マイクロソフトの共同創業者で昨年10月に死去したポール・アレン氏の傘下チームが、2019年1月末に戦艦”比叡”を発見した。
比叡は「金剛型巡洋戦艦」の2番艦として明治44年(1911年)6月に横須賀海軍工廠で起工、翌大正元年進水、大正3年(1914年)就役した。以後、ワシントン/ロンドン海軍軍縮条約により4番砲塔を撤去して昭和8年(1933年)練習戦艦に艦種変更、同年5月には展望台を設ける改装を行って御召艦、昭和11年(1936年)12月末のロンドン海軍軍縮条約切れによって戦艦としての大改装を施された結果、戦艦では稀有の30ノット以上の速力が出せる高速戦艦として大東亜戦争に従事することとなった。しかしながら艦籍簿上は練習戦艦のまま真珠湾攻撃等にも従事する等の活躍を見せた。昭和17年(1942年)11月12日、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃作戦途上に生起した第3次ソロモン海戦の夜戦で、後部の舵機室に被弾して機力操舵不能に陥ったが人力操舵で戦列に留まっていた。しかしながら翌日の空襲には耐えられずに総員退艦・キングストン弁を開いて自沈したことが公式見解とされていたが、一方では連合艦隊司令部からの駆逐艦による雷撃処分の命令と取り消し等の錯綜もあることから誤って駆逐艦による雷撃処分が行われた可能性も取り沙汰される等、その最期は沈没地点・沈没の直接原因ともに謎とされてきた。今回の発見で、沈没位置はサボ島北西985mの水深1000mの地点と特定されたものの、映像では艦体のうち前部が失われていることから雷撃~弾庫誘爆の可能性が再浮上する可能性もあり、謎が解明されるかもしれない。
比叡を発見したポールアレン氏については資産205億ドル(2兆2,500億円)、6つの財団を傘下に率いる財団を運営、父親が海軍軍人であったことから軍用品の収集や滅失艦艇の調査を続けており、所有するオクトパス号によって「戦艦武蔵」「駆逐艦島風」「重巡インディアナポリス」等を発見していることは耳にしていた。さらに今回知ったことであるが、陸軍の1式戦闘機「隼」のオリジナル機を保有するとともに、NFL、NBA、MLS所属チームのオーナーでもあり、社会事業にも多額の寄付をされているそうである。氏と財団の滅失艦艇調査が営利目的で無いだろうことは明白であり、かっての日本の栄光を明らかにしてくれることには感謝しているが、比叡発見が日本人の手で行われなかったことには忸怩たるものを感じる。「前澤社長、1億円を不特定多数に配ることよりも、何か社会に還元できる方策があるのでは」との筋違いの繰り言を残して、本日終演。