明石市長が部下を叱責する音声データが報道され、市長のパワハラ発言と騒動になっている。
しかしながら、報道当初は市長への非難一色であった世情も、報道から1日経過した今では、市長の真意と職員の怠慢が徐々に明らかとなり市長を擁護する声の方が大きくなったように思われる。関西出身の芸人さんが、市長の「火ィ付けてこい」発言は怒りの程度を伝えるための関西人特有の比喩表現で、特に驚くものではないとコメントしていたし、叱責を受けた職員も取材に対してパワハラとは感じていないと述べているので、市長は激昂していたであろうものの関西人の集団内では極く普通のやり取りであったものと推測する。この騒動で3つのやりきれなさを感じる。1つは計画が動き出して7年も経つのに、最も強硬な用地買収反対者に対して金額提示すら漕ぎつけていない職員の怠慢ブリである。音声データの後段で市長は「必要なら自分が土下座でも何でもする」と述べており、交渉担当者は手に余る事態に対してトップを利用することを含めてあらゆる手段を使ってでも突破・解決しようとする熱意と努力に欠けていたものとしか思えない。2つ目は、事件後1年半も経って音声データがFNSにリークされたことである。リークした人物は特定できないようであるが、市長選を睨んでのことか・怠慢のそしりから逃れたい一心で矛先を交わそうとしたのかは分からないが、少なくとも正義感を持った内部告発とは思えない。議事録作成や上司の指示を正確に把握するためにボイスレコーダーで録音することもあるだろうが、目的外に使用した職員の心根の卑しさも我慢できない。3つ目は、市長が真意を語り職員の奮起を促す音声データの後半を削除・編集して報道したメディアの報道姿勢である。そこには、報道によってパワハラ発言の裏にある明石市の問題解決の一助としようとするような報道姿勢は読み取れず、事件の一場面を切り取って扇情的に煽る「野次馬根性・火事場泥棒」の姿しか見えない。かってTBSテレビが自局の恣意的な報道批判に対して「編集権」なる造語を案出して偏向報道を正当化したが、編集権なるものが存在したとしても今回の編集・報道からは「社会正義のための編集権」とは思えず、「フェイクニュース作成・流布の編集権」としか思えない。
いまやスマホで簡単に録音・録画でき、手軽にFNS上にUPできる時代である。また、投稿者の身元を隠すこともそう難しい技術でもない。古人は「人の口(耳)に戸は立てられぬ」と戒めたが、現在では電脳の口・耳・目で個人の大方の所業が白日の下に曝される危険性があり、しかも伝播・拡散は驚くべき早さである。しかしながら、速報・第1報に誤りや偏りが混在することは一般的であるために、自然災害を除いて「人」が介在する出来事に対しては速報に踊るよりも続報に重きを置くように心掛けるべき時代であると自戒する出来事である。