もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

耐乏生活かな

2020年04月18日 | 歴史

 本日は、昭和の遺物である家計音痴のたわごとである。

 中国ウィルスの影響で家計が苦しくなったという主婦の家計簿がテレビで紹介された。家計を圧迫しているのは、夫子が在宅することによって生じる光熱水料費と食費であるとしているが、とりわけ疑問に思った点は「テイクアウト費用」が外出自粛以前の3倍となっていたことである。光熱費が増加するのはやむを得ないと思うが、食費については夫の昼食代、給食費、外食費、遊興費などと相殺可能な額ではないだろうか。主婦の手料理だけでは飽きるので外食産業のテイクアウトの利用回数が増えるのは致し方ないとは思うが、家計逼迫とする実情の大半は「従前の生活を維持するには不足」ということではないだろうか。勿論、外出自粛以前もぎりぎりの生活であったが、収入の激減で本当に困っている家庭もあるとは承知しているが、肉や魚がめったに食卓に並ぶことがなかった戦後に幼少期を送った世代も何とか生きていることを考えれば、国民も気持ちを切り替えて「耐乏生活」に切り替えるべきでは無かろうかと考える。マクロに見れば、個人消費の低迷が日本経済に与える影響は大きいのであろうが、今は個人防衛、大げさに言えば中国ウィルス禍を生き抜くことが大事であり、そのためには生活の質を落とす必要があると思う。離婚・倒産・災害で生活が激変する例を耳にするが、大方の人はそのような経験を積むことはない。かって曽野綾子氏が現代人とりわけ都市生活者はサバイバルの力を失っていると書かれていたが、今こそサバイバル術を体得・会得する好機と前向きの捉え、家計のぜい肉落としを考えるべきであると思う。在宅している子供とともに、こまめにスイッチを切る、食品ロスをなくす、嗜好品の回数を減らす、国産牛をアメリカ産に変える、そんな省エネ・省資源を考えるだけでも有事の心構え、サバイバル術の涵養・伝承ができるのではないだろうか。

 飽食の時代、物余りの時代に生活レベルを落とす耐乏生活は、困難ではあろうが不可能ではないと思う。我々は、”武士は食わねど高楊枝”と矜持を以て生きた侍の末裔であり、鍋・釜を砲弾に変えて強国アメリカに挑戦した父祖の子孫である。未曾有の国難に協力する覚悟を自家薬籠に収め、耐乏生活を心掛けるならば中国ウィルス戦の勝利に貢献できるのかとも思う。スロットルを止めて1か月、パチンコ屋の再開を密かに願う虫がうごめき・ささやきかける。いかん・いかん、耐乏生活は”隗より始めよ”と自戒するが、アンタは我が家の隗じゃないと冷笑する妻の顔が見える。