本日は、嫉みを加味した繰り言とするべき考察である。
東京都のコロナ感染者数が低めながら横ばい状態で推移しているのは、新宿・歌舞伎町界隈のホストクラブが原因であるとされている。かっては、男性の色街通いが「悪所通い」と表現されているが、女性のホストクラブ通いも「悪所通い」とするのが妥当であるように感じられる。女性主導の情痴事件として有名なのが「江島生島事件」である。ウィキペディアを引用すると、<正徳4(1714)年に大奥の御年寄「江島」は、主人(月光院)の名代として前将軍(家宣)墓参のため寛永寺・増上寺へ赴いたが、その帰途に木挽町(現在の歌舞伎座周辺)の芝居小屋で「生島新五郎」の芝居を見た。芝居の後、江島は生島を茶屋に招いて宴会(役者買い?)を開いたが夢中になり過ぎて大奥の門限に遅れてしまった。大奥七ツ口門前で通せ通さぬの押し問答をしている内に江戸城中に知れ渡り・・・>とされているが、映画等では、江島が生島と密会を重ねるために長持ちの中に生島を隠して大奥に引き込んでいたことが露見したこととされている。紆余曲折の末、大奥の風紀紊乱の罪で江島は高遠藩お預け、生島は三宅島への遠島となったが、連座して江島の権勢を悪用した近親者や生島の関係者等も死罪や遠島に処せられ、最終的に50人近くの人が罰せられたとされている。江島は27年間の幽閉生活の後、寛保元(1741)年に61歳で死去。生島新五郎は寛保2(1742)年に赦免され江戸に戻ったが翌年に73歳で死去した。歌舞伎町ホストクラブのクラスター化に話を戻すと、コロナの潜伏期間を考えれば東京アラート解除前から感染の危険を冒して女性は悪所通いを重ねて30名近い感染者を出したことになり、生島に我を忘れて50名近くの連座犯を出した江島の情念・行動と重なって見える。また、東京都が感染源を突き止めたことから考えると女性感染者は立ち回り先を明らかにしたのであろうが、そこには”私が悪いのではない周りが悪いのだ”と開き直る、女性特有の主張・生き方が関係しているように感じられる。銀座界隈にも主として男性のクラスターがあるとも噂されるが、こちらの方は、男性が店に迷惑がかかるとして店名を明かさないために感染経路不明とカウントされていることを思えば、なんと男は、ひ弱で悲しい存在であるようにも感じられる。
後期高齢者で醜男代表の自分としては、生涯「江島」に出会うことは無いだろうために、世間の目を憚ることなく思いを寄せてくれる幸運を待ちつつ出棺となることだろう。ここまで書いて、ハテ・今日は何を書きたかったのだろうと思い至ったが、うすら寒い梅雨空のために推敲・校正の気も失せて、江島生島事件の紹介を持ちまして、終演。