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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

3.1独立運動をおさらい

2019年02月27日 | 韓国

 韓国で3.1独立運動100周年記念行事の前哨戦とも云うべき、文政権の反日活動が激化・尖鋭化している。

 3.1独立運動は、1910(明治43)年8月29日に「韓国併合ニ関スル条約」に基づいた日韓併合後の1919(大正8年)年3月1日に行われたデモを指すもので、李朝高宗の国葬時に宗教関係者が民族自律・朝鮮独立を呼びかけた「独立宣言」を読み上げたことが契機となっている。当初は非暴力を訴えていたが、デモが広がるにつれて各地に臨時政府が設立されるとともに、騒乱に発展したため朝鮮総督府も鎮圧に乗り出して、多くの逮捕者を出した。その後、国外に逃れた活動家が中国国民党(蒋介石)の庇護を受けて臨時政府(1919年4月11日上海臨時政府、9月11日統合上海臨時政府)を設立して独立運動を継承したとされるが、国内では騒擾も収まって大東亜戦争終結まで大規模な独立運動は起こっていない。3.1独立運動における犠牲者数は、行政府の朝鮮総督府と伝聞を集計した韓国とでは大きく異なっており、南京虐殺事件にも似た様相を呈している。運動に関連した逮捕者は1万人以上に達したが、最終的には高等法院(最高裁判所)が内乱罪の適用を棄却したために大多数が釈放されるとともに1920(大正9)年の大赦令によりさらに量刑は半減されて、獄中死したために「朝鮮のジャンヌ・ダルク」と称される柳寛順も懲役3年である。一方、韓国憲法の前文には「大韓国民は3.1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統」と「4.19民主理念」を継承すると書かれて大韓民国の前身と位置づけている臨時政府についても、設立当時から承認する国は無く、第二次世界大戦の終戦後、連合国は大韓民国臨時政府がポーランド亡命政府のように第二次世界大戦で貢献をしていないことから、何の地位を与えることもしていない。韓国では、建国について1948年の独立時とするか、国号と臨時憲章を制定し内閣を構成した1919年とするかが論争されていたが、法改正を経て100周年となる今年から1919年4月11日を建国の日とすることで活着したが、そうしなければ日韓併合時代と連合軍の占領時代(1910~1947年)は朝鮮人による韓国支配の歴史が途絶えた時代と認めることになり、大きく自尊心を損なうことになるためである。当然のことながら、北朝鮮は臨時政府を腐敗した売国団体であり正当性を認めないとして、金日成政権樹立の1948年9月9日を建国記念日としている。

 文大統領は、前述の柳寛順を称賛、伊藤博文朝鮮総督暗殺の安重根・上海天長節爆弾事件で上海派遣軍司令官白川大将を殺し重光の片足を奪った伊奉吉の両テロ犯の墓参、閣議を金九記念館で開催等の宣伝活動に忙しいが、米朝協議で蚊帳の外の置かれた現状から国民の目を逸らそうとの思惑が見え隠れする。しかしながら最も危険に思うことは、3.1運動以後の正当性を喧伝する傍らで、南北統一後の建国記念日は北朝鮮の主張する9月9日で良しとしているのではなかろうかとの疑念が拭えないことである。