチラホラ程度。ほとんどは、家族か夫婦の旅行、若いカップルのようでした。

食事の内容も、大きく様変わりしています。



個人客はテーブルと椅子の食堂に案内され、和食のコース料理が次々と運ばれてきます。



冷たいものは、冷たく。温かいものは、作りたてが運ばれてきました。

テーブル中央には、IHヒーターが仕込まれているので鍋料理も同じ平面で提供されました。岩海苔を最後に乗せて磯の香りをつけました。



今となっては当然ですが、かつての旅館のお仕着せ料理は、やたらと品数だけが多くて、天ぷらが冷たくなっていたり、一人用の固形燃料コンロにのせた小鍋で温かい汁類や煮物がでました。山の中の温泉でも、刺し身が沢山ならび、冷えたとんかつのようなカロリーの高い品物がよく出ました。

中居が部屋に運ぶ回数を減らすため、最初から驚くほど多くのお皿が一度に並んだものでした。



現代の旅館では、この写真のように、少ない量のお皿が次々と運ばれてきます。そのため、キッチンに近い場所に専用食堂をしつらえています。



秋の季節、キノコ、松茸も出てきました。



最後にデザートを出すのも普通になりました。


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玉造温泉

2013-10-13 | 国内各地の風物
島根県の名湯といえば、玉造温泉でしょう。



ということで、友人ご夫婦とこの旅館に宿泊しました。大きなホテルでした。(佳翠苑 皆美)

温泉ですから、大きな風呂場が1階と、新館の最上階に展望風呂がありました。宍道湖が極わずかに見えるのですが、残念ながらその手前にできた山陰高速道路コンクリート橋が視界を遮っています。

無色透明の静かなお湯です。食前、食後、翌朝早々の3回、入浴を楽しみました。



この玉湯川の両岸に旅館が並んでいます。その川原を利用して、足湯が作られていて、若い人たちがワイワイと楽しそうに足をつけています。相当に熱いもよう。川の中に勾玉の形の石組があり、その中心には青メノウ原石が置いてありました。



玉作湯神社まで散歩しました。



最近の温泉地には、意外に若いお客さんが多いようです。

出雲の国なので、どこにいっても「縁結び」・・・



この丸い石は、「願い石」。「叶い石」と「願い札」を社務所で頂いて、ここで祈ると、願いが叶うとか、、やや安易なイベント?ですが。



境内に地元シルバーボランティアの方がいて、ピンポイント的に解説をしてくれました。この神社の屋根にも千木がのっていますが、出雲大社、伊勢神宮、この神社で、千木の形式が異なるとか。伊勢は「女千木」、ここは「男千木」だそうです。



川の片側堤防の上に「神話通り」には、こんな可愛い銅像が並んでいます。作者は奈良の「せんとくん」と同じ薮内佐斗司さんで、全部で8つあります。
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平田 松翠苑

2013-10-12 | 国内各地の風物
出雲市に到着した日の昼食は、地元の事情に詳しい友人の案内でこの料亭に行くことができました。



ヤマタノオロチ伝説の斐伊川の近く、水田に囲まれた田園地帯に、こんな大きな農家の屋敷と庭園を利用した料理屋さんです。



門をくぐると、その先に大きな和風建物がありました。

和室に案内されて、まずは、お茶とお茶請け「栗の渋皮煮」。この屋敷の裏にある栗の木からとれたものだとのこと。



美味しくいただきました。



300坪に余る庭園には、御影石の留燈籠、真の松、枯山水、が静かに広がっています。

料理の準備ができるまで、屋敷内を見学しました。



茶室。



立派な屏風と生花。



食事は、和室にてテーブルと椅子でした。長方形の重箱にこんな料理が詰まっていました。





若い女性の板前さんの調理だとのことです。



静かで心の休まるお昼ごはんをいただくことができました。



文字どうり、知る人ぞ知る、隠れた名店です。完全予約制。
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韓竈神社(からかまじんじゃ)

2013-10-11 | 国内各地の風物
さて一息ついて、次の目的地にレンタカーで向かいました。大社境内のすぐ脇の道を進み狭い林道を登り切って、北側の海岸にでました。



発電風車が多数並んでいます。

十六島(うっぷるい)と、かわった名称のところで古くから「岩海苔」の名所だそうです。

再度山の中を走り、畑の中の駐車場に車を駐めて徒歩で掲題の神社に向かいました。



歩くこと約20分で、この鳥居があります。



「出雲風土記」にも記録のある歴史の古い神社です。



さて、ここからが想像以上に急で狭い自然石でできた石段が続きました。登ること15分。



こんな大岩の割れ目が出現しました。ここをくぐり抜けないと社には行けません。幅が45cmくらいなので、身体を横にしても腹と背中が岩に当たりました。

ふう~。

振り返るとこんな風景でした。



社殿は小ぶりでした。



朝鮮から植林法や製鉄技術(たたら)が伝えられたことを祀っているとの伝承があります。



登ってきた急峻な石段をそのまま下ります。滑りそうで結構コワイ。

林道にでて鳥居の前の渓流をすこし上流に歩くと、滝がありました。



こちらは二つにわかれた滝です。島根の滝ブログでアクセス数1位との案内板がありました!?

