もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

アヤソフィアの用途変更に思う

2020年07月12日 | 歴史

 トルコの世界遺産「アヤソフィア」が博物館からモスクに用途変更された。

 アヤソフィアは、国内のキリスト教とイスラム教の確執を棚上げした政教分離政策によってトルコを近代国家に改造するために、宗教色を排除した博物館に指定されて世界遺産にも登録されたと理解していた。今回の用途変更に際して、改めてアヤソフィアの歴史を眺めてみた。アヤソフィアの原型はキリスト教正教会の聖堂として東ローマ帝国治世下の350年頃に建設が始まり360年2月15日に完成した。1204年から1261年まではラテン帝国支配下においてローマ・カトリックの大聖堂とされたが、オスマン帝国によるコンスタンティノープル陥落の1453年5月29日から1931年までイスラム教モスクとして改築・使用されて現在の特徴的な姿となったとされている。第一次世界大戦で敗戦国となったオスマン帝国は滅亡して1924年に現在のトルコ共和国が誕生し、1935年にトルコ共和国の建国者である初代大統領アタテュルクによってアヤソフィアは博物館に指定され、宗教的行事の場として使うことを厳しく禁じられた。しかしながら、トルコの政情不安や中東各国のイスラム回帰の世情から2006年にトルコ政府は博物館内の小部屋を博物館スタッフのキリスト教徒やイスラム教徒が祈りを捧げる場所として使えるよう許可を出したとされている。2019年3月にイスラム回帰を進めるエルドアン大統領は、アヤソフィアをモスクへ戻す方針を宣言してキリスト教国の反発・抗議を招いたが、トルコ政府は2020年5月29日にアヤソフィアで「コンスタンティノープル征服567周年記念式典」を開催して、会場内でコーランを朗読したために「世界中のキリスト教徒への侮辱」とまで抗議される事態になっていた。今回の用途変更は、イスラム系団体の「モスクから博物館に地位を変更したのは不当」とする提訴に対して、2020年7月10日にトルコの裁判所が原告の訴えを認める判断を下したことを受けて、エルドアン大統領が「アヤソフィアをモスク」とする大統領令に署名したことである。今回の用途変更に伴って西側キリスト教国からの反発は必至であるとともに、博物館として世界遺産に登録されているにも拘らずユネスコの了解を得ずに用途変更したことで、世界遺産からも抹消される可能性も指摘されている。

 近年は、カッパドキア近郊で日本人観光客が殺害される事態も起きているが、トルコ国民は概して親日的であるとされている。これは、1890(明治23)年に訪日したオスマントルコ帝国親善使節団一行を乗せた軍艦エルトゥールル号が、帰路に和歌山県串本町沖で遭難(587名死亡・行方不明)した際に、地元漁師が荒天にひるむことなく69名を救出・看護したことが大きいとされている。さらには、建国者のアタテュルク大統領が政教分離で成功した日本の政体を建国の手本としたことも見逃せない。イスラムに回帰したトルコ共和国と日本の関係がどのように変化するか、トルコ国民の親日感情に変化があるのか、アヤソフィアの帰属以上に興味がある。