朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

古代出雲歴史博物館

2013-10-10 | 国内各地の風物
島根県立の博物館には、予想以上の新知識がありました。



これは、境内から出土した宇豆柱。実物を見るとその大きさに圧倒されます。

”平成12年から13年にかけて、出雲大社境内遺跡からスギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されました。これは、そのうちの棟をささえる柱すなわち棟持柱(むなもちばしら)で、古くから宇豆柱(うづばしら)と呼ばれてきたものです。境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで奇跡的に当時の姿をとどめて出土しました。直径が最大で約6mもある柱穴には、人の頭の大きさかそれ以上の大きな石がぎっしりと積み込まれ、世界に例のない掘立柱の地下構造も明らかになりました”(引用:上記博物館web)



宮司の家に伝わる資料を元にした復元模型(1/10)。平安時代(10世紀)に高さ48mもある本殿があり、階段は109mの長さでした。



本殿を支える柱は9本で、各々杉の大木3本を束ねて直径3.6mとしていました。

クレーンもエンジンもない時代、こんな巨大な柱を切り出して運搬し、ここに穴をほって建てること自体が大変な技術力だと思います。

ちょっと、ユーモラスな展示物です。




(原本)

次の室では「出雲風土記」についての展示でした。奈良時代、8世紀に各地の歴史、地理や産物などを各地の国司に命じて調査し報告させた記録が「風土記」です。現存するなかで、出雲風土記の記録がもっとも揃っていて、当時の地理風俗がよく分かる一級の歴史資料になっています。

当時から、出雲は豊かな土地であったことが理解できます。

さらに進むと、大きな展示室が現れました。



なんと358本の銅剣(どうけん)が、その復元品とともにドドーンと展示していました。

作成されたのは弥生時代。すでに銅を精錬して加工する技術があったわけです。

1983年斐川町にて広域農道の道路工事をきっかけに、発見されました。荒神谷遺跡。



上部に飾られた金色にひかる剣は復元したものです。


銅鐸も、出雲で多数が出土しています。



祭器ですが、鐘のように内部を叩いて音を出すことに使われた模様です。





動物の絵が描かれたもの。



これは、日本最古の文字が書かれた土器です。まだ、漢字は伝来していない時代です。



ついでに、風土記の展示室にあった「木簡」、大和朝廷への献上品「海藻」に添えた書面でしょうか。もちろん、時代はずっと後ですが。

~~

古代の文化ロマンを堪能したので、神門通りの門前町にもどって、土産物、勾玉アクセサリー店などをひやかして、



もう一つの名物、「ぜんざい」を賞味しました。(写真の店は行列が長かったので、その向かいの店にて)



出雲地方の神事「神在祭」で振る舞われた「神在餅」を由来とする説があり、「神在餅」の「じんざい」が訛り「ぜんざい」へと変化したと言われてます。
コメント
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