もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

ラサール石井氏と大阪府知事

2020年04月27日 | 野党

 ラサール石井氏と大阪府知事のミニバトルが報じられた。

 顛末をなぞると、府知事が自主要請下にも営業を続けるパチンコ店名を公表したことに対してラサール氏が「ここのパチンコ店はやってマッセと宣伝するようなもの」とコメントし、府知事は「熟慮の結果」と応酬したものである。素人観であるが、このことは情報の2面性・多面性を示す好例と思う。フグ食が受け継がれているのも、フグ食禁止令に「フグ毒の危険性を知ってフグ食を止める人」と同じくらい「御上が禁止しても食べたい人がいるほど美味しいものかとフグ食を始める人」がいたからであろう。情報の活用が全ての投資社会にも「他人の行く 裏に道あり 花の山」との格言があると聞いている。慰安婦報道が世紀の大誤報と呼ばれた朝日新聞でも、購読者から壊滅的な審判・報復を受けるであろうとの世評に反して定期購読者の減少は数パーセントにとどまったため、現在でも「アメリカの中国コロナ感染拡大は痛快」と発信する記者を重用する等、筆禍体質は変わっていない。サリンテロを起こしたオーム真理教についても、教団の狂気と危険性を伝える情報は満ち溢れているにも拘らず、後継団体は存続し続ける以上に新たな信者を獲得している。また、憲法改正についても、改憲論者は「7割が賛成」とするが、護憲派は「3割もの人が反対」と情報を都合よく解釈・利用することが常態化している。以上の例に見られるように、情報を受ける側の反応は専門家でも見極め困難なのであろうか、政府筋や高官の情報として事前に施策の大要や見通しが伝えられることがあるが、世論の動向を見るための観測気球と呼ばれ、反対の空気が強いと感じられたら大臣・総理が公式に噂を否定して方向性を変えることが多い。

 情報の多面性ということから今回のミニバトルを眺めれば、府知事の真意は何であれ、受け手側には「応じる多数の人」がいる反面に「情報を逆に利用する少数の人」が出現するのは仕方のないところである。国民の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、行動様式(遵法・道義)などの成熟度合を指す民度という言葉があり、石原信太郎元都知事が、中国・韓国を批判する際に使用することを常とした。少数であるとは云え、パチンコに出かける人、紅灯の巷を徘徊する人、旅行する人が散見される日本の民度、高いと観るべきか、低いと観るべきか。キング・カズの言葉を借りるまでもなく、今こそ国民が試されているのは間違いのないところであろう。