http://j-lyric.net/artist/a05866a/l030f27.html
ほんとうに凄い人は
難しいことを
難なくこなしてしまうんだ。
だから、
それが自然に見えてしまう。
当たり前にみえてしまう。
でも、
そこまでいくまでに
どれだけの時間を費やしてきただろう
人の見えないところで
紡ぎ続けてきたんだろう。
http://j-lyric.net/artist/a05866a/l037eef.html
チャールズ・スペンサー・"チャーリー"・チャップリン
(Charles Spencer "Charlie" Chaplin)
(1889年4月16日─1977年12月25日)は、イギリスの映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサー、作曲家である。左利き。
生涯[編集]
映画の黎明期に数々の作品を作り上げ、「喜劇王」の異名をもつ。愛称はチャーリー(Charlie)。フランスではシャルロ(Charlot)。同年代に活躍したコメディアン、バスター・キートンやハロルド・ロイドと並び、「世界の三大喜劇王」と呼ばれる。各種メディアを通じ、現在においても彼の姿や作品に触れることは容易である。今以て研究が続けられ、作品の修復プロジェクトは進行中である。関連書も随時発売されており、新発見と驚きでファンを魅了しつづける。 1999年、アメリカ「タイム」誌は、「20世紀の最も影響力のある100人」から“アーティストとエンターテイナー”を20人選出した。絵画の世界ではパブロ・ピカソ、服飾ではココ・シャネル、音楽ではビートルズと、時代を変えた世界的なアーティストたちが名を連ねる中、映画界からスティーヴン・スピルバーグと並び選出されている。チャップリンは、ハリウッドにおいて極めてマルチな才能を示した人物であり、徹底した完璧主義で知られていた。依然多くのファンを獲得する不世出の天才であるが、その作品には毒性もあり、ユーモアの陰に鋭い社会諷刺が込められ、下町に生きる庶民の哀愁や怒り、涙までも描かれているため、純粋に笑いのみを追求する他のコメディアンとは一線を画す存在であることは特筆すべきである。
幼年期[編集]
イギリス・ロンドンのケニントン地区、ランベスのイースト・レーンで生まれた[1]。両親はミュージック・ホールの歌手で、チャーリーが1歳のときに離婚。彼は5歳のとき、声の出なくなった母親の代わりに舞台に立ったという。その7年後、父チャールズ・チャップリンはアルコール依存症によって死去し、母ハンナ・ヒルは精神に異常をきたし施設に収容される。
どん底生活を余儀なくされたチャーリーは、4歳違いの異父兄シドニーと孤児院や貧民院を渡り歩いた。生きるために床屋、印刷工、ガラス職人、新聞やマーケットの売り子とあらゆる職を転々。また俳優斡旋所に通い、ミュージック・ホールでパントマイム劇などを演じて一家の家計を支える。10歳の時には「エイト・ランカシア・ラッズ」という木靴ダンスの一座に加わり、14歳の時には「シャーロック・ホームズ」のビリー役を得て地方巡業に参加するなど、演技のスキルを積んだ。
Neffa - Quando finisce così (+ 再生リスト)
天才プロデューサー・秋元康氏の守護霊が激白「AKBは女の子の東大」 あっちゃん守護霊も参戦
http://the-liberty.com/article.php?item_id=6524
国民的アイドル「AKB48」の総合プロデューサーである秋元康氏。氏は、80年代に美空ひばり最後のシングル曲「川の流れのように」や、おニャン子クラブなどを仕掛け、これまでに作詞4000曲以上、80曲を超える作品がチャート1位、シングル総売上げも歴代1位と、「時代」をつくり続けてきた天才プロデューサーだ。
御年55歳の秋元氏は、高校時代から放送作家として頭角を現し、TBSの「ザ・ベストテン」やフジテレビの「オールナイトフジ」、おニャン子クラブを生み出した「夕やけニャンニャン」など人気番組の構成を手掛けてきた。
2005年には、「会いに行けるアイドル」をコンセプトに「AKB48」をプロデュース。AKBは秋葉原の専用劇場でほぼ毎日公演を続けたが、当初、人気が伸び悩む時期もあった。だが次第に人気を集め、ニューシングル曲を歌うメンバーを選ぶ「AKB選抜総選挙」は、いまや国民の大きな関心事。AKBメンバーをテレビで観ない日はないほどの人気ぶりだ。
また、秋元氏は現在、AKBの姉妹グループとして、中京圏を中心に活動するSKE48、近畿圏を中心に活動するNMB48、福岡・博多を中心に活動するHKT48をプロデュース。海外でも、インドネシアのジャカルタを中心に活動するJKT48、上海を中心に活動するSNH48をプロデュースするなど、その手腕をいかんなく発揮している。
そんな裏方に徹する秋元氏だが、7月下旬、大川隆法・幸福の科学総裁は氏の守護霊を呼んだ。その内容を収録した『AKB48 ヒットの秘密 マーケティングの天才・秋元康に学ぶ』が23日より、全国の書店で発売される。
「AKBで羽ばたいていく人」を見分けるポイントや「AKB選抜総選挙」が成功した本当の理由、「ディズニーランド的な精神」の大切さなど、時代とともに変化する人の心をつかみ続ける秋元流のプロデュースの極意が、赤裸々に語られている。
ほかにも、誰もが知っている秋元氏の過去世が明らかになり、特別付録として、AKBの卒業生あっちゃんこと、前田敦子さんの守護霊も言葉を寄せるなど、経営者やサラリーマンなども勉強になる内容が盛りだくさんだ。
守護霊:本人の魂の兄弟。魂の一部。本人の潜在意識。いつもは表面に出ない本心、本音を語る。
【関連書籍】
幸福の科学出版 『AKB48 ヒットの秘密 マーケティングの天才・秋元康に学ぶ』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1003
同書アマゾン紹介ページ
http://www.amazon.co.jp/dp/486395378X
【関連記事】
WEB記事 秋元康氏(守護霊)がAKB成功の「秘密」を明かす!
