戦わないアメリカ論が台頭している。
戦わないアメリカ論は、武力介入したアフガニスタンとイラクからの兵力を撤退させたオバマ政権時(民主党)に囁かれ始めたものであるが、トランプ政権(共和党)になって戦わないアメリカの姿勢が、より鮮明になったとする分析である。それはトランプ政権がシリアの混乱から手を引いて解決をロシアに丸投げしたことに加えて、米朝首脳会談継続中に限ってとしているが北朝鮮に対する先制武力攻撃の選択肢を保留していることに依っている。ベトナム戦争以後”アメリカは世界の警察官として行動しない(行動できない規模の軍備)”としたものの、共和党のレーガン政権やブッシュ(父子)政権のドクトリンは一転して「強いアメリカの復活」を宣言した。特に、イラク戦争を主導したブッシュ(子)政権では、9.11テロもあって「悪の枢軸国(イラン、イラク、北朝鮮)に対しては、米軍単独の先制攻撃も辞さない」というブッシュドクトリンを唱えて、引き続きアメリカが世界の警察官として行動することを世界に印象付けた。第二次世界大戦後アメリカは、共産主義から自由世界を守るとの大義に立って軍事力を使用していたが、朝鮮戦争やベトナム戦争では、本土防衛とは直結しないアジア地域でアメリカ人の血を流すことへの忌避感が広まるとともに、共産主義の輸出国ソ連が崩壊したこともあってアメリカは防共よりも圧政からの人権救済・保護やテロ抑止に注力するようになった。しかしながら、共産思想伝播を主体としたソ連に代わって、産・学・軍のハイブリット戦術による覇権を目指す中国の抬頭に伴ってトランプ政権は新しいドクトリンを採用せざるを得なくなった。未だ一般的にはトランプドクトリンとは呼ばれていないものの、トランプ氏の戦略は経済による中国の新植民地政策に対抗しようとするものであるのは明白で、友邦に対しても制裁的関税障壁を設けることと米軍駐留経費の負担増を求めることに繋がっていると思う。経済的な踏み絵を以てアメリカ人の血を流す価値を測っているように思えてならない。
護るべき価値と注力の方向を金銭感覚で判断することは、短期的には失業率の低下や市況の活性化等に現れるであろうが、長期的に見れば国威を衰退させるものであり、アメリカ人の矜持を失うことになると思う。全ての基準を経済成長に置いた日本社会が、国際的にはエコノミック・アニマルと酷評され、国内ではアイデンティティを失った漂流者を生み出したことは記憶に新しい。トランプドクトリンがアメリカの潮流となるならば、大和魂が死語になったように、ヤンキー魂が過去のものになる日も近いと思う。