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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

朝鮮戦争勃発の日に際して

2020年06月25日 | 軍事

 朝鮮戦争勃発から70年が経過した。

 朝鮮戦争は1950(昭和25)年6月25日に金日成率いる北朝鮮軍が事実上の国境線であった38度線を越えて韓国を攻撃したことによって始まり、以後、国連軍(アメリカ)と中共義勇軍(中国)の代理戦闘の趣となって1953年7月27日の休戦協定までの攻防に終始し、現在の軍事境界線に依る南北分断を決定づけた戦争と認識している。朝鮮戦争は現在も休戦状態であり、2018年4月に板門店で行われた第3回南北首脳会談で、2018年中の終戦(停戦・終戦・平和条約)を目指す板門店宣言が発表されたが実現には至らないどころか、現状はこれまでに類を見ないほどの緊張関係にあるように感じられる。朝鮮戦争には国連軍として22か国が参戦したが、アメリカの占領下にあった日本は参戦することもなく戦争特需によって経済が回復したことが大きいとされる。しかしながら、国連(アメリカ)軍の能力補完のために要請という形ではあったが戦争に協力した(させられた)集団があったことは案外知られていないのではないだろうか。国連軍の敗勢を転換させたとされる仁川逆上陸作戦を含む補給・輸送支援には、港湾荷役や輸送業務に4,000人が従事し、元山・仁川・鎮南浦・群山では特別掃海隊が46隻の掃海艇【駆特(駆逐特務艇)、哨特(哨戒特務艇)】・試航船と1,200名の隊員が掃海作業に当たり、機雷27個を処分する成果を挙げる一方で、掃海艇2隻沈没、1人死亡し、8人が負傷するという被害も受けている。また、国連軍病院で63人が勤務していたともされている。韓国大統領府によると朝鮮戦争勃発70周年を迎える本日、文大統領がいかなる形であれメッセージを出す予定としているが、南北対話の劇的進展と成果を誇る文大統領を歴代大統領には類を見ないほど公然と罵倒している北朝鮮に対して、アヒル口の文大統領は何を称え、何を呼び掛けるのかと興味津々である。北朝鮮の首席報道官と揶揄されながらも、ひたすら南北融和・祖国統一を念仏のように唱える文大統領の行動の原点は、彼の出自に原因があると考えるのは的外れであろうか。文大統領の両親と姉は、朝鮮戦争中の1950年12月に北朝鮮の咸鏡南道咸興市から米国の貨物船で脱北した避難民であり、祖父母は北に残したままだったとされている。そのため、南北統一は父祖の地に帰ることができる唯一の方法であり、そのためには大韓民国と国民の将来など眼中にないもののようである。

 ボルトン前米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の回顧録「それが起きた部屋」の米韓首脳会談に関する描写が青瓦台の発表と食い違っていることから、これまでの青瓦台の発表を疑問資する声が聴かれる。これまでも、青瓦台の発表をアメリカ政府高官が覆すことが度々であったが、今回のボルトン氏の描写と青瓦台の発表の間には同じ現場にいたとは信じ難いほど隔たりが大きいとされている。国民と相手国に2枚舌を使い分け、米中双方に阿るものの中国訪問では晩餐会も開かれない冷遇にも恬として二股外交を貫く強靭な精神力は、弱腰外交の我が外務省も見習うべきかもしれない。