~~

出雲市駅前のホテルに戻って、窓の外を眺めると、



夕焼けが広がっていました。

友人と駅の近所の居酒屋へいき、海の幸と野菜を頂きました。

海鮮サラダ



川エビ唐揚げ



刺し身盛り合わせ



ワカサギ天ぷら



ヒラマサ煮付け(地元の方の紹介により特別サービス)




充実した一日でした。案内してくれた友人夫妻に大感謝。
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古代出雲歴史博物館

2013-10-10 | 国内各地の風物
島根県立の博物館には、予想以上の新知識がありました。



これは、境内から出土した宇豆柱。実物を見るとその大きさに圧倒されます。

”平成12年から13年にかけて、出雲大社境内遺跡からスギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されました。これは、そのうちの棟をささえる柱すなわち棟持柱(むなもちばしら)で、古くから宇豆柱(うづばしら)と呼ばれてきたものです。境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで奇跡的に当時の姿をとどめて出土しました。直径が最大で約6mもある柱穴には、人の頭の大きさかそれ以上の大きな石がぎっしりと積み込まれ、世界に例のない掘立柱の地下構造も明らかになりました”(引用:上記博物館web)



宮司の家に伝わる資料を元にした復元模型(1/10)。平安時代(10世紀)に高さ48mもある本殿があり、階段は109mの長さでした。



本殿を支える柱は9本で、各々杉の大木3本を束ねて直径3.6mとしていました。

クレーンもエンジンもない時代、こんな巨大な柱を切り出して運搬し、ここに穴をほって建てること自体が大変な技術力だと思います。

ちょっと、ユーモラスな展示物です。




(原本)

次の室では「出雲風土記」についての展示でした。奈良時代、8世紀に各地の歴史、地理や産物などを各地の国司に命じて調査し報告させた記録が「風土記」です。現存するなかで、出雲風土記の記録がもっとも揃っていて、当時の地理風俗がよく分かる一級の歴史資料になっています。

当時から、出雲は豊かな土地であったことが理解できます。

さらに進むと、大きな展示室が現れました。



なんと358本の銅剣(どうけん)が、その復元品とともにドドーンと展示していました。

作成されたのは弥生時代。すでに銅を精錬して加工する技術があったわけです。

1983年斐川町にて広域農道の道路工事をきっかけに、発見されました。荒神谷遺跡。



上部に飾られた金色にひかる剣は復元したものです。


銅鐸も、出雲で多数が出土しています。



祭器ですが、鐘のように内部を叩いて音を出すことに使われた模様です。





動物の絵が描かれたもの。



これは、日本最古の文字が書かれた土器です。まだ、漢字は伝来していない時代です。



ついでに、風土記の展示室にあった「木簡」、大和朝廷への献上品「海藻」に添えた書面でしょうか。もちろん、時代はずっと後ですが。

~~

古代の文化ロマンを堪能したので、神門通りの門前町にもどって、土産物、勾玉アクセサリー店などをひやかして、



もう一つの名物、「ぜんざい」を賞味しました。(写真の店は行列が長かったので、その向かいの店にて)



出雲地方の神事「神在祭」で振る舞われた「神在餅」を由来とする説があり、「神在餅」の「じんざい」が訛り「ぜんざい」へと変化したと言われてます。
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出雲大社2

2013-10-09 | 国内各地の風物
参拝のあと、右手に周りました。



10月は「神無月」というのですが、出雲だけは「神在月」、つまり日本じゅうからほとんどの神様が出雲に集まる月なのです。

その時に、この「東十九社」と西側にある「西十九社」が神様が滞在される場所です。滞在期間中はこの社殿の扉が開くそうです。

旧暦10月11日から17日まで7日間滞在されて、”出雲の地で神事(幽業、かみごと)、すなわち人には予めそれとは知ることのできない人生諸般の事などを神議り(かむはかり)にかけて決められるといわれています。男女の結びもこのときの神議りであるといいます”(引用:http://www.izumo-kankou.gr.jp/1275)



60年ぶりに本殿屋根の檜皮葺が再建されました。屋根の上には千木が飾られています。



地元小学生たちが、寝て写生をしていました。

本殿におられる大国主の命は、西を向いて鎮座されていることから、西側に簡素だけれど特別な礼拝所が作られていて、知る人ぞ知るパワースポットであるとガイドさんの説明がありました。



本殿の境内を出て、西側にある神楽殿にいくと、名物の巨大なしめ縄があり、4.4トンもの重量があります。かつては参詣客が貨幣を投げて藁の間に挟むことを競っていましたが、現在は禁止され、しめ縄の断面には網が張ってあります。



巨大な国旗掲揚柱があり、高さ47m、国旗の大きは畳75畳分です。古代の本殿は、この高さくらいまで巨木の柱9本で持ち上げられていたと推定されています。そのため、何度も、台風や地震などで倒れた痕跡があるとのこと。



さて、1時間半のツアーが終わったので、早めの昼食のため、最古の出雲蕎麦屋に直行しました。



荒木屋。創業天明年間、江戸時代後期200年以上続く出雲そば屋として日本で最も古い老舗です。



「あご野焼」トビウオのちくわで、これを前菜として。



名物、割子蕎麦。すこし黒い蕎麦で、しっかりしたコシと味、香りで満足しました。

神門通りにもどって、古代出雲歴史博物館の見学に向かいました。
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