銅像の受難に引き続いて、米陸軍の本土基地の名称変更が取り沙汰されている。
やり玉に挙がっているのは、南北戦争時の南軍将軍名を冠した10余の基地とされる。自衛隊の国内駐屯地は所在地の名前を使用しているが、米陸軍は恒久的な施設であるか否かに関わらず「駐屯」はあくまで一時的なものであるとの建前から地名を付けないことを伝統としている。その際には部隊の原点とされる指揮官の名前を冠することが多いために、南軍将軍の名前があっても不思議ではないが、そこには人種差別肯定の意図はないと思う。この動きに対してトランプ大統領は現政権での名称変更を拒否するとし、報道官は「(奴隷を保有していた)ワシントン(建国の父・初代大統領)やジェファーソン(3代大統領・独立宣言起草)も歴史から消去されるのか」と疑問を呈し、人種差別問題に一線を設ける必要性に言及している。諸外国には、故人の名誉回復や事績の否定が数多く、スターリン否定によってスターリングラードは旧称のボルゴグラードに戻され、強制収容所に収容されるとともに資産を没収された日系米国市民の名誉が上院決議で回復したこと等が知られている。共産党政権下の中国にあっては権力の推移に伴う死後の名誉回復は日常茶飯であり、台湾ではダム建設等の治水事業で荒れ地を沃野に変貌させた八田與一像が国民党の日本否定で撤去されたものの功績とともに復権を果たしている。日本では、天正3(1575)年に織田信長が井口(いのくち)と呼ばれていた地を岐阜に、明治新政府が江戸を東京と改名したことが有名であるが、時代と権力が動いても岐阜・東京のままであるし、幸徳秋水ら12名が刑死した大逆事件や憲兵隊司令部で殺害された疑いの濃い甘粕事件の大杉栄も、特段の手続きを経ることなく何となく復権したかのようである。自分は、800年も前のコロンブスや160年前の南北戦争を歴史としないアメリカの窮屈な国民性は到底理解できないものであるが、諸事外国に学ぶことの好きな一部の人からは上野の西郷像撤去の声が上がることも予想しておかなければならないのかも知れない。
米海軍には人名を付けた艦艇が多い。提督の名前が多いが、戦功のあった下士官・兵の名を継承する艦もあり、中には米西戦争での最初の戦死者名を付けた艦もあったと記憶している。戦後の歴代大統領も艦名に名を遺す栄誉に浴しており、13名の大統領のうち、ウォーターゲート事件で辞任したニクソン氏、現職のトランプ大統領、存命のクリントン氏、ブッシュ氏(子)、オバマ氏を除いて艦に名を残している。米海軍の命名基準は成文化した者が無いために局外者には判らないもので、ルーズベルト・アイゼンハワー・ケネディ・フォード・レーガン・ブッシュ(父)各氏は空母に、カーター氏は原子力潜水艦に勤務した経験を持つことからシーウルフ級原潜に、リンドン・ジョンソン氏はズムウォルト級駆逐艦にと、一貫していないように感じられる。その点、海上自衛隊は「・・区分等及び名称等を付与する標準を定める訓令」で大まかに決まっているので艦名から艦種を想像できるし、帝国海軍の艦名を継承することも多いので「名は体を表す」馴染み易いものと思っている。