朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

足立美術館2

2013-10-19 | 国内各地の風物
この美術館は横山大観の絵のコレクションがすばらしいと思いました。


(引用:図録「足立美術館大観選」)

「紅葉」昭和6年(1931)、六曲一双の屏風になっています。
やはり、実物はその色使い、大きさで迫力が違いました。もっとも絢爛豪華すぎて、かれの水墨画の枯れた感覚からはやや離れてしまったと感じます。

横山大観専用の広い展示室の正面に飾ってありました。季節によって、正面の展示作品は取り替えるそうです。


 (引用:同上図版)

「雨霽る(あめはる)」昭和15年(1940)
”昭和15年に描かれた海十題、山十題のうちの一幅で、大観の水墨画の中でも五本の指に入ると言われます。
 雨後の霧雲が晴れあがってゆく山並みの流動感が見事に表現されており、その彼方には富士山が気高くそびえています。”(引用:足立美術館web)

この作品が、創立者足立全康氏がまだ駆け出しの時代に購入した画集にあって大変に気に入って、そのページを切り取って額に入れて毎日眺めていたそうです。事業が軌道に乗り、本格的に大観を収集し始めた時、北沢コレクションにこの作品があることを知り大変な努力をして入手したエピソードが美術館のポスターに説明されていました。


 (引用:同上図版)

「虎渓三笑」明治45年(1912)
ユーモラスな表情の三人の表情にうっとりしてしまいました。

”東洋画の画題。晋の慧遠(えおん)法師が,廬山の東林寺で行を積んでいて虎渓を渡るまいと誓ったが,訪ねてきた陸修静・陶淵明を送り,話に夢中になって虎渓を渡ってしまったのに気づき,三人ともに大いに笑ったというもの。”(引用:大辞林 第三版)

この美術館のもう一つの特徴は、陶芸品のコレクションです。

特に、北大路魯山人の作品が数多く収集されていて、ちょうど新館を使って特別展が開かれていました。


 (引用:足立美術館web)

魯山人は、いわゆる美食家として調理することに習熟したのみならず、その料理を飾る食器の制作にも手を広げ、多くの素晴らしい作品を残しています。料亭、美食倶楽部を開業して、大評判をとったものの、資金の使い道や経営のやり方があまりにも趣味的であったためオーナーによって廃業させられていまします。その後は、芸術家としての路に励んでいきました。

滋賀県長浜の旧家(安藤家)にも寄留していた時期もあります。

~~

 足立全康氏がこの美術館を開設したのは、昭和45年(1970)で最初の10年間はお客さんが来なくて大変苦心したと書かれています。彼は明治32年にこの場所で生まれ、生家の農業を手伝うのですが嫌気がさして14歳で商売に目覚める。軍に入隊し精勤努力とその結果が伴うことを知り、除隊後郷里と大阪で繊維問屋や不動産の事業をてがける。新幹線新大阪駅の周辺土地の開発が大当たりして成功し、その資金をもって念願の美術品収集に励むことになりました。
 そうした美術品を死蔵することなく、郷里に美術館を設立して自らの趣味活動とともに、日本画、日本庭園、陶芸品などの啓蒙と一般公開を進めていったのです。その結果、現在では、地元安来市、島根県の町おこしと雇用確保に大きく貢献しています。事業で成功した成金事業家のみなさんはこんな行動をみならってほしいと感じました。
コメント (2)
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