http://the-liberty.com/article.php?item_id=6508
僕たちの憲法は戦後に作られた。
一週間くらいで作られた。
それだけを信じて今まで生きてきた。
それだけを60年信じて・・・平和ボケした日本。
トクマ氏、早大の講演会で学生にエール【前編】「命を捨てて、自由になった」
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=5096
早稲田大学の学園祭で3日に行われた講演会「早稲田生よ、大志を抱け!」(主催:早大Happy Science)で、9月18日に泳いで尖閣・魚釣島への上陸を敢行したロック・ミュージシャンのトクマ氏(幸福実現党青年局長)が、同党女性局長の釈量子氏と対談した。トクマ氏はオリジナル曲3曲も披露した。前編・後編に分けて、トクマ氏の学生への熱いエールを紹介する。
釈 1億2500万人の日本人がいるなかで、尖閣上陸をやってのけたのは2人だけなんですね。魚釣島に近づいて、船から海に飛び込んだ時の心境は、どうでしたか?
トクマ すべて捨てて、「もう、後戻りできない」「命を捨てた」感じでしたね。だから、今、僕はもう「おばけ」なんですよ。生きているのかどうか、よくわからないんです(笑)。けど、すごく自由になりました。
これまで僕は、生きるために必死だった。それで力が入りすぎちゃって、人生に溺れていた。人は、自分を守ろうとすれば守ろうとするほど、力が入って不自由になって、生きづらくなります。「いつ死んだっていい」というくらいの気持ちで行ったほうが、目的地にたどり着けるってことを体感した。
だから、僕は今のほうが自由です。この自由を皆にも知ってもらいたいんだよね。
みんなは今は学生だから、生きるための技術を身につけるので必死だと思う。それは必死でやってもらいたい。僕が今回起こした行動、突拍子もなくやったと思われているんですけど、6年間、体を鍛えるためにプールに通い、15年間、サーフィンをやって、潮の流れが全部分かるんですよ。そのひとつひとつの準備が、いつ来るかわからない「飛び込む瞬間」がやってきた時に、逃げるか、つかむかを左右する。そのために、小さな成功体験を積んで、準備もして、自信をつけて欲しい。
「飛び込む瞬間」が、いつ来るかわからないのが辛いんだけどね。逆にオリンピックの選手なら、目標が決まっているから、それに向けて順序立てて準備できる。僕みたいに音楽をやっている人間は、いつ何が起こるか分からないですから。
魚釣島への上陸で何が頼りになったかというと、自分の経験と体力と、「自分は生きて帰れる」という確信ですね。これが、今の僕をつくっているんだよね。今、学生の皆は、勉強するのは辛いかもしれないけど、全然無駄じゃないから。ぜひ身につけてね。いつかそれを公のために使う時が来るから。その時は迷わず、ニヤッと笑って飛び込んで、それぞれの「魚釣島」に上陸して下さい。
釈 子供の頃から音楽をやりたいと思っていたんですか?
トクマ 僕、親父の転勤で3歳の時にニューヨークに行って、5歳で帰ってきた。ただ、感覚として、アメリカにはすごく「自由と発展」を感じたね。子供だから、頭じゃなくて、全身の毛穴で雰囲気を受け止めてるんだけど。それが、日本に帰ってきてからは、「狭くて窮屈」って感じた。でも、子供だからそれを言葉に表せないんだよね。
テレビでピンク・レディーとか世良公則さんとか歌手が歌っているのを観た時に、「いいなあ、この人達、気負ってないし。違う場所で生きているって波動が出ている。僕もあそこに行きたい!」って思ったけど、恥ずかしくて言えなかった。中学・高校の頃とか、「プロの歌手になりたい」なんて、すごく恥ずかしいじゃないですか。本当に歌手で食っていけるのか、という迷いもあるし。
ただ、みんなに言っておくけど、今、生きていくための術として勉強しているのであれば、はっきり言うけど、その学問、身につかないよ。やっぱり、子供の頃に漠然と抱いていた夢を思い出してほしいね。何をやっても、本当に好きでやっているヤツには勝てないから。
僕も、歌手になるという夢を捨てようと思ったことがあるよ。「そんなので飯食えない」って言われて。皆、夢を持っていても、この言葉にやられて諦めちゃうんだよ。けど、「それでも食ってやる!」というぐらいの開き直りでやったらいいよ。(後編に続く)
【関連記事】
尖閣に上陸した大和魂ロッカー - トクマ 特設ページ
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=5084
トクマ尖閣上陸ライブ動画
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=4889
公開対談抜粋レポート 尖閣に上陸したミュージシャン・トクマが日本と東京の未来を語る
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=5091