もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

イラン革命から40年‼

2019年02月23日 | 歴史

 早いもので、イラン革命から40年が経過した今、初代大統領バニサドル氏が革命前後を回顧する会見記事が報じられた。

 会見では、1979年にバニサドル氏がホメイニ氏と亡命先のパリから帰国し、イランの帝政を廃した当時の熱狂と以後のホメイニ氏の変節を述べている。バニサドル氏の失脚と亡命は記憶していたが、現在も亡命先のパリに健在であることを初めて知った。氏の回顧でも述べられているように、当初イラン革命は、イスラム色は残しつつも正教分離・男女平等の穏やかな共和制を敷くものと観られていたため、天皇制を含む帝政・王政を悪とする日本のメディアも、中東の発展と安定が実現できると挙って賛美したことを覚えている。現に発足当時のイランは、宗教指導者としてカリスマ的人気を持つホメイニ師を最高指導者とはしたものの、バニサドル氏は大統領として国家の統治に必要な権力を持っていた。しかしながらホメイニ師は徐々にイラン政体の宗教色を強めていき、最終的には1989年の憲法改正で宗教指導者が3権と軍権を超越するという現在のイスラム独裁国家を完成させたと理解している。また、会見で現在の最高指導者であるハメネイ師の後継者は次男(モジュタバ・ハメネイ氏)であろうと分析していることも気がかりである。国内の団結を維持するために外敵(アメリカ)を挑発し、核兵器を持ち、権力を世襲する統治方法は北朝鮮と同様の手法であり、また世界に鬼子が1人誕生することになる。イランの今後は置くとして、宗教界における男尊女卑の問題を考えてみたい。女性を男性の所有物と規定するイスラム社会は別として、男女差別撤廃を声高に叫ぶキリスト教社会でも法王庁や宗教指導者層が男性社会であることは紛れもない事実である。旧約聖書ではイヴはアダムの肋骨から創られたとし、マグダラのマリアは罪深い女と呼ばれていることからも、キリスト教社会でも男尊女卑の風潮は色濃く残っているのではないだろうか。キリスト教会では、男女の尊厳に差は無く、男女の役割を聖書が説いているだけと躍起に主張しているが、役割固定=性差別であることを思えば説得力に欠けていると見るべきで、こと宗教に関しては女権拡張論者も沈黙しているようである。この辺の機微が、天皇の男系継承にも投影しているのかも知れないが、大和祭主として政治権力の頂点にあった時代と違って、象徴天皇としての地位が確定され、今後とも「建武の中興」に見られるような天皇復権の可能性が無くなった今、皇統の継承についても再考する時期に来ていると考えるところである。

 数年に及ぶ経済制裁によっても、イラン・イスラム共和国民の意気は軒高で、ますます世界の鬼子として世界平和に影を与え続けるのではないだろうか。マルクスは「宗教は阿片」と喝破したが、良きにつけ悪しきにつけ民衆を酔わせる宗教の危険性と極端な宗教原理主義をポピュリズム統治に利用する指導者が無くならないことは、憂うべきことであると思う。