千葉県野田市の女児虐待死事件では、両親が逮捕されるとともに、柏市児童相談所の対応が批判されている。
児童相談所が批判されているのは、一旦は保護した女児を自宅に戻した対応である。児相は「緊急度を誤った」としているが、根底には児童保護制度を生かしきれない役所の排他性と役人の心情に問題があると思う。児童福祉法には「児童相談所長は、(中略)児童に一時保護を加え、又は適当な者に委託して一時保護を加えさせることができる。」としているが、今回の一連の報道を見る限り警察・家裁等の司法機関を積極的に利用した形跡がないことである。アメリカのドラマ等で児相の訪問を拒否する保護者に対しては、警察官を同行させて訪問する場面が多く登場するが、そこには「警察力は国家の意思を明確に示すツール」であるという法治国家では当然の解釈が背景にあると思う。児相は「保護者を縄付きにせずに何とかして児相で解決したかった」又は「児童は親元で暮すのが一番」との言い古された理由を述べるであろうが、このウエットな心情が、司法機関との連携を躊躇し児童福祉法の精神を生かしきれない最大の原因ではないだろうか。児相は現在、職員のマンパワーを超える案件を抱えているとされ、更には職員も必ずしも専門家ではなく通常の人事異動で配置されることが一般的であるらしいが、それならば尚一層外部機関の力を利用せざるを得ないのと思うのだが。
今回の被害者をババ札に例えることは適当でないことは承知しての比喩であるが、複雑な問題を役所に相談した場合、担当をタライまわしにされることが良くある。トランプ遊びの「ババ抜き」と同じで「ババ札を抱え込みたくない」・「ババ札を早く手放したい」感覚からであろうが、柏児相の対応はババ抜き以上に、もともとババ札は無い・持っていないという「ババ札隠し」ではないかと思う。重要な決定は所長を含む会議で決するとのことであるが、「三人寄れば文殊の知恵」というのは三人が問題解決に真剣に取り組むことを想定しており、「ババ札隠し」を共通認識とする三人では文殊の知恵は期待できないと思う。もはや、保護者の善意や翻意を前提にする児童保護は期待できない御時世で、ドライに、ある時は強権の執行すら必要な時代であろうと思う。